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8・「王子様」が迎えに来るまで(7)

 泉ヶ岳(いずみがたけ)の裾野にある霊園に着いたのは午後一時近く。


 八月もあと一週で終わるが、今日もうだるような暑さだ。予想最高気温は三十三度。


「日傘持ってくれば良かった……」

「すぐ終わるから我慢しろ」


 この双子は盆の墓参りでも同じようなやり取りをしていたなと思いながら、真斗は二人の後ろを付いて行く。


 前を歩く栗色の癖っ毛の双子。真斗の目には生意気な二匹のキャバリアに見えた。


 背後から飛んで来た一匹のアゲハ蝶が彼を追い越し、前を歩く双子の姉弟の元へ飛んで行った。


 石畳の歩道の先に彼女たちの母――藤倉茉莉也(ふじくらまりや)が眠る墓がある。


 前方に大きな大理石のオブジェのような建造物が見えて来た。


 これはこの霊園の永代供養墓(えいだいくようぼ)――墓標(ぼひょう)のない大きな墓。


 身寄りがなかった茉莉也の遺骨はここに埋葬されている。


 他の遺骨と一緒に埋葬される合祀墓(ごうしぼ)だ。


 大きな墓石の前に大きな焼香台がある。


 真斗と双子たちはその前で足を止めた。


 茉莉花は鞄から線香とライターを取り出した。ライターを手渡された咲也は彼女が持つ線香の束に火を付ける。


「お線香の匂い、結構好きなんだよね」


 白い煙が立つ線香を咲也と真斗に渡しながら、茉莉花はその香りを楽しむ。

 

 高野原家の墓は神道のものなので墓前に線香を供える習わしがない。


 仏式の法事や通夜へ行く機会もないので、線香を手に取るのは年に一度の母親の墓参りの時だけだった。


 焼香台に線香を供えた後、茉莉花と咲也は墓石に向かって頭を下げた。


 神式のクセで「合掌」ではなく「二礼二拍手一礼」をしようとしている――真斗は慌てて二人を咎めた。


「手を叩くな」


「「わかってるって」」


 同じ口調、同じ表情、同じ顔――久々に見た双子らしい姿が可笑しくて、真斗は顔を逸らしほくそ笑む。


 三人は墓前に並び、静かに手を合わせた。


 茉莉花と咲也は茉莉也のことはほとんど覚えていないと言う。


 二人が高野原家で暮らすようになってからまもなく、真斗は遺品として持っていた数枚の写真を茉莉花から見せてもらったことがあった。


 幼い茉莉花と咲也に寄り添って微笑む茉莉也の姿が写っていた。


 茉莉花と咲也と同じ栗色の癖っ毛。琥珀色の瞳。


 母親と言うより歳の離れた「お姉さん」のように見えた。


 写真を持つ真斗の手が震えた。


 嗚咽(おえつ)にも似た感情の濁流が胸から喉にせり上がり、溢れ出そうな情動を息を止めて押さえていた。


 その姿を見て不思議そうに首を傾げる茉莉花に、真斗は取り繕ったぎこちない笑顔を向ける。


「……茉莉花と咲也にそっくりだな」

「そーかなぁ?髪と目はおんなじ色だけど」


 何も知らない七歳の茉莉花は少しはにかんで真斗を見上げて笑った。


 真斗はこの「お姉さん」――茉莉花の母親、藤倉茉莉也を知っていた。


 妹の彗斗は彼女を知らないが、彼は知っていた。


 真斗は幼い頃から恋人の瞳子(とうこ)が勤めている天津人のサポートを担う公益社団法人のビルを訪れていた。


 強い力を持つ血筋の子供は祓除能力以外の特殊能力を有する。


 生まれた時から「監視対象」の子供たちは国から派遣された専門職員から感情と能力の発動を切り離す訓練や、倫理教育などの指導を受けていた。


 その能力はヨモツ祓除に役立つものだが、社会的脅威になり得るものでもある。


「能力の使い方を誤ると人を傷つける危険がある」「能力を使って犯罪行為をした場合、天津人全体の社会的信頼が損なわれる」「私欲を挟まず、公のために尽くすこと」などを一般の天津人以上に徹底的に指導されてきた。


