11・「王子様」が迎えに来るまで(6)
今日の真斗は機嫌が良い。
久しぶりに自ら台所に立ち昼食を作り、買い出しの帰りにはフラッペを奢ってくれた。
「明日から学校か」
珍しくこうして何度も自ら話を振ってくる。
何か良いことがあったのだろうか――少し気になったが、それが何かを聞くほどではない。
なんであれ機嫌が良いに越したことはないなと、茉莉花は窓の外を流れる景色に目を向けたまま彼に答える。
「うん。明日から「兼業主婦」だね」
「休み中、何処にも連れて行けなくて悪かった。まとまった休み取れなかったからな」
「兄さんもお姉ちゃんも仕事忙しいんだからしょうがないよ。体力勝負なんだから休める時にちゃんと疲れ取らなきゃ。それに――」
茉莉花はフラッペを一口飲んでから続ける。
「私は別に何処にも行かなくても良かったよ。華ちゃんや学校の子と色々遊びに行ったし。咲也と九郎もきょうだいと出かけるより友達と遊んだ方が楽しかったんじゃない?もう家族に「連れて行ってもらう」って年じゃないし」
車窓から運転席に視線を移し、茉莉花は念を押すように真斗に言い聞かせる。
「それより、ちゃんとした「お泊まり旅行」ならうちらより瞳子さんを優先しないとダメでしょ。向こうも忙しくて先月からずっと会ってないんだから奮発しなきゃ」
真斗は黙ったままハンドルを操作し交差点を左折した。
「兄さんみたいな古臭い「昭和」な男の面倒見てくれんの瞳子さんくらいだからね。あんな天然記念物の「大和撫子」多分他にいないし。大事にしてちゃんと捕まえとかないと。他に嫁に来てくれるような出来た人はいないって」
茉莉花は「口うるさい親戚の女衆」を意識した口調で捲し立てる。
「余計なお世話だ」
「満更でもない顔しちゃって」
「お前が嫁いで、九郎と咲也が独り立ちしてからすぐ籍入れて式をあげる予定だ」
突然「結婚式」まで話が飛び、茉莉花は引き気味に呟く。
「ガチガチに計画立ててんだ……怖っ……」
「あと何だ、ほら、結婚式で子供が指輪持ってくるやつ」
「リングガール?」
「ああ、それをお前の子供にやってもらう」
その言葉を聞いた瞬間、茉莉花の表情が強張った。
毛穴から「羽」がぶちぶちと生えてくるような激しい鳥肌が立つ。
枯れる勢いで血の気が引いた後、マグマが沸き立つように一気に頭に血が上った。
自分の結婚式と妹の「出産・妊娠・子作り」の時系列を組んでそんなことを考えていたのか――あまりにもデリカシーのない発言に激昂した茉莉花は、左の拳をドアに打ち付け真斗を睨んだ。
「ちょっと!!何勝手に人の出産予定決めてんの?!きっっしょ!!別に結婚してすぐ子供欲しいとか思ってないし!!十年は好き勝手させてもらうつもりだし!!」
「十年って……そんなことしてたら三十になるだろ。子供産むなら早いうちに――」
「産むのは女なんだから男がつべこべ言わないで!!気持ち悪い!!最低!!セクハラ!!」
真斗は鬱陶しそうに顔を歪め、助手席で喚く妹を横目で睨む。
「正しい」ことを言っていると思っているので、自分の発言に対し全く反省などしていないようだ。
生物学的な正しさより、快・不快の「お気持ち」を優先する思想にかぶれた困った子供――この「男尊女卑の昭和の男」はそう思ってるのだろう。
父の和真は文系の教員だと言うこともあり、旧来の価値観で女性を型にはめるようなことはしなかった。
茉莉花が「鞘の処女」になった際、国が決めた相手と強制的に番うのではなく、候補者を立て「女性側」から選ばせるように国に働きかけたのも和真だった。
「可能な限り女の子の意思を尊重するべきだって、お父さんかなり粘って交渉したのよ」
茉莉花の「お目付け役」でもある官僚の蛇台原麗虎はそう言っていた。
そんな父親から生まれ育てられたにも関わらず、息子はどうしてこうなってしまったのか――茉莉花は苛立ちストローを噛んだ。
右折レーンに入ったところで信号が赤に変わり「昭和の男」はブレーキを踏む。
「そう言えば麗虎さんがそろそろ相手の選別に入るって言ってたな」
今日に限ってやけに饒舌な真斗は再び茉莉花に話を振る。
腹の虫が収まらないので無視を決め込むつもりだったが、その内容は聞き捨てならないものだった。
茉莉花が麗虎から候補者の選別の話を聞いたのはお盆明けだった。
真斗が麗虎と単独で面談をしたのは八月に入ってすぐの休みの日。
