11・「王子様」が迎えに来るまで(8)
茉莉花は一度だけ本物の「お姫様」と出会ったことがある。
十四歳のときに国から父の和真と二人で東京で行われる天津人の「懇親会」に出向くようにと指示を受けた。
この「懇親会」には「天津五家」以外にも、能力が強い血筋の家の者や政財界の有力者が集まる。
「懇親会」は毎年開かれており、和真だけでなく真斗や彗斗が交代で同行していたが、茉莉花と咲也と九郎はまだ出向いたことがなかった。
茉莉花は「鞘の処女」であることを隠し「高野原家の次女」としてこの「懇親会」に出席し、「剣の益荒男」の候補者になる可能性が高い子息やその家族に顔見せをする。
麗虎との面談を終えた和真は帰宅後、書斎で茉莉花にその旨を伝えた。
「五家やそれに近い人間は茉莉花が「鞘の処女」だと知っている。会場ではお互い「知らないふり」で通すことにしているから、色々気になるとは思うけど、あまり相手を詮索しないようにな」
「……候補者って、やっぱり五家の人になるの?」
突然「剣の益荒男」との距離が縮まったような気がし、茉莉花は不安げに和真に尋ねる。
「いや、知らない出席者の中にも候補になりそうな子息がいるらしい」
「その人たちには私が「処女」だってことは公表しないんだ」
「出来る限り「処女」の素性は隠さないと――茉莉花のプライバシーや身を守るためにもね。正式な候補者になったら、知らせることになっている」
「だったら決まってから顔見せした方がいいんじゃない?プライバシーを守るならそんな大勢の人の前で顔見せなんかしなくても……」
書棚に寄りかかり俯く茉莉花を見つめ、和真は深く息を吐いた。
「俺もそう思うよ。何でそんな面倒なことをするんだか――」
彼も国からの指示に納得していない様子だった。
当日、和真に連れられ早めに東京入りをした茉莉花は、麗虎が予約を入れていた日比谷にあるサロンに向かった。
そこで髪を纏めメイクを施してもらい、持参した水色のパーティードレスに着替えた。
まるで映画の「お姫様」のようだと担当した美容師たちに言われ、茉莉花はにかんだ笑みを浮かべる。
娘の晴れ姿をスマホのカメラに収めた和真は、写した画像を彼女に向けてほくそ笑んだ。
「――真斗に送っておくか」
「やめて。化粧した「ガキ」なんて、兄さん興味ないでしょ」
もう「ブラコン」ではない茉莉花は冷めた表情でため息を吐いた。
プロの美容師に「魔法」をかけられ「お姫様」になった茉莉花は和真と懇親会の会場に向かった。
その道中に彼女が好きな歌劇団の劇場がある。
初めて訪れた劇場を前に茉莉花は目を輝かせてスマホを構え、カメラのシャッターを切った。
観劇は出来ないが帰りに併設されているショップに立ち寄る予定だ。
角を曲がった先に見えてきたのは、皇居を望む一等地に建つ老舗ホテル――このホテルの大広間が「懇親会」の会場だ。
高い天井には大きなシャンデリアが数灯あり、床には唐草模様が施された絨毯が敷かれていた。
「懇親会」は立食パーティーの形式で、壁際のテーブルには色とりどりのオードブルやデザートが整然と並んでいる。
仕立ての良いスーツを着た男性と、シックなドレスや着物を身に纏った女性が行き交う会場に到着した茉莉花は思った。
まるで「舞踏会」みたいだな――自分でも情け無くなるほど田舎者丸出しの感想である。
茉莉花にとってこの「懇親会」デビューは最悪のものだった。
和真から話を聞いた時から、この「懇親会」は決して楽しいだけのものではないと茉莉花はある程度覚悟はしていた。
彼女は「父親と不倫相手の間に生まれた娘」だ。良い印象を持たない者も少なくはない。
和真が茉莉花を「懇親会」に出席させることを渋っていた理由は、おそらく彼女を傷付けたくなかったからだろう。
