17話 霊園に咲く薔薇
地下室の一室に、レオナ達は倒れていた。レオナは頭を押さえながら立ち上がる。意識がぼんやりとしていて、自分がどこにいるのか分からない。
「魔法使いさん、魔法使いさん。しっかりしてよ」
ドロシーに頬を突かれ、レオナの意識は覚醒する。暗がりに微かにドロシーの姿が見えた。
「よかったぁ。急に階段から落ちてきたから、びっくりしちゃったよ~」
ドロシーは胸を撫で下ろす。レオナも恥ずかしげに顔を赤らめた。
「イテテテ。全く、ドジな奴だ」
グリフも頭をさすって立ち上がる。辺りは暗く、ひどく冷たい。レオナは筆箒に祈り、筆先に火を灯す。すると、辺りは霧が晴れるように明るくなった。
「何だ? ここは……」
グリフは周囲を見回して、腰を抜かしそうになる。そこにあったのは、無数に打ち捨てられた人形達だ。蔦に覆われ、それが人形と辛うじて分かるほどに朽ち果てている。ドロシーは震える手で、散らばる人形の欠片を拾った。
「ひどい……この子達もきっと壊されたくなかったのに」
ドロシーは人形に絡まる蔦を取り払う。人形の顔半分は何かに叩き割られたように欠けていた。瓦礫の山にも、かつて人形だった一部が混ざっている。
「奥に誰かいるな。行くぞ」
グリフが部屋のある扉を少し開く。そこからはかすかに緑色の光が漏れ出ていた。レオナは扉の隙間から覗き込む。そこには確かに人影がいる。レオナはゆっくり扉を開けた。青白い電灯の光に包まれ、白衣をまとった魔物が何やらぶつぶつと呟いていた。深緑色の樹皮のような体に、髪の代わりに生えた無数の葉。植物のような魔物は枝のような指を器用に動かしていた。周囲にはガラクタと化した人形達が散らばっている。どれも歪な形で破損していた。ドロシーはその姿を見て、顔をしかめる。
「なぜだ……なぜだ……? なぜ彼女は作れないんだ?」
白衣の魔物は頭を抱える。その傍らには顔を割られた人形が転がっていた。レオナは恐る恐る博士に歩み寄る。目元にかかる眼鏡だけが、以前の博士の面影を残していた。招かれざる客が来ても、植物の博士は見向きもしない。木の洞のような眼窩は、人形を映すだけだ。
「おい、お前が博士なのだろう?」
グリフは博士を呼び止めるが、博士は顔も上げず、せわしなく手を動かすだけだ。ドロシーはたまらず大声で博士を呼ぶ。
「パパ! ワタシよ、ドロシーよ!」
「ドロシー、待ってなさい。パパは今、お前のためにママを作っているんだ」
ドロシーの呼びかけに対して、博士は焦点の合わない目で応える。光のない緑色の瞳が、ぽっかり空いた眼窩から覗き込んでいた。ドロシーは、土塊を自分の母親という父親の姿に打ちひしがれる。
「ほら、やっぱりだめでしょ? パパはずっと、魔法で人形をママにしようとしてるんだ」
ドロシーの顔は曇る。かつて過ごした家族との幸せな思い出。その思い出がドロシーの土塊の体にも確かにあった。
「おい、そんな事をしても、この子を悲しませるだけだぞ」
「君に何が分かるって言うんだい? これは僕ら家族の問題だ。出て行ってくれ」
博士はまるで何かに取り憑かれたようであった。グリフの胸の内から怒りが込み上げ、踵を返す。
「馬鹿らしい。死者を蘇らせることなど不可能だ。時間の無駄であったな」
「あ、グリフさん!」
グリフは吐き捨て、博士に背を向ける。エレインは博士の後ろ姿を、悲しげな顔で見守っていた。
「……ねぇ、魔法使いさん。ちょっと頼みがあるの」
かしこまった口調のエレイン。レオナはグリフを気にしつつも、エレインに歩み寄る。
「あなたの体を少し貸してほしいの。霊体の私の声はあの人には届かない。でも、もしかしたらあなたの体を借りれば伝えられるかもしれないの」
「え……?」
強い目で訴えかけるエレイン。レオナに不安の色が浮かぶ。だが、エレインはレオナから視線を外そうとしない。
「お願い。信じて……」
「う……うん」
レオナは憂色を浮かべながらも、ゆっくり首を縦に振った。それを見るとエレインの瞳に光が差す。
「ありがとう。心配しないで、あの人に伝えたいことがあるだけだから」
エレインはそう言うと、レオナの体にそっと手をかける。すると、レオナの意識の中に、エレインの意識が伝わってきた。とても明るく温かいが、どこか悲しげな陰りを見せる波長が、レオナにもひしひしと伝わってくる。
