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8・「王子様」が迎えに来るまで(11)

 真斗は息を飲んだ。「血」ではなく「心」が騒ぎ、ずっと会いたかった生まれて初めて出会った「お姫様」に手を伸ばそうと「体」が激しく脈打つ。


 湧き出た衝動を抑えるように硬く目を閉じると、聞き慣れた愛想のない声が耳を打った。


「生意気は余計だっつーの」

 

 弾かれたように目を見開くと、そこにはもう「茉莉也」の姿はなかった。


 黒いチェックのワンピースを着て前髪のある栗色のロングヘアーを三つ編みにした「茉莉花」が不服そうに口を尖らせている。


 墓地へ向かう途中の車内で、彼は同じような幻覚を見ていた。


 昨年の夏頃から真斗はこの「新たな脅威」に対峙している。


 真斗に流れる「血」が「鞘の処女」を求めてるように、真斗の「心」は「藤倉茉莉也」――「お姫様」にもう一度会いたいと思っていた。


 茉莉花と咲也は日に日に、茉莉也の面影を強くしていった。


 特に女の茉莉花は長い髪も相まって、茉莉也の「生まれ変わり」のように見えた。


 茉莉花は現在十七歳。


 真斗が藤倉茉莉也に初めて出会った時、彼は七歳で彼女は十七歳だった。


 幼い頃に読んだ本に描かれた「花鞘姫(はなさやひめ)」のような栗色の長い髪の優しくて美しい「お姫様」のような人――女の麗しさと醜悪さを彼に教えて消えた人。


 天使のように真斗の前に現れて、悪魔のように彼の心に深い傷を残し去った人。


 真斗はもう一度、彼女が言ったように「大人」になってから会いたいと思っていた。


 成長するにつれ、体が「男」になっていくにつれその思いは強くなっていった。


 恋慕と言うよりも復讐に近い感情だった。自分がどれだけお前を好きだったか、恐ろしかったか思い知れと。


 それなのに茉莉也は彼が知らない間に父の和真と不倫関係を持ち、彼の子を身籠り出産し、この世から去って行った。


 最後の最後まで彼女は「悪役(ヴィラン)」だった。それでも真斗の中で茉莉也は初めて出会った「お姫様」である事には変わりない。


 十二月に二十七歳になる真斗の目の前に「十七歳の茉莉也」の姿をした「十七歳の茉莉花」がいる。


「茉莉也」の娘が「茉莉也」の姿で真斗の前に立っている。


 三つ編みにしている茉莉花の髪に、飛んでいたアゲハ蝶がとまった。


 見覚えのある光景に、また記憶と現実の境が消えて混ざり合う。


「鞘の処女」に焦がれ続けてきた意地汚い「血の呪い」と、茉莉也からかけられた「お姫様の呪い」――真斗は二重の「呪い」に蝕まれている。

 

 夢の中でも目を覚ましている時でも「呪いのお姫様」は「娘の茉莉花」の姿を借りて真斗に囁く。


 茉莉花の琥珀色の瞳が彼を捕らえた。


 彼女の体に憑依した「茉莉也」が彼の「心」を(けしか)け、彼に流れる「血」を煽る。


 私が欲しくてたまらないくせに――


 茉莉花の唇を使い囁く声にくすぐられ、燻り濁り切った情欲が首を(もた)げる。


 ――ああ、そうだ。お前は俺のものだ。


 卑しい「血」がそう答える前に、聞き慣れた声が彼の身に走る黒い呪いを断ち切った。


「あー、お腹すいちゃった。お昼何処で食べようかなぁ?」


 茉莉花がそう言いながら身を揺らすと、髪に止まっていた蝶はふわりと彼女から離れ墓石の向こうへと飛んで行った。


「九郎と姉ちゃん、焼肉ランチ食ってるぞ」


 すぐ後ろに立っていた咲也がスマホに視線を落としたまま苦笑いを浮かべ、茉莉花の空腹を煽る。


 九郎に「どこで昼メシ食った?」とメッセージを送ったら、即返信が来たらしい。


「マジで?!」

 

