【5】涙を乗り越えて
――――肌のかじかむ感覚さえ凍り付く。
しかし絶望の凍土に囚われそうになった世界は多くの温かい心に溶かされるように2本脚で立ち上がることが出きる。
「ま、そんなわけでそれゆえに聖女の名は伏せましたが、聖女はハトゥナ・ソーレただひとり。それは神子である私が証明いたしましょう」
神官長さまがにこりと微笑む。
「か、神子が何よ!聖女の方が偉いのよ!」
え……?アナスタシアは何を言っているの?
「何を仰っているのやら。神子は神に選ばれた男、聖女は娘。ただ性別が違うだけですよ」
「はぁ?聖女の方が特別なんじゃ……光魔法も使えるじゃない!」
「神子も使えますし修行して身に付けた神官もおります。大切なのは神に選ばれるべき素質があるか。あなたには……なかったのでしょうね」
「何ですって!?王女であり、美しい!私こそ聖女に相応しいわ!」
「では自身を聖女と主張すると?」
「当たり前じゃない!」
「ならば私は神子として偽者の処断をしないとなりません」
「は?処断って……」
「首を落とすと言う意味ですよ」
にこりと笑みを絶やさずに告げる神官長さまにゾクリとする。
「私は王女よ!それなのに……そんな恐ろしいことを!首を落とされるのはあなたの方よ!」
「そうなのですか?ならば王族の方に聞いてみましょうか」
神官長がそう言えばこちらに歩いてきた銀髪にロイヤルブルーの瞳の青年に驚く。
「神の選んだ聖女を騙り、神子に首を落とすだなどと告げるとは。それはもう父上でもお前の処刑を命じなければならなくなる」
「お兄さま!?何を恐ろしいことを。私はお兄さまの妹ですよ!?」
アナスタシアが青年……王太子殿下にすがり付く。
「たとえ妹であっても神の怒りは恐ろしい。私は王太子として国を守らねばならない」
先の天災の真実を王太子が知らぬはずがない。
「にもかかわらず神子に手を出そうとするとは。お前の母親がどうして塔送りにされたのか理解していないのか」
アデン殿下をバカにした王妃により起きた天災は元凶を明らかにはしなかった。
国民の反感を抑えるため、そして多分優しいアデン殿下がそれを望まなかったから。
「お前が聖女を騙る限り、お前はその罪を問われる」
「けれどそれでは聖女がいなくなりますわ、お兄さま!ハトゥナなんて娘は存在しないはず!私の影武者なのだから私が聖女でしかるべきだわ!」
「ハトゥナは存在する。建前上は安全のため市井でかくして育てられた王の庶子。聖女として目覚めたのを機に王女として発表される」
私が王女として発表される!?
「あ、安全のためって何よ!」
「お前たち母娘の脅威があったからな」
だからこそ王妃とアナスタシアに狙われない立場……存在しない娘として影武者にされたのだ。
「さて、お前はそれでも聖女を騙るのか」
王太子が静かに問う。
「……もういいわよ!聖女なんてこりごり!貢ぎ物はないしショッピングもできないし外にも出られない!聖女なんてもういらないわ!」
「ならばお前の外出規制を解こう」
「じゃあ私はもう自由なのね!」
ひとを縛り付けて、自業自得で外出も規制されたと言うのに。何て自分勝手なのだろう。
「早速商人を呼んでショッピングをしなきゃ!」
アナスタシアは大急ぎで去っていく。
「そのような予算はないのだがな」
王太子が吐き捨てる。つまり王宮に戻ってもショッピングはできないのだ。私の知ったことではないが。ふと、手元を見れば破れて無惨な状態になったストールがある。
これではもう、贈ることはできない。
「失敗した時やダメになった時は次はもっと良い結果がやって来る吉兆なのですよ」
「神官長さま……」
「アデン殿下を意識した蛇行紋ですね」
神官長さまが残った刺繍の痕を手でなぞる。
「はい。獣人の国では獣系の象徴は好まれるそうです」
恋人や伴侶に贈るものにもなる。かつてアデン殿下が教えてくださった。
「私はとても素晴らしいものだと思います。諦めなければ、次はもっと素晴らしいものになりますよ」
「はい……ありがとうございます」
緊張の糸がほどけたように涙が流れ出る。
それに……そうだ。
「王太子殿下」
助けて……くださったのか。それとも王太子としての責務ゆえだろうか。
「王女として発表はする。しかし聖女である以上、成人の16まではしっかりと聖女の責務を果たすように」
つまり公務はないと言うことか。影武者としての公務もなくなる。成人した後は……どうなるのだろうか。分からない。ここで問うていいのか分からない。
「分かりました、王太子殿下」
そう返すことしか出来なかった。
「……兄と、呼んでもいいのに」
「え……?」
「いや、いい。聞き流せ」
王太子殿下はお付きの騎士たちとともに去っていく。
初めてまともに言葉を交わしただろうか。金平糖や裁縫道具のお礼も未だ伝えることが出来ない。アデン殿下にも……。けど。
