また授業に遅れた
「はあああ~」
大きな溜め息をついてあたしは交換ノートを閉じた。机に突っ伏してカレンダーの日付を横目で確認する。
西園寺が「里親を探す」と宣言してから既に1週間が経過しようとしていた。
その間かろうじて交換ノートは続いていたものの、昼休みの密会はなくて豪快にほっとかれたあたしは、正直いって不満がたまりまくりだった。
(いつも必要以上にベタベタしてくるくせに、急につれなくしやがって何だよあいつ。腹立つ!)
とはいえ表だってあれこれ言うのも気が引けるので、夏休みに入る前までが勝負だと里親探しに奔走している西園寺を冷めた目で見守りつつ、胸の内でモヤモヤとした感情をくすぶらせている毎日だった。この時までは。
だけど次の日の昼休みに事態は一変した。
あたしがだらだらと掃除を終えてこれからどうしようかな、と掃除用具を片付けながら孤独を募らせてると、奥野さんが慌てて教室に入って来て親指でクイッと後方を指差したのだ。
「鈴木さん、なんかヤバそうな子が鈴木さんに会いに来てるよ」
「え、あたし!?」
言われて戸口のほうを確認すると、出入り口の前にはなんとなっちゃんが憮然と待ちかまえていた。
まずその装いに驚いた。
制服姿なのに、頭には野球のヘルメットを被って木製バットを杖のように握りしめている。
なんだこいつ。部の勧誘……ではなさそうだし、もしかしてクスリでもキメてる!?
ごくりと喉を鳴らしたところで、なっちゃんがちょいちょいと手招きしてきた。
「べつにとって食おうとしている訳ではないので安心して下さい。ちょっと話があるんですけど今いいですか?」
「う、うん」
あたしは頷いた。
なんの話か心当たりはなかったけれど、興味はあったから頷かずにはいられなかった。お金のことだろうか。
それにしても周囲の視線がキツイ。昼休みといえど教室内にはまだ数人が残っていて、「ヤキ入れ……」「修羅場……」なんて囁き声が聞こえてくる。
奥野さんがあたしの肩をぽんぽんと叩いて、親切に、でも好奇心を隠しきれずに「付き添ってあげようか?」と申し出てくれたけど、やんわりと断ってあたしはなっちゃんの後を追った。
「何しに来たの!? お金の無心なら無理だかんね!」
廊下に出てなっちゃんに尋ねると、そのまま早足で歩きだしたなっちゃんは振り向きもせずに言葉を返してきた。
「そんなんじゃありませんよ。詳しい事はもう少し人目のつかない場所に着いてからお話します。急ぎましょう、わたしは今狙われているんです」
「はぁ!? なっちゃんてばまた変なことに足を突っ込んでるの!?」
「“また”ってなんですか人聞きの悪い。ああもう、西園寺センパイのことで言っておきたいことがあるんですよ」
「え、西園寺がどうかしたの!?」
その時であった。どこからか甲高い叫び声が聞こえてきたのは。
「「「アンドゥ覚悟おおおおおお!!!」」」
辺りを見回せば、廊下の向こう側から剣道着姿のちまっこい3人衆がドタドタとこちらに突進して来るところだった。
面をしてて顔は確認できないが、たぶん全員女。
おいおい、なんなんだこいつらは。竹刀を構えて明らかにヤル気満々オーラ全開だぞ。
あたしはいつでも攻撃をかわせるようにサッと身構えた。
しかしなっちゃんはまったく動じておらず、最初に踏みこんできた相手にフルスイングをかましてダウンさせた。
「痛ったぁーい!!!」
実に容赦ない一撃であった。
残りの2人は明らかに動揺してまごついた後、敵わないと悟ったのか仲間を見捨てて逃げて行く。
その一部始終を目撃したあたしはポカンと呆気にとられていたんだけど、ややあって我に返りなっちゃんを止めに入った。床にダイブした子を追い打ちとばかりに足で転がしたからだ。
「暴力は駄目だよ! ケガしちゃう!」
「ふん、これは正当防衛ですよ。3対1ですものわたしは悪くないです。さあ行きましょ」
「う、うん……」
呻いてる剣道女を倒れたままにしておいていいものか迷ったが、なっちゃんが再び歩き出したので、あたしは後をついていくことを選んだ。まあ急所は防具でちゃんとカバーされてるから大事には至ってないだろう。
(というかあの鼻につくような甲高い声、どこかで聞いたことある気がする……)
なんて考えている間に昇降口を通り抜け、喧噪から外れた学校裏まで辿り着いた。ここはバドミントン部と対決した忌わしい記憶が残る場所だった。思い返すだけでも嫌な気分になるので、もっと違う場所にしてほしかった。
いい加減ムカついてきたので、あたしはなっちゃんの腕を強引に掴んで制止をかけた。
「もういいでしょ。まず今のは何だったのか教えて!」
