11・「王子様」が迎えに来るまで(5)
助手席に座る茉莉花はスマホを見ながら何度も左の首筋を摩り顔を顰めていた。
「首、どうした?」
一時停止線でブレーキを踏んだ真斗は、彼女を一瞥して尋ねる。
「あー、昨日花火見てた時に蚊に食われて……兄さんがアイス持って来る前くらい?何で足とか腕じゃなくて首なんだか……」
茉莉花は首を掻きながら気怠そうに彼に答えた。
「――そうか」
あの時、九郎は茉莉花の首に出来た虫刺されを見ていたのか――真斗は安堵し深く息を吐いた。
――聞いたか。あの二人には何もない。黙って引っ込んでろ。
真斗は昨日の夜から自分の中で燻っている「血」に言い聞かせ、ハンドルを強く握った。
彼が運転するミニバンは県道に出て左折し、富谷市方面に向かう。
しばらく道なりに走行し、県道と並走する住宅地のバス通りに入った。この辺りは九郎の「夜のランニングコース」でもある。
爪先上がりの坂を登った先に小さなスーパーがある。
道を挟んだ向かいにある駐車場に車を停め、二人は店舗の中に入った。
この店は近隣にある大手企業のスーパーよりも野菜が安い。今日は卵のタイムセールもある。
店内は狭くショッピングカートはないので、真斗はカゴを持って茉莉花の後について行く。
袋入りのナスとピーマン、キャベツを真斗が持つカゴに入れた茉莉花は狭い通路の先にあるトウモコロシが置かれた陳列台に向かう。
「――トウモロコシ、久しぶりだな」
「うん。九郎がね、食べたいって言ってたの」
トウモロコシをビニール袋に詰めながら、茉莉花は目を細め口元に笑みを浮かべる。
「兄さんも食べるでしょ?帰ったらすぐ茹でるから。今日のおやつね」
茉莉花は数本のトウモロコシが入った袋を両手で抱えて微笑んだ。
「あっ!タイムセールのタマゴまだあるかな?」
トウモロコシをカゴに入れた茉莉花は顔を上げて呟き、狭い通路を刻み足で駆けて行く。
真斗はトウモロコシが積まれた陳列台の前で立ち止まったまま動けずにいた。
彼の中の「血」が苛立っている。
トウモロコシを手に取り、はにかんだように微笑む「鞘の処女」――彼女はあの「カタオイ」を思って微笑んでいる。
隣にいる「番う男」に目もくれず、他の男を思っている。
――気のせいだ。
真斗は再び騒ぎ出した「血」に言い聞かせる。
――あの二人はちゃんとした「きょうだい」だ。それに俺はあいつと番うつもりはない。
今年の夏に入ってから、このように「血」が彼の身に苛立ちを走らせることが多くなった。
その原因は茉莉花の前に「良い男」が現れたこと――「血」にとってこれは脅威である。
彼女はきょうだいや親族以外の男と親しくなったことがなかった。
ナンパや付き纏いはあったが、恋愛関係に至る前の知人、友人としての付き合いをしたことがない。
外の世界の「良い男」と出会っていなかった。
出会いの機会がない訳ではなかった。
彼女は十四歳のとき、国からの指示で父の和真と「天津五家」や能力が強い血筋の家、政財界の有力者が集まる天津人の「懇親会」に出向いていた。
「鞘の処女」であることを隠し「高野原家の次女」として出席し「剣の益荒男」の候補者になる可能性が高い子息――「王子様」たちに初めて顔見せをした。
だが、茉莉花は「舞踏会」で「王子様」たちと親睦を深めることなく、浮かない表情で夕方の新幹線に乗り東京から仙台に帰って来た。
帰宅した彼女から話を聞くと、慣れない社交の場に気疲れをして「誰が誰だか顔も名前も思い出せない」と言う。
「レーンを流れてくる回転寿司のネタ、いちいち覚えていられる?」
土産で買って来た芋羊羹を食べながら茉莉花は疲れ切った面持ちで呟いていた。
無理もない。茉莉花は「鞘の処女」である以前に、東北の地方都市の郊外で暮らす人見知りの激しい女子中学生だ。
突然「社交界デビュー」したところで父親の隣で愛想笑いするのが精一杯だったようだ。
現在、彼女が日常生活の中で接する異性は学校の教師、親族、そして三人の男きょうだいのみ。
普段は学校に行く以外はほとんど森の中にある家に篭りきり。
家事をこなしながら、本を読み、編み物をし、テレビでミュージカルや映画を見て代わり映えのしない日々を過ごしている。
そんな彼女の元に「王子様」よりも先に「良い男」が現れた。
成長した血の繋がりのない義理の弟の九郎だ。
九郎は予想以上に「良い男」に成長した。
中学生の頃は茉莉花と咲也と背丈が同じくらいで「子犬」のようにあどけない顔立ちだったが、高校に進学してから急激に背が伸び、顔つきも「オオカミ」らしく精悍になった。
