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ヴァージン・スキャンダラス・エンゲージ〜天津の姫は世界と彼氏のために呪われた兄と禁忌の契約を結ぶ〜  作者: 烏杜文庫
【第2章・made in 高天原―天津人たちがいる日常―】
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11・「王子様」が迎えに来るまで(9)

 大きな枕に身を沈め「処女(おとめ)」が眠っている。

 

 柔らかく波打つ栗色の長い髪。


 雪のように白い肌。


 濡れた花弁(はなびら)のような瑞々しい唇。


 閉じた瞼(まぶた)を縁取る繊細な羽のような長い睫毛(まつげ)。


 身に纏っているのは赤や桃色の小花柄が施されたワンピース。


 薄い生地が肌に張り付き体のラインが露わになっている。


 小さいが丸くて愛らしい胸の膨らみ。


 細い腰から脚にかけて続く豊かな下肢の曲線は可憐な胸の印象とは違い、息を呑むほど艶めかしい。


 大切そうに胸に一冊の本を抱えている。


「処女(おとめ)」の傍(かたわ)らには男が座っている。


 武人を思わせる鍛え抜かれた体躯。引き締まった顎に高い鼻梁(びりょう)を持つ彫りの深い顔立ち。


 見るものを圧するような雄々しさの中に涼やかな気品を漂わせる美丈夫。


 男は立てた膝に肘をつき、彼女のあどけない寝顔を見つめていた。


 彼は愛おしむような手付きで「処女(おとめ)」の柔らかな髪を撫で、荊(いばら)の棘のような下睫毛に縁取られた険しい目を細める。


 精悍な美丈夫と花のような処女(おとめ)――薄陽がさす縁側に佇む二人の姿は、日常的な光景でありながら優美な一枚の絵のようだ。


 寝息が漏れる薄く開いた唇を見つめながら、彼は彼女の頬に伝う涙を拭った親指に歯を立て、指先を舌でなぞる。


 乾いた指先には彼女の涙も、頬の温もりも残っていない。


 彼は唇から指を離し息を止め、ゆっくりと身を沈めながら彼女に顔を近づける。



 ――やめろ!



 意識の底から突き上げて来た声に強く咎められ、彼は顔を歪める。


 響いた声は意思を持ち、彼の体の動きを止めた。


 彼は――真斗は「鞘の処女(おとめ)」に焦がれ続けた「血」に呑まれている。


 真斗の自我は奥に追いやられ、この忌まわしい「血」に体を乗っ取られている状況だ。

 

