11・「王子様」が迎えに来るまで(7)
トウモロコシを茹で終え、下ごしらえを済ませたキノコと玉ねぎを冷凍室に入れ、包丁とまな板を洗う。
後片付けを済ませた茉莉花は居間に入り、自分と彗斗の洗濯物を畳み終えた後、バッグから先程書店で購入した文庫本を取り出した。
居間から縁側に移動し、ビーズクッションに寝そべりながら少々興奮した面持ちでページを開く。
書店のブックカバーがかけられたこの本は「乙女向け」のロマンス小説。
九郎と図書館に行けなかった代わりに、ベタで糖度が高いハッピーエンドの物語を読みたいと思ったので真斗に頼んで買い出しの帰りに書店に寄ってもらった。
最近流行っている恋愛ファンタジーが陳列されていた書店の平台は、琥珀糖のように甘くてキラキラした装丁の表紙で溢れていた。
西洋、中華、和風と言った様々な世界観の本が並ぶ中、一冊の表紙に茉莉花の目が釘付けになった。
襟足の長いウルフカットの銀髪に狼の三角耳、貴族風の衣装を身に纏った美青年と、ブルネットのロングストレートヘアーに銀色の瞳を持つ清楚な白いドレスの令嬢。
氷のような鋭い眼差しを向ける狼男に強引に抱き寄せられ困惑する乙女が描かれたこの本のタイトルは――
『捨てられた令嬢は禁忌の森の銀狼に溺愛される~公爵様、貴方が侮辱して追い出した婚約者は最強の狼王の番いでした~』
――お……狼男……!
黒狼ではなく銀狼なのが惜しいが「オオカミ」が相手のラブロマンス――茉莉花は荒くなる鼻息を押さえながら美形の狼男が描かれた文庫本を手に取った。
興奮気味にページを開いた時に、雑誌を片手に持った真斗が近くまで歩み寄って来た。
これだけは絶対に見られたらまずい――狼男とのロマンス小説だ。こんな物を手に取っていると知った真斗は、妹が半分「オオカミ」の義理の弟に対しやましい感情を抱いていると気付くはず。
茉莉花は肝を冷やし表紙を隠すように本を抱え、真斗を置いて平台の前から逃げるように立ち去り、内容もろくに確認しないままこの本を購入した。
昔から読書が好きで様々なジャンルの本を読んできたが、こんな風にキラキラした「乙女」っぽい物語を読むのは久しぶりだ。
舞台は西洋風の異世界――下級貴族の家に生まれたヒロインは縁があって王国の護衛を担う名門の公爵家の子息と婚約した。
ところが「地味で何の取り柄もない姉が公爵家に嫁ぐ」ことを許せない美貌の妹は婚約者に近付く。
自分は姉から虐げられていた。本当は私があなたの元に嫁ぐはずだったのに姉にあなたを奪われた――妹はそう婚約者に嘘を吹き込んだ。
ヒロインは妹の嘘を信じた婚約者から「卑怯者のお前よりも妹の方が花嫁として相応しい」と婚約破棄を言い渡される。
家からも追い出されたヒロインは行き場所を失い、国境の近くにある禁忌の森へ逃げ込んだ。
そこで出会ったのが傷を負った美しい銀髪の狼男。
普通の人間なら恐怖で逃げ出すところだがヒロインは怪我をしている彼を放っておけなかった。
彼女は彼に何か運命的なものを感じた。
彼は禁忌の森に住む「狼族の王」――数百年に一人しか現れない月の魔力を持つ「銀狼王」
そしてはヒロインは狼族にとって何百年も待ち望まれていた「銀月の花嫁」だった。
はじめは心を閉ざし彼女に冷たい態度を取っていた銀狼王は控えめで心優しい彼女に惹かれ、溺愛するようになる。
禁忌の森に住む狼族はヒロインが暮らしていた王国の国境を守っていた。
何も落ち度がないのにも関わらず、彼女に恥をかかせ追い出した公爵家に激怒した銀狼王は王国との軍事協力を破棄。
嘘つきの妹、彼女の口車に乗せられた婚約者と公爵家は国王の怒りを買い国から追放される。
ヒロインは愛も権力持ちの夫も手に入れてハッピーエンドと言った内容だ。
お約束の展開と読みやすい文体で一時間ほどで読み終えた。
本を閉じた茉莉花は「虚無顔」で天井を仰ぐ。
――やっぱり少女漫画的な話は「地雷」だな……。
彼女の顔を曇らせたのは序盤で登場した、ストロベリーブロンドの波打つロングヘアーを持つヒロインから婚約者を奪う「あざとい」妹。
彼女が登場したとき、茉莉花は顔を歪め唸り声を上げた。
「またか……またお前か……」
女性向けの話に出てくるライバルや噛ませ犬の女は、決まって自分に似ている。
ふわふわのロングヘアで「自分の可愛さ」を自覚しているいかにも「女らしい」強気な女。
ヒロインの妹であることが多く、地味で内向的な姉を見下していて、姉が自分より幸せになることが何よりも許せない。
見た目だけは可愛い「ぶりっこ」で腹黒い女の敵――読者のヘイトを一身に受ける藁人形だ。
藁人形はお約束通りクライマックスで粉々にされる。
この本ではよりにもよって「狼男」の一族に成敗された。
茉莉花はため息を吐いて閉じた本を胸に抱える。
――とんでもない風評被害だよ、まったく……大体なんでこの手の話は姉妹仲悪いんだろ……うちなんてめちゃくちゃ仲良しなのに……。
姉の彗斗は茉莉花を父の不倫相手の子供であるにも関わらず可愛がってくれた。
そんな彗斗は茉莉花にとって「美人でカッコいい」自慢のお姉ちゃんだ。
姉妹仲は良かったが、茉莉花は昔から同年代の女の子たちから、この「意地悪な妹」のようにヘイトを買うことが多かった。