「……あれは西園寺センパイの追っかけファンですよ。あろうことか西園寺センパイに危害を加えようとしていたので返り打ちにしてやったら、こちらに仕掛けて来るようになったんです」
「……あ!」
あたしはポンと手を打った。
思いだしたぞ。なんか既視感バリバリだと思ってたら、西園寺の病室にまで押しかけてきたあのウザい3人娘じゃねーか。
次は武装するとかなんとか言ってたけど、あれ本当に実行したのか。方向性は間違ってるけどたいしたもんである。
そこであたしはハッとなった。
そう言えばなっちゃんは西園寺と親密だと噂されてたんだっけ。なら本来あたしに向くはずだった嫉妬の矛先が、全部なっちゃんに向かってることになる。
あたしは急に申し訳ない気持ちになった。
「なっちゃんごめん。本来ならあたしが矢面に立つべきなのに身代わりにさせちゃってるね」
「ああ、いいですよ。これも既成事実をつくる一環として受け入れますから」
「はい?」
「わたし、やっぱり西園寺センパイのことを諦めきれません。今日呼び出したのはケジメとしてそれを伝えておこうと思ったからなんです」
「えええーっ!?」
あたしは目を白黒させて驚いた。
おいおい、野球部主将とつき合う件はどうなったんだよ。かなわぬ恋よりも近くのイクラをとるって宣言してたじゃん。
あたしがそのことを指摘すると、なっちゃんは途端に顔を醜く歪めて言った。
「知りませんよあんな男。カニをごちそうしてくれるという約束だったのに、出てきたのはカニカマだったんですよ。信じられますか!? 絶対に許せません!!」
なっちゃんが憎々しげに語ったところによると、どうやら寿司屋の息子といえど寿司ネタを自由に持ち出せる権限はないらしい。じゃあこないだのイクラはどうしたんだという話だけど、破棄処分前のイクラを勝手に持ち出して来ただけなそうな。そりゃ食中毒になるわけだ。
「というわけで再びライバル宣言です。今度は本気で奪いにいきますので覚悟しておいて下さい!」
ビシッと野球のバットを突きつけられてあたしはうろたえた。
急にそんなこと言われても困ってしまう。色恋沙汰は苦手なのだ。
それでもここは何か言い返すべきだと感じてあたしは必死に頭を働かせた。
……そうだ。
「言っとくけどさ、西園寺はあんたのことを“妹みたいな子”だって言ってたよ。異性としては全然見れないって!」
「べつに近親相姦でもかまいません」
「…………」
なっちゃんTUEEEEE!
もう何も言い返せなくなって口を閉ざしたら、なっちゃんはフフン、と鼻で笑って更に言葉を重ねてきた。
「余裕でいられるのも今のうちですよ。……決めました。1匹だけの予定でしたけど、こうなったら4匹全部引き受けることにします!」
「は?」
まさか……まさか……。
「そしてわたしは子ハムを話の種にして西園寺センパイに取り入ってみせましょう。ふふっ」
やっぱりー!!!
「ちょっと正気なの!? 西園寺のところのハムスターってすんごい凶暴なんだよ! たまに輸血が必要になるんだから!」
「知ってますよ。西園寺センパイから獰猛だと説明は受けています。でも大丈夫、わたしには弟がいます」
弟に世話させるつもりかよ。なんて恐ろしい姉なんだ!
「とにかくそういう訳ですから。では失礼します」
「ま、待ってよ!」
「何ですか?」
「えっと……」
言いたいことだけ言って立ち去ろうとするなっちゃんを慌てて引き止めてみたはいいものの、あたしは言葉が続かなかった。
だって何て言えばいいんだろう。
“ヤメテ”って!?
でも、そんな権利があたしにあるんだろうか――……
すると、なっちゃんがあたしの困惑を見透かしたように冷やかな視線を送ってきた。
「彼女とか言いつつコソコソとしか付き合えないなんて西園寺センパイが可哀想ですよね。私なら堂々としますし。鈴木センパイも彼女の座にあぐらをかいてると今に痛い目に遭いますよ」
「うっ」
グサッときた。
言葉は辛辣だけどあながち間違ってない気がする。
あたしはもうボーゼンとしちゃって、そのままなっちゃんがいなくなってからも暫くは立ち尽くしていた。
だけど次第にフツフツと怒りが沸いてきた。
西園寺に対してである。
3人娘から襲撃を受けていたなんて全然知らなかったし、なっちゃんに子ハムを譲り渡そうとしていたのも寝耳に水だった。
なんでそんな大事なこと言ってくれなかったんだろう。
「あたしってそんなに頼りないんだろうか……」
口に出して呟いた瞬間、負の感情が心の中に広がってあたしは頭を振った。
ここで弱気になっちゃだめだ。
くっそ、後で問い詰めてやる!!!




