8・「王子様」が迎えに来るまで(12)
あれだけ思い悩んでいた兄と行く「母の墓参り」は、行ってしまえばそれほど気まずいものではなかった。
助手席に座る茉莉花は、カーナビから聞こえて来るテレビ音声に合わせて鼻唄をうたうほどリラックスしていた。
真斗は二十代半ば過ぎの社会人だ。色々と思うことはあっても気持ちの折り合いはとっくに付けているのだろう。
生真面目な「保護者」の真斗は母親のことをほとんど覚えていない子供たちよりも、しっかりと手を合わせ「二人の成長」を報告しているようだった。
墓地を後にした三人は昼食をとるため洋食店に向かっている。
行きの道中で通って来た閑静な住宅地に隣接する店で、以前にも何度か行ったことがある「ハンバーグ」や「ビーフシチュー」などの肉料理がメインの店だ。
九郎から送られて来た焼肉の画像付きのメッセージを見てから茉莉花も咲也もすっかり「肉」の気分だった。
車窓から田園風景を望みながら真斗の運転で車を走らせること約十五分。ログハウス風のレトロな佇まいの店舗が見えてきた。
そこそこ評判の店で土日はいつも混み合っているが、ランチタイムのピークを過ぎていることもあり、駐車場には数台の空きがある。
一番端のスペースに車を停め店に向かっていると、山側から強い風が吹き茉莉花のスカートの裾が大きく翻った。
立ち止まり裾を押さえて大風が通り過ぎるのを待っていると、風上から「帽子!」と叫ぶ小さな女の子の声が聞こえた。
スカートを押さえながら声がした方向に顔を向けると、駐車場のフェンスを越えて水色のリボンが付いた白い帽子が風に運ばれてこちらに飛んで来た。
茉莉花が「帽子」と声を上げるよりも先に、後ろにいた真斗が大股で前に歩み出る。
打ち上がったボールをキャッチするように右腕を伸ばし風に攫われた帽子を捕まえると、彼は立ち止まらずそのまま歩道側へ歩いて行く。
駐車場の入り口に花柄のワンピースを着た女の子と、白い日傘をさした母親らしき女性がいた。
帽子を追って駆けてきた女の子の前で真斗は膝を付き、微笑みながら彼女に帽子を手渡す。
女の子は少しはにかみながら帽子を受け取った。
その光景を目にした茉莉花は、真斗と初めて出会った日のことを思い出した。
帽子を手渡された女の子と同じくらい――七歳の茉莉花の前で片膝を付き、小さな自分に目線を合わせて微笑んだ高校二年生の真斗の姿。
懐かしい記憶が胸をよぎった時、少しだけもの寂しい気持ちになった。
「ははっ「王子様」ぶっちゃって」
滲んだ切なさを打ち消すように茉莉花は彼を冷やかす。
それを聞いた咲也は片頬笑いをする。
「王子様って年か?どう見ても「パパ」だろ」
真斗は現在二十六歳。十二月に二十七歳になるアラサーで年齢よりも老けて見える。あれくらいの娘がいてもおかしくない風貌だ。
「はははっ!!「パパ」!!」
茉莉花はたまらずその場に屈み腹を抱えて笑った。
お礼を言う女の子と母親に会釈をし、茉莉花と咲也に顔を向けた真斗はいつもの仏頂面に戻っていた。
親子に聞こえるくらいの声量で自分を茶化した小憎たらしい双子を苦々しげに睨んでいる。
更に煽るように肩を揺らして笑いながら、茉莉花と咲也は逃げるように店の入り口に向かって駆けて行った。
今は常に仏頂面の真斗だが、茉莉花にとって彼は生まれて初めて出会った「王子様」だった。
実父の和真が茉莉花と咲也が暮らしていた児童養護施設を訪ねて来てから約九ヶ月後。
彼は施設に亡き妻との間に生まれた、茉莉花と咲也にとって「腹違い」のきょうだいを二人連れて来た。
