第16話 胸につけた、新しい重さ
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リーナが二十三歳になった春。カイルの仕事にも、新しい節目が訪れます。
カイルが昇進すると聞いたのは、私が二十三歳になった春だった。
閉店後、彼はいつもの席へ座り、なぜか水ばかり飲んでいた。
「悪い話?」
私が聞くと、慌てて首を振る。
「いい話。たぶん」
「たぶん?」
「聖騎士隊へ、推薦が出た」
私は布巾を置いた。
聖騎士。パラディン。
王都の守備隊から選ばれ、魔物への対処や護衛、守備兵の指揮を担う人たちだ。剣だけでなく、守りの魔法にも適性がいると聞いていた。
「すごいじゃない!」
声が大きくなり、父まで顔を出した。
カイルが少し照れて笑う。
「まだ、試験と訓練があるけどな」
「お祝いしなきゃ」
「通ってからにしてくれ」
そう言いながら、口元がずっと緩んでいた。
*
訓練が始まると、会う回数が減った。
カイルの時間だけではない。食堂も忙しくなっていた。
父が仕入れを私に任せる日が増え、母は腰を休める時間を取るようになった。私が決めることも、以前より多い。
約束を一つ変えるだけで、二人とも手帳を開く。
「この日は?」
「夕方から座学」
「じゃあ、その次」
「リーナ、団体の予約あるんじゃなかった?」
「あ、そうだった」
並んで頭を抱えたあと、私たちは笑った。
「二人とも、偉くなったな」
「私は、ただ忙しいだけ」
「俺も、今のところ筋肉痛しか増えてねえ」
せめてお茶を飲むあいだはと、手帳を閉じる。
短い時間を惜しむあまり、その全部を予定の相談に使うのは寂しかった。
*
初めて彼の訓練を見た日は、空が高かった。
一般にも開かれた演習場の端で、私はほかの家族たちと並んだ。
カイルは私に気づいたけれど、手は振らなかった。
号令を聞き、盾を構え、横の仲間と位置を合わせる。
一人で先へ走る姿ではなかった。
仲間が下がる道を空け、自分の盾で間を埋める。
何度もやり直すうち、額から汗が落ちた。
指導役の声が飛ぶ。
「自分だけ立っていても守ったことにはならないぞ!」
カイルは短く返事をした。
私はその横顔から目を離せなかった。
彼はいつも、私の前では笑う。
でも、私が見ていない時間には、こうして知らないことを覚え、叱られ、またやり直していた。
休憩になっても駆け寄らず、水を飲む彼を遠くから見た。
目が合うと、今度は少しだけ笑ってくれた。
*
帰り道、カイルは肩を回していた。
「格好よかったよ」
私が言うと、危うく石につまずいた。
「急に言うなよ」
「本当だから」
「めちゃくちゃ、直されたけど」
「直されても、ちゃんとやり直してた」
彼は黙った。
しばらくして、小さく笑う。
「そういうとこ、見られるの、ちょっと恥ずかしい」
「私だって、塩忘れたことあるでしょう」
「ああ。あったな」
思い出したらしく、彼も笑った。
「できるところだけ見せなくても、好きだよ」
口にしてから、私は照れた。
カイルは歩くのをやめ、私を見る。
「……今日、ずるくない?」
「何が」
「帰っても、ずっと思い出すだろ」
その答えが嬉しくて、私は彼の手を取った。
*
試験の日、私は店を休めなかった。
朝、包みを渡す。
中身は、食べやすいパンと、塩気のある小さな肉団子。
「勝つようにって、肉?」
「お腹にたまるように。願掛けは、自分でして」
カイルは笑った。
私は彼の上着を確かめ、少し曲がった襟を直した。
「無理に格好つけないでね」
「試験だから、少しはつけたい」
「じゃあ、少しだけ」
彼が頷く。
額へ短く唇が触れた。
「行ってくる」
「行ってらっしゃい」
送り出したあと、いつもどおり注文を聞いた。
時間は、ちっともいつもどおりには進まなかった。
*
合格の知らせを持ってきた彼は、入口で笑った。
その顔だけで分かった。
私はお盆を母へ預け、思わず近づいた。
「受かった?」
「ああ」
「おめでとう!」
