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生まれ変わったこの街で、もう一度恋をする  作者: 凡夫 成


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9/15

第9話 その手を、今度は私から

お読みいただき、ありがとうございます。


今日は、仕事も買い出しもないお休みの日。

いつもと違う服で会うだけで、見慣れた相手にも少し緊張してしまう。


リーナとカイル、二人のお出かけにお付き合いください。


 待ち合わせの鐘が鳴るには、まだ早かった。


 私は二階の窓から通りを見て、それから鏡の前へ戻った。


 淡い青のワンピース。


 上には薄手の生成りの上着を羽織った。


 仕事のときにはまとめている髪も、今日は半分だけ結んである。


 おかしくはない。


 たぶん。


 鏡の中の自分を横から見て、もう一度正面へ戻る。


「……靴、こっちでいいかな」


 少し可愛いものと、歩き慣れたもの。


 迷った末に、歩き慣れた靴を履いた。


 前の人生でも、今の人生でも、靴ずれには困らされたことがある。


 今日は、痛い足を気にして歩きたくなかった。


 階段を下りると、母が入口の掃除をしていた。


「あら。いいじゃない」


「普通だよ」


「まだ何も言ってないよ」


 言われて、口を閉じる。


 母は笑いながら、箒を壁へ立てかけた。


「カイルさん、もう来てるよ」


「え?」


 私は慌てて窓を見る。


 向かいの建物の前に、見慣れた背の高い人が立っていた。


 制服ではない。


 濃い色の上着に、白いシャツ。


 手には、何も持っていなかった。


「早くない?」


「お前もね」


 母に背中を軽く押され、私は扉へ向かった。


     *


 鈴の音に、カイルが顔を上げた。


「おはよう」


「おはよう。待った?」


「いや。今、来たところ」


 そう言ってから、私を見る。


 目が合った。


 すぐに挨拶の続きがあると思ったのに、彼は黙っていた。


「……何?」


「いや」


 カイルは視線を少し下げ、それから私の顔へ戻した。


「似合ってる」


 胸が跳ねた。


「あ、ありがとう」


「その服、初めて見た」


「店では着ないから」


「だよな」


 彼は頷いた。


 私は上着の袖口を整えた。


 何か返さなければと思う。


「カイルも」


「ん?」


「……制服じゃないと、違うね」


 言ってから、それでは褒めていないと気づいた。


「変って意味じゃなくて」


「分かってる」


 カイルが笑う。


「今日は衛兵さんじゃないんで」


 そう言って、歩き出しかけた。


 すぐに足を止め、私を見る。


「行こうか」


 私は頷いて、隣に並んだ。


     *


 南広場の市は、買い出しに使う市場とは雰囲気が違った。


 色のついた布が頭上に張られ、露店には細工物や菓子が並んでいる。


 小さな楽器を鳴らす人がいて、その前で子どもが踊っていた。


「どこから見る?」


 カイルに聞かれ、私は通りを見渡した。


「あっちの焼き菓子、気になる」


「朝飯は?」


「食べたよ」


「なら、別腹か」


「そういう言い方しないで」


 彼が笑う。


 結局、最初に立ち寄ったのは焼き菓子の店だった。


 丸い生地の中に、煮たりんごが包まれている。


 店主が鉄板の上で温め直すと、甘い匂いがした。


「二つ」


 カイルが言った。


 私は慌てて財布を出す。


「私の分は」


「誘ったの、俺だから」


「でも」


「じゃあ、次の飲み物、頼む」


 財布を持った手が止まる。


 私は少し考え、それから頷いた。


「……分かった」


 何もかも断るより、そのほうが嬉しい気がした。


 受け取った菓子は、紙越しにも温かかった。


「熱いぞ」


「分かってる」


 一口かじる。


 中のりんごは、予想よりずっと熱かった。


「……っ」


