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8・「王子様」が迎えに来るまで(6)

 瞳子(とうこ)の自宅マンションには以前から何度か訪れている。


 仕事帰りに立ち寄り、彼女が振る舞う手料理を食べに行っていた。


 秋頃から休日にやたら外出し、平日に夕飯を外で済ませる事が増えたので、きょうだいたちは「これは女だな」と察していた。


 家の台所仕事をしている茉莉花に、今日の夕飯は外で済ませるので自分の分は不用だと伝えると、ゴミを見るような目をして決まってこう言うのだ。


「お風呂はどーする?帰ってからも入んの?」


 いつもに増してクソ生意気な妹である。


 瞳子の家では本当に夕飯を一緒に食べるだけだった。


 付き合っている男女らしく部屋で「それなり」のことはしていたが、その頃は「入浴」が必要なことはまだしていない。

 

 真斗(まなと)獣撃隊(じゅうげきたい)機動祓除隊(きどうふつじょたい)に所属している。


 体力勝負の肉体労働をしている上に体も大きいので日頃から食べる量が一般男性よりも多い。


 この事を考慮しているのだろう。瞳子は毎回「三人前+α(アルファ)」くらいの量を作っている。


 そして彼女の想定通り全て真斗の腹の中に消える。


 料理の腕前はかなりのものだ。味が良いだけでなく、帰宅後、真斗が来るまでの僅かな時間で「一汁三菜(いちじゅうさんさい)」用意出来るのだから相当手慣れている。


 彼女はさらにデザートにケーキやプリンなども用意していた。


 スーパーで売っているものではなく洋菓子店のものだ。おそらく彼女の職場から近いデパートで購入したものだろう。


 帰りに立ち寄った時に、美味しそうだったのでつい買ってしまったと言っているが、明らかに「甘党」の真斗のために買って来たものだ。


 材料費も米代もデザート代も馬鹿にならないので自分が払うと告げると、瞳子はつっと(まなじり)を決してこう言った。


「真斗さん外で全然私に払わせてくれないんだから。ガソリン代も受け取ってくれないし。ここは全部こちらで持たせて頂きます」


 瞳子はお(しと)やかで穏やかな性格だが、なよなよとしたところはない。


 自分の意見をしっかり持っていて、それをちゃんと相手に伝える骨のある女だ。


「お米は実家から父が持ってきてくれるんです。置き場所に困るくらい。足りなかったら何合でも炊きますから」


 そう言うと瞳子は気張った表情を解き、暖かな笑みを浮かべた。

 