サラサラの黒髪のロングヘアーの「綺麗なお姉さん」と背が高くて凛々しい「王子様」――中学二年生の彗斗と高校二年生の真斗だ。
小学生の茉莉花から見た高校生の真斗は本から飛び出して来た「王子様」のように見えた。
七歳の女の子にとって、十歳年上の背が高くて整った顔立ちの男子高校生はそう見えてもおかしくはない。
現在は厳つい体つきだが、あの頃はまだ少年らしい瑞々しさがあった。
髪型は前髪を下ろした爽やかな短髪。彫りが深い端正な顔立ちは映画で見た西洋の「王子様」を思わせる。
テレビで見る「量産型」のイケメンとは違う、誰にも似ていない唯一無二の「オートクチュール」な美少年だった。
後日、単身で施設を訪れた和真に初老の女性職員が笑いながら真斗と彗斗に対面してからの茉莉花の様子を伝えた。
「マリちゃんったら、お兄さんと会った後に「王子様が迎えに来た」みたいだったって言ってて――」
隣にいた茉莉花は突然秘密を暴露されたことに動転し、彼女の腰にしがみ付き責めるように体を激しく揺すった。
「言っちゃダメ!!」
恥ずかしさのあまり茉莉花は彼女の脚に縋ったまま、その場に蹲る。
茉莉花には災難なことだが、大人たちから見たその姿は微笑ましくて可愛らしいものだった。
和真は磊落に笑いながら、彼女の前にしゃがんでこう言った。
「そうだな、真斗はいつでも「お姫様」を迎えに行けるように「王子様」として育てたからね」
どこまでが本当なのか定かではないが和真が言うように、真斗は他の男子とは一線を画す本当の「王子様」だった。
茉莉花にとって咲也や九郎や年の近い男子はデリカシーのない「子供」で、九郎以外は女の子に対して薄っすら「意地悪」だった。
真斗にはそう言った男子のエグ味がなく女の子の扱いに慣れている。妹の茉莉花もちゃんと「女の子」として扱ってくれた。
年が離れていたこともあり当時の真斗は「父親の不倫相手の子」であるにも関わらず、茉莉花に優しく接し何かとかまってくれた。
テレビで見るアイドルよりもカッコ良かったし、アイドルは自分に何もしてくれないけど、彼はちゃんと自分だけを見て笑ってくれる。
中身も見た目も彼以上の「王子様」はいない。
そんな「王子様」が兄だったこともあり、小学六年生まで茉莉花は「超ブラコンのお兄ちゃん子」だった。
十七歳の茉莉花にとってその事は「黒歴史」だ。
思い出すだけで恥ずかしさや浅はかさで、その場でのたうち回りそうになるくらいの「人生の汚点」だ。
毎年バレンタインに手作りのチョコレートを作ってたことも、大学受験の時に父の手を借りて夜食を作ってあげたことも、五年生の時にネックウォーマーを編んでプレゼントしたことも。
今となっては真っ黒に塗り潰して全てを無かったことにしたい。
もしタイムマシンがあれば七歳の自分の元に飛んで行き首根っこを掴んで言ってやりたい。
「このお兄ちゃんはね!ガッチガチの石頭で男尊女卑の女性蔑視クソ男になるの!つーか表に出してないだけで既にそうだったかも知れないし!あんたのことは年の離れた妹だから優しくしてるだけ!普通に外で女作ってやることやってるし!勘違いしないで好きになるならアイドルとか「他所の」イケメンにしときな!!」
浮ついた心に冷や水をぶっかけて幼い自分を引き止めたいと思っている。
――帽子のあの子もうまい具合に騙されたって感じだな……。
店内に入り席に通された茉莉花は、手に取ったメニュー表越しに真斗を見ながら眉を顰めた。
えくぼが出るあの鮮やかな笑顔を向けられたら、身内以外の女子は一瞬ときめいてしまうだろう。
