1・「益荒男」たちは「鞘の処女」の知らぬ間に(1)
京都市北区・豊葦神社――社殿の基が築かれたのは約千三百年前。
主祭神は天之御中主神、相殿神は高御産巣日神と神産巣日神、配祀神は布刀玉命。
高天原に最初に現れた三柱――造化三神と「祭祀を取り仕切る」天津神を祀る神社である。
開運招福・家内安全・縁結び・商売繁盛・仕事運・子授け安産・健康長寿・厄除け・学業成就・才能開花――と、ご利益の守備範囲は広いが、この神社で有名なものは「縁結び」のご利益。
「人と人との縁・仕事との縁・土地との縁――人生におけるあらゆる良き縁を」と公式ウェブサイトのトップページに記されている。
国宝や重要文化財の建物も有し、ガイドブックに必ず掲載される古都・京都の観光名所でもある。
現在午後三時。社務所の奥にある応接室によく似た顔立ちの二人の若い男がいる。
長い睫毛に縁取られた双眸と形の良い艶やかな唇。
凛々しく引き締まった眉と高い鼻梁の陰影が、その高雅な顔立ちに精悍さを与えている。
似てはいるが双子ではない。少し年が開いた兄弟と言ったところだ。
兄と思われる男は前髪を上げた黒髪の短髪。白衣に紫色の袴姿。歳の頃は二十代後半。
弟と思われる男は襟足の長い黒髪をハーフアップにしている。グレーのオーバーサイズTシャツに黒のワイドカーゴパンツ。年の頃は二十代半ば。
兄の方は一人がけのソファに座り、すっと姿勢を正したまま柔和な表情で飲料水が入ったペットボトルの封を切る。
弟の方は二人がけのソファに座り、足を広げ踏ん反りかえり顰め面でスマホを見ている。
場所は神社の社務所だが、その風貌は「天使」と「悪魔」のようだ。
「――あないな世間知らずで気の弱そうな娘、たとえ「花鞘比売」の務めを果たしたかて、うちに嫁いできたらあっという間に潰れてしまうやろな」
「悪魔」はスマホを操作しながら権高な口調でそう言い眉をわずかに吊り上げる。
「まるで地獄みたいな言い草やなぁ。僕はそこまで酷い「家」やと思てへんけど」
「天使」は水を一口喉に流し込み、曰くありげな笑みを浮かべる。
「慎ましさや奥ゆかしさいうんは受け身で何の取り柄もない女が縋れる、たったひとつの「セールスポイント」や。女中を雇うわけやないんやから……」
「僕は良い子やと思うけどなぁ……純朴で可愛らしい子やったやないか。良い色に染める甲斐がありそうやね」
恍惚と目を細める「天使」を「悪魔」は苦り切った表情で睨む。
「そういう女ほど拗れたら厄介なんやろ――いい加減学習しいや」
「お前はどう思う?」
「俺はな「三歩下がって人任せ」みたいな女はどうにも好かんわ」
二人は三年前に「鞘の処女」に会っている。
「天使」は彼女を「世間擦れしていない純真無垢なお姫様」だと思っているようだが「悪魔」は「田舎から無理矢理連れてこられ怯えていた子ウサギ」だと思っている。
「舞踏会」で「王子様」の皮を被った「オオカミ」の群れに囲まれ、何も出来ずに震えていた「子ウサギ」を見かねた「悪魔」は保護したが、彼女は彼の顔も見ず恐れをなして逃げて行った。
「隠し子」とは言え「高野原の血」が流れている「鞘の処女」――どんな「強い」娘か興味があったが、見込み違いだったようだ。
あれから三年が過ぎた今、森に帰った「鞘の処女」は震えていた「子ウサギ」のままなのか、それとも――
「悪魔」の脳裏に水色のドレスの裾が揺らめく。
木漏れ日が瞼をくすぐるような、淡いきらめきを思い出し彼は軽く睫毛を伏せた。
険のある言葉とは裏腹な甘い憂いを滲ませた目――察した「天使」はその表情に愉悦を滲ませ話を逸らす。
「鷺森を仙台へ送ろかって、姉さんが言うてたな」
「あいつは、ちょっとなぁ……」
「僕もそう思う」
「天使」は喉の奥で小さく笑い「悪魔」に目配せをする。
「直々お忍びで会いに行ってもええんやけど、そう自由に動ける身やないからな――お前が行くか?ここと違ってあっちは涼しいやろし、遅い「夏休み」いうことで」
「悪魔」が見ていたスマホの画面には地図アプリが表示されている。
検索欄に入力された住所は――仙台市泉区×××字××
彼は視線を上げ、見透かすように薄笑いを浮かべる「天使」を睨めつける。
「――誰が行くねん、アホらし」
そう吐き捨て「悪魔」はスマホをポケットに入れた。
◆
福岡市博多区・福岡県獣撃隊本部。現在午後三時三十分。
巡回や出動で車両が出払った広い車庫の中、先程までここでSNSの広報アカウントにアップする動画の撮影が行われていた。