彼は茉莉花と咲也と九郎を守るため、三人の存在を「五家」の人間に報告はしていたが、会わせることを避けていた。
茉莉花が「隠し子」だと知る「五家」の関係者はこの場ではあくまで「高野原家の次女」として接し、あえてそのことに触れないように配慮してくれたが、このスキャンダルを「噂」と言う形で知っている者もいる。
部外者は無責任で傍若無人。遠巻きに茉莉花に奇異の目を向け、面白おかしく囁き合う。
「五家」の娘だが何処の馬の骨かもわからない女から生まれた庶子。
シンデレラというよりも、棚ぼたの成り上がり。
若さと顔だけが取り柄の東北の田舎娘。
あの家は「五家」の末席。美貌の娘を使って「金脈」と繋がろうとしているのでは。
時折、ハッキリとは言わないが明らかに自分を揶揄する言葉が耳を掠め、その度に精神を削られた。
茉莉花を憔悴させたのは、この顔の見えない悪意だけではない。
男たちは彼女の顔と体にしか興味がなく、女たちは今回の懇親会に来ていない高野原家の「眉目秀麗な御曹司」――兄の真斗にしか関心がない。
十四歳の小娘相手にガツガツと距離を詰め、どさくさに紛れて体を触って来る男たちと、真斗の欠席の理由や恋人や許嫁の有無などを詮索してくる女たちに辟易していた。
あんなガツガツした男の中に「剣の益荒男」――「王子様」が何人もいるのか。絶望の「舞踏会」だ。十二時の鐘がなる前にさっさと家に帰りたい。
普段は強気でその場で突っぱねたり言い返したり出来るはずの茉莉花だが、慣れない場所で人見知りを発動し、一番なりたくない「何も出来ないか弱いお嬢様」になっていた。
和真とはぐれ、疲れ切った表情で大広間を彷徨っていると背後からまたチクリと自分を刺すような声が聞こえた。
「出自もお人柄も申し分ない、あのお方こそ「天津の姫君」と呼ぶに相応しい」
顔を上げると円卓を囲んで出席者たちと談笑している薄紫の振袖を着た少女が目に留まった。
顎のラインで切り揃えた黒髪のストレートボブ。菊と水引をあしらったシンプルな髪飾り。
派手さはないがパーツのひとつひとつが整っている品のある顔立ちで、丁寧にあつらえられたお雛様のように見えた。
茉莉花はこの少女を覚えている。確かに「お姫様」のような人だった。
聞こえて来た声は自分に対する嫌みではなく、純粋にこの「お姫様」を称賛したものかも知れない。
――お父さんと一緒に挨拶して少しだけ話した人だ……えっと……名前は――
こちらの視線に気付いたのか、少女は茉莉花に顔を向け軽く会釈をする。
彼女は持っていたグラスを円卓に置き、同伴者のパンツスーツの女性に一言告げると、消沈している茉莉花の元に歩み寄る。
薄紫の振袖は御所車や花をあしらった古典柄の総絞り――十四歳の田舎娘でも相当高価なものだとわかる。
茉莉花が着ていたのは地元のデパートで買ったパーティドレス。
何度も試着をして一番素敵だと選んだ水色のドレスが急に凡庸に見え、引け目を感じた。
「お姫様」は茉莉花の前に立ち、顔を綻ばせる。
その笑顔は茉莉花の「花のような笑顔」とは違う。
花は繁殖のための「生殖器」だ。人によっては「下品」で「媚びた」ように受け取られる。
彼女の笑顔は清らかな水のような、涼やかな風のような、生臭い「性」を感じさせない高貴な美しさを持っていた。
――やっぱり本物の「お姫様」だ。
「魔法」で「お姫様」に化けた、ただ可愛いだけの田舎娘とは魂から違う。
清らかな気品を湛えた「お姫様」だ。
疲れもあり上手く言葉が出ない茉莉花に「お姫様」は内緒話をするようにフランクな口調で囁いた。
「茉莉花さん、あまり気に病まないで。悪いのはあなたお父様。茉莉花さんは何も悪くない。何か嫌なこと言われたら遠慮なく私に声をかけてね。同じ五家の者同士、仲良くしましょう」
彼女の名前は春日ひばり――「天津五家」の一つ「春日家」の一人娘。彼女は当時、十七歳の高校生だった。
