28 夜
「パパ! みて、まんまるお月様!」
「ああ……本当だね」
神社の境内。
嬉しそうにはしゃぐ幼い娘の声を隣で聴きながら、雅臣は静かに夜空を見上げた。
夜風に揺れ、いつの間にか境内の隅々に咲き誇るようになった白い月見草が、さわさわと清涼な音を奏でている。
静寂のあいまに、遠くから届く虫たちの涼やかな声が、まるで心地よい子守唄のように響いていた。
「ねぇ、夜ってとっても楽しいね!」
「そうか……よかった」
自分の周りをパタパタと楽しそうに駆け回る娘の頭を、雅臣は愛おしそうに撫でた。
「雅臣」
後ろから落ち着いた声で名を呼ばれ、振り返る。
そこには仕事終わりなのか、スーツ姿の宗一が立っていた。
「あ! そういちおじちゃん!」
「やあ。こんばんは」
宗一の目元が、いつもの穏やかな笑みに和らいだ。
「こんばんは!」
元気よく挨拶を返した娘は、まだ境内で遊びたそうに空を見上げている。
雅臣は微笑みながら、離れの方向を指さした。
「ほら、お母さんが呼んでいるよ。そろそろ中に入りなさい」
離れの玄関からは、娘を呼ぶ妻の温かな声が響いていた。
宗一がそっと雅臣の妻に会釈を送る。
娘は小さく手を振り返しながら、パタパタと離れへと走っていった。
「お前は、満月のたびにやって来るな」
「はは……ばれていたか」
自嘲気味に笑う宗一の肩を、雅臣は静かに見つめる。
なぜ宗一が満月の夜になると、ふらっとこの境内を訪れるのか。
その理由は、言われずとも分かっていた。
「今日も残業か?」
「ああ……まだまだ、色々と落ち着かなくてね」
あの日、結が「夜」を取り戻してから、幾年かの年月が過ぎた。
神護庁はいまも、新しい時代に人々が馴染めるよう支援を続けている。
「大変な時期に早々と抜けて悪かったな」
「いや……いいんだ」
雅臣はすでに神護庁を退職し、宮司を引退した父の跡を継いだ。
結婚し、親となった今ならわかる。
あの時の父が抱えていた葛藤も、重圧も。
ふと、思い出したように雅臣は尋ねた。
「宗一……自分の結婚とかは、考えていないのか?」
「んー……今はまだ、いいかな」
宗一はどこか遠くを見るような目をしながら、言葉を濁して苦笑した。
「そうか」とだけ返し、雅臣はそれ以上追及しなかった。
ふたりは並んで立ち、何も言わずにただ静かに月を仰ぎ見た。
空に輝く満月と、瞬く幾千の星々。
心地よい夜風が境内の樹々を揺らし、虫たちのささやきが静寂を満たしていく。
誰ももう、その夜を恐れる者はいなかった。
ひんやりと澄んだ月光の下、ふたりはいつまでも空を見上げていた。




