1・「益荒男」たちは「鞘の処女」の知らぬ間に(7)
茉莉花が通う「宮城女学院」は仙台駅から徒歩十五分。大学や小学校が立ち並ぶ文京地区にある。
段丘の上に建つ校舎から見えるのは市内を望む仙台城址を有する青葉山、険しい斜面の下をゆったりと蛇行して流れる広瀬川。
市の中心部でありながら緑深い森と渓谷が広がる「杜の都」らしい風景だ。
豊かな自然が近いゆえ、最近は近隣の住宅地に「クマ」も出没している。
授業を終えた茉莉花は部活動に参加するために別館の一階にある被服室へ向かった。
彼女が所属しているのは手芸部。部員数は三十二名。活動は週二回。午後三時四十分から五時まで。
制作するものはフェルトのマスコットからスカートまで多岐に渡る。
現在の活動内容は十月の第一金曜日、土曜日に開催される学祭の準備。
手芸部の出し物は三年生の卒業制作の展示とチャリティーバザー。
卒業制作は裾に華やかな刺繍を施したワンピースや、図案から自作した精巧なデザインのキルトのラグなどかなり力が入っている。
チャリティーバザーは毎年好評を得ている。
「可愛いハンドメイドの小物をリーズナブルな値段で買える」と口コミで広まり、近隣に住む主婦や女子小学生がこのバザーを目当てに学祭に足を運ぶほどの評判だ。
茉莉花は作業台の丸椅子に座りモチーフ編みのコースターを編んでいる。
これは来場者が十円以上の募金をした際に「おまけ」として渡すものだ。
茉莉花は編み物が得意なので手が早い。コースターはかなりの数が必要なので、彼女はこの「おまけ」の作成担当に抜擢された。
集まった募金やバザーの売り上げは災害遺児や交通事故遺児など「親を亡くした子供たち」の支援機構に寄付される。
茉莉花も三歳で母親を亡くし、七歳まで双子の弟・咲也、親がいない「天津片生」の九郎と児童養護施設で過ごしていた。
そんなこともあり、似た境遇の子供たちや施設に毎年こうして微力ながら支援を出来ることが嬉しかった。
バザーの品は毎年一般公開の午前中で完売するので、買えなかった人にはせめてコースター一枚だけでもと、茉莉花は様々なモチーフのコースターを編んでいる。
「やっぱり茉莉花ちゃんに任せて正解だわ。テスト期間前に百個行くんじゃない?」
作業台を挟んで向かい側に座る白萩寧々が刺繍針を持った手を止め、感心したように息を吐いた。
「百個は厳しいよー。来週の木曜で一旦部活休止になるでしょ?全集中しても一時間半で十個が限界。手が疲れちゃうし」
茉莉花は寧々と話している間も手を止めず、器用にかぎ針を動かしモチーフを編み続ける。
寧々はブックカバーで使用する練り色の生地に花の刺繍を縫っている。糸の色は白一色。
「今縫ってるお花可愛い」
「ありがとう。高校で初めて刺繍習ったにしては頑張ったでしょー?」
「うん、寧々さん器用だし何でもできるよね。今はもう私よりも上手いもん」
寧々は「何でもできる」優等生だ。
彼女は高校から宮城女学院に入学した「外進生」だ。
宮女は中学よりも高校の方が偏差値が高いので「外進生」の方が成績が良い。
実家が太いゆえハングリー精神はない――良く言えば「おっとり」した中学入学組の「内進生」はそのまま上の女子大や短大に学内推薦で進学する者が多いが「外進生」の九割は外部の大学に進学する。
彼女たちの主な進学先は地元の公立大やトップの私大、東京の私大だ。
寧々本人は口外していないが一年生の頃から成績は常にトップ三位内で、一枠しかない東京の「セレブも通う超有名私大」の指定校推薦を狙ってるとも噂されている。
小柄で華奢だがスポーツも万能で中学ではテニス部だった。
祖父は議長も務めた元県議、父は現衆議院議員の政治家一家。自宅は県庁の北側に古くからある高級住宅地の一軒家。
茉莉花よりもずっと格上の存在、文武両道のガチな「お嬢様」である。
「そうそう学祭にね、お兄ちゃんの友達招待することになったの」
刺繍を一通り仕上げた寧々は木枠から布地を外しながら茉莉花にチラリと目配せをする。
「寧々さんのお兄ちゃんって東京の大学行ってるんだよね?」
「うん。その人私とも昔から知り合いで、今東京の会社で働いてるんだけど、ちょうど学祭と出張が被ってて。せっかく来るんだったら寄って行ってよって言ったら、もー、ノリノリで」
