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生まれ変わったこの街で、もう一度恋をする  作者: 凡夫 成


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4/14

第4話 英雄様は、目を合わせない

始まります!


 ユリウスと再会してから、五日が過ぎた。


 あれからも治療院へ料理を届けに行ったけれど、ゆっくり話す時間はなかった。


 廊下ですれ違って、挨拶をする。


「今日は、もう食べた?」


「今から」


「ちゃんと?」


「ちゃんと」


 そんな短いやり取りだけ。


 それでも、帰り際に手を振れる人が増えたことが、嬉しかった。


 ユリウスには、この世界で結婚を約束した人がいる。


 私にも、ここで暮らしてきた二十年がある。


 まだ少し胸は痛むけれど、次に会ったら何を話そうと考えられるくらいには、落ち着いていた。


     *


「リーナ、これを《銀の杯》まで頼めるか」


 夕方の混雑がようやく落ち着いた頃、父が大きな包みをカウンターへ置いた。


「配達?」


「ああ。向こうの火の魔道具が壊れたらしい。直るまで、料理を少し回してほしいって」


「分かった。代金は?」


「向こうで受け取ってくれ」


 包みを抱えると、煮込みの温かさが腕に伝わった。


 母が入口から外を確かめる。


「大通りを通るんだよ。届けたら、まっすぐ帰っておいで」


「はーい」


 若き王アオキスが即位してから、夜の王都はずいぶん歩きやすくなった。


 それでも、明かりのある道を選ぶのは昔からの習慣だった。


     *


 夜のエドキオには、昼間とは違う匂いがする。


 炭火で焼く肉。甘い果実酒。店先で焚かれた香。


 魔道灯の下を、仕事帰りの人たちが歩いていた。


 《銀の杯》の入口には、華やかな服をまとった女性たちが集まっている。


 近くの娼館で働く人たちだ。うちの食堂にも来てくれるので、何人かは顔を知っていた。


「この国で安心して暮らしたくば、俺と付き合え!」


 よく通る声に、私は顔を上げた。


 女性たちの真ん中で、黒髪の男性が杯を掲げていた。


 レオン・グラディス。


 五日前、パレードで見た英雄だった。


「まあ、頼もしい。じゃあ今夜は、私と?」


「抜け駆けしないでよ。先に誘ったのは私」


「慌てるな。順番に話くらい聞いてやる」


 隣の女性に腕を絡められ、反対側からは肩を叩かれている。


 それを少しも気にせず、レオンは楽しそうに笑っていた。


「付き合わなくても守ってくれるんでしょうね?」


「当たり前だろ」


「それなら、返事はまた今度」


「つれねえな。今夜こそいい返事が聞けると思ったんだが」


 女性が彼の胸を軽く叩く。


 レオンはその手を受け止め、何かを耳元で言った。


 途端に、彼女が声を上げて笑う。


 私は少し足を緩めた。


 英雄様というのは、討伐以外でも忙しいらしい。


「あら、リーナちゃん」


 女性の一人が私に気づいた。


「こんばんは。お料理、届けに来ました」


「助かるわ。さっきからお腹が鳴っちゃって」


「聞こえなかったぞ」


 レオンが口を挟む。


「聞こえても黙ってるのがいい男よ」


「難しい注文だな」


 笑いながら顔を向けた彼と、目が合った。


 杯を持つ手が止まる。


 口元に残っていた笑みが、ふっと消えた。


「……こんばんは」


 私が言うと、レオンは一度だけ頷いた。


「ああ」


 さっきまでの声より、ずっと低かった。


 女性に絡められていた腕を、そっと抜く。


 そして私の顔を見たかと思うと、すぐ横の看板へ視線をそらした。


 まただ。


 パレードのときと同じ。


「レオン?」


 隣の女性が、不思議そうに顔をのぞき込む。


「知り合い?」


「……ああ」


 彼は短く答えた。


 その返事に、胸のどこかが引っかかった。


 大学の教室。


 落とした資料を拾ってくれた、大きな手。


 友達には普通に話すのに、私に向き直ると言葉が少なくなった人。


 顔は違う。


 体格も、声の響きも。


 でも、目をそらすときの仕草を、私は知っている気がした。


「……黒瀬、くん?」


 レオンが私を見た。


 今度は、そらさなかった。


 彼は杯を近くの樽へ置くと、人差し指を唇へ当てた。


 しー、と。


 私は包みを抱えたまま、息をのんだ。


     *


「親父、奥を借りるぞ」


 レオンが店内へ声をかけた。


 酒場の主人が顔を出すより早く、女性の一人が口笛を吹いた。


「おや。今夜はずいぶん地味目だねえ」


 私は自分の服を見下ろした。