 真斗は「血」から「鞘の処女(おとめ)」――妹の茉莉花を守ろうと必死に抗い、彼女から自分の体を引き離す。


「――何をそんなに意固地になっている」


 彼の口から発せられた言葉は真斗の意思を介していない、「血」のものである。


 ――茉莉花も「やめろ」と言った。聞いただろ。茉莉花は俺を拒んでいる。


 内から訴える真斗の声を聞き「血」は鼻を鳴らす。


「あの時お前が俺を引き止めなければ「処女(おとめ)」をものに出来た」


 ――俺も茉莉花も近親相姦で夫婦神になることを望んでいない。大体、女は一度愛想をつかした男を二度と愛することはない。


「多少強引にでも体に「火」をつければ再び燃え上がるさ――この娘の中にもきっと、お前と同じように忘れることができない「火種」が残っているはず」


「血」は指で茉莉花の前髪を左右に分け額を露わにさせる。


 それを目にした真斗の自我は闇に蝕まれるように意識の奥底へ消えていった。


 お前がかつて愛した女の姿だ。抗えるわけがないだろう――「血」は唇を吊り上げ真斗を嘲笑う。


 抑えていた箍(たが)が外れ「血」は再び横たわる茉莉花の髪を撫でる。


「――まぁ、こうして愛でながらお前が十八になるまで待つのも悪くない」


「血」にとって今の状況はまんざらでもなかった。


 茉莉花は毎日台所に立ち家事をこなし、家で彼の帰りを待っている。休みの日は二人きりで買い出しに出かけることが多い。


 彼が遅い時間に一人で夕餉(ゆうげ)をしたためている時は、寂しくないようにと傍で本を読んだり編み物をして過ごしている。


 家族以外の前で華美な身なりをしない――おそらく彼は一番美しい茉莉花を誰よりも多く目にしている。


 夫婦の契りを交わしてはいないが、その姿は年が離れた可愛らしい「妻」と言ってもいい。


 妹との「擬似夫婦」生活に「血」は満足していた。


 髪を撫でながら「血」は眠り続ける茉莉花に囁く。


「お前が愛する男は「兄」であるこの俺だ――「兄」がお前を愛さずにはいられないように、お前も再び「兄」を愛するようになる」


 彼の指が頬に触れると、茉莉花は目を閉じたまま微かに眉を顰(ひそ)め顔を背けた。


 また逃げ出すのか――苦い思いが込み上げ「血」は奥歯を噛み締める。


 大きな手で茉莉花の頬を包み、自分に向き直させ「血」は鼻先を彼女の顔に近付け静かに言い聞かせる。


「……確かにあの「片生(かたおい)」は良い男だ。そして近いうちに五家の者なのか他の家の者かはわからないが「処女(おとめ)」を手に入れようとする益荒男たちが現れる――だが忘れるな、「処女(おとめ)」にとって俺以上の男はいない」


 胸を覆う薄い布地の上から雪肌に咲く花の痣を撫でると「血」は首を傾け、薄紅色の小さな唇を捕える。


「お前は俺のものだ――覚えておけ」


 無垢な体に消せない「火」を灯すように「血」は彼女に口づけた。


   ◆


 九郎が小学生の頃から足を運んでいる図書館は地下鉄駅のすぐ近く、サッカースタジアムの隣りにある。


 そこで九郎は以前茉莉花が読んでいた「恋愛小説」を探していた。


 同じタイトルの本は見当たらなかったが、同じ作家の別の著作があったのでそれを手に取る。


 女性作家の「恋愛小説」を貸し出しカウンターへ持って行くのが恥ずかしかったので、館内で読むことにした。


 その内容は十九歳のウェイトレスと二十九歳の刑事のラブストーリー。


 十歳離れた年の差設定に九郎は顔を曇らせたが、ヒロインの恋の相手は「スパダリ」ではなく「掴みどころのない飄々とした三枚目の男」だったので、そのまま読み進めることにした。


