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8・「王子様」が迎えに来るまで(10)

 その夜、真斗は夢を見た――追い討ちをかけるような夢を「見させられた」


 あの時「血」の意思を受け入れていれば全て上手くいったはずだと。


 茉莉花は――「鞘の処女(おとめ)」はお前を愛している。あの時モノにしていれば、むしろ処女(おとめ)の方から喜んでその身を捧げていただろうと。


「血」が夢の中で、選択しなかった「物語」の分岐の先を見せた。


 自宅での面談を明日に控えた夜、灯の落ちた階段の下で(うずくま)る茉莉花は、顔を上げて真斗に言った。


「どうしたらいいの?」


 不安げに揺れる茉莉花の瞳を真斗はじっと見つめる。


「茉莉花は、どうしたい?」


 女子がこう言う時、既に自分の中で答えは決まっていることが多い。口にするのを躊躇(ためら)う答え程、相手から差し出して欲しいと思っている。


 彼女の口から本心を聞いて応じたい――静かな声で真斗は問い返す。


 茉莉花は目を潤ませ、か細い声で答えた。


「すぐ家を出て「(つるぎ)益荒男(ますらお)」のところへ行かなきゃならないかも知れないって……嫌だよ……お兄ちゃんと離れたくないよ……お兄ちゃんじゃなきゃ……嫌だよ……」