この「お姫様」と会ったのは一度きり。仲良くしましょうと言われたが、その後は顔を合わせる機会がなかった。
純粋と言うよりも世間知らず。どさくさに紛れて「玉の輿」を狙う厚かましい田舎娘よりも、高貴で清らかな彼女の方が「鞘の処女」に相応しい。
あの会場いた自分の素性を知る者たちもきっとそう思っていたはずだ。
だからと言って茉莉花は彼女のようになりたいとは思わない。
なれる訳がないし、そこで自分を曲げるのも何か違う。茉莉花は今の自分に満足している。
美貌だけが取り柄の成り上がりの田舎貴族の娘なりに、周りからの助言を受け「鞘の処女」としての務めを果たすしかない。
「――まぁ、ちゃんと結果を出せば、うるさい奴らも黙らせることができるからね」
茉莉花は腹の上に文庫本を乗せ肘枕をし、薄紅色の唇を不敵に吊り上げ微笑んだ。
腹黒くもないし性根が腐っている訳ではないが、茉莉花のメンタルはやはり「無垢なヒロイン」よりも「狡猾なヒール」寄りだ。
芯が強いと言うより、芯が図太い。良く言えばタフな女である。
茉莉花は再び文庫本を手に取りページを捲る。
金で「自分に対するヘイト」を買ってしまったと思ったこの本だが、購入したことを後悔はしていない。
昨日の夜から気になっていた「狼男の愛情表現」が描かれている。
同じ「オオカミ」だが、ぼんやりしている九郎とは違い銀狼王はクールな「スパダリ」
ヒロインに対するアプローチはかなり強引だ。
自己肯定感が低いヒロインは、自分は「銀月の花嫁」に相応しくないと書き置きを残して森を去ろうとした。
ヒロインを連れ戻し、自室に通した銀狼王は泣きじゃくる彼女の腕を掴みベッドに押し倒す。
「お前は俺のものだ――覚えておけ」
獲物を捉えるような鋭い眼差しを向け低い声で囁き、彼は噛み付くように彼女の唇を塞ぎ、白い頸を喰んだ。
同じ「オオカミ」だが九郎は絶対にこんな強姦まがいなことはしないはず。
九郎はキスどころか手を握る際にも「同意」を得てから行動に移しそうな男だ。
だが、彼が本命の「番い」にしたいと思う女に対しては「本性」を見せるのかも知れない。
「オス」全開の「オオカミ」の姿――脳内で九郎と銀狼王の姿と、自分とヒロインの姿が重なる。
たとえ好きな男であっても「同意」なしで体に触れることを許してはいけない。男と女は対等であるべき――そんな刷り込まれた「正しさ」に反し「悪しき」強引さに惹かれ、頬が火を吹くほど熱くなる。
――いやいやいや……く、九郎に限って、そ、そんなことは……。
ないないない、と茉莉花は開いた本で顔を覆い脚をばたつかせた。
かぶりを振るように寝返りを打ち、再び気になっていた場面のページを開く。
この物語の狼族は「初夜は半獣の姿で番いと交わる」と言う設定だ。
「天津片生」はヨモツ祓除をする際、全力を出すと半獣の姿になる。
一昨日の夜、ランニングの途中でヨモツと対峙した九郎は半獣になっていたと思われる。
茉莉花は「オオカミ」になった九郎は何度も見ているが、半獣になった九郎の姿はもう十年近く見ていない。
最後に半獣の姿を見たのは、まだ制御能力が不安定だった小学校低学年の時だ。
「天津片生」もセックスをする時に半獣になるのだろうか――気になってスマホのチャットAIを起動させようと思ったがすぐに我に返り、茉莉花はのぼせ上がった顔をビーズクッションに埋めもんどり打つ。
「こんなの調べようとするなんて女として終わってる……ある意味九郎に対する「セクハラ」じゃん!」
興奮と恥ずかしさのあまり床の上を転げ回っているうちに、障子に強く頭を打ち付けた。
茉莉花は「鞘の処女」である以前に十七歳の女子だ。
まだキスも知らないが「性」に対する関心が尽きない「思春期」真っ只中の女子である。




