4話 人間のいない街
“ようこそ!”と書かれた看板とともに、街の全貌があらわになる。石造りの家に、点在しているキャベツ畑。まるで絵本の中に出てくる田舎町のようだ。しかし、レオナは街に足を踏み入れると、奇妙な感覚を覚えた。街には誰一人いない。足音も、物音一つしない。まるでこの街から音が消えてしまったようだ。
「みんな、出てきてよ! 私よ! セルマよ!」
セルマは声を目一杯張って呼びかける。グリフは腑に落ちない顔で周囲を見回す。建物が荒らされた形跡が無いことから、廃墟になったわけではないようだ。しかし、商売道具であるはずの樽や、野菜の入った木箱が置きっぱなしになっている店を見ると、まるで人だけが姿を消してしまったようだ。異様な街の光景に、レオナは得体のしれない不気味さを覚える。
「誰かいないのか!?」
グリフは大声を出して返事を待つ。すると、建物の陰から一匹の魔物が現れた。オレンジ色の体からは蛸のような足が四本生えており、手には白いグローブをはめている。大きな水色の一つ目が、舐めるようにこちらを見ていた。丸い頭からは、毛が三本生えている。
「んあ? お前、セルマじゃねぇか」
一つ目の魔物は蛸足を動かし、こちらに向かってくる。声色からして、おそらく子供の魔物だろう。街にいないはずの魔物に、セルマはたじろぐ。だが、その大きな瞳にセルマはある人物を見出した。
「もしかして……アルマンド?」
「やっぱりセルマか! 一体何してたんだ? とんがり帽子と、変な格好の鳥のおっさんなんか連れてさ」
アルマンドはセルマを見るなり、無邪気に笑う。馴染みのある声に、セルマは安堵を覚えた。初めて見る奇妙な魔物に、レオナは眉を上げる。
「お……おっさんではない! 吾輩はグリフである!」
グリフは鼻息を荒くする。しかし、アルマンドは涼しい顔をしてあしらう。
「アルマンド君。この街には君しかいないの?」
「いや、他の奴らもいるぜ。みんな建物の中に隠れちまっているけどな」
そう言うと、アルマンドは建物の窓を指さす。そこには微かに人影が映っていた。何かを恐れるように、人影は震えている。出てくる気配はない。
「あんなに怯えて……一体何があったの?」
「それはな……アイツの仕業だよ」
「アイツ……?」
レオナは首を傾げる。街中に漂う張り詰めた空気に、グリフは身を屈めた。セルマも不思議そうに辺りを見回す。
すると、突然地面がうなりを上げて揺れ動いた。レオナは揺れに足を取られる。震える振動に揺さぶられ、レオナは地にへたり込む。グリフは地面に伏せ、前足で顔を覆った。建物の屋根の一角が揺さぶられ、崩れ落ちる。
「な……何だ!?」
「アイツの足音だよ! アイツが動いているんだ!」
アルマンドの顔に恐怖の色が浮かぶ。揺れが止まないまま、今度はけたたましい轟音が鳴り響く。オーボエを引き延ばしたような何かの鳴き声だ。レオナは支え代わりに筆を取る。しばらくすると、地震は収まり、鳴き声も消えていった。アルマンドは一息つく。レオナも立ち上がり、お尻に付いた土を払う。
「な……何なのだ……今のは……」
グリフはゆっくりと起き上がる。ただの地震ではない。何かが地面に叩き付けられた後の振動のようだった。
「ドラゴンだよ。あの山に住みついたドラゴンの仕業だ」
アルマンドはそう言い、街の奥を指さす。そこには巨大な岩山がそびえ立っていた。遠目から見ても、かなりの大きさだ。
「街の奴らは意気地無しだから、あのドラゴンに立ち向かえないんだ。だけど、俺は違うぞ。いつかあのドラゴンに思い知らせてやる」
アルマンドは腹立たしげに地面の石ころを蹴飛ばす。レオナも不安を浮かべ、山を見た。ドラゴン。火を吹く巨大なトカゲの怪物。レオナは昔、本でドラゴンを見たことがある。山に棲みつく凶暴なドラゴンの姿を想像し、レオナは身震いした。
「変だな……あのブラウ山にはドラゴンなぞいなかったはずだが……」