「少女漫画」の等身大の「ヒロイン」に共感する彼女たちから見た茉莉花は、物語に登場するライバルや噛ませ犬の「嫌な女」に似ているらしい。
好きな男の子、卒業式での合唱のソロパート――ただでさえも恵まれて愛されているにも関わらず「美しい女の子」は、慎ましく受け取るチャンスを待っていた「普通の女の子」から何食わぬ顔でそれらを奪って行く。
男の子は茉莉花に気があるようだったが、当時の茉莉花は「ブラコン」で兄の真斗以外の男は眼中になかった。
ソロパートも実力を認められて推薦されたが目立つようなことが出来ない「事情」があったので辞退した。
茉莉花は彼女たちから何も奪ってはいないが、彼女たちは大切なものを茉莉花が全部奪ったと感じていた。
茉莉花が楽しそうにしているだけで、何かがまた奪われた気持ちになり、彼女たちはその度傷ついていた。
不器用な「ヒロイン」たちから見た茉莉花は、いつもにこにこ笑っているだけで何でも手に入れる軽薄な「ふわふわ女」で、いつか「ざまぁ」されるべき「女の敵」だった。
「ヒロイン」たちから「いじめ」を受けるようになったのは小学五年生に進級して間もない頃。
いじめの程度は教科書やノートを踏み付けられたり、上履きを隠されたりする「慎ましやか」なものだったので、気もメンタルも強い茉莉花は何食わぬ顔で無視を決め込んでいた。
だが、これが中学校に上がったら「異性絡みのトラブル」がさらに増え面倒なことになる――そう考えていた父の和真からの勧めで、五年生の秋から塾に通い、共学の公立中学ではなく私立の女子校に進学した。
可愛いが派手なタイプではない、歌劇団の男役に夢中で現実の男には一切興味がない不思議ちゃん――現在はそんな立ち位置で平和な女子校生活を送っている。
全部がそうではないが「少女漫画」や「乙女向け」の物語は、自分に似た「藁人形」が出て来ることが多いので素直に楽しめるものではない。
この本でもそうだった。狼男と結ばれるのは「ふわふわ女」ではなく、自分とは似ていない「慎ましやかなヒロイン」だ。
それでもこの本の「ヒロイン」は珍しく自分と似ている属性があった。
一つは彼女は「銀月の花嫁」と言う「銀狼王」の番となる存在で、自分は「鞘の処女」と言う「剣の益荒男」の番いとなる存在であること。
もう一つは彼女が「下級貴族」の娘で、自分は東北の「田舎貴族」の娘だと言うことだ。
高野原家は天津人の中でも特に強い能力を持つ血筋の家――「天津五家」のひとつ。
この五つの家の血筋の者は豊葦原――地上へ「移植」される前から高天原の人草を統治していたリーダー的な立ち位置だったと言われている。
現在彼らは財界や政界の有力者、平安時代よりも前から続く格式ある神社の宮司など名だたる地位にあるが、高野原家は「強い能力を持つ」血筋であるだけの「ごく普通の一般市民」の家である。
茉莉花も時代が時代なら天津の「姫君」であり「御令嬢」なのだが、父は大学教諭、兄は地方公務員なので正直全くピンと来ない。
だが、ギリギリ「お嬢様」ではある。
高野原家は「一般市民」の家だが所謂「地主」の家だ。
自宅の敷地以外に土地や不動産を所持しており、一定の不労所得を得ている――由緒ある血筋の家でもあるので「田舎貴族」と言ってもいい。
だからと言って贅沢な暮らしをしている訳ではない。
五人きょうだいの上の二人は社会人だが下の三人は同学年の高校生。
茉莉花は私立の女子校に通い定期代もかかる。咲也と九郎は徒歩圏内の公立高校に通っているが食べ盛りの男子だ。
茉莉花は高校を卒業したら家を出るが、咲也と九郎はおそらく大学に進学する。
彼らの成績だと進路は国立大学ではなく私立大学だろう。東京や県外の大学を希望する可能性もある。
いくら持ち家があるとは言え、二十代の大卒地方公務員と看護師の収入だけで下のきょうだいたちを独り立ちするまで養うのは厳しい。
この不労所得があるから何かと金がかかる高校生三人を養うことができるのだ。
見た目の印象も含め茉莉花のことを「お嬢様」だと言う者は多くいるが、その「お嬢様」は卵や牛乳をセール価格以外で買う事を渋るくらい倹約家だ。
どのスーパーで何が安いかを把握していて、買い出しに行く前は必ず折込チラシをチェックしている。
服や靴もファストファッションの店や格安の通販サイトで購入している。
今日着ている小花柄のワンピースもデパートのセールで半額に値下げされていた掘り出し物だ。
お小遣いも多くもらっている訳ではない。
真斗に奢ってもらった外資系カフェのフラッペも高価なので自分では滅多に買わないし、今手にしている文庫本もお盆の「臨時収入」があったから新刊で購入出来た。
そんな「庶民感覚が染みついた」東北の田舎貴族の娘が「剣の益荒男」と契りを交わし「花鞘比売」になる。
茉莉花は正直、自分は物語に描かれた「花鞘姫」とは程遠いと思っている。
昔から可愛らしい見た目をしていたので「お姫様」みたいだと言われる事が多かったが、本物の「お姫様」を目にした時、とても自分はあんな風になれないと感じた。
――過去の「花鞘比売」たちもあんな感じの、清らかな人だったんだろうな。
茉莉花は一度だけ本物の「お姫様」と出会ったことがある。