 食事を終え二人で皿洗いなどの後片付けを済ませてから、帰宅するまでソファでテレビを見ながらいつも通り「恋人」らしいスキンシップをしていた。


 肩を組み、キスをして、抱き合って体に触れ合う――今夜もその程度(とど)まろうとしていた。


 瞳子を抱くのが怖かった。


 真斗には「お姫様」しか愛することが出来ない「呪い」がかかっている。


 こんなに惚れているのに彼女まで何の感情も揺さぶられない、ただ「抱ける」だけの女になってしまうのか。


 そうなってしまったら瞳子を傷つける事になると真斗は思い悩んでいた。


 それでも心も体も彼女を求めてやまなかった。


 口づけは重ねるたびに深くなり、重ねる体を覆う衣服がもどかしいと身を激しく擦り合わせる。


 本命の相手を大切にしたいと思っているが、本命の相手だからこそ強い劣情を抱いている。


 大切に抱えながら()むような激しさでキスを繰り返しているうちに、瞳子をソファの上に押し倒していた。


 我に帰る間もなく彼女の体に溺れるようにそのまま首筋を吸い、掴んでも溢れそうな大きな胸に触れる。


 胸を掴んでいる真斗の手に自分の手を重ね、瞳子は熱くなった吐息に乗せて彼に囁いた。


「――お戻りになるの、明日の朝にしませんか?」


 そこで真斗はようやく我に帰り、目を見開いて息を飲んだ。


 真っ直ぐに彼を見つめる瞳子の目には覚悟が宿っていた。


 瞳子の面持ちは凛とした美しさを持ち、その微笑みは包み込むような優しさに溢れていた。


「私もいい大人なので、大丈夫です」


 全部見透かされていた。いや、余程の鈍感で無い限りここまでされたら気付くに決まっている。


 瞳子が言うように彼女は処女だが二十四歳の「大人」だ。


 恋人がただ自分をエスコートし夢を見させてくれるだけの「王子様」ではないということをわかっている。


 こんな下心を隠し切れず綻びだらけになってしまった「王子様」を、瞳子は軽蔑するでもなく、憐れむでもなく、覚悟を持って真摯に向き合い受け入れようとしている。


 一方、真斗は散々葛藤した挙句、性欲には勝てなかった愚かな男だ。


「ああ、そうする。ごめん……」


 腑抜けた返事しか出来なかった。情け無い表情を見られたくなかった真斗は覆い被さったまま、瞳子の首筋に顔を埋める。


 彼女は笑っているのか少し肩を震わせてから、何度も頷き彼の背中を摩った。


 こんな情け無い男を笑って受け入れてくれる瞳子が愛おしくてたまらなかった。


 明日は仕事が休みなので「朝帰り」をしても問題はない。瞳子は出かける用事があったが午後の約束だったので、昼までなら家にいても構わないと言う。


 下着の替えはないが、着替えになりそうなものはあった。


 職場でトレーニングのために着用していたジャージとTシャツを車内に置いたままにしていたので、駐車しているマンションの向かいにあるコインパークまで急いで取りに行った。


 避妊具(コンドーム)は付き合い始めてから「万が一」に備えて常に個装のものを鞄に忍ばせていた。


「……一応、持ってるから。心配しなくていい」


 (ざわ)つく胸を抑えながらそれを取り出すと、瞳子は顔を真っ赤にして彼に手を(かざ)した。


「ご、ごめんなさい、わ、私そこまで考えてなくて……その……お気遣いありがとうございます……」


 先程までの覚悟が決まった凛々しい表情とは打って変わり、目を白黒させ上擦った声でそう返すと瞳子は紅潮した顔を隠すように俯いた。


 これはこれで可愛い。可愛すぎる。真斗の気持ちは更に高まり、ギアが更に一段階上がった。


 瞳子が入浴している隙に、彗斗(けいと)に「今日は外泊する」とメッセージを送信しスマホをテーブルの上に伏せた。返信はもう翌朝に見ればいい。


 瞳子は覚悟を決めているが、真斗はまだ自分にかかっている「呪い」を恐れていた。


 過去に付き合った女と彼女は違う――深く息を吐きながら彼は何度も自分にそう言い聞かせる。


 真斗は真面目だが奥手ではない。どちらかと言うと女慣れしている方だ。


 幼い頃から両親に連れられ天津人(あまつびと)の有力者が集まる交流会に顔を出して来た。


 真斗は「天津五家(あまつごけ)」の一つ「高野原家」の子息。時代が時代なら「御曹司」で「王子様」だ。


 交流会は準フォーマルなパーティのようなもので、彼はこの「社交界デビュー」前から高野原家の「王子様」として相応しい振る舞いを父と母から叩き込まれていた。


 そんな背景もあり異性に対する振る舞いや距離の詰め方もスマートで、見た目も眉目秀麗(びもくしゅうれい)――昨今持て囃される所謂(いわゆる)「スパダリ」だった。


 付き合っていた女の前では常に「スパダリ」であり続けたが、瞳子に対しては違っていた。


 今まで一度もあんな「ナンパ」まがいの誘い方をしたことはないし、何かと彼女に対して「ダサい」くらい必死だった。ベッドインだって処女の瞳子の方から気遣われてと言った為体(ていたらく)だ。


 形振(なりふ)り構わなくなるほど、本気で瞳子に惚れていた。


 前に付き合った相手に対してすぐに冷めたのは、きっとそれほど本気ではなかったのだろう。自分が「カス」だったからだ。


 だから瞳子は大丈夫だ。彼女は初めて「本気で惚れた」相手だ。


 はじめから「呪い」などなかった――真斗は(ほぞ)を固め顔を上げた。


 寝室のベッドで互いに衣服を脱いだ後、瞳子は俯き小声で真斗に尋ねて来た。


「……どうすればいいですか?」

「えっ……?」


 思いがけない言葉を耳にした真斗は困惑し目を見張った。


「私、どうすればいいのかわからないんですけど……その、教えていただければ……そうします」

「そうするって……」

「真斗さんのことをちゃんと知りたいんです……どうすればいいのかちゃんと知っておいた方が良いかと……」


 灯りを落とした薄闇の中でも瞳子の肌が紅潮しているのがわかった。


 正直して欲しいことはいくらでもある。したいこともいくらでもある。

 