「おい、何をしているんだ。もうこんなところに用はない。さっさと行くぞ」
グリフは苛立たし気にレオナに呼びかけるが、あなたは博士がいるほうへ向かう。正確に言うと、レオナの体を借りたエレインが、博士の方へと歩を進めていた。自分の体が勝手に動いているのを目の当たりにして、レオナは少し変な気分になる。
「ねぇ、ロイド」
レオナの体を借りたエレインが、明るい口調で博士に話しかける。しかし、博士は一瞬目元を上げるが、エレインを見ようとしない。
「ロディったら」
エレインは再び親しげにロイドに話しかける。その言葉の一つ一つはレオナの口から放たれたものであったが、まぎれもないエレインのものであった。博士は思わず顔を上げるが、レオナの顔を見るなりため息をつく。
「なんだ、君は。気安く僕を呼ばないでくれ」
「フフフ。相変わらず変わってないね。そのつれない態度」
明らかに雰囲気が変わったレオナを見て、グリフとドロシーは目を疑う。それもそのはず。今話しているのはレオナではなく、エレインであるからだ。博士は顔をしかめ、手を止める。
「いい加減にしてくれ。人の妻の真似をするなんて、一体どういう……」
「まだ引きずっているの? あの事故のこと……」
エレインに話を遮られ、ロイドは刺されたような衝撃を受ける。明るいエレインの口調とは裏腹に、レオナの意識には張り裂けるような思いが伝わってきた。
「あれは誰のせいでもないわ。ただの魔法の暴発よ」
レオナの脳裏には、エレインの痛ましい記憶が浮かびあがる。ロイドの放つ魔法が、強烈な閃光を放つ。閃光は雷と化し、洋館を貫いた。落下する屋根。その下敷きになり、血を流して横たわるエレインと、小さな子供。冷たくなった妻と娘の名前を何度も呼びかける男。胸が張り裂けるような悲しみに、レオナは目を覆いたくなった。
「き……君は……一体」
ロイドは顔を引きつらせる。エレインはかつて自分がそうしたように、夫に微笑みかけた。
「まだ気づかないの? 私はエレイン。あなたの妻よ」
エレインの言葉に、ドロシーとロイドは言葉を失う。それと同時に、レオナの前には幻のようにエレインの姿が現れた。ぼんやりとはしているが、電灯に照らされて青白く輝く。グリフは見間違いではないかと目をこする。
「……ママ……?」
ドロシーは恐る恐るエレインの幻影に近づく。
「ど……どうなっているんだ……?」
「この魔法使いさんの体を借りていたのよ」
エレインはレオナを見る。ロイドは呆然として、長い間失われた妻の姿を求めて手を伸ばした。
「どうして……君が。君はあの時……」
「私がここに来たのは、あなたに伝えたいことがあるからよ。ロディ」
エレインはそう言い、決心した様に大きく息を吸い込む。ドロシーも俯き、自らの手を見つめていた。
「確かに、自分が死んでしまったことは悲しいわ。でもね、ロディ。私が一番悲しい事は、あなたが過去に囚われ続けてしまっていることよ」
エレインは胸を押さえて話す。ロイドは自信なさげに俯く。
「だ、だけど、もう少しでまた家族一緒に暮らせるんだよ。もうすぐ魔法が成功すれば、君は生き返る事ができるんだ」
「そんなの間違ってるよ!」
ドロシーが拳を握り締めて叫ぶ。ロイドの瞳に、仮初の娘が映る。棒のようだが、しっかりとした足取りで、ドロシーは立っていた。
「ドロシー……」
「こんな作り物の身体も、人形のお友達も、ワタシは本当はいらないの。ワタシは……ただパパに笑っていてほしいの……」
ドロシーの眼窩から、失われたはずの涙が溢れた。温かい温もりをドロシーに残し、涙は乾いた床に溢れ落ちる。
「作り物だと? どういう事だ」
「……そうよ。ワタシももう死んでるの。崩れた屋根の下敷きになってね。だけどパパが魔法を使って、ワタシの魂を人形に入れたのよ」
ドロシーの胸が熱くなる。冷たい体に広がる熱に、ドロシーは震えた。ロイドの肩を、エレインは透き通る手で優しく叩いた。わずかな温もりが、ロイドに伝わる。
「お願い、もうこれ以上過去に囚われないで。あなたには前に進んでほしいの」
「…………」