「ウケる。女子校に釣られたか」
茉莉花はコースターを編む手を止めてニヤリと笑った。
「――えっ?待って、東京の成人男性が来んの?!」
寧々の隣でフェルトのマスコットを縫っていた娘が彼女に詰め寄る。
「うん」
「何歳?」
茉莉花の隣でポーチにファスナーを縫い付けていた娘が身を乗り出す。
「二十四歳」
「イケメン?」
「誰似?」
「勤め先は?」
「出身大学はどこ?」
隣の作業台で卒業制作の仕上げをしていた三年生たちが次々と席を立ち寧々の元に歩み寄る。
「――まぁ、来てのお楽しみってことで」
寧々は手に持った布地に視線を落とし、まるで「上物」を隠し持っているかのような含み笑いを漏らす。
「お楽しみにする価値はあるってことか……!」
「寧々さん筋なら間違いないでしょー」
「来たら部長の私に一報入れて」
「インテリの紳士期待しちゃう」
「眼鏡男子希望!」
色めきたつ部員たちをよそに、茉莉花は黙々とコースターを編んでいた。
寧々の交友関係の広さに感心したが「東京の成人男性」には正直興味がない。
茉莉花が寧々と初めて会ったのは、あの「懇親会」の会場。
今と同じように明るく社交的な少女だった。
当時十四歳の寧々はセージグリーンのAラインドレスを着ていた。
身頃はサテン生地、スカートは柔らかなシフォン。胸元に小さなビジュー。遠目にはシンプルだが近くで見ると細部にこだわりがあるデザイン。
同じ年頃の女子ならピンクや水色のドレス選びそうだが、上級者向けのグリーン系のドレスを選び着こなす彼女は自分よりもずっと「大人っぽく」見えた。
彼女の父親は地元の選挙区選出の衆議院議員。母親は元FM局のアナウンサー。
茉莉花は父親の和真を介して白萩夫妻、そして娘の寧々と挨拶を交わした。
「茉莉花さんは何処の中学に通ってるの?私は北上杉中」
寧々の通う中学は地元で名門とされる通学区域にある公立校だ。地元トップの公立高校に毎年多くの卒業生を送り出している。
「み、宮女の中学です……北上杉って進学校ですよね……凄い!」
「そんな、家の近くにある普通の公立校だよ。宮女の中学校も素敵じゃない。あの自分で結ぶタイプのリボンタイ、クラシカルで憧れちゃう」
同じ年で同じ仙台で暮らしている、明るくて可愛い、感じの良い女の子。ほんの数分のやり取りだったが、茉莉花は寧々に対し親近感を抱いた。
ここで出会った男のことは顔も名前も覚えていないが、好印象な女の子の顔と名前はずっと覚えている。
「懇親会」が終盤に差し掛かった頃、和真とはぐれた茉莉花は縋るような思いで寧々の姿を探していた。
家や自分に対する陰口や、強引に距離を詰めてくる男たちに嫌気がさしていた茉莉花にとって寧々の存在は「救い」になれそうな気がした。
――あの子と美味しいものを食べて、色々おしゃべりして過ごしたい。もう男は嫌だ。女の子と一緒にいたい。
寧々は自分の親と同じくらいの大人たちに囲まれ談笑していた。
議員の娘と言うこともあり、年上が相手でも物怖じしない社交的な性格のようだ。
強気で図太いが人見知りの激しい茉莉花は声をかけることを躊躇い、遠くから彼女を見ることしか出来なかった。
寧々とは「懇親会」で会ったきり、地元で再会する機会はなかった。
高野原家と白萩家は地元の天津人の有力者なので当主同士で顔を合わせることは年に何度かあったが、子供世代の繋がりはない。
毎年、父親名義で年賀状が届いていたので彼女の家の住所は知っているが、さすがに直接会いに行く度胸はなかった。
高校に進級した茉莉花は寧々と思いがけない形で再会を果たした――彼女は茉莉花と同じ宮城女学院高等部を受験し、合格していたのだ。
入学式で再会した二人は意気投合し、同じ手芸部に入った。
コミュ力の高い寧々は茉莉花の幼馴染で従姉妹の牛越華ともすぐに打ち解けた。
茉莉花と華は毎朝広瀬通駅で寧々と合流し三人で登校している。
寧々は同じ天津人で信頼出来る友人だが、自分が「鞘の処女」であることは彼女に隠していた。
白萩家は天津人の中で社会的地位は高いが、能力はそれほど高くはない。
当時は大学受験のため「懇親会」に出席していなかった長男がいるが、おそらく彼は「剣の益荒男の候補者」から外れている。
そのことを踏まえると白萩家の人間は茉莉花が「鞘の処女」だと知らない。今後も知る機会はないだろう。
