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8・「王子様」が迎えに来るまで(5)

 県道をしばらく道なりに進むと、広大な水田を貫く直進道路(ロングストレート)に入った。


 山から吹く風を受け細波(さざなみ)のように揺れる青田と色濃い夏空。絵に描いたような鮮やかな眺望(ちょうぼう)真斗(まなと)は目を細める。外は灼熱だが目には涼しい景色だ。


 茉莉花(まりか)が行きたいと言っていたカフェは五月に恋人の瞳子(とうこ)と行った店だった。


 野菜中心のヘルシーなランチは美味しかったが男にとっては少し物足りない。


 だが「甘党」の彼はパフェ以外に数種類あるケーキも食べてみたかったので今日の昼食もその店に行っても良かった。


 しかし茉莉花は乗り気だったのにも関わらず突然その提案を引き下げた。これはいつもの気まぐれ。相変わらず面倒な妹だ。


 瞳子とは七月下旬に彼女の自宅に行って以来、しばらく会っていない。


 メッセージのやり取りや長めの通話などをして連絡を取り合っているが互いに忙しく、次に会うのはおそらく九月に入ってからだ。


 真斗にとって瞳子は今まで付き合った女たちとは違う、特別な恋人だった。


 彼は高野原家の「呪われた王子様」だ。


 彼が被っている「呪い」は「お姫様」しか愛することが出来ない「呪い」だ。


 過去に二人の女と付き合ったが、一度抱くと恋人に対する気持ちが初めからなかったかのように冷めていった。


 体を重ねる気持ち良さだけは残ったが、それも数回で消え、愛した女は味もしない「つまらない女」になっていた。


 女を抱くたびに渇きや飢えを覚えた。まるで体が「その女は違う」と訴えているようだった。


 二人目の恋人が「味気ない女」になった時に、これは自分が被っていた「呪い」によるものだと確信した。


 おそらくこの虚しさは「お姫様」でしか消すことが出来ない。


 だが現在の恋人の瞳子は違っていた。


 瞳子はこの「呪い」から救ってくれる女かも知れない。


 彼女は県庁の近くにある公益社団法人こうえきしゃだんほうじんに勤めている。


 ヨモツ祓除などの特殊な能力を持つ天津人のサポートを担う法人で、在外邦人のためにある「日本人会」のようでもあり、青年会議所のようでもあり、ボーイスカウトの運営組織のようでもあった。


 天津人の子育て支援、天津の子供たちのためのサマーキャンプなどの運営、民間の天津人のための「祓除(ふつじょ)講習会」の開催など、その業務内容は多岐に渡る。


 強い能力を持つ血筋の人間は国の監視対象になっており、年に一、二回ほど国の担当官僚と面談をする。


 その面談もこの法人の自社ビルで行われていた。


 強い血筋を持つ家の中でも別格の「天津五家(あまつごけ)」の人間である真斗も面談のため幼い頃からこの自社ビルに足を運んでいる。


 妹の茉莉花が「(さや)処女(おとめ)」だと判明してからはその回数は最低でも月に一回のペースに増えた。


 去年の九月、面談室に入る前の受付で来客対応をしていたのが瞳子だった。


 一昨年に発生した新型肺炎のパンデミックの名残で、その頃はどの企業でも来客対応の社員は感染防止のマスクを着用していた。


 真斗はマスクを着けていいなかったが、窓口で記帳名簿に目を通す瞳子はマスクを着けていた。


 落ち着いた声と穏やかに微笑む優しい目元、そしてブラウスがはち切れそうなくらい大きな胸。


 この時点で真斗の瞳子に対する好感度は百点中八十点は行っていた。


 十月に窓口を訪れた時、瞳子はマスクを外していた。


 マスク無しの顔の方が何十倍も良い「逆マスク美人」だった。

 

 同じ月の下旬に再び面談に来た真斗は、帰りに廊下を一人で歩いている瞳子の姿を見かけた。


 完全に彼女に一目惚れをしていた真斗は今しかチャンスはないと意を決して声をかけた。


 互いに名前すら知らない挨拶程度の接点しかなかったので、それはほぼ「ナンパ」のようなものだった。


 その時の瞳子の引きつった顔を今でも覚えている。男慣れしてなさそうな女が、突然厳つい大男に誘われたらそうなるだろう。


 絶望的な反応だったがどういう訳か瞳子は真斗の誘いを受けてくれた。


 連絡先を交換した時には笑ってくれたので悪い手応えではなかったと彼は安堵した。


 その後に数回メッセージのやり取りをし、プライベートで会う約束をした。


 知り合って間もない男の車に乗せるのは不信感を抱かせると思い、午後に市の繁華街で待ち合わせをしカフェで話をすることにした。


 当日、待ち合わせ場所に現れた瞳子の出で立ちはグレーのタートルネックのセーターに緑のチェック柄の長めのスカート。


 二人は定禅寺(じょうぜんじ)通り沿いにある二階の大きな窓からケヤキ並木を望むカフェに入った。


 真斗がオーダーしたのはブレンドとバナナのケーキ。


 瞳子はハーブティーとレアチーズケーキ。


 同じ天津の有力者の家なので真斗は桂家のことは知っていた。和真の葬儀にも家長である瞳子の父親が訪れていた。

 

