第17話 分かってる、でも寂しい
お読みいただき、ありがとうございます。
分かっているからこそ、言いにくいこともあります。今日は、忙しい二人が立ち止まって話すお話です。
新しい制服には、磨く場所が増えた。
カイルはそう言って笑ったけれど、増えたのはそれだけではなかった。
会議。訓練。部下からの報告。王城から来る通達。
休みの日にも、詰所へ呼ばれることがある。
私も店の仕事を以前より任されていたから、忙しさそのものは分かった。
それなのに、一緒に行こうと決めた夕市の最終日、また予定が変わったとき、うまく笑えなかった。
「ごめん。門の警備計画、今日中に直さないと」
彼の声は、本当に申し訳なさそうだった。
「うん。分かった」
私は買い物用の籠を棚へ戻した。
「また今度だね」
「ああ。必ず」
その言葉に、胸の奥が少し痛んだ。
必ず、の日が決まらないまま、また今度が増えていた。
*
私は一人で夕市へ行った。
食材を見るついでだと言えば、用事ができる。
露店の前で、二つ買いかけた焼き菓子を一つに直した。
店主は気にしなかった。私だけが、いつまでも気にしていた。
帰り道、神殿の前でエミリアに会った。
「リーナさん、お一人?」
「はい。カイル、仕事が延びて」
「よければ、お茶を飲んでいきませんか。ユリウスも、今から休憩なんです」
少し迷い、私は頷いた。
明るい談話室には、ほかにも二人、治療院の職員がいた。
ユリウスが椅子を引いてくれる。
「何かあった?」
「……顔に出てる?」
「少し」
私は焼き菓子の袋を机へ置いた。
*
話すと、思っていたより声が沈んだ。
仕事なのは分かる。私に会うために誰かを待たせてほしくない。
ただ、私も待っている。
「そんなこと言ったら、困らせるでしょう」
私が言うと、エミリアはお茶を注ぐ手を止めた。
「困ることと、聞きたくないことは違うと思います」
ユリウスも頷いた。
「カイルは、リーナが平気だと思ってるかもしれない」
「でも、大変なのに」
「大変だからって、相手の気持ちを知らずにいたいわけじゃないよ」
ユリウスは少し困ったように笑う。
「俺も、エミリアに教わった」
「今も、教えているところです」
彼女が言い、私たちは笑った。
誰も、代わりにカイルを責めなかった。
そのことが、ありがたかった。
私はお茶を飲んだ。
今夜、話してみようと思った。
*
カイルが来たのは、閉店直前だった。
「夕市、行けた?」
「うん。一人で」
彼の顔に、申し訳なさが浮かぶ。
私は布巾を置いた。
「少し、話してもいい?」
彼はすぐ頷いた。
母へ片づけを頼み、二人で裏口へ出る。
私は深く息を吸った。
「仕事なのは分かってる」
「うん」
「でも、寂しかった」
言えた。
言った瞬間、涙が出そうになった。
「一緒に行くつもりで、その日まで楽しみにしてたから。今日だけじゃなくて、この前も、その前も」
カイルは黙って聞いていた。
「全部、私を優先してほしいわけじゃない。でも、平気なわけでもない」
「……うん」
「私も約束を断ること、あると思う。そのときは、寂しかったら言ってほしい」
彼が目を伏せた。
その沈黙が怖かった。
取り消したくなるのを、私はこらえた。
*
「俺、分かってるつもりだった」
ようやく、彼が言った。
「でも、リーナなら分かってくれるって、甘えてた」
声が低かった。
「急ぎの仕事と、今日やっとけば自分が楽な仕事を、全部一緒にしてたかもしれない」
私は顔を上げた。
カイルは眉を寄せていた。
「人に頼んでもいいのに、俺がやったほうが早いって。部下が失敗したら、俺の責任だからって」
「それ、私にもある」
「うん。だから、偉そうに言えねえなと思って」
少しだけ笑った。
彼は続けた。
「全部変えられるとは、言えない。でも、断る前に、一回考える。人に任せていい仕事なのか」
私は頷いた。
「私も、残念だったって言う。次が決まらないのが寂しいって、言う」
「言って」
彼が手を差し出した。
