王女の遠征訓練
王女であるアイラ中心の遠征が始まった。
遠征と言っても遠征のための予行練習、近場での訓練とも言える。
たった二泊三日の遠征。
その上場所は西の森とあって、帯同する騎士たちの顔にはピクニックにでも行くような明るいものが浮かんでいる。
王都からも近い西の森は凶暴な魔獣の出現も少なく、騎士や兵士の訓練にも普段から使われている場所の為、ハッキリ言って気軽な気持ちの者が殆どだと言える。
だがクレオ隊長率いる第五部隊が守る王女アイラだけは別だ。
王城を出る前から笑顔を浮かべながらも緊張した面持ちだったし、体には力が入り魔獣を警戒しているのが見るからにわかる。
そのせいもあってか、馬車から降りる時には揺れに酔ったアイラは可哀そうなほどに青い顔になっていた。
森に入った今は乗馬となったため、外の空気を吸い顔色はだいぶ良くなったが、それでも腰辺りを気にしているところを見ると、初めての長距離移動にだいぶ堪えているらしい。
それも当然、王女であるアイラが王城の外へ出る機会などほとんどない。
側妃の娘とはいえ、アイラはこの国のお姫様。
危険から遠ざかされ、御身大事と守られてきた。
貴族としての基本であるダンスレッスンはともかく、淑女の見本を求められるアイラは体を動かすこと自体が稀ともいえる。
それに大勢の騎士の前、王族らしい振る舞いをと思えば無理矢理にも笑顔を作り、弱音を吐くことなど出来るわけがなかった。
何よりこの遠征はアイラが望んだもの。
多くの騎士を自分の我儘で動かしている以上、少しの疲れや恐怖心を人前で晒すことなど出来なかった。
「アイラ様、少し早いですが休憩を取りましょうか? 慣れない乗馬での移動は思っている以上に堪えるものですよ」
「……いいえ、まだ大丈夫よ。それに騎士たちは少しも疲れていない様子だもの……予定通り進みましょう、休憩はいらないわ」
「……」
何度か休憩をとクレオが声を掛けてはみたが、工程通りで良いとアイラには望まれてしまう。
自身と騎士を比べては出来ていない部分にショックを受けているようだが、普段から鍛えている騎士と王女を比べること自体が間違いだ。
「畏まりました……ですが無理だけはなさらないでくださいね、アイラ様あっての遠征ですから」
「ええ、クレオ、有難う。でもきっとアリスならばこれぐらいでは弱音は吐かないと思うの、私も頑張らないと」
「……」
聖女であるアリスは室内育ちともいえるアイラよりも体力があると言える。
それもありアイラはアリスだったら……と考えているようだが、その想いこそが体に負担をかけ心を追い込んでいるようにも見える。
聖女アリスの国では女性であっても一般的に運動をするそうで、アリスも学校では部活というものに所属し、毎日のように体を動かしていたそうだ。
それにアリスの通う学校という学びの場では、山へ登るようなイベントもあり、その上学生たち皆で戦う武術大会のようなものもあったらしく、体力はアイラよりもかなりあると言えた。
なのでアリスのダンスレッスンも順調に進み、初めてだと言っていた乗馬でさえアリスはすぐに慣れ馬とも仲良くなってしまった。
そんなこともあり、アイラは尚更頑張らねばという気持ちが強いのかもしれない。
何よりもアリスはアイラの親友だと言うのだ。
初めてできた親友の為自分こそが一番役に立ちたいと、アイラが強く願っても仕方がないと言えた。
「……あ、あー、そういえば、アイラ様、クオンがアイラ様にと言ってクッキーを焼いてくれたのですが、それを思い出した私は今物凄くクオンのクッキーが食べたくなってきました。なのでそろそろ休憩にしていただけませんか? クオンの味を早く味わいたいのです」
不器用なクレオが無理矢理に作った休憩理由にアイラは目をパチパチとさせた。
けれどクオンのクッキーというエサは効果抜群の様で、疲れているからか尚更甘いものが気になって仕方がないという顔になる。
「えっ……? クーオン様のクッキー? 私の為にクーオン様が作って下さったの?」
「ええ、アイラ様に食べてもらうのだと言って可愛い形の物を作っていました。内緒ですが私の部隊のメンバーの分もあるのですよ。きっと彼女たちも喜ぶでしょうね、クオンのクッキーは美味しいですから」
「ええ、そうね……クーオン様のクッキーですものね、皆早く食べたいわよね……」
アイラの喉がごくりと鳴る。
一度でもクオンの手作りお菓子を知った者であれば、あの味に抗えるはずがない。