「敬一さんに娘さんがいると聞いていましたが、まさかあそこで働かれているとは知らなかったです」


 真面目そうな瞳子に合わせ真斗はずっと年下の彼女に対し敬語で話していた。


 瞳子は静かに頷いた後、視線を逸らし少し申し訳なさそうに自分から別の話を切り出す。


「……あの、実は」


 睫毛を伏せ息を吐いてから、瞳子はすっと姿勢を正し真斗の目を真っ直ぐに見つめこう言った。


「高野原さんは覚えていないと思いますが私、高校のころ祓除(ふつじょ)講習会で一度同じ班になったことがあるんです」


 彼女が言う通り真斗はその講習会のことを全く覚えていなかった。


 講習会には高校生の頃に何度も行っていたが「行った」という記憶だけで細かなことは覚えていない。


 その特に印象に残ることがなかった講習会に瞳子が参加していたと言う。


 真斗は肝を冷やし目をしばたたかせた――嘘だろ……何で覚えていないんだ。


「……いや、多分それは記憶違いかと」

「いいえ、今まで高野原さんより背が高い人とお会いしたことはないのでよく覚えています」

「いや……桂さんみたいな素敵な人がいたら、絶対に覚えているはずです」


 自覚なしで出た「キザな」真斗の言葉に瞳子は目を丸くし頬を赤らめた。


 大失態だ。何で覚えていないんだ。こんな綺麗で胸の大きい女子高生、ひと目見たら数年は忘れないだろ。


 真斗はその場で頭を抱えそうになった。


 瞳子は熱くなった頬を押さえながら落ち着いた声で話を続ける。


 彼女は咲也と九郎と同じ泉区にある県立高校の卒業生だった。


 どうしても仙台の高校に行きたかった彼女はバスで一時間かけて地元の町から通学していたと言う。


「泉中央でバスを待っている時にも、何度か改札から出て来る高野原さんをお見かけしたことがありました」


 これだけニアミスしていたのに何で今まで気付かなかったのか――高校生の瞳子を何度も取り逃していたことを知り真斗は痛恨の念に駆られていた。


 好みの女の前で精一杯カッコつけていたが、動揺して気の利いた返しが出来ない。


 真斗の口から出たのは歯切れが悪く「ダサい」返しだった。


「……かなり遠回りしたけど……その、こうしてお会い出来て嬉しいです」

「はい」

「思い切って声をかけて良かった……」

「声をかけて頂いて、嬉しいです。ごめんなさい、私あの時、凄い顔してて……その、嬉しすぎて驚いてしまったので……以前にお会いしていたことをお伝えできて良かったです……」


 張っていた糸が切れたかのように瞳子は俯き言葉を詰まらせる。


 彼女の頬が赤らんでいく様を見て、真斗の胸も熱くなり鼓動が早まって行った。


 これは好感触だと確信した彼は息を飲み、瞳子が懸命に発する言葉を一つ一つ大切に受け止める。


「私ずっと高野原さんのこと忘れられなかったんです……だから職場でお会いできた時、本当に嬉しかった……あの、もし……もし、よろしかったらまた――」

「――よかったらまた、お会い出来ますか?」


 真斗は瞳子が言い切る前に、次に会う約束を切り出した。


 誘うのは男からの方がいい。


 ある意味これも「男尊女卑」のようなものだが、女に恥をかかせたくないし、男だって決める時に決めて良いところを見せたい。


 真斗はテーブルの上で指を組み少し身を屈め、(うつむ)いた瞳子の顔を掬うように熱い視線を送り微笑んだ。


 ゆっくりと顔を上げた瞳子は、真っ直ぐ自分に向けられる彼の眼差しを大切に受け取るように顔をほころばせる。


「……はい」

「次は食事に行きましょう。桂さんは何がお好きですか?」


 真斗は目線を瞳子に合わせたまま少し首を傾げ、鮮やかな笑みを浮かべた。

 

 真斗が瞳子と本格的に「お付き合い」を始めたのは二回目のデートを終えてからだった。


 十一月の上旬、まだ冬物のコートが不用なくらい日差しが暖かい日だったことを覚えている。


 瞳子は淑やかで美しいが、そこに「儚さ」はない。

 

 しっかりと地に根を張り花を咲かせる桜のように静かで凛とした佇まいを持つ人だった。


 (やかま)しい妹が二人いることもあってか、真斗の好みの異性は「落ち着いたお姉さんタイプ」だった。


 彼女は二歳年下だが、しっかり者で相手を安心させる暖かな包容力も持っている。


 見た目も人間性も彼の「ストライクゾーン」を直撃するものだった。急所を射抜く「良い女」だ。

 

 さらに彼女は今まで男と交際をしたことがない――まだ誰のものにもなっていない。キスも知らない処女だった。


 ――それにしても、何でこんな良い女が今まで誰にも捕まらなかったのか……。


 瞳子は高校を卒業してから市内の女子大学に進学。奥手で友人たちも似たようなタイプだったので異性と縁がないまま卒業した。


 務め先も中年の既婚者が多く、年の近い独身の男と知り合う機会はほとんどないと言う。


 瞳子には悪いが、彼にとってはこの上ない幸運だった。


 全責任を取り一生大事にしなければと、すでに彼女との結婚まで考えていた。


 真斗と瞳子は順調に交際を重ね、心身共に距離を縮めて行った。


 そして一月の半ば――真斗は瞳子が一人暮らしをしている1DKのマンションを訪れ、初めて二人だけの一夜を過ごした。

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