↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
誰が為の神楽  作者: 空蝉
PR
23/28

23 儀式

 

 ついに、儀式が始まった。

 

 本殿の奥から、父の奏上する祝詞の低く重い声が響き渡り、それに合わせて兄が静かに追唱する。

 

 参列した神護庁の職員たちも、重苦しい沈黙の中で固唾をのんで見守っていた。

 

 やがて祝詞が上がり、私の出番が訪れる。

 

 けれど、定位置につく前に――私はおばあ様から譲り受けたあの古書を胸に抱き、静かに神護庁長官の前へと進み出た。

 

 長官の前に正座し、一切の迷いを捨てた手つきで、古書を床板の上にそっと滑らせて差し出す。

 

「これを……お納めください」

「……これは何だ?」

「この世界の、真実が書かれております」

 

 長官の眉がピクリと動いて、震える声で問い返す。

 

「……『真実』、だと?」

 

 長官のその不審そうな問いに答えることなく、私はそのままゆっくりと立ち上がり、神楽殿の定位置へとついた。

 

 奉奏する楽人たちへ目配せで合図を送ると、張り詰めた空気の中、雅楽の演奏が鳴り響く。

 

 ――ドォン、と重い太鼓の音。

 ――シャン、と澄んだ神楽鈴の音。

 

 私は静かに檜扇(ひおうぎ)を開いた。

 

 今、舞い始めるのは――

 

 『始まりの神楽』

 

 もう誰も、その意味も名前も知らない神楽。

 

(これが私の選んだ答え……)

 

 今、この舞を知る者はもう誰もいない。

 ただひとり、息を呑んで私を見つめている有明さんを除いては。

 

 やがて、楽人たちが私の舞いと旋律が合わないことに気付き、次第に演奏は途切れ、完全に止まった。

 

 無音となった境内の中、私の全身からじわりと柔らかで優しい光が溢れ出した。

 

 永遠と思われた白昼の世界に、静かな「終わりの気配」がふっと芽吹き始める。

 まるで、世界そのものが呼吸をひそめたかのように。

 

 舞を重ねるごとに、頭の奥で固く閉ざされていた扉が開き、月影様との記憶が一気になだれ込んできた。

 

 忘れていた記憶が、次々と胸へ戻ってくる。

 幼い頃、境界の森で交わした約束。

 神楽を舞うたび密かに会いに行った日々――。

 

 ふと見上げれば、あれほど高く誇らしげに輝いていた太陽が傾き始めていた。

 白金(はくきん)のように刺々しかった光は、とろりとした琥珀色へと表情を変えていく。

 地面の上を、長らく忘れ去られていた「影」が、ゆっくりとどこまでも伸びていく。

 

「結―――っ!!!」

 

 異変を察知した父が、本殿から草履すら履かずに飛び出してきた。

 数名の職員たちも立ち上がり、私の元へと駆け寄ろうとする。

 けれど、私のまわりに満ちた光の透明な壁が、彼らの立ち入りを拒むように優しく弾き返した。

 

 風が吹き抜け、羽織った被衣と、檜扇を結ぶ長い飾り紐がしなやかに揺れる。

 

 見上げた空では、湧き立つ雲が内側から照らし出された。

 沈みゆく茜色の光が山の裾野を撫で、境内全体を暖かなオレンジ色に包み込んでいく。

 

 胸の奥から込み上げるものに、私の目元が自然と緩んだ。

 息苦しかった胸がすーっと軽くなり、自然と笑みがこぼれた。

 

 太陽が地平線に触れ、ゆっくりと沈み切った――その時。

 

 反対側に位置する「境界の森」の空が、ほんのりと淡く白く滲み始めた。

 森の上から静かに姿を現したのは、太陽の熱とは全く違う、冷たく、優しく、どこか懐かしい光。

 

 真円を描く、綺麗な満月が上ってきたのだ。

 

 社殿の屋根は銀色の輪郭を纏い、石畳はひんやりとした青い月光を受けて、昼の世界では決して見せなかった凛とした表情を浮かべ出す。

 

 ――そして、ゆっくりと神楽が終わった。

 

 境内には誰一人として声を発する者はいなかった。

 

 夜風だけが静かに木々を揺らし、

 鈴の余韻だけが境内を漂っている。

 

 

 その静寂の向こうから、一人の男がゆっくりと姿を現した。

 

 東の空に浮かぶ満月とともに、夜の澄んだ空気を身に纏った月影様が、静かに歩み寄ってくる。

 

「……結」

 

 神楽殿の前まで辿り着いた彼のもとへ、私は一歩一歩近づいた。

 

「月影様……」

 

「……今まで、長い間この世界に縛りつけてしまって、本当に申し訳ありませんでした」

 

「……ありがとう。夜を、解放してくれて」

 

 あぁ……これで、本当に最後なのだ。

 

 この神楽を舞い終えてしまえば、月影様は神の世界へと還ってしまう。

 

 もう二度と、会うことはできない。

 

 分かっていたはずなのに、胸が引き裂かれそうに痛む。

 

(泣いちゃダメだ……泣かない。最後は笑って、さよならを言うんだから……!)

 

 そう心に強く誓ったのに、喉の奥がキュッと絞めつけられ、声が出ない。

 

「私は、もう行くよ……」

 

「……はい……」

 

 溢れ出しそうな涙を見られないよう、ぐっと奥歯を噛みしめて俯く。

 

「――君はどうする?」

 

「……え?」

 

 弾かれたように顔を上げると、月影様は優しく微笑みながら、私に向かってまっすぐに手を差し出していた。

 

「……私と一緒に、来るかい?」

 

 

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。