 喫茶店に勤めるヒロインはある事件をきっかけに一人の刑事と出会い、二人は恋に堕ちる。


 年の差に引け目を感じる男に対し、無鉄砲なヒロインは真っ直ぐに彼を愛し、その想いを伝える。


 天涯孤独だったヒロインは紆余曲折の末に刑事の男と結婚し、子供を産み、そこで物語が終わった。


 女性作家にしては随分と「保守的」な終わり方だなと思ったが無理もない。この本の初版は平成三年だ。


 ヒロインは強気な性格で幼い頃にシングルマザーの母親を亡くしている――性格と境遇が茉莉花に似ていた。


 読み進めているうちにヒロインと茉莉花の姿が重なっていった。


 本を通して自分が知らない彼女の姿を、心の内を覗き見ているような気がした。


 ヒロインが恋心を抱く男と距離を縮めていくにつれ、九郎の表情は暗くなる。


 茉莉花からあんな風に愛されるのは自分ではない。


 茉莉花があんな風に唇や体を許すのは自分ではない。


 茉莉花と結婚するのは自分ではないし、茉莉花が産むのは自分の子供ではない。


 消沈して書棚に読み終えた本を戻した後、九郎は自分がとことん嫌になった。


 茉莉花に似たヒロインと結ばれる男にまで嫉妬心を抱く自分の狭量さと、他の男のものになる茉莉花に対する一方的な執着――本当にみっともない男だ。


 シリーズ物の時代小説の続きを二冊借りた後、九郎は浮かない顔のまま図書館を後にした。


 帰宅し、居間の戸を開けると真斗がいた。


 こちらに背を向け腰を下ろしている真斗の大きな体の向こうに、縁側に横たわる茉莉花の白い脚が見え、九郎の心が騒いだ。


「……ただいま」


 九郎は騒ぐ胸を抑えるように息を詰め、背中を向けたままの真斗に呼びかける。


 真斗は振り返り、九郎に目配せをした。


「――寝てる」


 抑えた声で九郎にそう告げ、真斗は苦笑いを浮かべる。


 茉莉花は休日の夕飯の支度を早めに済ませるようにしていた。時計の針はもうすぐ五時を回る。


 引っ叩かれてでも起こすか、このまま放置して後で文句を言われるか。


 寝ている茉莉花を前にして、真斗はどちらがましなのか迷っていたのだろう。


 九郎は硬くなった表情を緩めた。


 真斗はゆっくりと立ち上がって振り返り、九郎に視線を向ける。


「――茉莉花を守ってくれ」


 思いがけない言葉を受けた九郎はその意図が読めず、戸惑いながら小さく頷(うなず)いた。


 鋭い目に光を宿し真っ直ぐな眼差しを向ける真斗は、次の瞬間豹変した。


「――絶対に「花」を枯らすな」


 低い声でそう言い放った真斗の瞳には光がなく、底のない闇をたたえていた。


 今、目の前にいるのは昨日の夜に現れた人の姿をした「脅威」――九郎の身に緊張が走ったが、その「脅威」は瞬きをした後に消え、再びいつもの「真斗」が戻って来た。


「――それから茉莉花がトウモロコシを茹でてたぞ。テーブルの上に置いてある。美味かった」


 真斗は微かに頬を緩め九郎にそう伝えると、居間から出て離れの自室へ戻って行った


 九郎は立ちすくんだまま、しばらく動けずにいた。


 昨日と同じ「幻覚」に、昨日と同じように「牽制」された――「幻覚」であっても、あんな険しい目で睨まれたら心臓が縮み上がる。


 上がった動悸を鎮めるように九郎はゆっくりと息を整えた。


 座卓の前に借りて来た本が入った生成りのエコバッグを置き、九郎は眠っている茉莉花の元へ歩み寄る。


 ビーズクッションに身を沈め、胸に本を抱えて眠る茉莉花の姿を見た彼は「魔女に呪いをかけられ眠り続けている美しいお姫様」のお伽話を思い出した。


 茉莉花も「王子様」を待っている。例え話ではなく実際に待っている。


 九郎は「王子様」ではない――「オオカミ」だ。


 彼女を守る存在であり、彼女にとって危険な存在でもある。


 九郎は先程真斗が座っていた位置――茉莉花の隣に腰を下ろす。


 見ただけで柔らかさを感じる無垢な白い肌が眩しくて彼は目を細めた。


 暖かくて甘い匂いが鼻を掠める。茉莉花の匂いだ。


 体が痺れるような甘い匂いに誘われ九郎は茉莉花の頸(うなじ)に鼻先を寄せる。


 茉莉花の白い肌と九郎の浅黒い肌が重なろうとした瞬間、彼の脳裏に真斗の声が響いた。


「――「花」を枯らすな」


 九郎はハッと顔を上げ、茉莉花の体から離れた。


 九郎はヨモツ以外に対しては基本的に臆病だ。犬や猫に触れる際、ガチガチに身構えるほど臆病だ。

 

 それなのに躊躇なく好きな女の寝込みを襲うことが出来る、己(おのれ)の本能の獰猛さに血の気が引いた。


 九郎は茉莉花に詫びるように床に手を付いて頭を下げる。


「ごめん……ちゃんと守るから……マリを枯らせるようなことはしないから……」


 俺からマリを守る――だから「王子様」の元へ送り出すその日までは、ずっとそばにいさせて欲しい。


 この思いは伝えないまま墓まで持っていく、触れることが出来なくてもいい。絶対に触れたりはしない。


「――だから、マリのことが好きなまま、そばにいさせてくれ」


 祈るようにそう呟いてから、九郎は恐る恐る顔を上げる。


 少し眉を緩めた茉莉花の寝顔は、必死に詫びる九郎に対し困って笑っているように見えた。



   ◆


 緩やかに体が持ち上がっていくように茉莉花は目を覚ました。


 照明の眩しさに目を細め気怠(けだる)そうに髪を掻く。


 また寝落ちてしまった。最近、縁側で横になっているとすぐに眠ってしまう。


 ガラス戸側に寝返りを打ち、念のために確認する――今日は外にヨモツはいない。


 居間からボリュームを抑えたテレビの音声が聞こえる――もう一度寝返りを打つと座卓の前に九郎が座っていた。どうやら茉莉花が寝ている間に帰って来たらしい。


 ――マズい!


 彼が目に映った瞬間、残っていた眠気が一気に吹き飛び、抱えていた文庫本を背中の下に隠す。


「狼男」が相手のロマンス小説を読んでいることがバレたら、きっと「どん引き」される。


 この本の「銀狼王」と九郎を比べたり、重ねたり、色々とやましい想像を巡らせていた。

 