私はその手を取った。
*
その夜は、それで仲直りが全部終わったわけではなかった。
カイルが帰ってから、言いすぎたかもしれないと思った。相手が疲れていると分かっていて、さらに荷物を渡してしまったようで、眠る前に何度も会話を思い返した。
翌朝、店の仕込みに来た母へ、そのことを少し話した。
「相手が困った顔をしたら、言わなかったほうがよかったって思うの?」
母に聞かれ、私は頷いた。
「困らせたいわけじゃないから」
「一緒に考えてもらうのは、困らせるのと同じじゃないよ」
母は玉ねぎの皮をむきながら言った。
「お父さんだって、店を始めるときには私に相談した。困ったよ。お金も、住む場所も、決めることばっかりで」
「……うん」
「でも、何も聞かされずに決まってたら、もっと困った」
私は黙って、まな板を拭いた。
彼と一緒に考えたい。それは相手を信じているから言えることでもあるのだと、少しずつ思えてきた。
午後、カイルの同僚が食事に来た。
いつものように料理を出すと、彼は何でもない顔で言った。
「カイル、今日はちゃんと仕事を振ってましたよ」
「そうなんですか」
「俺がやるって言ったら、頼むって。新人の報告も、一回本人に直させてました」
それ以上、私たちの事情には触れなかった。
私は厨房へ戻り、煮込みの鍋をかき混ぜた。
私と過ごす時間のためだけではない。誰かが全部背負わなくても回るようにすることは、彼の仕事にも必要なのかもしれなかった。
その夜、来られないという短い伝言が届いた。
今度は、休みの候補が二つ添えてあった。
私は紙を読み、机の上へそっと置いた。会えないのは同じでも、次を考えてくれている。それだけで、待つ気持ちは少し違った。
私も返事を書いた。
二つ目なら、空けられそう。話せてよかった。
紙を折る前に、迷って一行足した。
会いたいです。
文字にすると、また頬が熱くなった。
でも、消さなかった。
翌週、カイルは一枚の紙を持ってきた。
自分の勤務表だった。
「全部じゃないけど、ここは休めるように話した」
彼が指したのは、月に一度の午後だった。
「有事には変わる。でも、そのときは代わりの日も、一緒に決めたい」
私は自分の手帳を出した。
「その日は、仕入れを母さんと替われると思う」
丸をつける。
紙の上の小さな印が、嬉しかった。
彼に何もかも諦めてもらったわけではない。
私も我慢するだけで終わらなかった。
二人の予定を、二人で守ろうと決めた。
そのあとカイルは、気まずそうに小袋を出した。
「夕市の菓子、買いそびれただろ」
「一つ、食べたよ」
「じゃあ、これは今日の分」
袋を開けると、少し形の崩れた菓子が二つ入っていた。
「走った?」
「……少し」
私は笑った。
*
約束の午後、二人で水路沿いを歩いた。
大した予定は立てなかった。
途中でお茶を買い、空いているベンチへ座る。
カイルは少し疲れているようだった。
「眠い?」
「少し。でも、会いたかった」
「私も」
彼が肩を寄せた。
私はその重みを受け止めた。
頼れる人になっても、疲れる日はある。
そばで休むために会う日があってもいい。
「今日は、何もしなくていいね」
言うと、カイルが笑った。
「俺、何かしないと、つまんねえかなって思ってた」
「そんなことない。ここにいて」
彼の手が、私の手を包んだ。
約束を守れたからといって、これから全部うまくいくわけではないだろう。
でも、寂しいと言っても終わらなかった。
そのことを、私は覚えておきたかった。
彼の手袋に、ほつれが一つあった。
「これ、あとで直そうか」
「今はいい。一緒に座ってて」
私は頷き、伸ばしかけた手を戻した。
何かをしてあげなくても、ここにいることが彼の望みなのだと、その日は素直に受け取れた。
カイルが目を閉じる。
私は水路の音を聞きながら、彼の肩へ自分の肩を寄せた。
寂しいと言っても、関係は終わらない。伝え合いながら、二人に合う暮らし方を探していきます。




