第13話 恋人にも、言っていいこと
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恋人になっても、仕事中は仕事中。短い休憩の中で、二人が少しずつ約束を増やしていきます。
恋人になって初めての約束は、店の裏口で十五分だけだった。
カイルの休憩が昼過ぎ、私の休憩は夕方前。手帳を並べてみたら、重なる時間がそれしかなかった。
「十五分あれば、会えるだろ」
彼は嬉しそうに言った。
だから私も嬉しくなった。
長い外出ができなくても、会えるのなら、それでよかった。
昼食の片づけを急ぎすぎないように、一つずつ終わらせる。母が交代してくれたので、私は小さな包みを二つ持って裏口へ出た。
角を曲がってきたカイルが、私を見つけた瞬間に笑った。
その顔を見ると、つられて笑ってしまう。
「早かったね」
「ちょっと頑張った」
「走ってない?」
「少し」
息が弾んでいた。
私は水を差し出した。
*
裏庭の木箱に板を渡せば、二人分の腰掛けになった。
店の中では、母と常連さんが話している。厨房の包丁の音も聞こえる。
秘密の場所には、あまり向いていない。
けれどカイルは隣に座ると、満足そうに息をついた。
「何、それ」
「お昼の残り。肉と野菜をパンに挟んだの」
「うまそう」
包みを渡す。彼は礼を言い、私が食べ始めるのを待ってからかじった。
「付き合ったって、同僚に話した?」
聞くと、カイルは少し遠くを見た。
「話す前にばれた」
「どうして」
「知らねえ。顔に出てるって」
私は笑いそうになり、パンを飲み込んだ。
「やっぱり」
「リーナも、人のこと言えないと思うけど」
私の番になって黙った。
母には、今朝、塩と砂糖を二度確かめられた。
*
「あと、聞いておきたいことがある」
カイルが包みを膝に置いた。
少し緊張して、私は彼を見る。
「仕事中の俺を見かけても、無理に声かけなくていいから」
「……迷惑?」
「違う」
慌てて首を振られた。
「お前、気を遣うだろ。挨拶しなきゃとか、邪魔しちゃ駄目だとか。会釈だけでも分かるから」
「そういうこと」
「ああ。こっちも、人と話してるときは行けないし」
私は頷いた。
「私も、お店が忙しいと、ちゃんと話せないかも」
「知ってる。注文通す声、俺に話すときの倍くらい出るもんな」
「出さないと聞こえないんだよ」
カイルが笑う。
恋人になったら、何もかも特別にしなければいけないのかと、少し身構えていた。
仕事中は、仕事をする。
それを先に話せたことが、ありがたかった。
*
その数日後、私はユリウスとエミリアへ、二人そろっているときに交際のことを伝えた。
治療院へ料理を届けた帰りだった。
「おめでとうございます」
エミリアが自分のことのように笑ってくれた。
「衛兵のカイルさん、ですよね。以前、患者さんを運ぶのを手伝ってくださって」
「はい」
「あの方、子どもにすごく好かれるんですよ」
想像できて、私も笑った。
ユリウスは空の箱を重ねていた。顔を上げ、穏やかに言う。
「よかったね、リーナ」
「……うん。ありがとう」
ほんの一瞬、昔の食堂のテーブルが浮かんだ。
でも目の前のユリウスの袖には、エミリアが直したらしい小さな縫い目があった。
彼女が箱の数を確かめ、彼が自然に持ち上げる。
二人で暮らしてきた時間が、そんな動きにも見えた。
「今度、お二人で食べに来てくださいね」
「ぜひ。式の打ち合わせが落ち着いたら」
エミリアの言葉に、私は顔を上げた。
「日取り、決まったんですか?」
彼女は嬉しそうに頷いた。
*
レオンが来たのは、その翌日のことだった。
遅めの昼を注文し、いつもの端の席へ座る。
私は水を置いたあと、少し迷って声をかけた。
「レオン。私、カイルと付き合うことになったの」
彼の手が、杯の横で止まった。
短い沈黙があった。
それから、ゆっくり頷く。
「……そうか」
「うん」
「よかったな」
いつもどおりの声だった。
私はほっとして笑った。
「ありがとう」