 胸に抱えて眠っていたので九郎にその内容を見られることはなかったが、彼とこの本が同じ空間に存在しているこの状況は非常に気まずい。


 急に忙しく動き出した茉莉花に気付いた九郎は、縁側にいる彼女に視線を向ける。


 茉莉花はゆっくりと身を起こしながら九郎に尋ねた。


「……いつ帰って来たの?」

「五時前くらい」


 いつもと同じ静かな声と穏やかな眼差しで九郎はそう答える。


「ずっとここにいた?」

「うん」

「……今何時?」

「もうすぐ六時」

「マジで?!夕飯の支度しなきゃ!あーもう、帰って来た時に起こして欲しかった!」


 茉莉花は不満そうに手足をばたつかせ声を上げた。


 九郎は表情を変えず彼女から目を逸らし、再びテレビ画面に視線を向けて呟く。


「起こしたらキレるだろ」

「キレないって……失礼な……」


 茉莉花は九郎を軽く睨み立ち上がり、文庫本を隠すようにバッグの中にしまった。


 膨れっ面で台所へ向かおうとしたとき、九郎は顔を上げ、茉莉花をそっと引き止めるように呟いた。


「――トウモロコシ、美味しかった。ありがとう」


 九郎が静かに微笑むと、茉莉花の頬にほんのり色がさした。


「……うん」


 茉莉花は少しはにかんで頷き九郎から目を逸らした。

 

 ダイニングに入ると真斗がいた。


 テーブルの前に立ったままいつもと同じ仏頂面で今日の朝刊を読んでいる。

 

「兄さんも寝てた私のことずっと放置してたんだ」


 恨めしそうにそう言う茉莉花に対し、真斗は朝刊から目を離すことなく答える。


「あれからずっと部屋にいたから、寝てるなんて気付かなかった。それに――」


 紙面をめくりながら真斗はこう続けた。


「起こしたらキレるだろ」

「どいつもこいつも失礼な……」

 

 茉莉花はダイニングチェアの背もたれに掛けておいたエプロンを手に取り台所へ向い、真斗は読んでいた朝刊をテーブルに置き居間に入る。


 居間でテレビを見ていた九郎は顔を上げ、真斗に目配せをしテレビの画面を指さす。

 

「神戸市でクマの死体」


 二人は無言でこのテロップが入ったニュース映像を見ていた。


 死体は損傷が激しく、人間によって銃殺されたものではない。


 真斗が先程読んでいた朝刊には「東京都青梅市でクマ一頭の死体を発見」と言う内容の記事が載っていた。


 クマよりも強いもの――それが何か、真斗も九郎も察しがついた。


 流し台の前に立つ茉莉花はシュシュで髪を纏め、出窓に置いてあるポータブルテレビの電源を入れ、夕飯の支度に取り掛かる。


 今夜のおかずは豚バラと茄子の生姜焼きと春雨サラダ。汁物はキノコと豆腐の味噌汁だ。





 神代から葦原中国(あしはらのなかつくに)――地上に絶えず襲来する黄泉(よみ)からの脅威「大災厄」


「死」の穢(けが)れを祓い封じる「剣」を産むのは「花鞘比売(はなさやひめ)」


 地上の危機に対抗する女神になる「鞘の処女(おとめ)」はその素性を隠し宮城県仙台市の郊外――住所に「字(あざ)」が付く森の中で、番う男神「剣比古(つるぎひこ)」となる「剣(つるぎ)の益荒男(ますらお)」を待っている。


「鞘の処女」――茉莉花がこうして夕飯の支度をしている間にも東京で、京都で、福岡で――「剣の益荒男」の候補者たちは策を練っていた。


 茉莉花はまだ候補者が誰なのかは知らないが、候補者たちは既に高野原家の次女が「鞘の処女」だと知っている。


 三年前の「懇親会」――茉莉花にとってそこで出会った男は「レーンを流れる回転寿司」で誰が誰なのかほとんど覚えていない。


 一方、候補者たちはあの「懇親会」で美しい彼女に心を奪われていた。


 茉莉花は自覚なしで男たちの心に「ガラスの靴」の片方を残して去って行ったのだ。

 

 彼らは国の許可を得て、自陣の「駒」を茉莉花やきょうだいたちの近くに配置し緩く「監視」し彼女に関する情報を得ている。


 だが候補者たちは知らない。


 高野原家の若き家長が、候補者たちを出し抜いて「鞘の処女」である妹と番おうとする「魔物」をその身に飼っていることを。


 養子の三男が半人半獣の「オオカミ」――「天津片生(あまつかたおい)」でありながら密かに「鞘の処女」である義理の姉に思いを寄せていることを。


 そして「鞘の処女」である次女は「剣の益荒男」を待つ身であるにも関わらず、義理の弟の「オオカミ」に執心するふしだらな「悪女」だと言うことを。


 枝葉の天蓋(てんがい)に覆い隠された家の中にある醜聞めいた秘密を知るのは、今のところその当事者だけである。

 


【第2章・made in 高天原―天津人たちがいる日常―】 (完)

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