「――先生、私より先に兄さんに言ってたの?!」
「そう言うことは先に保護者に伝えるもんだろ――で、麗虎さんに何て言ったんだ?」
「は?」
「どんな男がいいかとか聞かれたんだろ?」
「えっ……ああ……」
「どんな男がタイプだって言ったんだ?」
「知ってどーすんのそんなこと……」
肩を落としげんなりとする茉莉花に真斗はさらに突き詰める。
「厄介な注文つけて麗虎さんたち困らせてないだろうな?」
「別に石油王連れて来いとか言ってないし……ちゃんと地に足が付いた条件しか言ってないし……」
さすがに「九郎」と言う訳にはいかない。
「お金持ち」「仙台より都会に住んでる」などと答えたら「ふざけてるのか」と睨まれ説教が始まるだろう。
フラッペを飲み干した茉莉花は空になったプラカップに視線を落としポツリと呟く。
「兄さんより年下」
「……何だそれは」
想定外の返答に真斗は困惑し口ごもる。
「上の男きょうだいより年上とか同じ年とか何か嫌じゃん。気まずくない?私と同じ年の娘と付き合える?」
「ガキだろ。絶対無理だ。ケイより下でもキツい」
「でしょー?いくら女は年上、男は年下に魅力感じても異性のきょうだい持ちだと色々キツいなってラインがあるの」
信号が右折進行に変わり、真斗はアクセルを踏みハンドルを右に切る。バイパスから片側一車線の県道に入った。
「麗虎さんたちは茉莉花に配慮して可能な限り希望に沿った相手を見繕ってくれるはずだ」
「うん」
「でもな、普通の「結婚相手」を選ぶ訳ではないからな。自分の好みのタイプだとかは二の次、オプションだと思え。一番重要なのは「剣比古」になるに相応しい男かどうか――それを忘れるな」
釘を刺す真斗に対し茉莉花は涼しい顔で返す。
「そんなのわかってるよ。だったらなるべく条件の良い「剣比古」候補じゃないとね」
常に図太い茉莉花だが、昔から彼女なりに腹を括っている。
そうしているうちに二人が乗るミニバンは自宅に到着した。
玄関の引き戸は施錠されている。九郎はまだ帰宅していない。
真斗は荷物を台所まで運んだ後、洗濯物を取り込むと言い再び外へ出て行った。
茉莉花は冷蔵庫と土間に買って来た食料品をしまった後に、さっそく買って来たトウモロコシを茹でることにした。
明日はこのトウモロコシで「炊き込みご飯」を作るので二本残しておく。
大きめの鍋に薄皮を残したトウモロコシを入れ、水を張り塩を振り中火にかける。
沸騰してから弱火にし五分茹でれば完成だ。
トウモロコシを茹でている間に、茉莉花はエプロンを身につけ、流し台でキノコと玉ねぎの下ごしらえに取り掛かった。
しめじを石づきから外し小房にわけ、シイタケとエリンギは食べやすい大きさにスライスし、ジッパーバッグに入れ冷凍保存する。
玉ねぎは薄切りとさく切りにし、キッチンペーパーで水気を取り、キノコと同じくジッパーバッグに入れ冷凍庫へ。
キノコと玉ねぎは冷凍保存をすると「旨味」が増す。カットした状態なので調理の手間も省ける。
「明日の自分が楽をするため」に休日の買い出し後、時間に余裕があるうちにこうした「下ごしらえ」を済ませるようにしていた。
キノコのパッキングを済ませた茉莉花は玉ねぎの下ごしらえを始める。
二玉目に包丁を入れた時、目と鼻にツンと刺激を感じ涙が溢れ出た。
――うわ……強烈なやつ引いちゃった……。
玉ねぎから出る気化した催涙成分が飛び散らないように断面を水にさらしてから、再び包丁を入れる。
処置をしたものの、刃を入れるたびに目はヒリヒリと痛み涙は止まらず流れ続ける。鼻水まで出て来た。
腕で涙を拭っていると背後に大きな気配を感じた。
振り返ると、畳んだ自分の衣服を持った真斗がいた。おそらく茹でているトウモロコシを見に来たのだろう。
彼は面食らった様子で立ちすくんでいる。
驚くのも無理はない。振り向いた妹の顔は酷い有様だ。
涙で頬が濡れているどころか鼻水まで出ていて、腕で涙を拭った際に前髪が乱れ額が露わになっている。
茉莉花は鼻をすすりながら情け無い声を上げた。
「ちょうど良かった……ティッシュ持って来て……玉ねぎ目にしみてもうグチャグチャ……」
真斗は無言のままダイニングに戻り、テーブルに持っていた衣類を置いてティッシュが入った箱を手に取る。
箱からティッシュを引き抜きながら台所に戻って来ると、箱をレンジ台に置いた。
