11・「王子様」が迎えに来るまで(4)
今日も「休日シフト」なので茉莉花は八時半に起床した。
真斗は昨日に引き続き非番で終日家にいる。
彗斗は休日出勤だが昼食は外で買って済ませると言っていた。
「私一人だからわざわざお弁当作んなくていいよ。ゆっくりしてな」
その言葉に甘えさせてもらい、パジャマからネイビーのカットソーワンピースに着替え、時計が九時を回ってから部屋を出た。
着ていたパジャマを洗濯機に入れ、洗顔をし髪を整えてから台所に入る。
カウンターの向こう側、ダイニングで九郎が一人で朝食をとっていた。
六枚切りのトーストに千切りキャベツと昨日彗斗が作ったポテトサラダを乗せ、中濃ソースをかけて二つ折りにした「即席のホットサンド」
具材で大きく膨らんだトーストを、大きく開いた口に運ぶ。
剥き出しになった鏃のように鋭い犬歯を目にした茉莉花は「オオカミの愛情表現」を思い出し息をのむ。
九郎がトーストに食らいついた瞬間、茉莉花は反射的に左の首筋を押さえた。
こんなことされたらひとたまりもない――震え上がって立ち竦んでいると、九郎は茉莉花に視線を向ける。
「おはよう」
咀嚼してから、いつもと変わらない静かなトーンでそう言うと九郎は再びトーストに齧り付く。
「おっ……おはよう……」
首の虫刺されを掻く振りをしながら茉莉花は逃げるように台所から出て行った。
あんな「獰猛」で「扇情的」ものを見ながら一緒に食事なんて出来ない。
茉莉花は頭を冷やすことも兼ねて、先に洗濯機を回し、その間に風呂掃除をすることにした。
掃除を済ませてから、ダイニングから九郎が立ち去ったことを確認し自分の朝食を用意する。
苺のジャムを塗ったトーストとヨーグルトを食べ終え、近隣のスーパーの折込チラシに目を通していると一番最後に起床した咲也がダイニングに入って来た。
「夕方まで出掛けるから兄ちゃんに言っといて」
「どこ行くの?」
「その辺」
「その辺って……今日はあんた一人?」
「うん、福田んとこ行く」
咲也と九郎は常に二人で行動している訳ではない。
小中高と同じ学校に通っているが、それぞれ別の友人関係を築いている。
一昨日のように二人で遊びに行く日もあれば、今日のように自分のコミュニティの友人と出掛けることもある。
「お昼は?外で食べるの?」
「福田の家で母ちゃんと姉ちゃんが冷やし中華とチャーハン作ってくれるんだって」
「またあそこのおうちでご馳走になるの?!」
「俺に食わせたんだってさ」
咲也は「参っちゃうよなぁ」とニヤリと笑った。
――また他所の女親と女きょうだいタラしこんで……本っ当に兄さんと同様、外面だけは良いんだから……。
茉莉花は苦り切った表情で舌打ちをし、席を立った。
「……ちょっと待ってて」
台所と勝手口の間に、玄関とほぼ同じ広さの土間がある。
そこにはジャガイモや人参などの野菜、インスタント麺などの乾物、ジュースやお茶などのペットボトル飲料、常温で保存できる菓子類、米袋に入った精米などが置かれている。
台所の冷蔵庫に収まりきれない冷凍食品を入れる小さめの冷凍庫もある。
茉莉花は土間に降り、その一画にある棚から果肉入りのゼリーと瓶入りの林檎ジュースを取り出し、デパートの紙袋に詰める。
贈答品の流用だが手ぶらで行かせるよりましだ。
茉莉花は咲也に手土産が入った紙袋を渡す。
「取り敢えずこれ持って行きな。次行く時は事前に言ってよね。ちゃんとしたお菓子買ってお礼しないと」
「うわ重っ……瓶ジュースいらなくね?」
「これでいいの。普通に買ったら高い「青森」の林檎ジュースなんだから」
渋々重い手土産を携えて出掛ける咲也をダイニングから見送ると、茉莉花テーブルに広げたチラシを片付け風呂場へ向かった。