 このビルには子供向けのレクリエーションルームがある。


 公民館と同程度の図書スペースなどがあり、真斗はよく面談や講習の前後に立ち寄っていた。


 当時七歳だった真斗は、ここで十七歳の藤倉茉莉也と出会った。


 茉莉也は天津人の青少年ボランティアに所属していて、このレクリエーションルームで絵本の読み聞かせなど小さい子供たちの遊び相手をしていた。


 父親の迎えを待ち、遅い時間まで一人で残っている真斗を気にかけて話し相手になってくれた。


 茉莉也が書棚に戻していた本の中に「剣彦(つるぎひこ)花鞘姫(はなさやひめ)」の児童書があった。


 茉莉也は本の表紙に描かれた「花鞘姫」がそのまま現れたような栗色の長い髪を持つ美しい少女だった。


 彼女はこの表紙の「お姫様」に似ていると真斗は以前から思っていた。


 そのこと伝えると、茉莉也は目を丸くした後に顔を綻ばせ花のような笑みを浮かべる。


 栗色の髪の「お姫様」は真斗の耳に顔を寄せ優しい声で囁いた。


「私が「花鞘姫」なら、真斗くんが「剣彦」になってくれる?」


 思いがけない言葉を聞き、真斗の胸が高鳴った。


「なーんてね。十歳年上は厳しいか」


 茉莉也は戯けた口調でそう言い、白い歯を見せて笑った。


 揶揄(からかわ)れたと思った真斗は恥ずかしさのあまり、唇を噛んで下を向く。


「それに私、祓除(ふつじょ)能力封じられてないから「花鞘姫」にはなれないし。でも真斗くんは大きくなったらきっと強くなるし、絶対イケメンになるから「剣彦」になれると思う」


 茉莉也は身を屈め、頬を赤らめ顔を逸らす真斗の目を覗き込み微笑んだ。


「本当にそうなったら「花鞘姫」の子が羨ましいなぁ。真斗くんは「王子様」みたいだからね」


 茉莉也の笑顔は何処か儚げで、目を離したら花弁を散らすように消えてしまいそうな気がした。


 優しくていつも微笑みを絶やさない、それでいて儚げな「花」のような可憐な乙女。


 生まれて初めて出会った「お姫様」だった。


 生まれて初めて出会った恐ろしい「女」だった。


 忘れられない人だった。


 八歳の夏に会ったのを最後に茉莉也は真斗の前から姿を消した。


 茉莉也と父親の和真が不倫関係を持ち隠し子がいた事と、彼女が亡くなっていた事を知らされたのは高校一年の三月――この冬最後の降雪(こうせつ)があった日だった。


 二人は一年程関係を持っていたが茉莉也の方から別れを切り出し、その後の消息はわからなかった。


 茉莉也はその時、和真との子供を妊娠していた。和真に伝えないまま一人で双子を出産し、二十三歳で病死した――昨年の夏に彼はその事を知ったと言う。


 和真と茉莉也は、真斗の前で顔を合わせたことはなかった。


 彼はおそらく、真斗と茉莉也が親しかったことを知らない――それでも自分の存在が二人を引き合わせてしまったような気がした。


 大好きだった「お姉さん」は彼が知らない間に自分の父親に絆され、孕まされていた。


 高校一年生の真斗には受け止めきれるものではなかった。鬼畜の所業に思えた。気が狂いそうだった。


 しかも母の遥香(はるか)が亡くなって二年目という都合の良いタイミングで、茉莉也が産んだ自分の子――幼い双子の姉弟を引き取ると言う。


 真斗は妹の彗斗には不倫相手――茉莉也を知っていたことを隠していた。


 その日の夜、真斗は和真がいる書斎の戸を叩いた。


 和真に対する憤りはおさまるどころか増すばかりだった。茉莉也について、問い詰めたいこともあった。


 机に向かう和真の背中を射るように見据え、真斗は低い声で先程は伏せていた胸の内を明かす。


「……俺は藤倉茉莉也さんを知っていた」

「ああ、そのことは茉莉也から聞いていたよ。ボランティア活動のときにレクリエーション室で一緒に話をしていたって」

「わかっていて彼女に手を出したのか……」

「真斗のことを、可愛い「王子様」みたいだと言っていた」


 和真は振り返り真斗を一瞥すると、立ち上がり彼の前まで歩み寄る。


「あのビルで茉莉也を見初めたときは、まだお前が彼女に懐いていたことは知らなかった」

「だったらなおのこと最低だな。女子高生に目を付けるとか……カスだろ。中年の妻子持ちが」

「ひとりの女性として触れ合うようになったのは彼女が学校を卒業してからだ」


 和真の言葉を受け、真斗は表情をさらに険しくする。


 茉莉也の姿を思い出しているのか、和真は懐かしそうに目を細めた。


二回(ふたまわ)りも下の娘なんて女として見ることは出来ないはずだが「血」がそうさせた。彼女は「(さや)処女(おとめ)」ではないが――「花」の気配を感じたんだ」


 愛しむような優しい眼差しを書棚に向け、一冊の本に手を伸ばす。


「彼女から「花」の匂いがしただろ?」


 和真はその本の背表紙を、指でそっとなぞった。


剣彦(つるぎひこ)花鞘姫(はなさやひめ)