茉莉花は再び鼻をすすり「ありがとう」と礼を言い、彼からティッシュを受け取ろうと手を伸ばす。
視線を上げると真斗の胸が間近に迫っていた。
ティッシュを手渡すにしては近すぎる――身を引こうとした瞬間、真斗の大きな手が茉莉花の顎を掬い上げた。
「ちょっ……!」
突然のことに驚いた茉莉花は、涙が流れ続ける目を見開いた。
真斗は左手で茉莉花の右頬を押さえ、右手に握ったティッシュで涙で濡れた頬と鼻を拭う。
幼い頃、こんな風に真斗からティッシュやタオルで涙や鼻水を拭ってもらったことがあった。
「面倒見の良いお兄ちゃん」らしいこの行動は小学校低学年が相手なら自然だが、高校生に対してはかなり過保護に感じる。
もう子供じゃないんだから――茉莉花は気恥ずかしさを感じ目を背けた。
「自分でやるから……」
顔を逸らし彼から離れようと試みたが、左の頬も押さえられ、身動きが取れない。
「――手が濡れてるだろ」
真斗は耳打ちをするように静かに囁き、右手の親指で頬をつたう涙を拭った。
むず痒い指の動きに茉莉花は顔を歪める。
「拭くから一旦離して」
今、自分の頬に触れる真斗は「王子様」だったあの頃とは違う。
年を重ね険しさが増した顔つきのせいか、ヨモツとの戦闘や訓練でより屈強になった体躯のせいか――彼の姿はとても「怖い」もののように思え茉莉花の瞳が震えた。
彼はこんな顔だったろうか――つい先ほどまでの真斗の顔を思い出せない。
茉莉花の頭にふと「赤い頭巾を被った女の子」の物語がよぎった。
女の子は葡萄酒とお菓子を持ってお婆さんの家を訪ねた。
ベッドに横たわるお婆さんは、彼女が覚えているお婆さんと違って見えた。
女の子の目にお婆さんの姿がちぐはぐに写ったように、茉莉花は真斗に違和感を覚えた。
自分の顔を覗き込む目――こんなに真っ黒だったろうか。
常闇のように底の見えない目は光も吸い込んでしまう暗黒天体のように見えた。
真斗の目は九郎の犬のような優しい黒い目とは違う、翡翠のように艶やかで鋭い光を帯びた黒い目だったはず。
彼の目が降りて来たのか、それとも自分が引き寄せられているのか。闇が飲み込むように身に迫る。
お婆さんに化けていた狼が正体を現したように、目の前にいる「兄」が一瞬「悍ましい別の存在」に変わったように見え、茉莉花は反射的に声を上げた。
「やめて!!」
茉莉花が真斗の手の中から逃げ出すよりも先に、真斗の方から彼女を手放した。
発せられた大声に驚いたのか、茉莉花を突き放した真斗は目を見開き肩を上下させている。
いつもと同じ黒翡翠のような瞳は動揺しているのか、微かに震えているように見えた。
驚いたのはこっちの方だ――茉莉花は鼻を膨らませ真斗の右手から自分の涙と鼻水が染みたティッシュを奪い取る。
「前髪……」
真斗は独り言のような虚ろな声でそう呟くと、彼女の顔に指を伸ばし左右に別れた前髪を額にかける。
「雑に触んないで!」
茉莉花は眉を顰め額に触れた真斗の手を振り払い、彼に背を向ける。
「すまない」と大きな体に似つかわしくない小さな声で茉莉花に詫びると、彼はそのまま静かに台所から立ち去った。
鍋から湯気が噴き出ているのを見て茉莉花は蓋を開け、火を弱める。
ダイニングに目を向けると、大きな背中を丸めて離れの自室に戻る真斗の姿が見えた。
消沈した様子の大男を見ていると、いたたまれない気持ちになる。
両手が濡れていたのを気遣って、自ら拭ってくれたのだろう。彼に悪気はなかった。
こちらも動揺して少し当たりが強くなってしまった。
茉莉花は息を整えてから、普段通りの明朗な口調で真斗に呼びかける。
「トウモロコシ、あと五分くらいで茹で上がるから」
「――ああ」
返事をする真斗の声のトーンもいつもと同じものに戻り、そこでようやく緊張の糸が解け肩の力が抜けた。
レンジ台に置かれた箱からティッシュを二枚引き抜き、頬に残った涙を拭い鼻をかんだ。
生ゴミが入った袋に使ったティッシュを捨て、手を洗い、菜箸を手に取る。
ふと、頬の涙を拭っていた時の真斗の目がよぎり茉莉花の胸がさざめいた。
昔、涙を拭ってくれた「王子様」はすっかり変わってしまっていた。
その姿はまるで――
「クマだったな……びっくりした……」
菜箸で鍋の中のトウモロコシを転がしながら、茉莉花は騒ぐ胸を鎮めるように言い聞かせる。
ああ、そうだ「クマ」だ。ニュースで見た大きくて真っ黒な「クマ」――きっとそうだ。




