第14話 幸せになってね、その先へ
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今日は、ユリウスとエミリアの結婚式です。いつもの食堂も、少しだけ晴れの日の装いになります。
白い布の長さを測りながら、私は三度目のため息をついた。
「結婚式って、料理以外も大変なんだね」
母が隣で針を動かしている。
「二人の暮らしを、みんなで祝いに集まるんだから。人数が増えれば、布も皿も増えるよ」
ユリウスとエミリアの結婚式まで、あと三日。
私たちの食堂は、式のあとの小さな食事会を頼まれていた。
治療院の先生や同僚、家族。近しい人たちだけの席だ。
エミリアは何度も、無理のない範囲で、と言った。
父はそのたび頷き、献立を増やそうとして母に止められた。
「無理のない範囲って、父さんにも難しい言葉だね」
「だから、私がいるの」
母は笑って、縫い終えた布を広げた。
*
当日の朝、神殿の窓から細い光が差していた。
王都の神殿は、祈るだけの場所ではない。食べる物に困った人へ炊き出しをし、治療院と協力し、子どもたちに文字を教える。
そこで働く司祭も、結婚する。
家族を持つ人も、一人で暮らす人も、それぞれの生活を続けながら人を支えるのだと、エミリアが教えてくれた。
私は式の前に、控室へ顔を出した。
エミリアは淡い色のドレスを着ていた。
「……きれい」
思わず言うと、彼女は照れたように笑った。
「ありがとう。まだ、裾を踏みそうで怖いんです」
「今日は、ユリウスに持ってもらいましょう」
「あの人も緊張してるから、一緒に踏むかも」
二人で笑った。
机には、普段使っている仕事の鞄が置いてある。式の翌々日には二人とも仕事へ戻るらしい。
特別な日の向こうに、いつもの暮らしが待っていた。
*
廊下へ出ると、正装したユリウスが立っていた。
襟元へ手をやり、何度も直している。
「曲がってる?」
「真っすぐ。もう触らないほうがいいよ」
彼は手を下ろした。
「……そうか」
「エミリア、すごくきれいだった」
「うん」
声が柔らかくなった。
それだけで、彼がどんな顔で彼女を見たのか想像できた。
「リーナ、今日はありがとう」
「お礼は、うちの料理を食べてから」
「楽しみにしてる」
少しの沈黙があった。
前世の名前を呼びたくなる瞬間が、ないわけではない。
大学の食堂や、歩いた道。もう戻れない時間が、この人の中にも残っている。
私はゆっくり息をした。
「おめでとう、ユリウス」
今の名前で言えた。
彼は一度、唇を結んだ。それから、真っすぐ笑った。
「ありがとう、リーナ」
廊下の向こうで、エミリアが彼を呼んだ。
ユリウスが振り返る。その横顔には、私がもう知っている、今の彼の幸せがあった。
*
式では、二人が誓いの言葉を交わした。
病気の日も、働けない日も。相手の声を聞き、一緒に暮らすことを続ける。
華やかな言葉より、私にはそこが胸に残った。
隣の席で、カイルがじっと二人を見ていた。
彼は休みを替わってもらい、式に参列してくれた。
レオンは後ろの席にいる。目立たないように座っているのに、体が大きくて隠れきれていない。
誓いが終わり、拍手が起きた。
私も手を叩いた。
嬉しくて、少し涙が出た。
カイルが横からそっと布を差し出してくれた。
借りて頷くと、彼は何も聞かず、また前へ向き直った。
*
食堂は、いつもより明るかった。
白い布を掛けたテーブルに、母が花を置く。
父は厨房で張り切り、私は皿を運んだ。
「座って食べなよ」
エミリアに言われたけれど、忙しく動くほうが落ち着いた。
「あとで、ちゃんと食べます」
「その『あとで』、ユリウスと同じですよ」
言い返せなくなった。
カイルが笑って、空の皿を重ねる。
「俺が下げるから、一回座れ」
「お客さんでしょう」
「今日は、祝う側の手伝い」
父も厨房から、少し休めと声をかけた。
私はようやく席に着いた。
ユリウスとエミリアが並んで座る。その前には、冷めないうちにと用意した料理が並んでいた。