 薄闇の中、燃え尽きて流れ消える星のように、茉莉花の頬に光る涙がつたった。


 彼女の願いは彼の「血」が望んでいたものと同じもの――真斗の体に、意識に彼自身が経験したことがない、甘く痺れるような歓びを伴った熱い「血」が走る。


「血」に呑まれた真斗は躊躇(ためら)いなく彼女の頬に触れ涙を拭い、そのまま華奢な体をかき(いだ)いた。


 呼吸で激しく波打つ胸の動き。耳にかかる熱い息。艶めかしく肩と腰を撫でる指――子供を(なだ)める抱きかたではない。


 茉莉花は戸惑い、彼にされるがまま身を竦めていた。


 真斗は茉莉花の耳朶(じだ)に唇を寄せ、無垢な肌に刻むように囁いた。


「――ずっとここに居ればいい」


 彼の声を受けた肌に甘やかな刺激が走り、茉莉花は小さな喘ぎを漏らし身を捩る。


 真斗の胸に顔を(うず)めたまま、茉莉花は震える声で彼に乞う。


「――お兄ちゃんが「剣比古(つるぎひこ)」になってくれる?」


 自分を「子供」として抱いていないと理解した彼女は、顔を上げ熱を帯びた眼差しを真斗な向ける。


 唇に息がかかる程、近い距離まで迫った彼の艶かしい光を帯びた黒い瞳に捕らえられた茉莉花は少し怯えたように顎を引いた。


 真斗は彼女の髪に片手をくぐらせ、より近い位置に頭を引き寄せる。


 絡み合った息に引き寄せられ互いの鼻先が触れた。


「ああ、俺が茉莉花を「花鞘比売(はなさやひめ)」にする」


 真斗は首を少し傾げ鼻先を逸らし、そっと(ついば)むように口づけた。


 それは少女が憧れる「王子様のキス」――唇を離し、覗き込んだ茉莉花の目は蕩けるような甘い光を帯びていた。


 自分の腕の中で夢見心地で息を漏らす可憐な「処女(おとめ)」を見つめる真斗の「血」は、まだ満たされていなかった。


 千年に渡り渇望していた「鞘の処女」を手に入れたが、それでもまだ足りない。


 唇だけではない。体も、心も、魂も――全てものにしなければ、また離れてしまう気がした。


 もう逃がさない、お前は俺のものだ――真斗は渇いた喉を鳴らし再び「処女(おとめ)」に唇を重ねた。


 唇を()み、舌を絡ませる――十二歳の少女に対して酷なほど激しく、深く、自分の体を覚えさせるように口づける。


 何も知らない彼女の体に「男」を刻みつけるように甘噛みをし、まだ彼女の中で目覚めていない「女」を招き出すように柔らかな肢体を執拗に愛撫する。


 茉莉花の前に優しい口づけをした「王子様」は――兄はもういなかった。


 そこにいるのは自分の体を貪る、獰猛で獣じみた「血」に憑かれた「男」だ。


 それでも彼女は怯えることはなかった。


 怯える間もなく体中が彼で満ち、彼の胸で溶けていた。


 茉莉花の頬に顔を寄せ、真斗は彼女のパジャマの上着のボタンを外し、胸の上にある花に似た薄紅の痣に触れる。


 それは「鞘の処女」の証。


 真斗は彼女の顎から首筋を唇でなぞり、辿り着いた胸元に開いた可憐な花に口づけをし、花弁を一枚増やした。


「――もう誰にも渡さない。全部、俺のものだ」


 胸元に咲く花を撫でながら、真斗は再び首筋に舌を這わせ、行き場がなくただ苦しげに息を漏らす「処女(おとめ)」の唇を再び捕える。


 息をするように口づけを繰り返す二人は、もう兄妹ではかった。


 半分同じの血を持つ、一回り離れた成人と未成年。


 二重の禁忌を犯しているが、そこに言い訳じみた背徳感などなかった。


 彼らは後ろめたさなど感じる間もなく情火(じょうか)に身を焦がす男と女――「剣の益荒男」と「鞘の処女」


 二人がこれから成すのは「剣比古神(つるぎひこのかみ)花鞘比売神(はなさやひめのかみ)」への神化(しんか)(ちぎ)り。


 その始まりはまるで誰かが書き綴った「物語」のような、激しく、甘美なものだった――








 長い夢から目覚めた真斗は、その(おぞ)ましさに総毛立った。


「血」が見せた、選ばなかった分岐の先にあったものは、彼にとって見たくもなかった「禁忌の契り」を交わす兄妹の情景。


 初潮を迎えたとは言えまだ未成熟の少女を何の躊躇もなく「女」にする「血」に憑かれた自分の(けもの)じみた挙動。


 兄から劣情を浴びせられることに抵抗するどころか、そうされることを悦んでいる茉莉花の姿。


 茉莉花が自分の腕の中で「女」になっている――それは吐き気を催すほどグロテスクなものだった。


 あの時、茉莉花の本心を引き出していたら――自分に兄以上の感情を抱いていたと「血」が知ったら、この「最悪の結末」を迎えていた。


 茉莉花はどうして自分を「王子様」だと思い、異性として見るようになったのか――真斗には見当も付かなかった。

 

 彼は茉莉花に対し、彗斗と同じく普通に「妹」として接して来たつもりだった。


 だが、茉莉花は複雑な出自で早くに母親を亡くし、三歳から七歳まで養護施設にいた。年齢も十歳離れている。


 そんな事情から無意識のうちに過保護になり甘やかしていたのかも知れない。


 やたら近い距離感も子供の無邪気さからだと思い、身を寄せて来たり抱きつかれたりしても、拒絶せず受け入れて来た。


 それは結果的に茉莉花が自分に好意を持つように幼いうちから手なづけていたようなものだった。


 自覚がないまま茉莉花をグルーミングしていた――真斗は目を伏せ、唇を噛んだ。


 茉莉花に「呪い」をかけていたのは和真ではなく自分だった。


 取り返しのつかないことをしてしまったと、彼は激しい自責の念に駆られた。


 妹を大切に思う気持ちまで「血」に憑かれたものだったのか――いや、それは違う。全て自分の意思だ。茉莉花が「鞘の処女」だとわかったのは、つい先日のことだ。絶対に違う。


 真斗は震える手で顔を覆った。


「呪い」で兄を慕うようになっている茉莉花は、おそらく和真が言ったように国と有識者が選別した候補者ではなく真斗を選ぶ。


 真斗はそれを望んではいないが、茉莉花が彼への思慕の情を見せた時、おそらく「血」の昂りを抑えることが出来ないだろう。


 あの夢が「現実」になってしまう。

 

