第11話 遠景
板張りの白い外壁に浅葱色の屋根。
太陽の下で見る柿石駅は、どことなくノスタルジックで可愛らしい。
駅舎から表通りを眺める。
道の奥に広がる海は、強い日差しを浴びて光っている。
昨夜見た、もの悲しい漁火の浮かぶ暗い海と本当に同じ海だろうか。
エンジン音が近づいて、意識が太陽の下に戻される。
いつの間にか黒いミニバンがロータリーの隅に停まっていた。
スライドドアが開く。
最初に、スニーカーのネイビーが見えた。
グレーのカーゴパンツにだぼっとしたTシャツ、無造作に下ろした黒髪は肩のところで少し跳ねている。
顔を見たら美羽だった。
軽く片手を上げて車を見送ると、美羽はこちらを向いた。
「おはよう」
強い日差しと潮風の町にいても、美羽は変わらない。
美羽は通りの先に目をやると、静かな声で言った。
「とりあえず……ひまわり、見る?」
◇
頭の中で思い浮かべるひまわりはいつも黄色だった。
でも、こうやって間近で見るとむしろ主役は緑なのだと思う。
豊かに広がる葉のさらに上、天を仰ぐ花の先にはくっきりと青い空が見える。
「インスタントさんの新作見た?」
半歩先を歩いていた美羽が振り返って言った。
「ジャグ浪4? 見たよ、面白かった」
身長よりもはるかに高いひまわりに囲まれて、美羽はニッと笑った。
「面白かったよね、デスゲーム仕立てでさ」
つられて、こちらも頬がゆるむ。
「チェリー爆弾はずるい。電車の中なのに吹き出した」
「あれは電車で見ちゃダメだよ」
美羽は楽しそうに目を細めた。
「チェリー擦りすぎだったね。あと、最後のピエロと共闘する展開は熱かった」
「あれよかったね。主催者側のイヌと見せかけて、必死に全員が生き残る道を探ってたのが明かされたところは不覚にもうるっときた」
「イケメンピエロいいよね……見返すとかなり序盤から伏線仕込まれてるんだよ」
「そうなの? あとでもう一回見よう」
「うん、一緒に見よう」
あまり広くはないひまわり畑はすぐに端について、太陽のもと、ゆるやかになびく海が見えた。
「会いたかった」
自分でも驚くほどなめらかに、思いは言葉になった。
「すごく会いたかった」
美羽はしばらく海を見ていたが、噛みしめるように言った。
「私も」
少し、声が震えていた。
湿気と塩気を多分に含んだ風が、2人の間を吹き抜けていった。
すっかり太陽は高くなり、アスファルトがじりじりと温度を上げていく。
「もう会えないのかと思った」
海を背に、駅へと続く通りを歩きながら私は言った。
波音もかき消しそうなほど、辺りでは活発にセミが鳴いている。
「ずっと、メッセージが来なかったから」
美羽は私の顔をちらりと見て、わざとらしくため息をついた。
「あのねえショコラ、学生には試験というものがありましてね」
ライブ配信の日の出来事は確かにショックだったけど、それ以上に期末試験の勉強で余裕がなかった。
今は夏休み、柿石は地元、駅まで送ってもらったのは親の車、といった感じのことを美羽は言った。
「だいたいさ、そんなに気にしてたなら、ショコラから送ってくれてもよかったんじゃない?」
不満げな美羽の視線を受け流して私は通りの先を見る。
木造の小さな駅舎の上、無限に広がる青い空に、真っ白な入道雲が浮かんでいた。
線路脇の草木が揺れる。
「ウヒャヒャヒャヒャ」
勢いに任せてベンチの端を叩いたら、右手首にグキッといやな痛みが走った。
「ちょっとショコラ、公共の場では静かに……ブフッ」
美羽が吹き出したのが面白くて、さらに笑いは深くなる。
列車を待つ間、私たちはホームのベンチで片耳ずつイヤホンをして動画を見ていた。
「待って待って、今のところもっかい見よう」
画面に触れようとする私を片手で制して、美羽は動画を止めた。
「もう電車くるから、おしまい」
イヤホンを外して顔を上げると、確かに時間になっていた。
ちらほら人の姿もある。
やがて単調な和音が鳴って、列車がホームに入ってきた。
「ショコラ、お腹すいてる?」
ボックス席の向かいで美羽が言った。
今朝の食事はホテルでとった。
典型的なビジネスホテルの朝食バイキングといった感じで特に珍しいものもなかったけど、デニッシュと冷奴が美味しくておかわりをしたので正直そこまで空腹なわけでもない。
「うん、お腹すいた」
私が答えると、美羽は視線を窓の外に向けた。
「この先の駅にさ、フレンチレストランがあるんだけど、そこでランチしない?」
視線の先を追うように窓を見る。
青い空の下、流れていくのは田畑ばかりだ。
「最近できたの。なんか三つ星ホテルでシェフだった人がやってて、地元で採れた野菜とか魚とか使ってて、美味しいんだって」
話すうち、美羽の声が弾んでくる。
「あの、少し歩くけど」
「いいね、行こう」
笑って言うと、美羽は嬉しそうに頷いた。
◇
『さあ、9回表ワンナウト1、3塁。この1点を守りきれるのか』
テレビ画面では、真っ黒に日焼けした少年が鋭い表情で汗を拭っている。