ロイドの瞳に、わずかばかりの光が宿っていた。レオナとグリフは黙って、その様子を見ている。長い沈黙が続いた後、ロイドは微笑した。
「……いつだって君はそうだ。能天気で、軽はずみで、とてつもなく楽観的で……。そんな君に……僕は惹かれたんだよ……」
ロイドは涙を浮かべる。それを見るとエレインはにっこりと笑い、ロイドの涙を拭き取る真似をする。
「ありがとう。ドロシーはずっとパパを待っててくれてたんだよね」
「ママ……」
エレインは中腰になり、ドロシーの髪を撫でる。幼いころの記憶が蘇り、ドロシーの瞳が潤んできた。
「あんな頼りないパパだけど、ドロシーはパパが大好きだよね?」
「……うん!」
感極まり、ドロシーはエレインの懐に抱きつく。エレインも我が子を離すまいと、しっかり抱きしめる。実体はないけれど、離れることのない暖かな温もりが、ドロシーを包む。ロイドもやせ細った手で、二人を強く抱きしめる。
「ごめんよ、ドロシー。僕は過去のしがらみに囚われるあまり、お前のことをないがしろにしていたんだ。でも、分かってくれ。パパはずっと、ドロシーの事が大好きだよ」
三人の姿を、レオナとグリフは見守る。レオナの中からエレインの悲しみが消えていく。すると、どこからか不思議な光が舞い降りる。それは、地下であるはずのこの部屋をまばゆく照らす。光はエレインを包み、淡く輝く。それに気づくと、エレインは名残惜しげに二人からゆっくり手を放す。
「もうお迎えの時間のようね。寂しいけど、いつまでも未練たらたらじゃ駄目だからね」
エレインの体は空中に浮きあがっていく。その様子を見て、ドロシーはレオナの元に駆け出した。
「ねえ、魔法使いさん。ワタシを元に戻してほしいの。ワタシも帰らなきゃいけないの」
「え? でも、そんな事をしたら君は……」
レオナは躊躇うが、ドロシーはレオナの手を取り懇願した。目からはとめどなく涙が溢れている。ドロシーはレオナの筆箒を、そっと胸元に当てた。
「お願い……」
ドロシーの眼窩の奥に僅かに光が宿る。レオナは指先を震わせながら、目を閉じた。目頭が熱くなる。筆先から光が溢れ、部屋全体を照らした。
「こ……これは……」
ロイドは光に包まれていく二人を見る。エレインはドロシーに笑いかけ、手を握った。光はさらに輝き、二人の姿はより不鮮明になった。エレインはレオナとグリフを見る。ドロシーの人形の身体から、少女が浮かび上がる。
「さようなら。あなたたちに会えてよかったわ」
「魔法使いさん、ありがとう。最期にママとパパに引き合わせてくれて」
エレインは優しく手を振る。ドロシーも柔らかな手を目いっぱい振り続けた。レオナの目から涙が溢れ、筆箒を落としそうになる。ロイドは二人を抱きしめようと手を伸ばす。その手は人間のものに変わり、実体のない二人の手を握り締めた。在りし父親の姿に戻ったロイドは、二人の姿が消えるその時まで、二人を抱きしめ続けた。二人は安らかな顔を浮かべ、天に昇っていく。レオナは二人の姿が見えなくなるまで、手を振り続けた。
「子を思う親の気持ちが……。俺もあの時……」
グリフの瞳から一筋の涙が溢れる。レオナはそっと手袋で拭こうとする。それを見るなり、グリフは慌てて涙をぬぐった。
ロイドはしばらく魂が抜けたように一点を見つめていた。何もない空間を、ロイドは面影を求めるように抱きしめ続けた。人間に戻った瞳から涙がこぼれる。レオナは胸に手を当てた。自分の体から離れゆくエレインの意識。レオナから消える前に“ありがとう”と言ったような気がした。
屋敷を出ると、空を覆っていた黒雲が晴れ、青く澄み渡っていた。雨もやみ、草木に残ったわずかな露が煌めいている。ロイドは静かに雨露を手で掬う。
「奇妙だな……ここはずっと雨が降り続いているのに……」
ロイドの表情も晴れやかになり、空を見ていた。憑き物が落ちたような表情だ。
「ありがと。最後に二人と僕を引き合わせてくれて」
「礼ならこの子に言え。吾輩は何もしていない」
グリフはそっぽを向く。それでもなお、ロイドは頭を下げていた。
「じゃあ、ロイドさん。お元気で」
「待ってくれ。君達にお礼がしたい。どんな形でもいいんだ!」
ロイドは手を合わせて懇願する。レオナは大男にせがまれ、たじろいだ。
「僕達、魔王のいる場所に行きたいんだ。何か知ってるかな?」