本当に外ズラは良いんだから――茉莉花は鼻を鳴らしてメニュー表に視線を落とした。
赤いチェックのクロスが敷かれたテーブルを挟み、向かい側に座る真斗は十七歳の茉莉花にとってはもう「王子様」ではない。
彼が「王子様」から「仏頂面の男」に変わってしまったのは小学六年生の五月、初潮を迎えた時に体に紅色の痣が三つ現れ自分が「鞘の処女」だと判明してから暫く経った頃だった。
明るくて強気な性格の茉莉花だが「鞘の処女」になってから間もなくは、訳がわからず混乱し塞ぎ込む日々が続いていた。
幼い頃から読み親しんで来た「花鞘姫と剣彦」の「物語」は、小さな村の長の娘が天津の王族の男に見初められるシンデレラストーリーだったが、自分の身に降りかかった現実はそうではなかった。
現実の「花鞘比売と剣比古」の出会いは役人が「処女」を家族から引き離し国の保護管理下に置き、選別された「剣の益荒男」と引き合わせるもの。
それは国によってほぼ強制的に行われる男女の「交配」――政略結婚よりもグロテスクなものだ。
――どうしよう……どうしよう……。
和真から「早ければ夏休み明けくらいに相手が決まるかも知れない」と言われていた。
まだ結婚は出来ないが「許嫁」として、この家を離れ相手の家で生活する可能性もあるらしい。
これは「鞘の処女」が務めから逃げ出さないように「保護」と言う名目でされる、実質「軟禁」のようなものだ。
過去の「鞘の処女」たちは十五、六歳で契りを交わし「剣」を出産したと言う。
――早過ぎる……学校とかどうするの?そもそも高校に行かせてもらえるの……?
自宅で官僚や有識者を交えた面談が行われる前日、入浴を終えて部屋に戻る途中でぷつりと張っていた糸が切れ、階段の前で蹲ったまま動けなくなった。
「剣の益荒男」は成人の「強い天津人」だと聞いていた。
茉莉花が知る強い天津の成人男性は兄の真斗だった。
真斗みたいな男だったら――そう思ったが、おそらく彼以上の「王子様」はいない。そのことに絶望していた。
台所から廊下に出て来た真斗が、階段の前で蹲る茉莉花に気付き彼女の隣に歩み寄る。
真斗は気落ちする茉莉花を優しく励まし、宥めるように頭を撫でてくれたが、そうされることでさらに寂しい気持ちが胸に溢れ出し止まらなかった。
「――私、どうしたらいいんだろう?」
茉莉花は震える声で真斗に尋ねた。
「ずっとここにいたい!みんなと――お兄ちゃんと離れたくない!」
本当はそう言いたかったが、言えなかった。
それは不可能なことだ。言ったところで真斗を困らせるだけだと茉莉花はわかっていた。
自分から言えないかわりに、真斗から何か言って欲しかった。
全てをひっくり返すような劇的な解決策は出ないと思うが、彼はきっと自分にとって悪い答えは出さない。
それは真斗に対する甘えだった。何でもいい。真斗の言う通りにする。お兄ちゃんはいつも自分を助けてくれる。いつもみたいに助けて欲しい。
「焦らなくていい。明日、麗虎さんたちの話を聞いてから一緒に考えよう」
彼が茉莉花に出した答えは当たり障りのないものだった。
問題は何一つ解決しないものだったが、不思議と不安が少しだけ和らぎ胸が軽くなった。
「……うん、そうする」
茉莉花は真斗の胸に顔を埋めた。
昔から辛いことがあったらそうしてきたように、彼の胸を借りた。
広くて大きな体に身を寄せ、優しく背中を撫でられながら、茉莉花はやはり「王子様」は彼しかいないのだろう思った。
それはとても悲しいことだったが、同じくらい幸せなことのようにも思えた。