 仕事用のブラウスに、長いスカート。出る前にエプロンは外したけれど、袖口には少し小麦粉が残っている。


「その娘じゃ、あんたの相手はもたないだろ」


「レオン、少しは手加減しておやりよ」


 笑い声が重なった。


 一拍遅れて意味が分かり、頬が熱くなる。


「違う。そういうんじゃねえ」


 レオンが言った。


 さっきまでなら、笑って何か言い返しそうだった。


 けれど今は、妙に真剣な顔をしている。


「あら。いつから説明するようになったの?」


「だから、話をするだけだ」


「誰も、話をしないなんて言ってないわよ?」


 レオンは口を開いた。


 閉じた。


 それから私を見る。


「……本当に、話だけだ」


「うん。聞こえてるよ?」


「いや、お前に……」


 そこで、また止まった。


 女性たちが顔を見合わせる。


「へえ?」


 さっき腕を絡めていた女性が、ゆっくり笑った。


「レオン。こっちをご覧よ」


「何だ」


「耳、赤いわよ」


「うるせえ」


「いつもみたいに言えばいいじゃない。『朝まで帰さねえぞ』って」


「言ってねえだろ、そんなこと」


「似たようなことは言ったわね」


「頼むから、黙ってろ」


 その声があまりに切実で、女性たちは一斉に笑い出した。


 私はますます、どうしていいか分からなくなった。


 レオンが一歩、私の横へ移る。


 大きな体で、女性たちの視線を少し遮るように。


「……気にしなくていい」


 私に向けた声は、急に静かだった。


「悪気はない」


「うん」


「嫌なら、ここでもいい。お前が……話せる場所で」


 私は彼を見上げた。


 華やかな女性たちに囲まれていたときとは、まるで様子が違う。


 私と話すだけで、そんなに気を遣わせているのだろうか。


「大丈夫。私も聞きたいことがあるから」


 そう答えると、彼の肩がわずかに下がった。


「……分かった」


「その前に、これを渡してもいい?」


 抱えていた料理を示す。


 レオンは包みを見て、それから私を見た。


「ああ。そうだったな」


「英雄様、しっかりなさいよ」


 背後から声が飛び、彼は振り返らずに片手を上げた。


     *


 料理を渡し、代金を受け取ってから、奥の小部屋へ向かった。


 入口で、顔見知りの女性が私の袖を軽く引いた。


「ごめんね、リーナちゃん。からかいすぎた」


「いえ……びっくりしただけです」


「嫌なら、いつでも出ておいで」


 彼女はそう言ってから、レオンへ目を向けた。


「その娘を困らせたら、うちにご飯届けてもらえなくなるんだからね」


「分かってる」


「本当に分かってる顔ねえ」


「……もういいだろ」


 また笑い声が起きた。


 レオンは扉を開け、私が入るのを待った。


 自分は廊下に立ったまま、尋ねる。


「閉めていいか」


「うん」


 扉が閉まると、にぎやかな声が少し遠くなった。


     *


 小さな丸テーブルを挟んで座る。


 レオンは水差しを取り、杯へ水を注いだ。


 差し出しかけて、なぜか手を止める。


 それから私の目の前へ、そっと置いた。


「……水でいいか」


「ありがとう」


 指が触れたわけでもないのに、彼はすぐに手を引っ込めた。


 さっきは女性の手を平気で握っていたのに。


 私は杯を両手で包んだ。


「黒瀬くん、なの?」


「ああ」


 彼が頷く。


「黒瀬朔。前はな」


 名前を聞くと、教室の景色が浮かんだ。


 窓際の机。


 床に散らばった資料。


 別に、と短く返していた声。


「本当に……?」


「朝倉陽菜」


 彼が私の名前を言った。


「合ってるよな」


「うん」


 レオンは長く息を吐いた。


 それから、またテーブルへ目を落とした。


 私は少し笑ってしまった。


「何だ」


「ううん。やっぱり黒瀬くんだなって」


「……そうか」


「私と話すとき、そんな感じだった」


 彼の眉が、わずかに寄る。


 嫌だったのかな、と不安になったところで、彼が口を開いた。


「今は、レオンでいい」


「あ、うん。私もリーナで」


「分かった」


 名前を変えると、目の前の彼が少し近くなった。


 思い出の教室から、今いる部屋へ戻ってきた気がした。


「パレードのとき、気づいてたの?」


「ああ」


「顔、全然違うのに?」


「鑑定が使える」


 レオンはようやく私を見た。


「物の性質や、人の持ってる力が分かる。使い方によっては、魂に残った名前も」


「前世の名前?」


「ああ。誰にでも見えるものじゃないが」


 私は自分の胸元へ目を落とした。


 ここに、陽菜という名前が残っているのだろうか。