レオンは杯を取り、水を飲んだ。
「あいつ、浮かれて仕事を忘れてねえだろうな」
「ちゃんと、頑張ってるよ」
「なら、いい」
煮込みが来ると、彼は静かに食べ始めた。
私はその席を離れ、ほかのお客さんの注文を聞いた。
戻ったときには、もう皿が空だった。
*
夕方、カイルが店へ顔を出した。
食事ではなく、ひと言だけ伝えに来たらしい。
「明日、夜の当番に変わった。しばらく昼は寝てると思う」
「分かった。教えてくれてありがとう」
頷いてから、昼間のことを話した。
ユリウスたちが喜んでくれたこと。レオンもお祝いを言ってくれたこと。
カイルは聞いていたけれど、レオンの名前が出たときだけ、少し口を結んだ。
「……あいつ、何か言った?」
「仕事を忘れてないだろうな、って」
「あの野郎」
言い方がおかしくて笑うと、彼も苦笑した。
でも、どこか落ち着かない顔だった。
「カイル?」
「いや。何でもない」
そう言ってから、彼は眉を寄せた。
「違うな。何でもなくは、ない」
私は手元の布巾を置いた。
「聞いてもいい?」
彼はしばらく迷ったあと、小さく頷いた。
*
「レオン、頼りになるだろ」
「うん」
「俺も、すげえと思ってる。戦い方も、知ってることも」
カイルは腰の留め具を指で直した。
「だから、何かあったら、俺よりあいつに頼むほうが早いこともあるだろうなって」
私は彼を見た。
カイルは笑おうとして、やめた。
「……格好悪いな、これ」
「話してくれて、ありがとう」
先にそう言うと、彼が顔を上げた。
「レオンが大切なのは、本当。でも、私、カイルと一緒にいたくて付き合ったんだよ」
声を落とした。
「誰が一番強いかで、決めてない」
彼の指が止まる。
「全部できなくても、会いたい相手はカイル。困ったことも、先に話したい」
私は少しだけ笑った。
「計算、苦手なのは知ってるけど」
「そこ、覚えてるのか」
「嘘つかなかったから、嬉しかったんだよ」
カイルが、ようやく笑った。
次に何を言うか迷っている間に、彼の手がカウンターへ置かれた。
私はその指へ、自分の指をそっと重ねた。
*
「俺、嫉妬することもあると思う」
「うん」
「でも、それでリーナに誰とも話すなって言いたいわけじゃない」
「うん」
「だから、変な顔してたら聞いて」
私は頷いた。
「私も、平気じゃないのに大丈夫って言いそうになったら、言い直す」
彼が私の手を握り返した。
何でも分かり合えるわけではない。
同じ記憶があるからといって、今の心まで見えるわけでもない。
それでも、見えないものを少しずつ言葉にできた。
カイルは窓の向こうを一度見てから、また私へ向き直った。
「一つ、聞いていい?」
「何?」
「店に来てるとき、俺ばっかり気にしなくていいからな」
私は瞬きをした。
「ほかのお客さん、待たせたら嫌だろ」
「うん。でも、寂しくない?」
「さっき、話しただろ。俺を選んでくれたって。それが分かってたら、飯食いながら待てる」
少し考え、彼は笑った。
「閉店まで待つのは、時々にするけど」
「それは、母さんに追い出されるよ」
私は笑い返した。
恋人だけを見つめていればいい暮らしではない。彼には守る街があり、私には食事を待ってくれる人がいる。
それを邪魔だと思わずに、二人の時間を作りたい。
「混んでる日は、ちゃんと順番待ってね」
「ああ。帰りに一言話せたら、それでも嬉しい」
彼の親指が、私の指の横で小さく動いた。
たった一言でも嬉しい。その気持ちは、私にも分かった。
店の奥から、母が咳払いをした。
「そろそろ、夕方のお客さん来るよ」
私たちは同時に手を離した。
カイルが立ち上がる。
「仕事、頑張れよ」
「カイルも。ちゃんと寝てね」
彼は嬉しそうに頷いた。
その顔を見て、私は思った。
恋人にだけ見せる顔は、甘い顔ばかりではない。
不安な顔も、ちょっと情けない顔も、安心して見せ合えるようになりたい。
不安な気持ちも、言葉にして渡していい。二人にとって、そんな関係が育つ一日でした。