グリフは納得していない様子で頭を掻く。
「本当に、ドラゴンはいるの?」
レオナは恐る恐るグリフに尋ねる。グリフはムッとして鼻を鳴らした。
「なんだ、信じられないのか? 吾輩は本当のことを言っているだけだぞ」
「確かに、服装からして胡散臭いからなぁ」
アルマンドがグリフを茶化す。グリフは鼻息を荒くし、アルマンドに詰め寄った。
「何だと? 鼻垂れ坊主にはこの格好は分かるまい」
グリフは誇らしげに着ている白いタキシードをアルマンドに見せつける。グリフの格好は、一昔前の貴族のような装いだ。アルマンドは大口を開けて笑い、二本の出っ歯を見せつけた。
「ギャハハハハ!サーカスでシルクハットから鳩でも出しそうな格好だな」
「言ったな! このヒヨッコ!」
馬鹿にするアルマンドにグリフは腹を立て、追い掛け回す。しかし、小回りの利くアルマンドの方が上手だ。あっという間にグリフは疲れ切り、その場に伏せる。レオナは初めて見るグリフの一面を、笑いをこらえながら見ていた。
「ドラゴンが……怒ってる……」
セルマが何かを感じ取り、一転を見つめている。その様子を見て、アルマンドとグリフも追いかけっこを止めた。セルマの怯えた視線の先には、ブラウ山がある。
「どういう事だ?」
グリフは山を一瞥する。山からは、ただ凪いだ風が吹いてくるだけだ。
「ドラゴンが……こっちに向かってくる!」
セルマは全身を包む悪寒にたじろぐ。レオナも空気が重くなるのを感じた。何か大きなものに押しつぶされるような感覚だ。山から吹く風が強くなり、唸りをあげて吹き付けてくる。
「グワオオオオオオー!」
街全体に響く雄たけび。レオナは風に押されながらも上空を見上げる。大きな黒い影が、こちらに向かって滑空していた。影は次第にはっきりし、長い体をくねらせている。
「や……奴がドラゴンか!?」
グリフも目を見開いてドラゴンを見る。ドラゴンと思しき影は勢いよく旋回し、こちらに向かってきた。突風にレオナ達は晒される。両翼を広げた影は、レオナ達の上空を通過した。レオナは恐怖のあまり、目を瞑る。
「キャー!!」
突如聞こえた悲鳴に、レオナは目を開ける。セルマがいない。レオナは慌てて辺りを見回す。
「セルマ!?」
アルマンドが空を見上げている。街から少し離れた空に、ドラゴンがいた。その傍らには、見覚えのある小さな人影がいる。スライミーだ。ドラゴンは一吠えして、山の方へ羽ばたいていく。
「ま……待ちやがれ!」
アルマンドはドラゴンを追いかけようと走り出す。しかし、足がもつれて転んでしまった。レオナはアルマンドを支えて立たせる。
「娘一人さらわれても出て来ないとは。この街の奴らはつくづく薄情だな」
「いや、街の奴らが隠れるのもわかる気がする。俺……口ではああ言ってたけど、いざドラゴンを目の前で見たら、ビビって動けなかったんだ」
アルマンドはがっくりと肩を落とし、力なく呟く。アルマンドの体は未だにドラゴンと対峙した時の恐怖が残っていた。
「情けねぇよ……俺……女の子一人も守れないなんて」
アルマンドは悔し涙を浮かべる。歯をがちがちと震わせ、拳を握り締めた。レオナはそっとアルマンドの肩を撫でる。
「セルマはあの山にいるはずだよ。一緒に探しに行こう」
「……そうだよな。今ならまだ助けられるはずだ」
アルマンドの言葉に。レオナははっきりと頷く。セルマは大丈夫だ。きっと助かる。そう自分に言い聞かせるように、レオナは胸に手を押し当てた。
「しかし、相手はドラゴン。とてもお前が勝てる相手ではないぞ」
「でも、放っておけないよ。困っている人を助ける。それが師匠の願いだよ」
レオナは山の方へと走り出す。街を見下ろすように高く佇む岩山。あの山に挑むのだ。レオナの目頭が熱くなる。
グリフは呆れるようにため息をつき。アルマンドとレオナの後をついていく。針の筵のような岩山は、近づく者全てを拒んでいる。それでも、レオナは歩みを止めなかった。