 まさか女の方からそんなことを提示されるとは――真斗は堪らず喉を鳴らした。


 どんな媚態よりもその誠実さが、どう言うわけか堪らなく(そそ)る。


 まるで「手合わせ」でもするかのような真剣な眼差しと、前で組まれた腕から溢れそうな乳房を持つ艶めかしく豊麗な体。


 そのアンバランスさに、真斗はかつてないほどの興奮を覚えていた。


「ごめんなさい……こんな時に私、余計なことを……」

「いや、何もしなくていい……」


 ここにいるのはスマートな「スパダリ」ではなく、スケベで情け無いただの「男」だ。気の利いた返しは出来ない。


「何もしなくていい。ただ瞳子さんのことを教えて欲しい……その……何処が嫌とか、痛いとか……」

「はい……」

「俺のことは、少しずつ知ってもらえればいい――」


 そう言うと真斗は瞳子の体を抱え、シーツの上に身を沈めた。


 唇で指で肌で真斗は瞳子を知り、瞳子も真斗の腕の中で彼を覚えて行った。


「――腕を背中に回して」


 真斗は「して欲しいこと」を瞳子に囁くと、彼女は甘い息を漏らしながら腕を彼の背中に滑らせた。


 慣れない体で懸命に自分を受け入れてくれる瞳子がいじらしくて、愛おしくてたまらなかった。


 抱いた後も、朝に目覚めた後もその気持ちは消えなかった。


 真斗に「呪い」は効かなかった。初めて「抱いた女」を心から大切な存在だと思えた。


 瞳子は自分を救ってくれる女だと抱くたびに確信した。抱くたびに瞳子がかけがえのない愛おしい女になる。


 ――彼女といれば俺は大丈夫だ。


 最後に瞳子と会ってからもうすぐひと月が経つ。


 思い出すと、その笑顔や肌が急に恋しくなった。


 進行先にある信号が赤に変わり、真斗はゆっくりとブレーキを踏む。


 停車後、ルームミラーに目を向けると、そこには後ろの座席でシートに踏ん反り返って寝ている咲也(さくや)が写っていた。どうりで静かだったわけだ。


 まさかこっちも寝てないだろうな――彼は助手席に座る茉莉花(まりか)に視線を向ける。


 そこに茉莉花はいなかった。


 彼の隣には「お姫様」が座っていた。


 顔立ちも髪型も着ている服も茉莉花と同じだが、その佇まいは儚げで、清楚でありながら()せ返るような色香を漂わせている少女。


 本に描かれた「花鞘姫(はなさやひめ)」がそのまま現れたような「お姫様」が彼の隣に座っている。


 ――またか……。


 また記憶と現実の境が溶け「お姫様」が現れた。


 渇いた心の隙間をこじ開け「お姫様」は彼の体に絡みつき、仕組まれた「物語」へと(いざな)う。


 夢の中でも目覚めている時でも、美しく忌々しい「呪いのお姫様」は「王子様」を逃すまいと彼を縛り続ける。


 恋人に対する気持ちが冷める「呪い」は効いていないが、自分を誘う「お姫様の呪い」は今尚続いている。


 瞳子の存在に対する牽制なのか、この「呪い」は日に日に強くなっている。


 羽のような長い睫毛を伏せたまま「お姫様」はゆっくりと真斗に顔を向ける。


 見開いた琥珀色の瞳が彼を捕らえ、薄っすら蜜を塗ったような艶やかな薄紅の唇がほころぶ。


 真斗は歯を食いしばり、眉を顰めた――また俺に(けしか)ける気か。

 

「このマグロ凄くない?」


 聞きなれた声を耳にし(まばた)きをすると、もうそこには「お姫様」はいなかった。


 助手席に座っているのは妹の茉莉花だった。


 彼女は興奮気味に真斗に向けスマホを(かざ)している。画面にはマグロの赤身が山盛りになっている海鮮丼が写っていた。


「……山まで来て海鮮はないだろ……しかも塩釜(しおがま)って……」

「だよねぇ……さすがに(ここ)から海まで行くとなるとお(なか)が持たないし」

「運転する俺の身にもなれ」

「はいはい」


 茉莉花は再びシートにもたれてスマホをタップしランチの店を検索する。


 信号が青に変わった。真斗はブレーキを離し、アクセルを踏む。


 彼にとって茉莉花は厄介な存在だった。


 疎ましく思っているわけでも憎んでいるわけでもない。


 十年一緒に暮らして来た半分血の繋がった妹だ。彼女に対する情は当然ある。


 大切な妹だが、一刻も早く自分の目の前から消えて欲しい。


 今すぐにでも「剣比古(つるぎひこ)」になる男と結ばれ、自分の手が届かないところで何も知らないまま幸せに生きて欲しい。


 彼女は「お姫様」の姿をした「(さや)処女(おとめ)」――ずっと会いたかった女の姿をした、流れる「血」が焦がれ続けた、妹として出会いたくなかった存在だ。

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