「じゃあ、顔に何かついてたわけじゃないんだ」


「は?」


「急に目をそらされたから。変な顔してたかなって」


「してない」


 返事は早かった。


 それきり黙るので、私は水を一口飲んだ。


「レオンは、いくつ?」


「三十五」


「三十五!?」


「……そんなに驚くか」


「だって、同級生だったのに。私、二十歳だよ」


「こっちへ来る順番は、同じじゃないらしい」


 十五年。


 改めて彼を見る。


 大きな手には古い傷があり、腰の剣の柄は使い込まれていた。


 私が子どもだった頃には、もう彼は大人だったのだ。


「ずっと冒険者を?」


「十六から」


「長いね」


「気づいたらな」


「英雄になるの、大変だった?」


 レオンが少し考える。


「なろうと思ってなったわけじゃない。依頼を受けて、帰ってきて、また次の仕事をしてたら、そう呼ばれるようになった」


「仕事なんだね」


「ああ。討伐が終わっても、報告が残る」


「英雄も報告書、書くんだ」


「むしろ増えた」


 思わず笑うと、彼も少し口元を緩めた。


「世界が変わっても、仕事が終われば疲れるのは同じなんだね」


「……そうだな」


 彼の肩が、ようやく椅子の背についた。


     *


「レオン以外にも、転生した人っている?」


「いる。知ってるだけでも何人か」


「やっぱり、そうなんだ」


 私が言うと、彼は視線を上げた。


「誰かに会ったのか」


「うん。五日前に。前の……大学の知り合い」


 恋人、と言いかけてやめた。


 今のユリウスを説明する言葉として、それを先に出すのは少し違う気がした。


 レオンは何も聞かなかった。


「鑑定で分かっても、勝手には話さない。前のことを知られたくないやつもいるからな」


「そうだよね」


 私も毎日、陽菜として暮らしているわけではない。


 母に呼ばれればリーナとして振り返るし、父の煮込みの味にほっとする。


 この世界で好きになったものも、大切な人もいた。


「……カイルには、会ったか」


 レオンが尋ねた。


「カイル?」


「衛兵だ。背の高い」


「あ、あの人!」


 私は顔を上げた。


「パレードの日に、パンがつぶれないように通してくれた」


 レオンが頷いた。


「知り合いなの?」


「ああ」


「不思議だったんだよね。初めて会ったのに、笑った顔が……」


 そこで、言葉が止まった。


 レオンの顔を見る。


 彼は、私の続きを待っていた。


「……まさか」


 杯を持つ指に、力が入る。


「前の名前、知ってるの?」


 レオンは一度だけ頷いた。


「本人も、お前に会いたがってる。店へ行くって言ってたが、急に勤務が変わってな」


 私は息を吸った。


 うまく吸えなかった。


「名前は?」


「瀬戸晴斗」


 椅子の上で、膝が動いた。


 立ち上がろうとしたのかもしれない。


 でも、足には力が入らなかった。


 あの笑顔。


 片方だけ上がる口元。


 パンは無事かと尋ねた、少しふざけた声。


「……晴斗」


 名前がこぼれた。


 もう一度呼ぶと、目の奥が熱くなった。


「あいつも、気づいたらしい。声を聞いて、顔を見て」


「でも、何も……」


「仕事中だったし、確信も持てなかったそうだ」


 私は両手で口元を押さえた。


 生きている。


 大人になって、働いて、あの街角で笑っていた。


 私が知らないままになっていた、その先の晴斗がいる。


「会える?」


「ああ」


「……明日も、いる?」


 レオンが私を見た。


 すぐに、頷く。


「いる。明日も、王都にいる」


 私は下を向いた。


 涙が落ちそうになって、慌てて袖で押さえる。


 向かいで椅子がきしんだ。


 けれど、レオンは近づいてこなかった。


 水差しだけが、静かに私のそばへ寄せられた。


     *


「……ごめんね」


 しばらくして顔を上げると、レオンは閉じた扉を見ていた。


 私の声に、こちらへ向き直る。


「落ち着いたか」


「うん。ありがとう」


「あいつには、もう一度伝えておく」


「仕事の邪魔にはならない?」


「休みくらいある」


 その言い方がおかしくて、私は少し笑った。


「そうだね。衛兵さんにも休みはあるよね」


「ああ」


 胸元へ手を当てる。


 ユリウスに会った。


 レオンに会った。


 晴斗も、ここにいる。


 嬉しいのに、胸の中が落ち着かなかった。


「……また、いなくなったらどうしよう」


 言ってから、顔を上げた。


「ごめん。変なこと」


「変じゃない」


 レオンは、今度は目をそらさなかった。


「俺がいる限り、王都は無事だ」


 静かな声だった。


「安心して暮らせ」