「向こうはお前が「処女」だと言うことを知らないはず。白萩の家とは昔から付き合いがあるし、俺も当主とは何度か顔を合わせている。問題がある家ではないが、そこはちゃんと隠しておいた方が賢明だ」
真斗に白萩家の娘が同じ高校に入学して来たと伝えたとき、彼もそう言っていた。
寧々とは仲は良いが茉莉花は彼女にバレてはいけない「秘密」を抱えている。
この友人関係には、ほんの少し緊張感が伴っていた。
部活を終えた茉莉花は、今日は寄り道をせずそのまま寧々と広瀬通駅から地下鉄に乗り帰路に就いた。
二駅先の北四番丁駅で降車する寧々を見送り、空いた席に座った茉莉花はスマホでSNSをチェックする。
おすすめのリールに流れていた「消防士の筋トレ動画」を見て、真斗も以前獣撃隊の広報アカウントで「筋トレ」動画に参加していたことを思い出した。
今度はこれ、やらされるんじゃないの?――クソ真面目に音楽に合わせて腕立て伏せをする兄を想像し薄笑いを浮かべる。
列車は終点の泉中央駅に到着した。
茉莉花は帰宅ラッシュで長い行列が出来ているバスターミナルを抜け、駅の向かいにある商業施設に入った。
一階にある輸入食料品店でコーヒー豆を購入した後、彼女はエスカレータに乗り四階にある百円ショップに向かう。
手帳や日記に貼る「秋っぽい」シールを物色していると、明るい紺色の制服を着た二人の男子高校生が談笑している姿が目に留まった。
咲也と九郎が通う泉将監高校の生徒だ。
一人は店内用の商品を入れるカゴを持っている。中にはガムテープやビニール紐、模造紙などが入っていた。
茉莉花は咲也と九郎から今週の金曜日と土曜日に学祭があると聞いていた。彼らはその準備で必要な備品を買いに来ているのだろう。
――そういえば、あいつら学祭で何するんだろ?そこまでは聞いてな………
そう思ったとき、見慣れた大きな影が視界を掠めた。
カゴを持った男子の後ろに現れたのは背が高く、浅黒い肌をした少し襟足の長い黒髪の男子。
――げっ!!九郎じゃん!!
茉莉花は慌てて身を引いた。
気付かれないよう少し離れた場所に移動し、茉莉花は九郎の様子を伺う。
カゴを持った男子の後ろで「ぼんやり」と突っ立ってるその姿は「いつも通りの九郎」だ。学校でもあの調子なのかと茉莉花は苦笑いを浮かべる。
「高野原くーん!」
奥の棚から九郎を呼ぶ「女子」の声を耳にした瞬間、茉莉花は凍りついた。
――た、高野原くーん……??
呼ばれた九郎は表情を変えず声の主がいる奥の棚のへ向かった。
茉莉花は先回りをして、別の棚の影に身を潜め彼らの姿を覗き見る。
そこにいたのは九郎と、彼と同じ泉将監高校の二人の女子生徒。
九郎は棚の一番上――それが何かはわからないが、小柄な女子では背伸びをしても届かない場所にある商品を手に取り、一人の女子に渡した。
ぼんやりと反対側の棚を見ている九郎の隣りで、彼に商品を手渡された女子は髪の毛を何度も耳にかけ直し、もう一人は冷やかすように肘で何度も彼女を小突いている。
――こ……これは……。
あの仕草は明らかに「男を意識している」仕草だ――よろめいた茉莉花は棚の縁にしがみ付く。
九郎はいつも通り「ぼんやり」しているが、こうして家の外で見るとより「良い男」に見える。
茉莉花が九郎を「良い男」だと思ったのは「恋愛対象」として意識し始めてからだ。
もしかしたら今まで認識していなかっただけで、九郎はずっと前から他の女子にとって「良い男」だったのかも知れない。
九郎自身も他の男子のように「女子」を意識しているのかも知れない。そうだ、彼は夏休み中にハーフアップできるくらい髪を伸ばしていた。
「――色気付いてる」
茉莉花は歯軋りをして頭を抱えた。心臓が早鐘を打ち、胃がキリキリと痛む。
頭からすっかり抜け落ちていた――女子校に通う自分とは違い、共学校に通う九郎の生活圏には同年代の異性がわんさかいる。
あのハーフアップも茉莉花に言われたからやったのではないのかも知れない。
茉莉花が言った「似合う」の一言は、異性を意識して「カッコつけようとしていた」彼の背中を押してしまった可能性もある。
「やっぱ色気付いてんじゃん……!!」
三つ編みが崩れるほど髪を掻きむしり、茉莉花は棚の縁に頭を打ちつけ項垂れた。