 茉莉花は咲也の隣りに歩み寄り、彼が持つスマホを覗き込む。


 墓前で騒ぐ罰当たりな双子たちに真斗は顰めた顔を向ける。


「そろそろ行くぞ。車に戻るまで何食うか考えとけ」

「あっちが焼肉なら、こっちはそれ以上狙うか」

「お寿司にしたかったけど、お肉な気分になってきた」


 咲也と茉莉花は母親に暇乞(いとまご)いをするかのように大きな墓石に向かい軽く頭を下げ、駐車場へ向かって歩き出す。


 スマホを片手にこれから何処で昼食を取るか考え合わせながら歩く双子たちの後ろで、真斗は「また茉莉花に救われた」と胸を撫で下ろしていた。


(さや)処女(おとめ)」はやはりこの「血」が流れる男を嫌っているのか、「兄離れ」をして正気に戻り近親者を本能的に避けているのか。


 茉莉花は無自覚で、自分と無理矢理にでも番おうとする真斗の「呪い」を阻んでいる。


 何度も横っ面を引っ叩くように幻覚に惑う彼を現実に引き戻す。


 彼女は真斗の「呪い」を煽る危険な存在だが、彼の「呪い」を阻む心強い存在でもあった。


 彼の「呪い」を阻むのは茉莉花だけではない。


 今の恋人の瞳子(とうこ)もそうだった。


 彼女は「藤倉茉莉也」を超える、「お姫様」以上に真斗の心を捉えて離さない女だ。


 真っ直ぐな愛を注いでくれる瞳子の前では「家」も「血」も忘れて「ただの男」になれた。


 逢瀬を楽しみ情を交わした後、しばらくの間は茉莉花と顔を合わせても「呪い」が現れることがなかった。


 真斗を拒絶する妹の茉莉花と、真斗を愛する恋人の瞳子――彼は二人の女に救われている。


 和真は家の悲願を叶えると同時に「物語」を綴っていたのだろう。


 ヨモツ討伐の前線に立ってきた「武人」の血を引く家に生まれたにも関わらず、彼は古文の講師になった「リベラルな文系」の男でロマンティストなところがあった。


 彼が描いていたのは運命の悪戯で腹違いの兄妹として生まれた「剣彦と花鞘姫」の物語。


 思いを寄せていた女の面影を持つ腹違いの妹を育てる「天津五家(あまつごけ)」の貴公子のエピソードは、あの「源氏物語」の「若紫と光源氏」を彷彿とさせるものだ。


 古典作品のオマージュまで加わった、千年越しの思いを成就させる「感動的(エモーショナル)恋物語(ロマンス)


 現代の人間にとっての「禁断」に「禁断」を重ねた、よく出来た魅力的な「物語」だ。


 だが「現実」では悪趣味で反吐が出るような「醜聞(スキャンダル)」でしかない。


 異母兄妹の交わりは太古では禁忌(タブー)ではなかった。


 皇族や貴族、天津の有力者など「血」を重要視する一族の間では問題なく行われていたが、現在においては「二親等の血縁者」なので法律上結婚は出来ない。


 近親相姦自体を罰する法律はないが、今の感覚ではたとえ半分でも同じ血を引く兄妹同士が性的関係を持つことは非倫理的で「許されない」ものになっている。


 兄は「家の名誉のために妹を犯し孕ませた鬼畜」で、妹は「謹厳実直な兄を誘惑し失墜させた毒婦」――政略的に割り切ったものであっても、純粋な愛を成就させたものであっても、血縁者同士で交わった穢れた卑しい存在として後ろ指をさされるだろう。


 自分も茉莉花もそうなることを望んではいない。


 真斗は和真が描こうとしていた「物語」を書きかえようとしている。


 結末はこうだ。


 鬱蒼とした森の中にある「家」に閉じ込められていた「お姫様」は、迎えに来た本物の「王子様」に連れ出され外の世界へ旅立って行った。


「お姫様」が幸せになることで、彼女を育ててきた兄が被っていた忌まわしい「呪い」も解け、彼も心から愛する人と結ばれた。


 離れた場所でお互い「末長く幸せ」に暮らす――文才のない真斗には平坦で退屈な「物語」しか描けないが、これが彼が望む「物語」の締めくくりだ。


「鞘の処女」に嫌われた血筋の家に、数奇な運命で「娘」として生まれた現今(げんこん)の「鞘の処女」


 家の男は「夫」にはなれないが、それでも「父」と「兄」は「処女(おとめ)」の幸せを願い大切に育て、彼女が選んだ「剣の益荒男」の元へ送り出す――充分「美しい物語」だろう。


「――茉莉花は絶対に俺を選ばない。もう俺は、茉莉花の「王子様」じゃないからな」


 黄泉の国にいるのか、守り神になって足掻く息子の姿を見てほくそ笑んでいるのか――真斗は亡き父に向け低く言い放った。

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