飛びつきかけて、店内だと気づく。
カイルも両手を上げかけて、少し困った顔をした。
母がため息交じりに笑った。
「お祝いくらい、してもらいなさい」
私は彼の背中へ腕を回した。
大きな体が、嬉しそうに揺れた。
「頑張ったね」
「うん」
肩口で聞こえた返事は、子どもみたいに素直だった。
けれど、その肩には新しい役目が載る。
私は腕をほどき、彼の顔を見た。
「これから、もっと忙しくなる?」
「たぶん。任されることは増える」
「分かった。予定、一緒に考えよう」
彼が頷いた。
*
合格の祝いの翌週、カイルは初めて、新人から相談を受けたという。
「辞めたほうがいいでしょうか、って」
彼はパンをちぎりながら言った。
「俺、まだ教える側になったばっかりなのにな」
「何かあったの?」
「巡回の報告、抜けがあった。先輩に注意されて、自分には向いてないって」
カイルは少し考え込んでいた。
私は手元の布巾を畳み、向かいに座る。
「どう答えたの?」
「今日の失敗と、向いてるかどうかは、分けて考えようって。報告は、一緒にやり直した」
「うん」
「でも、続けていいかどうか、俺が決めてやることじゃないだろ」
その顔を見て、私は演習場の彼を思い出した。
自分が立っているだけでは守ったことにならない。剣の話だけでは、ないのかもしれない。
「今すぐ答えを出さなくてもいいって、言ってもらえたら助かると思う」
私が言うと、カイルはゆっくり頷いた。
「次に会ったら、そう言ってみる」
昔なら、任せろと胸を叩いたかもしれない。今の彼は、できることと、できないことを考えていた。
私は食べ終えた皿を持ち上げる。
「カイルも、誰かに相談していいんだよ」
「今、してる」
顔を上げると、彼が笑っていた。
私も笑い返した。
支えになるというのは、答えを用意しておくことばかりではない。話を聞いて、一緒に考える。その時間なら、私にも渡せる。
そのあと、彼は灯石のことを尋ねた。
「最近、光、長く残るようになった?」
「少し。毎晩、階段で使ってるから」
私はカウンターの石に指を置いた。淡い光が、中へ静かにたまる。
カイルは面白そうに眺めた。
「俺の守りの魔法も、最初は全然続かなかった。毎日やるの、効くらしいぞ」
「じゃあ、そのうち、店全部照らせるかな」
「そしたら、明かり代が浮くな」
私たちは現実的な話をして笑った。
正式な任命の日、銀色の留め具が胸へつけられた。
私は後方の席から見ていた。
王の代理を務める騎士団長が、守るべきものと規律について話す。
カイルは真面目に聞いていた。
式が終わると、彼は私を見つけて、すぐ歩いてきた。
「どう?」
胸を張る。
子どもが新しい服を見せるような顔に、私は笑ってしまった。
「似合ってる」
「もう一回」
「それ、前もやった」
「いいだろ。今日は特別」
私は留め具をそっと見た。
「似合ってるよ、カイル」
彼の笑みが深くなる。
「オレ、パラディンだから」
少し得意げな声だった。
その言葉を、私はこの先、何度も聞くことになる。
この日はまだ、嬉しい響きとして胸にしまった。
*
祝いの席には、ユリウスとエミリアも来てくれた。
レオンは仕事で不在だったけれど、短い伝言が届いた。
盾ばっかり磨いて、靴を忘れるな。
カイルが紙を見て眉を寄せる。
「あいつ、何で知ってるんだ」
「忘れたの?」
「最初の訓練の日、手入れする時間、足りなくて」
みんなが笑った。
父が料理を出し、母が杯を並べる。
肩書きが変わっても、食べれば頬が緩むところは同じだった。
私は隣に座り、卓上の時計を確かめた。
カイルが私の皿へ、取り分けた料理を載せた。
「冷める前に食えよ」
「カイルもね」
向かいからエミリアが笑った。
「お互いの食事の心配をするところ、似ていますね」
私たちは顔を見合わせた。
今日は、私も休憩する。
彼が頑張った日を、一緒に喜ぶために。
誇らしい肩書きと、その先に増える責任。頼もしくなる彼の隣で、リーナも歩いていきます。




