1・「益荒男」たちは「鞘の処女」の知らぬ間に(8)
仙台市青葉区上杉――この辺りは歴史ある屋敷町の面影を持つ一方、現在はマンションや一般住宅も混在する地域だ。
大通りから少し離れたこの閑静な住宅地の一画に、白萩寧々の自宅がある。
敷地を囲むのは落ち着いた色合いの石塀と黒い金属製の門扉。門柱には控えめな表札が掲げられている。
二階建ての瀟洒な邸宅は十年前に全面改築されたもの。
外壁は淡いグレーのタイルと天然石を組み合わせたシンプルな外観はその簡潔さが上質な印象を与えていた。
手入れの行き届いた庭には枝ぶりの美しいモミジやソヨゴが植えられ、足元には季節の草花が彩りを添えている。改築前から残る庭石もあり、昔の家の面影を残していた。
建物は新しくなっても、この土地に長く暮らしてきた「白萩家」の歴史が窺える。
帰宅した寧々は二階にある自室に入り、制服から部屋着にしているアイボリーのパーカーのセットアップに着替え、窓際にあるデスクに向かっていた。
部屋の広さは十畳。
淡いグレージュと白で統一された家具は同じメーカーの同じレーベルのもの。
デスクは勉強だけでなくノートパソコンやタブレットを使うのにも十分な広さ。
壁際にある大きなドレッサーにはスキンケア用品や普段使いのコスメがきれいに並んでいる。
――夕飯の前にさっさとすませておこう。
寧々はスマホを手に取り「本日の任務」に取り掛かる。
彼女は高校入学前に、東京で催された天津人の有力者が集まる「懇親会」で茉莉花と顔を合わせていた。
彼女は「天津人の国会議員の娘」として。
茉莉花は「天津五家の一つ、高野原家の次女」として。
互いの父親を介して挨拶を交わし、少しだけ話をした。
茉莉花は寧々に好感を持っているように見えたが、寧々の茉莉花に対する印象は「芋臭いハリボテのお姫様」だった。
一通りのマナーや場に相応しい振る舞い叩き込まれているようだが、所詮は「付け焼き刃のお姫様」――無知で無邪気な女特有の「自覚のないあざとさ」が鼻につく。
名家の娘だが婚外子。想像していた通り華やかな場で少々浮ついている「田舎臭いお嬢様」だった。
同じ天津五家、春日家の一人娘と比べたら正に「月とスッポン」――見ている方が惨めになるくらい格が違う。
この「懇親会」は茉莉花にとって「社交界デビュー」の場だったが、それは寧々にとっても同じだった。
本格的に東京の「ハイスペ男子」と繋がるチャンスが来たと寧々は半年前から準備をし意気揚々と会場を訪れたが、それを「お姫様」に全て潰された。
寧々もかなりの美少女で「白萩議員の娘はかなりの上玉」だと開催前から若い出席者から高い関心を集めていたが、高野原家の当主が「初お披露目」の次女――茉莉花を連れてきた事によってその流れは一気に変わった。
会場の若い男たちは皆「お淑やかで花のように無垢な美少女」の茉莉花に目が釘付け。
彼らは学歴・肩書・家の格で彼女に近づき、持っている資産・人脈・ルックスで彼女の気を引こうと必死だ。
さすがに五家の子息たちは「お行儀良く」一歩引いて茉莉花を見ているようだが、彼らも明らかに彼女をマークしている。庶子とはいえ「高野原家」の血を引く美少女だ。
高野原は「五家」の中では末席だと言われている。今動かなくても、後日に彼女を呼び出し二人きりで会うことも容易だからだろう。
茉莉花自身は男を魅了してやまない美貌を持つにも関わらず、自分からは一歩たりとも動かない。勝手に灯りに飛び込んでくる蛾のように「ハイスペ」が寄ってくる。
何もしないまま「最上級の男」に見初められて「そんなつもりじゃなかったのに……」と困惑してみせる、無自覚愛されあざとヒロイン――自分の見た目にあぐらをかかず、ストイックに努力するタイプの寧々にとって「一番いけすかない女」だ。
その怠惰なヒロインに寧々は面子を潰されたようなものだった。
「私は高野原の「二の姫」様よりも寧々さんの方が好きよ」
「茉莉花さんは確かに可愛らしいけど……寧々さんの方がずっと素敵だわ」
天津の「御令嬢」たちからそう言われたが、それは寧々にとって屈辱だった。
彼女たちは「あざといシンデレラ」の茉莉花を下げるために「洗練された二番手」の寧々を上げている。
同情されているだけでなく、高野原の「二の姫」を良く思っていない――彼女に嫉妬している惨めな連中に自分の存在を利用されている気がした。
