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誰が為の神楽  作者: 空蝉
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21/28

21 残影

 

「そこで私……」

「人間離れした、息を呑むほど美しい男性にお会いしたのです」

 

 有明さんはそう言って、遠い目をして境界の森を見つめていた。

 まるで、その深く暗い奥底に広がる『夜の世界』を探すかのように。

 

「不安で泣いていたはずなのに、びっくりして涙も忘れて固まってしまって……」

「涙と鼻水を垂らしたまま、ぼけーっと見上げていたの」

「そしたら彼、私の顔を見て、すごく困ったような顔をなさってね」

 

 思い出を慈しむように、有明さんはクスクスと可愛らしく笑った 。

 私も思わずつられて微笑む 。

 

(ふふっ……月影様も、きっと驚いちゃったんだろうな)

(泣いている有明さんを、なんとかして慰めようとしてくれたのかな……)

 

 どこまでも心優しい月影様の姿が目に浮かび、私の胸の奥に温かな愛おしさが広がっていく。

 

「それから、私の不安を感じ取ってくださったのかしら」

「満開の真っ白な花が一面に咲き誇る、月の草原へ連れて行ってくださったの」

 

 夢中でその花を摘んでいるうちに、気づけば神楽殿の前に戻っていたのだという。

 

「その花を巫女様に差し上げようとしたら、手のひらの中で、すうっと枯れてしまっていて……」

 

 有明さんはまるで、今もそこに花があるかのように、自分の手の中を覗き込んだ。

 

「その話を巫女様にしたら『夜の神様に会ったのね』と、とても羨ましがられたわ」

「……それからかしら。私が巫女様のお手伝いを本格的にするようになったのは」

 

 そう言って、手に持っていた神楽の道具を大事そうに持ち上げ眺めた。

 

「結さん……結さんも『夜の神様』にお会いしたのですね?」

「……うん」

 

 私は月影様の姿を思い浮かべながら、儀式で身につける緋袴の生地にそっと手を置いた。

 さらりとしたしなやかな肌触りが、かつて私を包み込んでくれた月影様の衣装の感触に似ていて、切なくも、どこか誇らしい気持ちになる。

 

「私にとっては雲の上の『神様』でしたけれど、結さんにとっては……少し違うのですね」

「え……?」

「そんなにも優しく、愛おしそうな顔をなさるなんて……」

 

 ハッとして顔を上げると、有明さんが温かな眼差しで私を見つめていた。

 

「そんな顔……してた?」

「ええ、とても綺麗なお顔でしたよ」

 

 胸の奥にある一番大切な気持ちを見透かされたようで、急に恥ずかしさがこみ上げてくる。

 私は言葉に詰まり、思わず視線を泳がせて俯いた。

 

 二人はしばらく黙った。

 

 ふと耳を澄ますと、本殿の方から聞こえていた太鼓や道具を片付ける慌ただしい音が、いつの間にか静まり返っていることに気づいた。

 どこからか吹き抜けた風に乗って、離れの自宅から晩ご飯のおいしそうな匂いが漂ってくる。

 

「準備もだいぶ進みましたね。残りはまた明日にしましょう」

 

 有明さんが柔らかい声で微笑み、静かに立ち上がった。

   

◇

 

「お願い。少しだけ……学校に行かせてほしいの」

 

 翌朝、制服に袖を通した私は、兄に向かって頭を下げた。

 

「……少しだけだぞ。準備もあるし、今は街も混乱しているから……」

 

 兄は苦い表情を浮かべ、言葉を濁して黙り込んだ。

 

 分かっている。

 

 街では「夜」と「眠り」を求める人々の声が日増しに大きくなり、各地で混乱が起きているという。

 学校が今どんな状況になっているのかは、行ってみなければ分からない。

 だからこそ、自分の目で確かめておきたかった。

  

 兄と「二時間後に正門で」と約束を交わし、私は校舎の重い扉を押した。

 

 登校する道のりもそうだったが、校舎の中は気味が悪くなるほど静まり返っていた。

 教室には、まばらに五人ほどの生徒が、座っているだけだった。

 いつも真っ先に笑顔で駆け寄ってくれていた友人たちの姿は、どこにもない。

 先生も何人か休んでいるらしく、授業は行われず自習だった。

 

 教室には、異様なまでの「光」だけが満ちていた。

 吹き抜ける風さえも熱を帯び、重苦しい光が皮膚を刺すようだった。

 

 耐えきれず教室を出て、当てもなく静かな廊下を歩く。

 図書室も保健室も閉鎖されていた。

 

 まるで、世界そのものの時が止まってしまったかのようだ。

 

 今まで胸を押しつぶすように感じていた息苦しさは、自分だけのものだと思っていた。

 けれど今、ずっと続くと思っていた当たり前の世界は、壊れてしまっていた。

 誰もがその耐えがたい「光」の苦痛に苛まれているのだ。

 

(――もう、逃げない)

 

 儀式で、自分が『何を舞うべきか』

 迷いは完全に消え去り、胸の奥で静かな決心が固まっていた。

 

 儀式が行われるのは、明日の午後だ。

 

 月影様―――どうか、見守ってて。

 

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