 真斗は息を飲んだ。茉莉也と過ごしたあの頃の記憶が堰を切ったように胸に溢れ、体を巡る「血」が叫ぶように沸き立つ。


花鞘比売(はなさやひめ)」になる娘――「(さや)処女(おとめ)」に拒まれて来た「血」


 拒まれて来た故に「処女(おとめ)」に焦がれ続けて来た「血」


 熱を持ち激しく脈打つ体を真斗は必死に抑えようとしていた。


 騒ぎ出した「血」は自分とは別の意思を持っているかのようで、制御することが出来ない。


高野原(うち)の「血」は、そう言う「血」なんだ。お前が彼女に懐いていたのも、俺と同じようにその匂いを嗅ぎ付けたからだ。そうだろ?」

「……あんたと一緒にするな」


 真斗が苦しげに顔を歪め和真を睨むと、彼が掛けていた眼鏡のレンズにひびが走った。


 和真は自身に起きた異変に動揺した様子はない。


 怒りに身を震わせている息子を心苦しく思ったのか、深く息を吐き彼は目を伏せた。


「寝取られたような思いをさせて悪かった」

「俺はお前とは違う!!」


 和真の言葉に激昂した真斗は彼の胸ぐらを掴み、床に投げ倒した。


 窓と照明の蛍光灯が割れ、窓際に置かれた机の前で(うずくま)る和真の体に破片が降りかかった。


 真斗の怒りに共鳴するかのように家屋(かおく)が小刻みに揺れ出し、床に散ったガラスの破片が吸い上げられるように宙に浮いた。


 突き付ける(やいば)のように、張り詰めた弓から放たれるのを待つ(やじり)のようにガラス片は和真の体の上で静止している。


 真斗の怒号と地震のような揺れで異変に気付いた彗斗が書斎に駆け込んで来た。


「お兄ちゃんやめて!そんなことしたら捕まっちゃうよ!」


 彗斗は泣きながら真斗の背中に縋り付き彼を引き止める。


 当時の彗斗は「優等生」だった。誰からも好かれる正統派の美少女で、真斗と同じ「県トップの進学校」に入学して医者になるのが夢だった。


 昔から「お父さん子」だった彗斗は和真が若い女と不倫をして子供まで作っていた事にショックを受け憔悴(しょうすい)しきっていた。


 この状況で兄の真斗まで「特殊能力」で「傷害事件」を起こし警察に連行されたら彼女の心が持たない。


 真斗は幼い頃から感情と能力の発動を切り離す訓練をして来た。この力は感情の暴発で生じたものではない。


 力に「怒り」を乗せ、和真に振り下ろそうとしている。


 これは「過失」ではなく「故意」によるもの――天津の能力で「故意」に人を傷つけた場合、その罪は通常の「傷害罪」よりも重い。


 真斗は(うずくま)る和真を睨み、張っていた力を解いた。妹に免じて、ここは引く。


 浮いていたガラス片が床に落ち、割れた窓から湿った風に乗り雪が吹き込んで来た。


 ゆっくりと身を起こし和真は顔を上げ真斗に視線を向ける。


 ガラス片で切ったのか、机に打ち付けたのか。額から血が流れていた。


 和真も真斗と同じ「特殊能力」を持っている。


 息子からの攻撃を未然に防ぐことも出来たが、彼は力を発動させることなく、敢えてその怒りを真正面から受け止めようとした。


「――清く、正しく、勇ましい、良い「王子様」に育ったな」


 和真は真斗を見つめ満足そうに微笑んだ。

 

 真斗の前から「父親」の姿は消えていた。


 そこにいるのは、先程まで「父親」の姿をして自分を欺いていた「化け物」だ。


 俺にもこいつと同じ「花」に焦がれ狂った「血」が流れている――その(おぞ)ましさと(うと)ましさに震えが止まらなかった。

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