 酒場の入口では、大きな声で似たようなことを言っていた。


 でも、今は笑っていない。


 返事を急かすこともなく、私を見ていた。


 私はゆっくり息を吐いた。


「……ありがとう」


「困ったら、ギルドに言え。俺に伝わる」


「忙しいでしょう?」


「飯を食う時間はある」


「ご飯?」


 彼の視線が、テーブルへ下がった。


「……食堂で働いてるんだろ」


「うん。《麦の灯》っていうの」


「場所は」


「中央大通りから、二本入ったところ」


「分かった」


 そこで会話が止まる。


 誘ってくれたのだろうか。


 それとも、来てくれるのだろうか。


 私が考えている間に、レオンは立ち上がった。


「送る。遅くなった」


     *


 部屋を出ると、入口近くにいた女性たちが一斉にこちらを見た。


「まあ、お早いお戻りで」


「本当に話だけ?」


「そう言っただろ」


 レオンが短く返す。


 一人が私の顔を見て、笑みを引っ込めた。


「……あら。大丈夫?」


 目が赤かったのかもしれない。


 私は慌てて頷いた。


「はい。懐かしい話をしていたので」


「そう」


 彼女はそれ以上聞かなかった。


 代わりに、レオンの腕を軽く叩く。


「ちゃんと家まで送るのよ」


「分かってる」


「今夜はやけに聞き分けがいいじゃない」


「……またな」


 その背中に、明るい笑い声が追いかけてきた。


     *


 夜風が、熱の残る頬に心地よかった。


 レオンは私の隣を、少し間を空けて歩いた。


 通りの向こうから、女性が手を振る。


「レオン! 帰ってたの?」


「ああ。店、まだ開いてるか」


「今夜は遅くまでね。寄っていきなよ」


「また今度、顔を出す」


 自然な返事だった。


 その女性を見送ったあと、私はレオンを見上げた。


「顔が広いんだね」


「長くいるからな」


「私と話すときと、全然違う」


 彼の足が一瞬、遅くなった。


「……そうか」


「うん。私、何か話しにくいこと言ってる?」


「違う」


 すぐに返ってくる。


 でも、その先はなかった。


 前から歩いてきた酔客が、足をもつれさせた。


 レオンの手が私の背へ伸びかける。


 触れる前に止まり、代わりに彼自身が一歩前へ出た。


「気をつけろ」


「お、おう。悪い」


 酔客が通り過ぎる。


 レオンは何事もなかったように、また隣へ戻った。


「……ありがとう」


「ああ」


 気軽に誰かの肩を抱ける人なのに、私には触れようとしない。


 嫌われている感じはしなかった。


 それが、かえって不思議だった。


     *


 《麦の灯》の窓から、明かりが漏れていた。


 厨房では父が鍋を動かし、母がテーブルを拭いている。


「ここだよ」


 レオンが看板を見上げた。


「上が家か」


「うん。家族で住んでる」


「そうか」


 私は扉に手をかけた。


「送ってくれてありがとう。何か食べていく?」


 レオンは店内を見た。


 父と目が合い、軽く会釈する。


「今日は、戻る」


「お仕事、残ってる?」


「ああ」


 彼は一歩下がった。


 でも、帰らなかった。


 外套の端を指で直し、看板をもう一度見る。


「……煮込みは」


「え?」


「今日、届けてたやつ」


「ああ。うちの定番だよ。明日もある」


「そうか」


 私は少し考えてから、扉を開けた。


「お昼を少し過ぎると、座りやすいよ」


 レオンが私を見る。


「来るなら、そのくらいがおすすめ」


「……分かった」


 口元が、わずかに緩んだ。


 大勢の中で見せていた笑顔よりも、ずっと小さい。


「じゃあ、またな。リーナ」


「うん。またね、レオン」


 店へ入ると、母が布巾を置いた。


「おかえり」


「ただいま。遅くなってごめん」


「送ってもらったんだね」


「うん。前から知ってる人で」


 父まで厨房から顔を出した。


「今の、レオン・グラディスだろ?」


「明日、ご飯を食べに来るかもしれないって」


 父の手が止まった。


 母は窓の外を見て、それから私へ視線を戻した。


「……あら、そう」


 妙にゆっくりした返事だった。


「何?」


「何でもないよ。ほら、手を洗っておいで」


 私は頷き、もう一度だけ窓を見た。


 レオンが通りを戻っていく。


 さっきまで隣にあった大きな背中が、どんどん遠くなる。


 あんなに歩くのが速い人だったんだ。


 私は自分の足元を見て、それから、もう一度彼の背中を見送った。

終わります!

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