もちろん寧々にも茉莉花に対し嫉妬の感情がある。だが、嫉妬に駆られ下らない噂話に興じる口さがなき女たちと一緒にされたくはない。
白萩家と高野原家は地元・宮城の「天津の有力者」の家なので古くから付き合いがあるが、今となっては当主同士が年に一、二回挨拶をする程度の繋がりだ。
そんなこともあり寧々は次の「懇親会」以外で茉莉花と会うことはないだろうと踏んでいたし二度と会いたくないとも思っていたが、現在は同じ高校に通っている。
正確に言えば彼女と同じ「宮城女学院高等部」に入学するようにと父親から指示を受け志望校を変更し、行きたくもない格下の「女子校」に入学した。
寧々の人生は天津五家の神明家と、父親――そして高野原茉莉花にめちゃくちゃにされた。
神明家の現在の当主は現官房長官の神明雅訓。
寧々の父・白萩祥太郎は神明と同じ党、同じ派閥に所属する議員で昔から彼に師事していた。
「懇親会」から数ヶ月経ったある日、白萩は神明の事務所に呼び出され奥の応接室に通された。
彼は神明から「二年後くらいに鞘の処女と番う剣の益荒男の選考が始まる」と告げられた。
白萩は当時、内閣府防災担当の政務官で「大災厄」――「境界災」の対策にも携わっていたので「鞘の処女」が二年前に現れた事は把握していた。
「鞘の処女」の名前、年齢、所在地を知るのは内閣府の担当部署、獣撃庁の上層部、そして天津五家の者たち。
天津五家の当主のひとりである神明は「処女」が誰であるか既にわかっているが、白萩は知らない。
何故神明は同じ天津人の議員でははあるが「鞘の処女」に関するプロジェクトに直接携わっていない自分にそんな機密情報を伝えるのか――白萩の身に緊張が走る。
「間違いなくうちの倅が「剣の益荒男の候補者」に上がる。社会的な立場上、正直うちから「候補者」を出したくはない」
神明はシガレットケースからタバコを一本引き抜き、口に咥えて火をつける。
「万が一、処女が「境界災」の終息後に心変わりしてマスコミや弁護士に「本当は嫌だった」と訴えたら「政治家の息子が年の離れた女性を無理矢理ものにした」とか「国が女性の尊厳を踏みにじった」とか、倅や俺どころか総理や党までバッシングの標的になるだろ……」
「女の子は……言い方は悪いですが「悲劇のヒロイン」だと思い込む――被害者意識と他責思考が強い。気分次第で全てをひっくり返す。正直何をしでかすかわからないところがありますからね……」
白萩は少し大袈裟に頷きながら同意を示す。
タバコを燻らせながら神明は続ける。
「実は以前の「懇親会」に鞘の処女が出席していたんだ。白萩くんも彼女に会っていたはずだよ」
その薄い唇から吐き出される細い紫煙は、静かに紡ぎ出された言葉が形になったもののように見えた。
応接室の薄暗がりに優雅な曲線を描きながら漂う煙は、神明が纏うどこか神秘的な空気をさらに深いものにしている。
白い煙の向こう側に顔を隠し、神明は白萩の目を見つめた。
「高野原家の次女、高野原茉莉花さん――何の因果か、高野原家から「鞘の処女」が生まれた」
さらに「深い場所にある機密」をさらりと開示され、白萩は息を詰めて身構える。
「……ええ、当主を通じて挨拶をしました……まさかあの娘だったとは……」
神明は灰皿の底にタバコをそっと押し付け火を消し、ふと「思い出したかのように」呟く。
「――そう言えば仙台の中学に通っている君の娘さん、高野原の次女と同じ年だったね」
この時点で白萩は自分が何故彼に呼び出され、何故そんな機密事項を神明から直々に開示されたのかを察した。
おそらく神明は「鞘の処女が神明家に不利益をもたらすような人物ではないか素性を知りたい」と思っている。
白萩は神明の意図を先走って忖度し、彼のためにどう動くか考えた結果、娘の寧々を「高野原茉莉花と同じ宮城女学院高等部に入学させ、彼女と親しくなり人となりや素行を探り神明家に報告させる」ことを思いついた。
これを聞いた寧々は激怒した。
県トップの進学校を目指していたのにその進路を変えさせられた上に、父親の先輩議員――天津五家・神明家のために「スパイ」まがいな真似までさせられる。
父が己の出世のためなどではなく、純粋に尊敬する先輩――神明雅訓のために動いていることはわかっているが、それに娘の進路まで利用されるなんてたまったもんじゃない。