少し大きめにあつらえていた制服も、二年に進級してからは丈も胴回りも足りなくなり新調した。
突然茉莉花の一番近くに現れた「良い男」を真斗の「血」は疎ましく思っている。
「天津片生」の九郎は「鞘の処女」の茉莉花にとって「毒」となる存在だ。
「鞘の処女」は天津人以外の男に処女を奪われた場合、その男の腕の中で死ぬ。
天津片生は天津人に対する忠誠心が強いので、天津の男から「鞘の処女」を奪うようなことは過去に一度もなかったが、彼らは半人半獣――天津人と同じルーツを持つが完全な「人」ではないので「処女」にとっては「毒」であることには違いない。
「鞘の処女」が「天津人以外の男」に心を奪われ、また高野原の家を裏切るのではないか――現在の「家長」である真斗も当然警戒はしているが、彼は九郎を信じている。九郎に限ってそんなことは絶対にない。
だが「血」は九郎の存在を許していない。
それは「鞘の処女」の「裏切り」に対する警戒心と言うよりも「処女」の「心変わり」を恐れる独占欲に近い、どろどろとした湿っぽさがある。
この嫉妬深く女々い「血」の「ヤキモチ」に真斗は辟易していた。
「血」にとって「処女」は「剣」を手に入れるための「産む機械」であるが「寵愛」の対象でもあるようだ。
一回り年が離れた小娘に執心する「血」に真斗は嫌悪感を抱いていた。
茉莉花は小学生の頃は「ブラコン」だったが、真斗は茉莉花を盲目に溺愛するような「シスコン」だったことは一度もない。
それに加え彼の好みの異性は「お淑やかで落ち着いたお姉さん」タイプである。
現在の恋人の瞳子は二歳下であるが懐の深いしっかり者――彼の理想通りの「年下のお姉さん」だ。
そんな自分の嗜好に相反する「ロリコン」じみた人格が居座っているこの状況は、正直反吐が出るほど不快だ。
――勝手な憶測で嫉妬するな……みっともない……。
真斗はうんざりとした面持ちでため息を吐き、卵の陳列棚に向かった茉莉花の後を追った。
会計を済ませ、野菜と卵が入った店内用のカゴをサッカー台に置く。
量的に茉莉花が持参したエコバッグには入りきれないので、店が無料で提供している使用済みの段ボールに詰めて持ち帰る。
真斗が段ボールを抱え駐車場へ向かっていると、前を歩いていた茉莉花がワンピースの裾を翻して振り返った。
「ねぇ、買い物が終わったら本屋さんに寄ってもらえる?」
居間での小競り合いを忘れたかのように、今の茉莉花は機嫌が良い。
屈託なく笑う妹から頼み事をされ悪い気はしなかった。書店は買い出しのルートから少し外れたところにあるが、断るほど無理な寄り道でもない。
彼女のささやかな我儘を受け入れ、彼は穏やかな目で頷く。
「――ああ、わかった」
真斗が年の離れた妹を大事にする心と「血」が処女を愛し尽くしたいと思う心。
二つの心は時折、こうして重なることがある。
中規模のスーパーの他にドラッグストアやファーストフード店も併設している商業施設、精肉コーナーが充実した大型の格安スーパー。近隣の店を回った後、茉莉花からリクエストされた書店に向かった。
バイパスの交差点の先にある大きな書店で、真斗も昔からここで本を買うことが多かった。
二人は入り口で一旦解散し、それぞれ違う書棚へ向かう。
真斗はスポーツ系の雑誌を流し読んだ後、タウン誌の最新号を手に取った。
特集ページは秋の行楽シーズンを先取りした県内や隣県のドライブコース。
デートやきょうだいたちと出掛ける時、主にネットで行き先や食事をする店を探していたが紙媒体のものが一冊手元にあった方がいいと思い、このタウン誌を購入することにした。
雑誌の書棚から離れ、店内を散策していると文庫本の棚が並ぶ一画に茉莉花の姿を見た。
彼女の前にある平台には身に纏っている花柄のワンピースと同じような甘い色彩の本が並んでいる。
歩いて来る真斗に気付いた茉莉花は顔を真っ赤にし、表紙を隠すように開いていた本を胸に抱えた。
「――先に買ってて!すぐ行くから!」
茉莉花はそう言うと彼に背を向け、本を抱えたまま足早に奥の書棚に移動した。
彼女が立っていた辺りの平台に目を向けると、和装や洋装、様々なテイストの「王子様とお姫様」が描かれた本が並んでいた――おそらく少女向けの小説だろう。
あいつもまだ「子供っぽい」本を読むんだな――真斗は鼻で笑い会計カウンターに向かった。
少し遅れて会計を済ませた茉莉花と合流し、店を出た真斗は駐車場でふと立ち止まる。
「――そこ、寄って行くか」
彼が親指でさしたのは書店の隣にある外資系のカフェ。
きょうだいと買い出しに行く時、毎回ではないが気分次第でたまにテイクアウトの飲み物や軽食を同伴者に奢っている。
