第10話 会いたいから、会いに行く
お読みいただき、ありがとうございます。
楽しかった休日のあとには、いつもの仕事が待っています。
今日は、リーナが少しだけ勇気を出すお話です。
髪をまとめるのに、いつもより時間がかかった。
白い花の髪留めを留めて、鏡を見る。
少し右に寄りすぎている気がして、一度外す。
昨日、カイルが直してくれたのは、このあたりだっただろうか。
「リーナ、パン届いたよ!」
階下から母に呼ばれ、私は慌てて返事をした。
「今、行く!」
最後にもう一度だけ鏡を見て、部屋を出た。
*
休みが終われば、食堂はいつもどおりだった。
煮込みを温め、テーブルを拭き、足りなくなったパンを切る。
昨日歩いた広場の話を母にしている間にも、注文が入る。
「リーナ、三番卓」
「はい!」
皿を運びながら、入口の鈴に顔を上げた。
入ってきたのは、いつもの商人さんだった。
「こんにちは。今日は魚もありますよ」
そう声をかけ、席へ案内する。
自分が誰を待っていたのかに気づいたのは、厨房へ戻る途中だった。
昨日、会ったばかりなのに。
私は空のお盆を胸元へ引き寄せた。
*
昼が終わっても、カイルは来なかった。
来ると約束したわけではない。
休憩の時間も、その日の仕事で変わる。
分かっているのに、入口の近くを通ると、つい外を見てしまった。
「今日は、もう上がっていいよ」
夕方の仕込みを前に、母が言った。
「え。まだ野菜が」
「私がやる。昨日、帰ってから帳簿まで手伝ったでしょう」
「でも、忙しくなるよ」
「忙しくなる前に休んでもらうの。交代してくれれば、そのあと私も休めるから」
私は少し考え、頷いた。
「じゃあ、一時間だけ」
「ゆっくりお茶でも飲んできな」
エプロンを外し、壁の時計を見る。
今からなら、衛兵の詰所まで行って帰ってこられる。
そう考えてしまってから、私は袖口を整えた。
*
詰所は、中央大通りの西側にあった。
入口には巡回の案内と、落とし物の張り紙が並んでいる。
その前で、私は一度立ち止まった。
仕事中に訪ねて、迷惑ではないだろうか。
差し入れでも持ってくればよかった。
でも、何か渡す物がなければ会えないわけではない。
用事がなくても、誘っていいと言ってくれたのは、カイルだ。
私は入口の衛兵さんへ声をかけた。
「あの。カイルさんは、いらっしゃいますか」
「カイル? 今、戻る頃だけど……ああ、来た」
振り返ると、通りの向こうから二人の衛兵が歩いてきた。
カイルは隣の人の話を聞き、何か短く返している。
それから、私に気づいた。
足が速くなった。
「リーナ?」
近くまで来ると、彼はまず私の顔を見た。
「どうした。何かあった?」
「ううん。事件じゃないよ」
慌てて答える。
「少し休憩をもらったから。その……」
ここまで来たのに、最後の言葉が出てこない。
カイルが待っている。
隣の衛兵さんまで、こちらを見ていた。
「会えるかなと思って」
小さく言うと、カイルの口がわずかに開いた。
「……俺に?」
「うん」
彼の顔に、隠しきれない笑みが広がった。
それを見たら、来てよかったと思えた。
「カイル。先、報告してくるぞ」
同僚が、彼の背を軽く叩く。
「ああ。俺もすぐ――」
「まだ休憩取ってないだろ。班長に言っとく」
そう言って、同僚は詰所へ入っていった。
入口にいた衛兵さんが、笑いをこらえるように書類へ目を落とした。
「ありがとうございます」
私が頭を下げると、カイルも隣で頭を下げた。
*
詰所の裏に、小さな休憩所があった。
屋根の下に長机が二つ。湯を沸かす魔道具と、形の違う杯が並んでいる。
カイルは剣を決められた棚へ置き、手を洗ってからお茶をいれた。
「こんなところで悪いな」
「ううん。邪魔してるの、私のほうだし」
「邪魔じゃない」
少し強い返事だった。
彼は私の前へ杯を置き、向かいへ座る。
「嬉しかった」
私はお茶へ目を落とした。
まだ熱くて、すぐには飲めそうにない。
「今日は、お昼来なかったから」
「ああ。荷馬車が一台、道の真ん中で動かなくなってさ」
「大変だった?」
「車輪を替えるまで交通整理。昼は同僚と交代で食った」
「そっか。食べられたならよかった」
カイルは杯を両手で包んだ。
「待っててくれた?」
顔を上げられなくなった。
「……少し」
机の向こうで、彼が息を吐いた。
笑ったのかもしれない。
「明日は行けると思う」
「無理しなくていいよ」
「無理じゃない。煮込み食いたいし」
少し間を置いて、言葉が続いた。
「顔も見たいし」
私はようやく、彼を見た。
カイルも少し照れていた。
それが分かると、胸の熱さが、少しだけ嬉しいものに変わった。
*
「それ、今日もつけてるんだな」
彼の視線が髪留めへ向いた。
「うん。仕事中でも邪魔にならないから」
「そうか」
「……気に入ってるし」
カイルが笑った。
私も、杯を持ったまま笑った。
昨日、何を話したか。
帰ってから母に何を聞かれたか。
そんな話をしていると、奥から名前を呼ぶ声がした。
「カイル、悪い。西門から連絡だ」
彼がすぐに立ち上がる。
「今、行く」
私も腰を上げた。
「ごめんな、途中で」
「ううん。お茶、ありがとう」
彼はまだ何か言いたそうに私を見た。
でも、詰所の奥では、次の指示を待つ声がしていた。
私は空の杯をまとめた。
「行っておいで。カイル」
彼が一瞬、目を細めた。
「ああ」
棚から剣を取る。
腰へ留める手つきが、さっきまでとは違って見えた。
「また、店で」
「うん。待ってる」
言ってから、二人とも少し黙った。
先に笑ったのは、カイルだった。
「じゃあ、頑張れるわ」
その一言を残して、彼は奥へ入っていった。
*
帰り道、仕込み用の香草を売る店の前を通った。
今日は安くなっている。
つい足を止め、それから母の言葉を思い出した。
休憩しておいで。
私は手ぶらのまま、店へ戻った。
「おかえり。お茶、飲めた?」
「うん」
「どこで?」
「衛兵さんの詰所」
母の手が止まった。
私はエプロンを取って、顔を隠すように頭からかぶった。
「カイルに会ってきた」
「そう」
母の声が笑っていた。
「じゃあ、いい休憩だったね」
「……うん」
仕事はまだ残っている。
明日の約束だって、変わるかもしれない。
それでも、会いに行ってよかった。
私はエプロンの紐を結び、厨房へ向かった。
父が鍋の蓋を開ける。
「明日の煮込み、味見するか」
「する」
差し出された小皿を受け取って、一口食べる。
いつもの味だった。
きっと明日、カイルも好きだと言ってくれる。
そう思ったら、早く食べてもらいたくなった。
第10話をお読みいただき、ありがとうございます。
用事がなくても会いに行く。その小さな一歩が、二人の日常を少し変えました。
働く日々の中で育つ恋を、これからも見守っていただけたら嬉しいです。