「魔王? 魔王は知らないが、この大陸を越えた先には昔、王国があったな」
ロイドは顎に手を当てる。ロイドの言葉を聞いていたレオナだが、手がかりとなりそうな言葉を聞くなり食いついた。
「そこにはどうやって行けばいいの?」
「残念だが、嵐の海域に阻まれて、行くことはできない。空を飛べればいいんだが……」
レオナは肩を落とす。だが、ロイドは何かを思いついたかのように、レオナに詰め寄る。
「そうだ! 君、それを貸してくれ」
「えっ……?」
ロイドは突然、レオナの背中の筆箒を指さす。レオナは戸惑い、しばらく筆箒を渡せないでいた。両手で筆箒を握りしめる。
「君に可能性があれば、僕の魔法でなんとかできるはずなんだ。お願いだ、僕に賭けてくれ」
ロイドの言葉を聞き、レオナは筆箒を見つめる。どうなるか分からない。魔法が成功するとも限らないのだ。だが、賭けてみるしかない。レオナはゆっくり頷き、筆箒をロイドに手渡す。ロイドは筆箒を受け取ると、手から電気を放つ。緑色の閃光が、ロイドの手から迸った。すると、筆箒に電気がまとわりつき、激しく放電する。閃光がしばらく駆け巡っていたが、すぐに収まり、ロイドはレオナに筆箒を返す。筆箒を手に取ると、レオナはこれまでにないほどの強大な力を感じ取る。
「この筆箒に乗って君が行きたいと強く願えば、どんなところにも行けるはずなんだ。どうか、あの日成功しなかった魔法を、君が完成させてほしい」
「うん、やってみるよ」
ロイドは自信なさげだが、真剣な目つきだ。レオナは筆箒にまたがる。目を閉じ、筆箒に魔王の居場所を求めた。筆箒は先が緑色に染まり、激しく放電する。その様子を見て、グリフも慌てて筆箒に飛び乗った。筆箒は急上昇し、緑色の稲妻の線を引く。あまりの勢いで、風が巻き起こり、草花が舞い散る。それに混じって、青い花びらがレオナ達の方にそよぐ。まるで、旅の目的地への道しるべのように。
筆箒は電気を纏いながら上昇する。レオナ達はいつの間にか雲の中にいた。辺りには白い雲が漂っている。グリフは小さくなった大陸をのぞき込む。
「なんて魔法だ。もうあんなに大陸が離れているぞ」
グリフは額に浮かんだ汗をぬぐう。冷たい風に吹き付けられ、レオナは目を開ける。レオナは下を見るなり、筆箒にしがみついた。島や建物が豆粒のように見える。
「落ち着け。お前が怖がれば、魔法はお前の恐怖を感じ取るぞ」
グリフはレオナの肩をさする。レオナは頷き、恐る恐る正面を見た。きっと行けるはずだ。そう信じたい。穏やかな風が、レオナの髪を撫でる。と、突然その風は、レオナの背中を吹き付ける突風に変わった。視界が揺らぎ、レオナはバランスを崩す。
「うわわわっ!」
「な……何だぁ!?」
グリフは落下しそうになり、レオナのマントを咥える。筆箒から放たれる電気が次第に弱くなり、速度が落ちていく。それと同時に、レオナ達も落下しているのだ。すさまじい向かい風が、レオナの顔をかすめる。レオナは筆箒を離すまいと、強く握りしめた。大陸が次第に迫ってくる。レオナ達は固く目を閉じた。落下する速度はどんどん速くなる。その中、レオナの意識は、暗闇の中に投げ出された。
「おいおい、大丈夫か? デイビー」
とある浜辺で、ダミアンはデイビーの口に入った水を手で押し出していた。デイビーはしばらく伸びていたが、やがて勢いよく口から水を吐き出す。
「ペッ、ペッ、プハッ! ハッ……兄ちゃん、アイツらは!?」
デイビーは飛び起き、血相を変えて辺りを見回す。その様子がおかしく、ダミアンは笑う。
「ヘッ、アイツらならもう行っちまったぜ」
「なんだって!? このままじゃ大変だ!! ああ……どうしよう……」
デイビーは慌てふためき、濡れた頭を抱える。しかし、ダミアンは顔色一つ変えない。
「まあそう慌てるな。奴らは必ずここに来る」
「本当!?」
ダミアンの言葉に、デイビーは顔を上げる。ダミアンは空のある一点を指差す。そこには、不規則に動く緑色の光があった。
「よーし! 今度こそアイツらをギッタンギタンにしてやる!」
濡れた髪を振り乱し、デイビーは拳を握る。ダミアンも、不敵な笑みを浮かべていた。
「今度の俺達は、一筋縄じゃ行かないぜ。魔法使い」