「次はもっと素晴らしいものができるはず」
「ええ。その意気ですよ」
神官長さまがそう告げれば聖騎士たちからも拍手が溢れる。
決意を新たに神殿内へ戻ればお針子仲間や神官たち……アリーチェも待っていた。
この騒ぎを聞き付けて駆け付けてくれたのだろう。
「ハトゥ」
アリーチェが優しく抱き締めてくる。
「アリーチェ」
「いつでも私がついているわ」
「うん」
そう言ってくれる親友の存在がとても大きなものだ。
「王女として発表されるのね」
「そう……みたい。それでも私は聖女としてここで修行を積むのだけど」
今までずっと国王陛下の存在しない庶子だったのが存在するのだけど。
「そんな顔をしないで」
「アリーチェ?」
「王女でも何でもハトゥは私たちの大切なハトゥよ。ハトゥさえ良ければ……だけどね」
「もちろん!その……私はみんなにいつも通りに接して欲しい!」
「うん。あなたがそう言う子だって知ってるわ」
アリーチェの言葉に周囲からも温かな笑みが溢れる。
「しかし……その、それならますます直してもらったところ、またほつれさせられないな」
そう漏らす聖騎士にふっと吹き出してしまう。
「あなたにはその方が似合ってますよ」
「神官長さま……っ!」
今まで意識したことはなかったけど……みんなで笑い合えるってこんなにも幸せなことだったんだ。
私は再びストールを用意し刺繍を始めた。
一針一針。今の私の思いを込めて。たくさんの優しさと笑顔に包まれる場所で幸せに暮らしているから。
だからアデン殿下が悲しまないように。元気を出してもらえるように。
「……できた」
それは年を越えた頃。冬がすっかり深まった季節。だいぶ遅れてしまったが、これでやっとアデン殿下に贈ることが出きる。
「そうだ……!」
パタパタと駆けていった先には神官長さまとアリーチェがいる。
「どうしました?ハトゥ」
「そのっ、ストールが完成したので……恩師に見てもらいたくて。王宮のお針子の作業場に行けないかと相談したかったんです」
そう言うと2人が怪訝そうな表情を浮かべる。やはり聖女として外出は難しいのだろうか。
「その恩師の名前は?」
「リーシャ……リーシャ・フィルです!」
「……っ」
アリーチェが顔を青くして俯く。一体何が……?
「リーシャ・フィル嬢は追放されたのですよ」
「追放って……どうして!?」
リーシャは問題を起こすような女性ではないはずだ。
「アナスタシア王女の仕立てさせたドレスにまち針が紛れていたそうです」
「そんなはずは……仕立てた後や作業場に鍵をかける時、必ず全ての針を確認しているはず。だからまち針をつけたままにするなんて……リーシャがそんなミスをするだなんて思えません!」
「でしょうね……」
「どう言うことです?」
「ハメられたのでしょう。アナスタシア王女は予算を大幅に縮小され新しいドレスすら買ってもらえなかったそうです」
「なのでパーティーにも繰り出せず鬱憤が貯まっていたのでしょう。しかし年始の公務ではさすがに仕立てないわけには行かず新しいドレスを仕立てたようよ」
「それで……今までの鬱憤でリーシャを!?王太子殿下はそれを認めたの!?」
「お針子のまち針が確かに1本なかったそうです。これてはさすがに王太子殿下でも庇えないわ」
誰かがリーシャをハメるために仕組んでたってこと!?そんな……みんなそんなことをするひとじゃない。いや新しいお針子が入っていたら知らないけど。
「その後リーシャは……」
「王都は確実に出たかと。しかし私の実家は東部……故郷に戻ったのなら私の情報網では掴みにくいのです」
それでもアリーチェは捜そうとしてくれたんだ。
「ありがとう。アリーチェ」
「ハトゥ……」
「私、本当はすぐにリーシャを捜しに行きたい。でも……聖女の役目もある」
どちらも放り出すことなんて。
「それなら西部を通って捜しに行っては?」
「通って……?」
「近々神官の会合があるんですよ。各国で持ち回りで開かれるのですが、次の開催地はルア王国です」
「……っ!」
「少し早めに出発すれば情報を集められるのでは?もちろん西部を通る主な目的は聖女としての【慰問】です」
「私に行かせてくださるんですね」
「ええ。私はここの神官長。滅多にここを離れられませんし、名代として聖女なら適任です。さらには……そう言う催しでは神子や聖女が参加者をもてなしますから」
「アデン殿下ともお会いできるってことですか?」
「ええ。時間はどのくらい取ってもらえるかは分かりませんが贈り物を渡すくらいなら」
このストールを渡せる。
もしかしたらリーシャの情報が得られるかもしれない。もちろん慰問も大事ではあるが。
「ですので私の名代として会合に参加してくださいますか?」
「もちろんです!」
もう泣きはしない。だって私にはまだできることがあるから……!