しかもその「鞘の処女」は「あの」高野原家の次女・茉莉花――よりによってまたあの「無能ヒロイン」のせいで自分のプランを「台無し」にされる。
寧々が拒むことを想定していた父は彼女から怒鳴られるだけ怒鳴られた後に、決めの一手を打った。
「この役目を終えたら雅訓さんは労いに、天津の名家の倅を紹介してくれるはず――きっと神明家お墨付きの「ハイスペ男」!悪くはないだろ?」
まぁ、悪くはないな――寧々はかなり「ちゃっかり」している上に切り替えが早い女である。今後の進路の軌道修正もすぐに考えた。
あの女子校で成績上位をキープし東京の名門大学の推薦枠を取れば良いし、もっと上を狙う場合は学校の授業で対策できない分を予備校で補う手もある。
神明が白萩からその「娘を巻き込んだ」計画を伝えられたのは翌々年の二月。
後輩の行き過ぎた忠誠心に神明は内心どん引きしていた。
「白萩の娘が高野原の次女と友人になって彼女に様子を窺わせる」程度を予想していたが、まさか「わざわざ娘の志望校を変更させて高野原茉莉花と同じ高校に入学させる」とは思ってもみなかった。
「本当に寧々さんには申し訳ない事を押し付けてしまって……」
「いいえ、私も茉莉花さんとはお友達になれたらと思っておりました。一度女子校にも通ってみたかったし。貴重な機会をいただきましたので、ご期待に沿えるよう尽力いたします」
東京から直々に頭を下げに来た神明雅訓とその三男を前にした寧々は、腹の底で「報酬は「普通の」ハイスペじゃ済まないからな」と念じながら二人の罪悪感を煽るように「健気な優等生」の笑顔で答えた。
宮女に入学し茉莉花と再会した寧々は、抜群のコミュ力を駆使し、順調に彼女との距離を詰め親しくなっていった。
だが、茉莉花に対する感情的な引っ掛かりは今も消えていない。
寧々は「懇親会」で茉莉花に面子を潰され、父親と神明家のせい――実質茉莉花せいで志望校に進学出来なかった。
――二度もあの娘に潰された。
テキストエディタに打ち込んだ文字を見つめ、寧々は柳眉を顰める。
それでも、寧々は「与えられた仕事は徹底的に、完璧にやる」性分だ。
いつも通り東京で暮らす「うだつの上がらない貴公子」に「今日のお姫様の様子」を報告する。
今日は部活有り・特に変わったところはなし
お弁当はポークケチャップ
見た目によらずがっつり系なのは
お兄さんが肉体労働してるし弟が二人いるから、でしょうね
作ってる本人も「食べることが好き」みたい
それから学祭にあなたが来ることも伝えておきました
兄の「友達」として
彼女より他の子の方が盛り上がってた
ちょっとやそっとの男じゃ動じないみたい
だから頑張らないと駄目ですよ
※今日は残念ながら写真はなしです※
寧々はエディタに書いた下書きをペーストし、メッセージを送信した。本日の「任務」はこれで終了。
寧々が神明家から与えられた任務は鞘の処女――高野原茉莉花の友人になり、彼女の素行や思想を監視し「剣の益荒男の候補者」である神明家の三男に毎日の動向を報告すること。
下手に「興信所」を使うよりも、仲の良い「友人」の目線の方が素の行動や考えを間近で詳しく確認することができる。
――お友達に自分のプライバシーを知らない「男」に横流しされているなんて、本当にお気の毒。
寧々は何も知らない「お姫様」を鼻で笑う。
「候補者」自身が茉莉花に対して好印象を持っていても、彼の「家」の人間は手放して彼女を歓迎していない。
自分の「家」に不易をもたらさない相手か、自分の息子が共に命をかける「女神」に相応しい相手か。
「嫁」として「鞘の処女」として見合う器を持つ娘なのかを、しっかりと見極めない限り「家の子息」を「剣の益荒男」にはしたくはない。
――神明家は「五家」の中で「公」の顔を担う「家」だもの。どこよりも慎重になるのは当然。
「候補者」側の事情を知る寧々は、茉莉花に一切同情はしていない。
あんたはそう言う立場なんだからこれくらいのことは甘んじて受けろ――と、すら思っている。
うんざりとした面持ちでため息を吐き、寧々は叩きつけるようにスマホを机の上に伏せた。
「――私だってこんな汚れ仕事やりたくないっての」
寧々にとって茉莉花は友達ではない。
普段の行動などを依頼主に報告している「調査対象」であり、彼女の人生をめちゃくちゃにした「いけすかない女」である。




