15 真実の在処
学校に来たものの、ずっと教室にいる気にはなれなかった。
私は重い足取りで校内を歩いた。
そして気がつけば図書室へと来ていた。
校舎の端にある吹き抜けの開放的な空間には、膨大な数の蔵書が並んでいる。
けれど、痛いほどの陽射しが差し込み、影の潜む場所などどこにもなかった。
目的もなくぼんやり歩き、人気の少ない静かな場所を探しているうちに、幼児向けの絵本コーナーへ足を踏み入れた。
そのとき、一冊の絵本が目に留まった。
――『昼の女神様』――
ページをめくる。
そこにはシンプルに、この世界の事が描かれていた。
――人々が太陽の恵みを受け、平穏に、そして豊かに暮らす昼の世界。
そこへ、人々を闇に引き入れようと、恐ろしい「夜」が襲いかかってくる。
暗闇と眠りの恐怖から人々を守るため、気高い「昼の女神」が立ち上がり、命を賭して夜を封印した。
「……」
ふと視線を泳がせると、似たような内容の絵本が、何冊も並んでいることに気づく。
描かれている「昼の女神」は、きっと――
我が家に伝わる「封印の巫女」のことなのだろう。
昨日、父や兄が神妙な顔で語っていた『夜を封印する儀式』。
それは絵本の内容と不気味なほど一致している。
なのに、胸の奥からせり上がってくる、違和感を拭うことができない。
一番の違和感。それは、
――私自身、これほど世間に溢れているはずの絵本を、一度も目にしたことがない、ということだった。
斎封神社の娘として生まれ育ち、我が家にかかわりのありそうな絵本。
それを読む機会などいくらでもあったはずなのに。
なぜ、この最も身近で重要な「おとぎ話」を知らないのだろう。
考えようとした瞬間。
こめかみのあたりにズキズキとした、這い上がるような頭痛が走った。
思わず額を押さえ、さらに別の本を探そうとしたその時、脳裏にふっと、懐かしい声が蘇った。
『結。大勢の人が信じているからといって、それが真実とは限らないのですよ』
『本当に大切な真実はね、はるか昔の人が書き遺した、古い本の中にこそ眠っているものです』
「……おばあ様」
小さく呟く。
厳しくも、私を愛してくれたおばあ様の言葉。
今のこの世界は……
まるで誰かが世界を書き換えたみたい。
――真実を知りたい。
昔の人が書いた本。
古典、あるいは古書……。
そうだ。
もし「今の世界」が意図的に作ったものなら、世界のルールが適用される前の古い文献を調べれば、何かが分かるかもしれない。
(神社の、あの古い蔵の中にある古書を調べてみよう……)
明確な目的が、私の内に灯る。
同時に、胸を締め付けるほどの切望が湧き上がってきた。
(月影様に、会いたい……)
(会って、本当のことが聞きたい)
けれど、頭痛はさらに酷さを増し、視界がちかちかと歪み始める。
(また……この頭痛……)
私は兄に連絡を入れ、迎えに来てもらうことにした。
駆けつけた兄は、まだ神護庁での仕事が残っているらしく、ひどく心配そうな顔で神社の鳥居まで私を送ると、後ろ髪を引かれるようにしてすぐに仕事へと戻っていった。
一人、静まり返った鳥居の前に取り残される。
私はまっすぐ離れの自宅へ戻る気にはなれなかった。
今、私が行きたいのは……会いたいのは……
吸い寄せられるように、境界の森へと足を向けた。
森の境界線をまたいだ瞬間。
肌を刺すような常夏の熱気が消え去り、ひんやりとした清涼な空気に身体が包み込まれた。
まるでお帰り、と世界に抱きしめられたかのような錯覚を覚える。
木々の間を縫うようにして、森の奥へと歩みを進める。
けれど、いくら周囲を見回しても、静まり返った暗闇が広がるばかりで、誰もいない。
「月影様……っ」
声を絞り出すが、私の声は静寂に吸い込まれていく。
奥へ進んでも、あの美しい佇まいの青年は姿を現してくれなかった。
「……月影様!」
さらに奥に進みあたりを見渡す。
そこには前に来た時と同じ景色が広がっているのに。
「月影様……どうして……?」
会いたい。
ただ一目、会ってその温度に触れたい。
それだけなのに、どうして出てきてくれないの?
募る焦燥と寂しさに視界が潤み、ぽろぽろと涙がこぼれ落ちる。
私はその場に立ち尽くし、両手で顔を覆って泣き崩れた。
その時だった。
風がなでるように吹き抜け、私の身体を優しく包み込む気配がした。
いる。
確かに、ここにいる。
けれど、前よりもずっと遠く感じる。
目を閉じると、愛おしそうに私の頭を撫でて、壊れ物を扱うようにそっと抱きしめられているような、温かなぬくもりを感じた。
けどその気配は、何か膜に覆われているようにも感じた。
「月影、様……?」
顔を上げ、涙に濡れた目で必死に空間を見つめる。
けれど、私の腕が触れるのは冷たい空気だけで、彼の姿はどこにも結ばれない。
もどかしさと悲しみに、また胸がぎゅっと痛む。
そのとき森の外から、私を探すかすかな声が届いた。
「結ー!」
「結さん、どこですかー?」
お母さんと、有明さんの声だ。
戻らなければならない。
ここで見つかるわけにはいかない。
私は、まだそこに佇んでいるはずの「見えない温もり」に思いを残しながら、涙を拭い、境界の森を出ようとした瞬間。
耳元で、風のざわめきに混ざるようにして、かすかな声が聞こえた。
『……神楽を……』
「え……?」
振り返ったが、やっぱり月影様の姿は見えなかった。