アイラの場合クオンの菓子をよく知っているだけに尚更だ。
その上疲れている今の状態では甘いものはご褒美でしかない。
予定にない休憩を取る理由にはもってこいだった。
「じゃ、じゃあ、少し早いけれど休憩を取りましょうか?」
「はい、アイラ様、有難うございます。やっとクオンの味を隊員にも自慢出来ますよ」
アイラが休憩を取ると許可を出したことでクレオは笛を鳴らし部隊全体に休憩の合図を出す。
ここまで何の問題もなく進んできた隊員たちは、クレオの指示に従い疲れも見せずに休憩の準備を素早く行う。
アイラ用のテントがあっという間に建てられ、クレオはその中にアイラをエスコートする。
お茶会の時のような飲み物とまではいかないが、出されたお茶を一口だけ口に運べばアイラはホッと息を吐く。
テントの中、少しだけ王女の仮面が外れたアイラの前にクレオは自慢のクッキーを差し出した。
「まあ! 本当に可愛い形だわぁ! これはお花かしら?」
年相応の少女らしく喜び笑顔が戻ったアイラの姿にクレオはホッとする。
こんな時もクオンの優しさには助けられる、可愛い夫の笑顔を思い浮かべながらクレオは頷いた。
「ええ、お花の形らしいです。それとこちらは星の形だそうです。実は私はこれを見て海の生き物と思ったのですが……そのことはクオンには内緒ですよ」
「まあ! ウフフフ、二人は本当に仲良しなのねー、フフフフ」
アイラが笑い出しクレオも笑顔を浮かべる。
クオンの作るものには人を癒す力があるのではないかと錯覚するほどアイラは元気になった。
「はぁー、情けないわね、アリスだったらこの程度の遠征なんて何でもないでしょうに……」
溜息を吐きぼそりと弱音を呟いたアイラにクレオは一歩近づきそっと手に触れた。
男性社会の中で生きてきたクレオにはアイラの「比べてしまう気持ち」が痛いほど分かる。
男に生まれていたら……
何度も何度もそう思った経験がクレオにはある。
祖母からの攻撃を受けていた幼い時も常にそう思っていたかもしれない。
けれど今は違う。
女性であったからこそ今の地位に就くことが出来たし、クオンとも出会えた。
アイラにはアイラだからこそ出来ることがある。
クレオはそれに気づいて欲しかった。
「アイラ様、ご自分を責めてはいけませんよ」
「クレオ……?」
「私の経験上、他人と比べても辛くなるだけです。アイラ様にはアイラ様にしか出来ないことがあります。貴女様はこの国を想い聖女様を思い遣れる立派な王女です。もっと自信を持って下さい、貴女は情けなくなどありません」
「クレオ……」
「それに遠征での予定変更は良くあることです。天気が崩れることもあれば、魔獣が現れ動けなくなることもあります。アリス様の為にもそういうことを想定して今回の遠征を行うことも大事だと思います。私たちのような遠征に慣れた者の視線ではなく、アイラ様の目線で気づいたことをアリス様の為に生かしてさし上げて下さい」
「クレオ……そうね、その通りだわ。最初の思惑を忘れてはダメよね。移動に気を遣うばかりで一番大事なことを忘れていたわ……アリスに出来るだけ負担のない旅にするならば、私が辛いと感じたことを素直にお兄様に伝えなければいけないわね、変な意地を張らずに」
「ええ、是非そうしてあげて下さい。アイラ様はアリス様の親友ですから、アリス様のためになることが一番分かるはずですし」
「ええ、そうね、その通りだわ。お兄様よりもアリスのことは私が一番分かっているもの」
アイラらしい凛とした表情に戻ると、アイラは出されたお茶をごくごくと飲みだした。
ここまで御不浄にはなかなか行けないことを想定し、アイラは水分を取ることを嫌がっていた。
けれどそれではアリスの為にならないと思い直したのだろう。
快適とはいかないまでも、聖女の遠征で彼女に負担がかからないようにするためには、アイラ自身が無理をしてはいけないのだ。
頑なだったアイラから力が抜け、クオンのクッキーを美味しそうに頬張り始めた。
遠征を予定通りに乗り切るという思考から、アリスの為の心地よい遠征を作り上げるに切り替わったからだろう。
これでもうアイラが無理をすることはない、クレオもやっと安心できた。
「周りの様子はどうだ?」
「はい、隊長、今のところ何も可笑しなところはありません」
「そうか」
アイラが休む簡易テントを出ると、クレオは周りを守る仲間に声を掛ける。