洗い上がった洗濯物を干し、テレビを見て一息吐いているうちに時計の針は十二時を回っていた。
この日の昼食は真斗が冷蔵庫に残っている食材で作った「大葉とツナの和風パスタ」
茉莉花から「男尊女卑の昭和の男」と揶揄される真斗だが、長年「父子家庭」だったこともあり一通りの家事はこなせる。
普段の食事の支度は茉莉花に任せているが、休みの日にはこうして自ら台所に立ち手料理を振る舞うことがある。
九郎と後片付けを済ませた後、茉莉花は二階の自室に戻った。
ネイビーのワンピースを脱いで、クローゼットから取り出したアイボリーのシフォン生地に小花柄が施されたワンピースに着替える。
家族と出かける時にしか着ることが出来ない「華やか」な服だ。
これから真斗の運転で食料や日用品の買い出しに行く。
車で移動し屋外にいる時間も短いので髪は結わずに下ろし、一昨日と同じ黒いカチューシャを身に付けた。
買い出しに行く程度なら先程まで着ていた普段着のワンピースでも問題はないが、あえて「よそゆき」に着替えたのにはちょっとした理由がある。
身支度を済ませた茉莉花は姿見の前に立ち前髪を整え、鏡面に映る自分に向かい「上出来」とウインクをして部屋を出た。
階段を駆け降り居間に入ると九郎がいた。真斗は自室にいるのか、ここにいるのは彼一人。
絶好のタイミング――茉莉花は座っている九郎の前に立つとワンピースの裾を摘み、得意げに微笑んだ。
「可愛いでしょ?これ」
九郎は座ったまま彼女を見つめ、表情を変えず小さく頷いて答える。
「可愛い」
想定通り昨晩と同じリアクション。「可愛い?」と尋ねれば「可愛い」と返す。
服に対する感想でも、ただの鸚鵡返しでも、表情を変えないままでも彼から「可愛い」と言われるのは嬉しい。
この一言を引き出すために、わざわざ「可愛いワンピース」に着替えたのだ。
「お気に入りですから」
茉莉花は腰に手をあて満足そうに胸をそらした。
「今から遊びに行くの?」
「ううん。何で?」
九郎の隣りに腰を下ろし、茉莉花は小首を傾げる。
「可愛い服着てるから」
「行かないよ、もうお昼過ぎだし。何となく着たい気分だっただけ」
「これから図書館に行くけど、マリも行く?」
「えっ?!」
昨日の「花火デート」に続いて「図書館デート」――思いがけず再び発生した「高校生カップル」の定番イベントに茉莉花は顔を上げて目を輝かせた。
お互い読書好きなので、九郎とは幼い頃から駅の近くにある市立図書館に一緒に行く機会が多くあった。
夏休み前にも二人で足を運んでいたが、今の茉莉花にとって九郎と二人で連れ添って出歩くことは何もかも「デート」に変換される。
初「図書館デート」――二つ返事で快諾と行きたいところだが残念なことに「先約」がある。
「あー……遊びには行かないんだけど、兄さんと買い出しに行くんだよね」
「――だから可愛い服着てるんだ」
散歩がお預けになり拗ねる「犬」のように九郎は顔を曇らせ彼女から視線を逸らした。
その姿は何かを察して見て見ぬ素振りをしているようにも受け取れる。
茉莉花はハッとして息を詰めた。
九郎はとんでもない誤解をしている。
彼は茉莉花が一緒に出掛ける真斗のために、買い出し程度でも「おめかし」してると思っているようだ。
――違う!違う!違う!
まだ「ブラコン」を引きずっていると思われたらたまったもんじゃない。
小学生の女の子が大学生の兄に懐いているのはまだ微笑ましい範疇だが、十七歳の女子高生が十歳年上のアラサー彼女持ちの兄に執着してるとなると「どん引き」案件だ。
そもそも買い出しには九郎も誘うつもりだった。
「可愛い」と言ってもらい、その流れで買い出しに誘って「可愛い服」を着たまま九郎と一緒に出掛けるまでが茉莉花が企んでいたプランだ。
――あんたのために着てんだけど!!