彼らは今、青春の看板を大々的に掲げた野球大会の真っ最中だ。
両方縁もゆかりもない学校だけど、どちらかといえば負けてるほうが地元に近い。
だからといって応援するわけでもないが。
店の中は濃い出汁の匂いが漂っている。
「お待たせしました」
元気な声と共に料理が運ばれてきた。
「えっと、カツ丼の方」
美羽が軽く手をあげると、机の上に丼と味噌汁、漬物の乗った盆が置かれた。
「こちらカレーライスです」
私の前に置かれたのはやたら渋い陶器の皿に入ったカレーライスだ。
「いただきます」
手を合わせながら美羽のカツ丼をちらりと見る。
揚げたてなのだろう、厚みのあるカツからは湯気が上がっている。
カツカレーにすればよかった。
かすかな後悔が砂のように胸に落ちる。
『タッチアップには十分……同点! この土壇場でついに追いつきました!』
テレビからはファンファーレが聞こえていた。
◇
フレンチレストランに行かなかったわけではない。
容赦なく太陽が照りつける日陰のない畑の横の道を、私たちは汗まみれになりながらひたすら歩いた。
目的地にたどり着いたとき、なんで美羽がここに来たがったのかをすぐ理解した。
ブラウン調の自然石を貼った壁に、オレンジ色の瓦屋根。
ところどころに置かれた鉢から溢れる花が建物を瑞々しく飾っている。
もっと素朴なものを想像していたが……昨日から田舎道を歩き通しの装備が少し気になった。
「写真撮る?」
声をかけると、美羽は宝でも見つけたかような、キラキラした目でこちらを見た。
「撮りたい……けど、お腹すいたから、食べてからにしよ」
建物の正面にまわって、鉄製の門の前で私たちは動きを止めた。
『本日ウェディングパーティーのため貸切とさせていただきます』
華やかな建物に似合わない、ゴシック体の素っ気ないプレートが下がっていた。
周りの温度が急に上がった気がした。
さすがに美羽も他人の披露宴を撮影するのは気が引けたのか、遠まきに外観を撮るだけにとどめた。
幹の細い広葉樹が強い日差しを受けて光っている。
涼しげなガーデンの奥、ガラス戸の向こうは薄手のバルーンシェードに隔てられてここからは見えない。
「ガラスの向こう側は別世界みたいに涼しくて、飲み物もご馳走もいっぱいあるんでしょうね」
ため息に乗せるようにつぶやくと隣でいじけた声がした。
「ああもう、ごめんって、悪かったって」
半ばやけになった言い方が面白くて笑ってしまった。
自販機で買ったコーラを分け合いながら私たちは再び田舎道を歩いた。
道中、小さな神社があったので鎮守の森で涼ませてもらった。
蝉がさざめく中、深い木立に隠れて私たちはキスをした。
ほんの戯れのつもりだったのに、唇が触れたらたまらなくなって、吸い寄せられるように私はキスを繰り返していた。
「ショコラ……もう、や……」
何度目かのキスのあと、美羽に手で押しもどされた。
「いや?」
まばたきをして、美羽の顔を見る。
表情は切なげに歪み、開いたままの唇から切れ切れに漏れる息は熱い。
日陰にあっても隠しようがないほど頬は真っ赤になっている。
こんなあからさまな顔をしておいて、いまさらなにを言うのか。
「いや……だよ」
片手は私に突きつけたまま、もう片方の手で美羽は口元を覆った。
「ショコラさ、結構平気だよね、その……階段とか、外で……とか」
美羽はうつむきがちに言った。
「結構、見られてるから……こういうとこって」
胸元にあった手がすうっと下って、私の指先を軽く握る。
「だけん……続きは、ふたりになれるとこで、ね?」
◇
駅前まで戻ってきて私たちは蕎麦屋に入った。
蕎麦の看板を出してはいたが、メニューは多彩で、地元の人向けの食堂という風情だった。
美羽はカツ丼、私はカレーを注文した。
蕎麦屋のカレーは美味しいという俗説を検証してみたくなったのだ。
スプーンで口に運ぶと濃いスパイスの香りと深い旨みが広がって、はじめて食べるはずなのにどこか懐かしいような……わかりやすく言うと業務用レトルトカレーの味がした。
「おいしい」
勢いよくカツ丼をかき込んで美羽が笑った。
「お腹すいてたから……やっぱりこういうやつがいいね」
なんとも無邪気な発言に口もとがゆるむ。
確かに、空腹時の白米に勝るものはないだろう。
それから、私たちは列車に乗った。
しばらく田園を走ったあと、線路はまた海岸線に出た。
傾きはじめた午後の陽を受けて、水面には光の帯がたなびいている。
海は、朝とはまた違う姿を見せる。
いつまでも見飽きることがない。
降り注ぐ光の中、波打ち際で戯れる親子を見た。
ああ、幸せそうだ。
たとえ心の内に何を抱えていたとしても、遠ざかるほどに表情はぼやけて、やがて風景になる。
太陽の下、穏やかに水面は揺れる。
美羽にとっては珍しい眺めでもないのだろう。
時おり外を見ながら、少し退屈そうにスマホを触っている。
海岸線から離れて住宅街を抜け、大きい川を渡ったあと、列車はビルの立ち並ぶ市街地についた。




