25 朝
翌朝。
神護庁の重厚な長官室には、押し殺したような静寂が満ちていた。
長官の前には、昨日、結から手渡された古書があり、蔵の奥で幾重もの時代を吸い込んで熟成された紙の匂いがした。
長官は険しい表情で古書を手に取り、痛恨の念に打ちのめされた低い声で言った。
「……どうやら、私たちは間違いを犯していたようだ」
(この真実を記録は残しておかないと……同じ間違いを犯してはならない)
間違いを証明するかのように、世界は昨日までとは何もかもが変わっていた。
窓から差し込む朝の光は、昨日までの刺すような残酷な眩しさをすっかり失っている。
空気はどこかひんやりと優しく清涼さに包まれていた。
長年自分たちを苛んでいた重い身体の疲労感も、嘘のようにすっきりと晴れ渡り、長官の前には、顔色の良くなった数名の職員たちの姿があった。
ただひとり、宗一だけは、未だ胸の奥に割り切れない複雑な感情を抱えたまま、硬い表情で俯いていた。
(結を救うつもりが……こちらが救われた)
毎朝のように神護庁の門前を埋め尽くしていたデモ隊の姿は、ひとりも見当たらなかった。
人々の狂気もまた、訪れた夜の静寂によって静かに鎮まっていた。
長官は窓辺へ歩み寄り、外の景色を見上げた。
静かな夜をへた空は、どこまでも高く、青く澄み渡っていた。
夜は戻った。
だが全ての人が、簡単に受け入れられるものでもないだろう……。
神護庁の仕事は、きっと形は変わっても無くならない。
「何から始めるべきか……みんな、意見を聞かせてほしい」
長官のその一言から、新しい時代に向けた静かな会議が始まった。
◇
同じ頃、斎封神社でも関係者たちが集まり、静かに膝を突き合わせていた。
境内に漂うのは、昨日までの歪な「昼の狂気」が消え去った、澄み切った清らかな空気。
拝殿から漂う古い木の香りが、涼しい風と混ざり合い、どこかわずかに懐かしい心地よさを呼び起こす。
「結は……いったい何の神楽を舞ったのだ?」
宮司である父が、苦痛に顔を歪めながら有明さんに問いかけた。
有明さんは遠い眼差しで境界の森を見つめ、静かに言った。
「始まりの神楽……だそうです」
「……ずっとひとりで、悩んでおられました」
宮司の目を見て、そう低く声を落とした。
「そうか……辛い思いをさせてしまった……」
父は絞り出すような声を漏らし、力なくうなだれた。
隣に座る兄の雅臣もまた、苦々しく唇を噛み締める。
「結局俺たちは……あいつひとりにだけ、背負わせてしまったんだ」
重苦しい沈黙が落ちかける中、列の端にいた一番年配の楽人が、ふっと目を細めて口を開いた。
「結さんのおかげで……」
「夜が、ようやくこの世界に戻ってきたのですね」
老楽人は愛おしそうに空を仰ぎ、ゆっくりと宮司へと視線を向けた。
「どうでしょう……せっかくの機会です」
「この神社の社名を変えてみてはいかがでしょうか」
――斎封神社。
かつて「夜を封印するため」に創られた神社。
けれど、もう夜を封印する必要はない。
夜は傷ついた人々を優しく包み込み、安らかな眠りを与えるものだから。
宮司である父が顔を上げて、少し明るい声で老楽人に答えた。
「そうですね。今日から、この神社も新たな歴史を歩みましょう」
結が取り戻してくれた、優しく愛おしい夜。
これからは夜とともに生きていこう。