首根っこを掴んで言ってやりたいが、それはそれで「どん引き」だろう。
「そうじゃなくて!このお洋服結構派手だから「家族同伴」じゃないと着れないし!着れる時に着とかないと!」
「うん」
「別に兄さんと買い出しに行くから「おめかし」してるって訳じゃ――」
茉莉花が必死の形相で九郎に言い聞かせていると、足音もなく真斗がダイニングから居間に入って来た。
「混まないうちにさっさと行くぞ」
まるで「コント」のようなタイミングで「のっそり」と現れた真斗を目にし、茉莉花は脱力して座卓に突っ伏した。
こうなったら「立ってるものなら《兄》でも使う」――九郎との「図書館デート」を諦めきれない茉莉花は座卓に手を付いて身を起こし真斗に嘆願する。
「今から九郎と図書館行くから、三時間後に迎えに来てもらっていい?」
「三時間後?」
急な予定変更を提示された真斗は腑に落ちない顔をする。
「うん。その後三人でそのまま買い物に行くって流れで」
「本を借りるのにそんなにかかるのか?」
「かかるよ。雑誌とかその場で読みたい本もあるし」
真斗は質素な普段着から「よそゆき」に着替えている茉莉花を見据え、訝しげに眉を顰めた。
「――図書館に行くにしては、随分とめかし込んでるな」
痛いところを突かれ茉莉花は一瞬怯んだが、真斗から向けられる疑いを弾くように強い口調で言い返す。
「だから!家族と出掛ける時にしか可愛いよそゆき着れないから着てるの!」
「どうせ九郎巻き込んで「図書館」じゃないところに行くつもりだったんだろ」
「何言ってんの?普通に本借りに行くだけだし!それに図書館行こうって言ったのは九郎の方だもん!」
また小競り合いが始まったと九郎はうんざりとした表情でため息を吐く。
「……いいよ、今日は俺一人で行く」
「えー……」
「買い出しの方が先約だろ?兄さん待たせるのは悪いよ」
「だったらウチらと車に乗って図書館まで送ってもらいなよ。外暑いし。ねぇ、いいでしょ?」
食い下がる妹に辟易した真斗は彼女から目を逸らし、柔和な口調で九郎に尋ねる。
「あの辺混んでるから手前の裏道で降ろしてもいいか?」
真斗は茉莉花には口うるさいが九郎に対しては若干甘い。
九郎は「家長」の真斗に対し従順だ。大人しいゆえ他のきょうだいたちの尻に敷かれることも多い。
この甘さは常に自分以外を優先する九郎への気遣いでもあった。
「いいよ。もう少したったら歩いて行く。スーパーと逆方向だし」
「そうか」
「忠犬と主」のやり取りを茉莉花は恨めしそうに見ていた。
九郎との「図書館デート」も「買い出しの同行」も消え、がっくりと肩を落とす。
デート服のような身なりで仏頂面の兄と二人きりで買い出しに行くのは不本意だが、今更着替える訳にもいかないので茉莉花はそのまま出掛けることにした。
車を出すため先に外に出た真斗の後を追い、玄関でサンダルを履いていると背後から静かな気配がした。
振り向くと九郎がいた。
「――また今度行こう」
「うん……何か食べたいのある?」
茉莉花が尋ねると九郎は視線を泳がせながらポツリと答える。
「トウモロコシ」
何故彼はトウモロコシを選んだのか。茉莉花は全く見当もつかなかったが、思い返すと今年の夏は一度しか食べていなかった。
「わかった。買って来て茹でとくね」
「うん、いってらっしゃい」
九郎はいつもと同じように静かに微笑んだ。
彼の優しい眼差しを受け茉莉花も目を細める。
「……いってきます」
軽く手を振り引き戸を開けると、十二時の鐘が鳴る中シンデレラを迎えに来たカボチャの馬車のように、真斗が運転するミニバンが玄関の前に停まった。