父が嬉しそうに見ている。
食べてもらうまでが仕事で、喜んでもらえたら、こちらまで満たされる。
私の大切な仕事だった。
*
祝杯を勧められたレオンは、今日は一杯だけにした。
「明日、朝が早いんでな」
「また討伐?」
私が聞くと、彼は頷いた。
「街道の見回りを兼ねて。大したもんじゃない」
「気をつけてね」
彼は杯を見た。
「ああ」
それから新郎新婦へ向き直り、少し照れくさそうに言う。
「困ったら呼べ。運ぶ物とか、壊す物くらいなら手伝える」
「新居は、壊さないでくださいね」
エミリアが笑った。
ユリウスも笑って、礼を言った。
レオンはそれ以上長く話さず、空になった皿を父へ渡した。
帰り際、カイルの肩を軽く叩いた。
「お前も、ちゃんと食え」
「食ってるよ」
「なら、いい」
短いやり取りを残して、彼は店を出た。
*
食事会が終わる頃、エミリアが私のそばへ来た。
「今日は、本当にありがとう」
「こちらこそ。お祝いさせてもらえて嬉しかった」
彼女は白い花を一輪、私へ差し出した。髪飾りに使った花と同じものだった。
「カイルさんと、また遊びに来てください」
「うん。二人のお休みの邪魔にならない日に」
「邪魔じゃありません。ゆっくりご飯を食べましょう」
私は花を受け取った。
ユリウスが上着を持ってきて、彼女の肩へ掛けた。
エミリアが自然に礼を言う。
私はその姿を見て、また少し笑った。
前の人生の恋が、大切でなくなったわけではない。
ただ、目の前の二人が幸せであることを、ちゃんと嬉しいと思えた。
*
片づけが終わってから、カイルと軒下へ出た。
夕方の空は澄んでいた。
「いい式だったね」
「ああ」
「二人とも、すごく嬉しそうだった」
彼は頷き、私の手の花を見る。
「泣いてたな」
「少しだけ」
私は借りた布を取り出した。
「洗って返すね」
「いいよ、いつでも」
その言葉で、なぜか胸がきゅっとした。
返す日を急がなくていい相手がいる。明日でなくても、次があると思える。
私は隣の人の袖へ触れた。
「今日は、何も聞かないでいてくれてありがとう」
カイルが私を見る。
「話したくなったら、聞くから」
私は頷いた。
「今は、いい式だったって、それだけ」
「うん」
彼の手が私の手を包んだ。
白い花をつぶさないように、空いたほうの手を持ち替える。
カイルが少し笑った。
「リーナ、花、好きなんだな」
「今日のは、特別」
「そっか」
「さっきの誓い、いいね」
私は言った。
「病気の日も、働けない日も、って。ちゃんと先に言うんだね」
カイルは少し考えた。
「毎日元気とは限らねえしな」
「うん。私、病気のとき、役に立たなきゃって考えちゃった」
「役に立つから、そばにいたいわけじゃないだろ」
彼は真面目な顔で言った。
私は言葉を失った。
「俺だって、腰とか痛めたら、しばらく役に立たないかもしれないし」
「それは休んで。ちゃんと治すのを手伝うよ」
「ほら」
カイルが笑った。
私は少しだけ、目を伏せた。
人には言えるのに、自分のことになると難しい。何もできない日にも、一緒にいていい。彼は当たり前のように、その席を空けてくれている。
「私も、そう思っていいんだね」
「ああ」
すぐ返ってきた答えが嬉しかった。
急いで何かを決めなくてもいい。今日は二人の結婚式を祝う日で、私たちの約束を増やす日ではない。
それでも、いつか疲れて座り込んだとき、この会話を思い出せたらいいと思った。
私は花を少し持ち上げた。
「帰ったら、水に挿さなきゃ」
「うん。まだ咲くな」
「何日くらいかな」
「分かんねえけど、明日も見られるだろ」
その言い方に、私は笑って頷いた。
遠くで夕方の鐘が鳴った。
誰かを見送った日と同じ街で、私は新しく始まる暮らしを祝った。
そして今、隣にいる人の手を握っていた。
その温かさを、急いで別の約束に変えず、今日はただ覚えていたかった。
大切な思い出を持ったまま、今の幸せを祝う。リーナにも、温かい時間が残りました。