広報課の職員が使用した備品を片付け、訓練や事務作業の合間に撮影に参加した隊員たちがそれぞれの持ち場へ戻って行く。
同僚や先輩と談笑しながら車庫を後にし訓練棟に向かう一人の隊員を制服姿の中年の男が呼び止めた。
黒のTシャツに濃紺のズボン。濃紺のアポロキャップを被った若い隊員は、他の隊員たちに一言告げた後、制服の男の元へ歩み寄る。
二人は車庫の奥にある資材置き場の前に立ち、そこでしばらく話しをしていた。
制服の男の年齢は五十代半ばくらい。
大柄でがっしりとした体つき。白髪混じりの短髪。
半袖の白いシャツに濃紺のスラックス。胸ポケットの濃紺のフラップにはマゼンタのラインが入っている。
右袖には旭日章と「十握剣」のエンブレム。
金の縁取りが付いた肩章には同じく金の三本線が施されていた。
「――他の家の連中は、人もコネも金も持っとるけんな……「一般市民」のうちはせいぜい「興信所」に頼るしか――」
そう言いながら頭を掻く制服の男に若い隊員は険しい顔で詰め寄る。
「興信所って……絶対やるなよ!他の連中も揃いも揃って、あの娘のまわりば探って……ストーカーと一緒やろ!」
「まぁ、うちは「五家」の中じゃ高野原と一番親しい家。お前も真斗くんと仲良かろう?連絡するなり、直接会うなりする手もある」
男に話を振られた隊員はキャップを脱ぎ、首にかけたタオルで額に流れる汗を拭いながら答える。
「ああ、ガキの頃から仲良うしてもろうとる。東京に行った時は二人で飯食ったりもする。けどマメに連絡取り合っとるわけやなかし、それに――」
ハッキリとした二重の目に強い光を宿らせ彼は制服の男に視線を向け言い放つ。
「そげん探りば入れるようなことはしたくなか」
逞しい顔の輪郭に高い鼻筋。真っ直ぐな眉に縁取られた凛々しい目元。年齢は二十代半ばくらい。
日に焼けた浅黒い肌。黒髪のベリーショート。
身長は制服の男よりも高く、一八〇センチを軽く超えている。
厚みのある胸板と肩に筋張った太い腕――大樹の幹を思わせる骨太で精悍な佇まいは、揺るぎない芯を持つ勇猛な若武者を思わせる。
彼の強い眼差しを受けた男は、拍子抜けした様子で目を瞬かせた。
「探りば入れる?何ば言いよると?男なら正々堂々、今の家長の真斗くんのところへ乗り込んで「妹さんば僕にください」って先手ば打って来い」
男は豪放に笑い拳で隊員の肩を小突いた。
揶揄いを含む無茶振りをされ隊員は顔を紅潮させ言い募る。
「そげなこと出来るわけなかろうもん!フライングやし、「どん引き」されるって!」
「やけに慎重やな。お前らしくなか――まさかお前「剣比古」の役目ば担う覚悟がなかとや?」
男の口元から笑みが引き、それまでの明朗な顔つきが一瞬で険しくなった。
「――「剣比古」となる者の使命は黄泉の脅威と戦うこと。お前は現役の獣撃隊・機動祓除隊の隊員やろ。まだ若手とはいえ、他の候補者たちより実戦能力じゃ頭ひとつ抜けとる」
隊員は毅然とした面持ちで言葉を返す。
「俺は天津人としての役目ば全うして、ずっとヨモツ祓除の前線に立っとる。他の「お坊ちゃん」たちよりその覚悟はできとる」
真剣な表情でそう答えた隊員をまじまじと見た後、男はスッと視線を逸らし鼻で笑う。
「……なんね、やけに腰が重かと思うたら「天津一の美少女」に尻込みしとっただけか」
図星を突かれた隊員は先程よりも更に顔を真っ赤にさせ握った拳を震わせる。
男に食ってかかろうと身を乗り出した時、背後にある通用口の扉が開き制服姿の若い男性職員が顔を覗かせた。
「――本部長」
男は動揺する隊員をおちょくるようにニヤリと笑い、呼びかけた若い職員と共に執務室へ戻って行く。
隊員は閉まった通用口の扉をひと睨みし、腹の底から吐き出すように大きなため息を吐いた。
気持ちを切り替えるように顔を上げキャップを被り、彼は小走りで車庫から屋外へ向かう。
日差しはまだ強いが空の色は淡く、秋の気配を感じさせた。
彼はこの空の色のようなドレスを着ていた「あの娘」に思いを馳せる。
三年前に会ったきり。互いの父親を介して二言三言話しただけ。
一瞬、緊張を解いて無邪気に微笑んだ顔を忘れられなかった。
琥珀色の瞳が輝く、眩しい笑顔――彼は一瞬で彼女に心を奪われた。
惚れるきっかけなんて単純なもので、単純だからこそより深く刺さるものだ。
彼女が「鞘の処女」だと知らされ、自分が「剣の益荒男」の候補者となった時、これは「運命」だと思った。
強い能力を持つ者としての務めは、その力でヨモツから人草を守ること。