「ほら」


 カイルが呆れた顔をする。


 私は口元を押さえ、何度か頷いた。


「言ったよな?」


「言った」


「昔も、焼き芋で同じことしてた」


「それ、晴斗もだったでしょう」


「ああ。二人で黙ってたな」


 思い出して、笑った。


 熱いと言えば負けみたいに、二人とも口を閉じていた。


 結局、晴斗が先に水道へ走った。


「俺、あのとき舌、やけどした」


「私も」


「言えよ」


「晴斗だって言わなかったじゃん」


 隣で、カイルが肩を揺らして笑った。


 私は菓子を少し冷まし、もう一口食べた。


 今度は、おいしかった。


     *


 広場の奥には、小物を売る露店が並んでいた。


 刺繍の入った袋。


 磨かれた石の飾り。


 色の違うリボン。


 私は一つの店で足を止めた。


 木製の髪留めに、小さな白い花が彫られている。


「それ、好き?」


 隣から聞かれ、私は頷いた。


「可愛いね。仕事にも使えそう」


 手に取って、裏の金具を確かめる。


 丈夫そうだった。


 値段も、思っていたほど高くない。


「これ、ください」


 代金を払うと、店主が薄い布に包んでくれた。


 カイルが少し意外そうな顔をしていた。


「何?」


「いや。迷わないんだなと思って」


「気に入ったから」


「飯の店は、すげえ迷うのに」


「ほかの人と行くなら、好みもあるでしょう」


 そこまで言ってから、彼を見る。


「今日のお昼、カイルは何がいい?」


「リーナが食べたいもの」


「それが、一番困る答えなんだけど」


 カイルは少し考えた。


「じゃあ、さっきの角の店。焼いた肉、うまそうだった」


「あ、私も見た」


「決まり」


 あっさり決まった。


 私は包みを鞄へ入れながら、小さく笑った。


「何だ?」


「今日は、決めるの楽だなって」


「二人しかいねえしな」


「うん」


 二人。


 改めてそう言われると、周囲のにぎやかさが少し遠くなった。


     *


 昼食の店では、窓際の小さな席に座った。


 運ばれてきた皿には、香ばしく焼いた肉と野菜が載っている。


 カイルは上着を脱ぎ、椅子の背へ掛けた。


 シャツの袖が少し上がり、手首の傷が見えた。


 私は、つい目を留めた。


 彼が気づく。


「これ?」


「……うん」


「訓練。だいぶ前のやつ」


「そうなんだ」


 カイルは袖を直しかけ、やめた。


「気になる?」


 私は正直に頷いた。


「仕事のこと、あまり知らないから」


「ああ」


「大変な日は、ある?」


「あるよ」


 答えは、思ったより自然だった。


「何も起きなくて、一日終わる日もある。揉め事ばっかりの日もあるし、雨の中で立ちっぱなしのこともある」


「雨の日、寒そう」


「寒い。靴の中まで濡れると最悪」


 私は顔をしかめた。


 それは想像できた。


「帰って、風呂入って、飯食って。そこまで来ると、生き返る」


「それで、うちに来てくれるんだ」


「それもある」


 カイルが杯を持ち上げた。


 私を見る。


「お前にも会えるし」


 今度こそ、言葉に詰まった。


 彼はそのまま水を飲んだ。


 私も真似をして杯を持ったけれど、口元へ運ぶまで少しかかった。


     *


 店を出たあと、広場の端にある水路沿いを歩いた。


 こちらは少し静かで、水の音が聞こえた。


 歩き疲れてはいなかったけれど、カイルが近くのベンチを示した。


「ちょっと休む?」


「うん」


 腰を下ろし、私は鞄からさっきの包みを出した。


 髪留めを、もう一度見てみたくなった。


 布をほどく。


 白い花の彫り目に、日が当たった。


「つけないの?」


 カイルが聞いた。


「今?」


「せっかく買ったし」


 私は水路を見た。


 鏡の代わりにするには、水が動きすぎていた。


「変になったら教えてね」


「はいはい」


 今つけている留め具を外し、髪をまとめ直す。


 新しい金具は少し硬かった。