「えー?いいの?ごちそーさま!昨日今日とめっちゃ景気いいじゃん」
「――ほら、新しいのあるだろ」
真斗は仏頂面のままカフェの店頭にある夏の新作フラッペの販促看板を顎で指す。
「気になってたけど一人で行くのは恥ずかしい――ってことか」
茉莉花は上目遣いで真斗を見上げニヤリと笑った。
「厳つい男一人で甘いドリンク飲んでても誰も突っ込まない多様性の時代よー?何恥ずかしがってんだか。それとも女の同伴者いないとオーダーひとつ出来ないとか?ははっ」
古臭い「昭和の男」を小馬鹿にするように、からからと笑いながら茉莉花はカフェの店内に入って行った。
奢ってもらう側にも関わらず舐め切った態度の妹にカチンと来たが、真斗は黙っていた。
このクソ生意気な妹に目に物見せてやる――珍しく大人気ない表情で鼻を鳴らし、彼女から少し遅れて店内に入った。
注文カウンターの前に立った茉莉花は上から目線で真斗にオーダーの確認を取る。
「私が注文してあげる。桃のフラッペでいい?」
「――ミルキーサマーピーチフラッペのトール、ホイップ増、ホワイトモカシロップ追加で」
真斗は生意気な妹を無視し、出し抜くように良い声で澱みなく店員にオーダーを告げた。
予想外の展開に茉莉花はギョッとして顔を上げると、真斗は「外向け」の爽やかな笑顔を大学生くらいの若い女性店員に向けている。
茉莉花は知らないが、真斗はこのカフェチェーンに何度となく通っていた。
「甘党」の彼はこの店のフラッペに目がない。
恋人の瞳子と行くのはもちろん、仕事帰りに一人で立ち寄り「ご褒美」の一杯を堪能してから帰宅することもある。
真斗がこの新作フラッペを飲むのは二回目。
新作が出たらノーマルとカスタム、最低二回は飲む。
堅物アラサー公務員の真斗だが、この店に関しては現役女子高生の茉莉花よりも「ヘビーユーザー」だ。
目を剥いて呆気に取られている妹に真斗は眩い「外面」の笑顔を向け、低音の甘い声で囁く。
「――同じオーダーにするか?」
茉莉花は顔を引きつらせ腕を摩る。全身に鳥肌が立ったようだ。
「美男美女」にも関わらずどこか様子がおかしい二人の客を前にし、店員は肩を震わせ笑いを堪えていた。
その視線に気付いた茉莉花は慌てて「育ちの良いお嬢さん」の笑顔を取り繕う。
「わ、私は同じので……カスタムなしでお願いします」
会計を済ませ、受け取りカウンターに向かいながら真斗は茉莉花に視線を落とし片頬笑み、低い声で呟く。
「――舐めるな」
茉莉花はしたり顔の真斗を憎らしげに睨め上げた。
「はいはい、小慣れてますこと」
カウンターでオーダーしたフラッペを受け取り店舗を後にした二人は、書店の駐車場に停めていたミニバンに乗り込む。
エンジンをかけエアコンの風にあたりながら運転席でフラッペを飲んでいる真斗に、助手席に座る茉莉花が尋ねる。
「……それ美味しい?」
真斗はチラリと茉莉花に視線を向け、無言で飲んでいたフラッペを彼女に差し出した。
茉莉花はストローを咥え「甘党仕様」のフラッペを一口飲むと、目をぱちぱちと瞬かせる。
「甘っ……!でもクリーミーで美味しいかも!」
口に残った桃の果肉を咀嚼し、もう一口飲んでから彼女は自分が飲んでいたフラッペを真斗の口元に寄せる。
「普通のいる?」
もらってばかりでは悪いと思ったらしい。
真斗は首を傾けストローからフラッペを口にする。
一口飲み視線を上げると、そこに茉莉花はいなかった――真斗は目を見張り、ストローから口を離す。
彼にカップを差し出しているのは茉莉花と同じ顔をした、前髪のない栗色の長い髪の「お姫様」――茉莉也だ。
茉莉花と同じ花柄のワンピースを着て、茉莉花と同じ黒のカチューシャをつけた茉莉也は穏やかな笑み浮かべ、そのままゆっくりと顔を近づけて目を伏せる――まるで口づけをねだるように。
突き離すように身を引き瞬きをすると、茉莉也の姿は消え、そこには仏頂面の茉莉花がいた。
騒いだ「血」と共鳴するように、また「呪いのお姫様」が現れた――真斗の背中に冷や汗がつたい、心臓が早鐘を打つ。
彼は茉莉花から顔を逸らし、持っていたプラカップをドリンクホルダーに置いてシートベルトを締める。
呪いから逃げ出すように車を発進させ帰路に着いた。
一刻も早く家に戻り、茉莉花との間に距離を置きたい。信号に捕まることがなければ十分もかからず自宅に到着することが出来る。
真斗は額に汗を滲ませ荒くなる息を押さえながら、茉莉也が現れる隙を消すように隣に座る茉莉花に話を振った。
「――明日から学校か」