制服の男――父親に幼い頃からそう言い聞かされ、彼はその使命を胸に鍛錬に励んできた。
彼の胸にあるのは、天津人としての使命と「あの娘」に対する滾るような想い。
「そげん小細工する必要なか」
彼は立ち止まり、空を見上げ白い歯を見せ微笑んだ。
「選ばれたら正々堂々と迎えに行くけん」
頬にくっきりとえくぼが浮かぶ――彼もまた、輝く瞳と眩しい笑顔を持っている。
◆
東京都文京区。閑静な住宅地にある低層マンションの最上階にある2LDK。時計は午後七時を回っている。
単身者にとっては持て余す広さのリビングで、二十代半ばくらいの眼鏡をかけた青年が背中を丸めソファに座っていた。
彼は学生時代からここに住んでいる。
在学中はここからほど近い同じ大学に通う兄と同居していたが、現在は一人暮らし。
勤め先から帰宅後すぐに着信があり、鞄を傍らに置いたままスマホを耳にあて、スピーカー越しに聞こえてくる声に何度も頭を下げている。
通話相手は若い女性。恋人――とは違うようだ。
『――で、私の「東京にいる兄」として彼女に会ってもらいます』
「む……無理がありませんかそれ……」
彼女から突拍子のない計画を提示され、彼は喉の奥から頼りない声を漏らす。
『いきなり「五家」の――官房長官の息子だなんて紹介したら「どん引き」ですよ』
「でもいずれバレるような嘘をつくのは……」
『ええ、騙したってことになります。印象悪いでしょうね。でもそれをサプライズと取られるか、詐欺師と取られるかはあなたの立ち回り次第です』
「そんな無茶なこと……」
額に滲んだ冷たい汗を握っていたハンカチで拭い、彼はそのまま頭を抱える。
『もう!しっかりして下さい!あなたのせいで私の人生めちゃくちゃにされたんですよ!』
金切り声でスピーカー越しに一喝され、彼は丸めた背中をさらに縮こませる。
「すみません……本当に父が余計なことを……」
『やるからにはちゃんとして下さい!ちゃんとすることが被害者である私に対する誠意です!』
「……はい」
『それから眼鏡』
「眼鏡……」
『――リムレスにした方が良いと思います』
「いや……リムレスは何か、かけてて心もとない感じが……」
『女子受け!』
「じょ、女子受け……」
『絶対そっちの方が良いです。絶対似合います。あなた顔は良いんだから。今の野暮ったい眼鏡で大損してます!』
「そうですか……」
通話を終え、彼はソファに腰を下ろしたままがっくりと首を垂れた。
この女性からほぼ毎日「鞘の処女の近況」が報告されている。
今日の放課後は同じ部活の友人と手芸店に立ち寄り、書店で歌劇団が発行している雑誌を購入し帰宅した。
彼はおそらく、他の候補者の誰よりも彼女のことを知っている。
だがこれは彼が要望したものではない。周りが勝手に動いて、勝手にお膳立てをしている。
知らぬ間に「処女」のプライバシーがほぼ見ず知らずの男の元に流出しているこの状況を、彼は心苦しく思っていた。
女性から送られて来るメッセージに「処女」が写る画像が添付されていることもある。
外出先で友人と一緒に写っているもの、制服姿でカメラに向け戯けたポーズを取っているもの、体操着姿で無防備に校庭を歩く姿を写したもの。
罪悪感を抱きながらも彼はそれらの写真を一枚一枚、大切に保存していた。
彼が「鞘の処女」に出会ったのは三年前に都内のホテルで催された、天津人が集まる「懇親会」
羽のような長い睫毛を伏せ楚々と微笑む姿は、幼い頃に読んだ本に描かれていた「花鞘姫」そのものだった。
彼女が立ち去った後に残った桜の香りのような淡い余韻は、今でも消えず彼の中にある。
スマホのアルバムの中にある、彼女の写真を保存したフォルダから一番印象深い一枚を開く。
それは今年の二月に送られて来たもの――澄み切った冬青空のもと、栗色の長い髪を下ろし白いダウンコートを着て撮影者に手を振る姿が写っている。
「北の森で暮らすお姫様」に相応しい一枚だ。
彼は目を細め、その瞳に柔らかな光を湛える。
そこにはもう、先程ほどまでスピーカー越しに若い女性に発破をかけられていた「うだつの上がらない」青年はいない。
額の中央から左右に分けられた烏の濡れ羽色を思わせる艶やかな黒髪。白磁のようにきめ細やかな肌。
目尻へ向かいすらりと伸びた切れ長の目。通った鼻筋に形の良い薄い唇。
涼しげな顔立ちだが冷淡な印象はなく、淡紫の藤房のような柔らかい気品をまとっている。
恋慕の情を胸に秘め、静かに佇む閑雅な姿は「白皙の貴公子」――通話相手の女性が言っていた通り、確かに良い顔立ちをしている。