 指先で位置を探していると、後ろの髪が一筋こぼれた。


「あ、待って」


 カイルの声に、手を止める。


「右。少し落ちてる」


「こっち?」


「もう少し後ろ」


 うまく分からずにいると、彼が手を伸ばしかけた。


 その手が、途中で止まる。


「触っていい?」


 顔が熱くなった。


 私は小さく頷いた。


 カイルが、こぼれた髪を指で取る。


 耳の後ろへ、そっと戻した。


 ほんの短い時間だった。


 それなのに、触れられたあたりが、ずっと気になった。


「これで大丈夫」


「……ありがとう」


 彼は手を引き、少し離れて私を見た。


「うん。似合う」


 私は包みの布を畳んだ。


 角が、何度やっても合わなかった。


     *


 帰りの広場は、来たときより人が増えていた。


 大道芸が始まったらしい。


 輪になった人たちの横を抜けようとすると、向こうからも人が来た。


 カイルが足を止める。


 私を振り返り、手を差し出した。


「はぐれそうだから」


 大きな手だった。


 その手を見た瞬間、坂道の上の晴斗を思い出した。


 ほら、と差し出されて、握れば走り出した。


 いつも、彼のほうからだった。


 私は一歩近づいた。


 差し出された手のひらに、自分の手を重ねる。


 指を、少し曲げた。


 カイルが私を見る。


「……行こう、カイル」


 彼の指が、ゆっくり握り返した。


「ああ」


 歩き出す。


 引っ張られなかった。


 私が進むのを、彼は待っていた。


     *


 人混みを抜けても、手は離れなかった。


 私は通りの先を見たまま歩いた。


 カイルも、何も言わなかった。


 手の温かさが、少しずつ当たり前になっていく。


 それでも、ときどき指が動くたび、胸が落ち着かなくなった。


「今日、楽しかった?」


 カイルが聞いた。


「うん。カイルは?」


「楽しかった」


「よかった」


 私は笑った。


 もう少し気の利いたことを言いたかったけれど、出てこなかった。


 角を曲がると、《麦の灯》の看板が見えた。


 急に、帰り道が短くなった気がした。


 カイルの歩く速さも、少し落ちた。


「……着いたな」


「うん」


 店の前で立ち止まる。


 つないでいた手が、ゆっくり離れた。


 空いた指先に、風が触れた。


 私は鞄の持ち手を握った。


「誘ってくれて、ありがとう」


「また、誘っていい?」


 顔を上げる。


 カイルは笑っていたけれど、私の返事を待つ目は真面目だった。


 私は頷いた。


「うん」


 それから、少しだけ勇気を出した。


「私から誘っても、いい?」


 彼の表情が変わった。


 驚いたあとで、嬉しそうに目が細くなる。


「いいに決まってるだろ」


「じゃあ、次の休みが分かったら教えて」


「分かった」


 短い約束ができた。


 私は扉に手をかけた。


「またね」


「またな、リーナ」


     *


 部屋へ戻り、鞄を机に置いた。


 鏡の中には、朝とは少し違う自分がいた。


 白い花の髪留め。


 カイルが直してくれた場所へ、指を伸ばす。


 それから、つないでいた手を見た。


 晴斗に会えて嬉しい。


 ずっと、そう思っていた。


 でも今日、隣を歩いた人を思い出すとき、浮かぶ名前は違った。


 カイル。


 心の中で呼んでみる。


 もう一度呼ぶと、少し笑ってしまった。


 次の休みは、いつだろう。


 私は髪留めを外さないまま、階下の母へ、ただいまを言いに戻った。

第9話をお読みいただき、ありがとうございます。


懐かしい晴斗の面影と、まだ知らないカイルの一面。

今日のリーナには、どちらも大切なものになったようです。


次の休みを楽しみにしながら、二人はまた、それぞれの仕事へ。

少しずつ変わっていく距離を、見守っていただけたら嬉しいです。

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