まだ西の森の入り口ともいえるこの場所で何かあるとは思えないが、それでも小さな魔獣であってもアイラからすれば脅威でしかない。
今回、アイラの護衛担当の第五部隊員には最初にその旨を伝えているため、皆がそれを意識し、羽虫でも近づこうものなら抹殺しそうなほどの意識を回りに向けている。
頼もしい隊員たちの姿に笑顔が浮かびそうになりながら、クレオは一人ずつに労いの声を掛け、クオンのクッキーを渡して行った。
「これならば警戒をしながらでも食べられるだろう? ただしこの遠征中一人一袋だから食べ方は自分で采配してくれ」
「えっ? あの、これ、もしかして隊長の旦那さんの手作りですか?」
「やばい、どうしよう、これが貰えるなら野営でも全然いいかもって思っちゃう、隊長ありがとうございます。旦那様にも宜しくお伝えください」
「ああ、伝えておくよ」
一番若手のダナと食いしん坊のナンシーに最後にクッキーを渡し、クレオは王太子のデーヴィッドとキーランのいる陣へと向かう。
デーヴィッドには第一騎士団第二隊が付いており、お互いの状況を把握し、相談しながら進んでいるためアイラの様子を伝えようとテントへ向かったのだ。
「第二隊長、お疲れさまです」
「ああ、クレオか、お疲れ様。アイラ様はどうだ、気落ちしてはいないか?」
「はい、今は落ち着いております。先ほどまでは頑なでしたがコレのお陰で心が解けたようです」
「ほう? それは菓子か?」
第二隊長のジェームズにクオンのクッキーを掲げて見せる。
デーヴィッドとキーランにもどうぞとクオンから渡された物だが、毒見が必要なのでジェームズに預けるべきだろう。
それに毒見の為ならばキーランの分は別に無くなっても心は痛まないため、ジェームズには「是非毒見をしてくださいね」と笑って進めておく。
度々クオンの下へ来ては食べ物をねだるキーランは鬱陶しくて仕方がない。
それにクレオのいる時間をさけての訪問の為、確信犯でしかないと分かる。
実際キーランのそんな姿を見た訳ではないのだが、クオンの料理を喜んで食べているという報告はしっかり受けているので腹立たしさしかない。
少しは新婚に遠慮して下さい! 出禁にしますよ! と最近では本気で訴えてやろうかと思うぐらいだ。
「第二隊長、デーヴィッド様は?」
テントに人影が見えないため問いかければ、ジェームズは早速毒見を始めていた。
上手いなコレと目を見開きながらも、デーヴィッドとキーランが数名の騎士を連れ、森の散策に出たことを伝えてくれる。
(まさかアイツ、クオンの為にウサギを探しに行ったわけではないでしょうね……)
一瞬そんな疑惑が浮かんだが、どうやら西の森の瘴気の様子を見に行ったらしい。
まあ森の入り口付近でしかないこの場に酷い瘴気は無いとは思うが、それでも念のためだろう。
国でも有名な魔法使いであり、聖女の縁者でもあるキーランでしか分からないこともあるからこその行動といえた。
ガサッ。
小物の動物にしては大きく可笑しな音が聞こえ、クレオとジェームズは後ろへ振り返る。
森の中へ目を凝らしてみれば、何かが動く姿が確かにあった。
「アレは……?」
「人か……?」
木の陰から黒い人型の何かが現れ、クレオとジェームズは構えを取る。
するとその生き物は人を見つけて喜びを上げるような大きな声を出した。
「グガーーーーッ!!」
「「ーーっ!」」
見たことも無い生き物の咆哮が森に響き渡る。
一体何が起こっているのか、あの生き物は何なのか、何故気配を感じなかったのか。
疑問は沢山あるけれど、クレオは剣を抜き走り出す。
それは謎の生き物へ向けてではなく、守るべき対象であるアイラの下へ向かうための全速力の走りだった。
(マズイ! アレの方がアイラ様に近い!)
隊員がいるからきっと大丈夫と信じたい気持ちと、未知なる生き物の能力が分からない恐怖が心の中に広がっていく。
「敵襲だ!!」
ジェームズのかけ声と共に遠征団員たちが動き出す。
ドンッ! と大きな音と共にジェームズが打ち上げた救難信号が広がり、森の空が赤く染まる。
怒号が広がる森の中、先ほどまでの平穏な時間は消えていて森の中に喧騒が走る。
(アイラ様!)
突然の緊迫した状況が、クレオに命の危機を強く感じさせていた。
皆さまおはようございます、夢子です。
長くお休みしてしまい申し訳ありません。
今週には親族の葬儀がありもう暫く忙しい日々が続きそうです。
連載を続ける気は満々にありますので、毎日投稿はもう暫くお待ちいただけると有難いです。