 真斗はそれだけはなんとしても避けたいと、ベッドに身を沈めたままこれから自分がすべき手立てを考えた。


 もう茉莉花とは今までのように接することはできない――彼はこの日から「優しい兄」をやめることにした。


 茉莉花に話しかけられても素っ気なく返し、目も合わせない。


 笑顔を封じ、あからさまに彼女と同じ空間にいることを避けるようになった。


 自分に対する態度が急に変わった真斗に茉莉花は戸惑っていたが、七月に獣撃隊の面接試験を控えているので自分に構っている暇がないのだろうと思っていた。


 真斗が茉莉花を避けるようになってから数日後、台所から自室に戻ろうとした時、玄関に彗斗と茉莉花がいた。


 二人で買い物に行くようで、茉莉花はよそゆきのワンピースを着ていた。


「お姉ちゃんに巻いてもらったんだ。いい感じでしょ?」


 茉莉花は綺麗に巻いた髪を両手で掬い微笑んだ。耳に付けた小さなイヤリングがちらりと見えた。


 真斗は眉ひとつ動かさず彼女を見据え、冷たく吐き捨てた。


「――子供(ガキ)の癖に、何色気付いてんだ」

「えっ?」


 上機嫌だった茉莉花の表情が、一瞬で凍りついた。


「お前は「剣の益荒男」のとこに嫁ぐんだ。それに来年は中学受験を控えている。そんな浮ついた格好してる場合じゃないだろ」

「ちょっと!そんな言い方――」

 

