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誰が為の神楽  作者: 空蝉
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25/28

25 朝

 

 翌朝。

 

 神護庁の重厚な長官室には、押し殺したような静寂が満ちていた。

 

 長官の前には、昨日、結から手渡された古書があり、蔵の奥で幾重もの時代を吸い込んで熟成された紙の匂いがした。

 

 長官は険しい表情で古書を手に取り、痛恨の念に打ちのめされた低い声で言った。

 

「……どうやら、私たちは間違いを犯していたようだ」

 

(この真実を記録は残しておかないと……同じ間違いを犯してはならない)

 

 間違いを証明するかのように、世界は昨日までとは何もかもが変わっていた。

 

 窓から差し込む朝の光は、昨日までの刺すような残酷な眩しさをすっかり失っている。

 空気はどこかひんやりと優しく清涼さに包まれていた。

 

 長年自分たちを苛んでいた重い身体の疲労感も、嘘のようにすっきりと晴れ渡り、長官の前には、顔色の良くなった数名の職員たちの姿があった。

 

 ただひとり、宗一だけは、未だ胸の奥に割り切れない複雑な感情を抱えたまま、硬い表情で俯いていた。

 

(結を救うつもりが……こちらが救われた)

 

 毎朝のように神護庁の門前を埋め尽くしていたデモ隊の姿は、ひとりも見当たらなかった。

 人々の狂気もまた、訪れた夜の静寂によって静かに鎮まっていた。

 

 長官は窓辺へ歩み寄り、外の景色を見上げた。

 静かな夜をへた空は、どこまでも高く、青く澄み渡っていた。

 

 夜は戻った。

 だが全ての人が、簡単に受け入れられるものでもないだろう……。

 神護庁の仕事は、きっと形は変わっても無くならない。

 

「何から始めるべきか……みんな、意見を聞かせてほしい」

 

 長官のその一言から、新しい時代に向けた静かな会議が始まった。

 

◇

 

 同じ頃、斎封神社でも関係者たちが集まり、静かに膝を突き合わせていた。

 

 境内に漂うのは、昨日までの歪な「昼の狂気」が消え去った、澄み切った清らかな空気。

 拝殿から漂う古い木の香りが、涼しい風と混ざり合い、どこかわずかに懐かしい心地よさを呼び起こす。

 

「結は……いったい何の神楽を舞ったのだ?」

 

 宮司である父が、苦痛に顔を歪めながら有明さんに問いかけた。

 

 有明さんは遠い眼差しで境界の森を見つめ、静かに言った。

 

「始まりの神楽……だそうです」

「……ずっとひとりで、悩んでおられました」

 

 宮司の目を見て、そう低く声を落とした。

 

「そうか……辛い思いをさせてしまった……」

 

 父は絞り出すような声を漏らし、力なくうなだれた。

 

 隣に座る兄の雅臣もまた、苦々しく唇を噛み締める。

 

「結局俺たちは……あいつひとりにだけ、背負わせてしまったんだ」

 

 重苦しい沈黙が落ちかける中、列の端にいた一番年配の楽人が、ふっと目を細めて口を開いた。

 

「結さんのおかげで……」

「夜が、ようやくこの世界に戻ってきたのですね」

 

 老楽人は愛おしそうに空を仰ぎ、ゆっくりと宮司へと視線を向けた。

 

「どうでしょう……せっかくの機会です」

「この神社の社名を変えてみてはいかがでしょうか」

 

 ――斎封神社。

 

 かつて「夜を封印するため」に創られた神社。

 

 けれど、もう夜を封印する必要はない。

 夜は傷ついた人々を優しく包み込み、安らかな眠りを与えるものだから。

 

 宮司である父が顔を上げて、少し明るい声で老楽人に答えた。

 

「そうですね。今日から、この神社も新たな歴史を歩みましょう」

 

 結が取り戻してくれた、優しく愛おしい夜。

 

 これからは夜とともに生きていこう。

 


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