 彗斗が強い口調で咎めたが、真斗は振り払うように二人に背を向け自室へ戻って行った。


 夕方、帰宅した彗斗から茉莉花が外出先でもずっと気落ちしたままだったと、彼女に対するキツい物言いを責められたが、真斗は一切耳を貸さなかった。


 茉莉花はそれでもいつも通りの「優しいお兄ちゃん」に戻ると信じているのか、その後も以前と同じように笑って戯れて来たが、真斗はその都度冷たくあしらっていた。


 突っぱねるたび、悲しそうに(うつむ)く茉莉花を見て、真斗も胸を痛めていた。


 茉莉花は大事な妹だが、今はこうするしかない。


 しかし冷たくすればするほど茉莉花は自分に対する強い執着を抱くようになり、かえって逆効果になる危険も感じた。


 茉莉花の方から自分を嫌うように仕向けるしかない――「こんな男は論外だ」と彼女から「選ばれない」男にならなければと策を練った末、ある結論に辿り着いた。


 それは茉莉花が自分に抱いている「王子様」の幻想を壊すこと。


 この時、真斗には同級生の恋人がいた。


 茉莉花にはそのことを隠していた。子供にわざわざ言うことではないからだ。咲也と九郎もそのことを知らない。


 真斗には「お姫様」しか愛せない「呪い」が掛かっているので、彼女に対する気持ちは冷め切っていて惰性で付き合っている状態だった。


 公務員試験の準備や論文の作成を言い訳に、以前より学外で会う機会を減らして卒業後にフェードアウトすることを狙っていたが――真斗はこれは「使える」と思った。


 彼女から東京の大手企業の内定を取ったと聞いた真斗は「内定祝い」を兼ねて久しぶりにデートに誘った。


 真斗は五月に獣撃隊の一次試験をクリアしていたが、七月の頭に二次選考の面接試験と身体測定を控えていた。


「そっちは大丈夫なの?」と彼女は困惑していたが、久々に恋人らしく振る舞う真斗にすぐに絆され、翌日に講義があるにも関わらずホテルで一夜を過ごした。


 その後も彼女が借りているマンションに通い、何度も体を重ねた。


「女の匂い」を漂わせ朝帰りをする真斗に対し、彗斗と和真は渋い顔をして苦言を呈していたが、二人はそのことを下のきょうだいたちには黙っていた。


 茉莉花のためだ。知らぬ間に親父や自分からかけられた「王子様の呪い」を解くためだ――真斗は茉莉花に嫌われるような「女にだらしない、汚い男」になっていた。


 和真に啖呵を切って言った通り、最悪の場合は彼女を妊娠させ籍を入れ「剣の益荒男」候補から外れることも考えていた。


 彼女も天津人だ。「デキ婚」でも「天津五家」の後取りの妻になるのだから彼女にとっても悪い話ではない。


 女に対して誠実な「スパダリ」だと言われる真斗だが、冷めた女に対してはとことんカスな男だった。


 茉莉花は「ませて」いたので薄っすら気付いていたが、目を逸らして見ないようにしていた。


 真斗は彼女にとって「王子様」だった。大好きな「王子様」を手放したくなかった。


 面接試験を三日前に控えた夜。ダイニングで椅子に座りスマホを見ていた真斗は、首から胸元にかけて焼けるような視線を感じた。


 顔を上げると、唇を噛んで自分を睨み据える茉莉花がいた。握りしめた手が震えている。


 ――やっと気付いたか。


 隠しもせず襟元を開き見せつけるように晒した首筋や鎖骨に付いたキスマーク。


 彼女の目の前にいるのは「王子様」ではなく、試験前にも関わらず女とセックスに(ふけ)っている「汚い男」だ。

 

 茉莉花が自分に「軽蔑しきった目」を向けた時、真斗は心の底から安堵した。


 かなりの荒療治だったが、茉莉花はこのことをきっかけに完全に「兄離れ」をした。


 茉莉花にかけられていた「王子様の呪い」が解けたことで、真斗は精神的にかなり楽になった。


 その後も何度か危うい思いもしたが、生じる執着の炎は彼女に煽られ燃え上がるようなことはほとんどなかった。


 小さな燻りを踏み消すように彼は「血」の疼きを抑えて来た。自分さえ正気を保っていれば「血」に呑まれることはない。


 今、真斗の目の前にる茉莉花は彼に対して「恋情」に近い思いを抱いていたことを忘れているようだ。


 はじめからそんなものなどなかったかのように、ふてぶてしい表情で側に立つ兄よりも風で乱れた前髪の方を気にかけている。


「――兄さんはさ、どんな気持ちでうちらのお母さんに手を合わせてんの?」


 茉莉花は前髪から指を離し、気まずそうに視線を足元に落とした。


「……その……会ったこともない人なわけじゃん」


 茉莉花と咲也は真斗が自分たちの母親と既に出会っていることを知らない。


 真斗から見れば母親は父の和真の「不倫相手」――良い印象を持っていないと思っている。


 墓参りに「父親の不倫の被害者」である真斗が同行することを申し訳ないと感じ、前日までどうにか彼を巻き込まず二人だけで行こうとしていた。


 高校生なりに兄に気を遣っているようだが、真斗の方がより重く後ろめたい過去を持っていることを二人は知らない。


 それを伏せるように真斗は当たり障りのない答えを口にした。


「今年も元気に生意気に育っておりますのでご安心下さい――そんなとこだ。会ったことがなくても、お前たちの「母親」だろ。親父代わりの保護者として手を合わせてる」


 どの面下げてこんな綺麗事――そう思ったが、これで茉莉花と咲也の心が少しでも軽くなればと真斗は模範的な保護者の顔をする。


 (うつむ)いていた茉莉花が小さく(うなず)いて顔を上げた瞬間、真斗の視界から彼女の姿が消えた。

 

 白く(けぶ)る強い日差しの中、茉莉花に代わって彼の前に現れたのは、紺色のブレザーの制服を着た前髪のない栗色のロングヘアーの少女。


「ちゃんと「お父さん」してるんだ。えらいね真斗くん」


 真斗の目の前で「藤倉茉莉也」が微笑んでいた。

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