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生まれ変わったこの街で、もう一度恋をする  作者: 凡夫 成


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12/15

第12話 今のお前に、伝えたい

お読みいただき、ありがとうございます。


今日は、カイルが今の気持ちを言葉にする夜です。リーナと一緒に、彼の話を聞いていただけたら嬉しいです。

 カイルが借りた石を返しに来たのは、雨の翌々日だった。

 包んでいた布は洗われて、畳み目までまっすぐになっていた。

「助かった。ありがとう」

「父さんにも伝えるね」

 受け取ると、その下から小さな紙袋が出てきた。

「これは?」

「布を借りた礼」

「石じゃなくて?」

「両方」

 袋には、蜂蜜の焼き菓子が入っていた。父と母の分も、きちんと三つある。

 彼は耳の後ろをかいた。

「今日、閉店のあと、少し時間もらえる?」

 私は袋を落としそうになった。

「うん」

「仕事、延びない日だから」

「分かった」

 頷いてから、もう一度頷いた。

 カイルはなぜか真剣な顔になり、店を出ていった。


     *


 その日の夕飯は、少しだけ塩が足りなかった。

「リーナ、味見した?」

 父に聞かれ、私は慌てて鍋を見た。

「あ、ごめん。今、する」

「今日は何回、時計見た?」

「見てない」

 答えながら、壁の時計へ目が行った。

 父は笑わなかった。かわりに、自分で塩をひとつまみ入れた。

「落ち着かない日は、声に出して確認しよう。皿の数も、火を消したかも」

「……はい」

 仕事と気持ちは、別々になってくれない。

 それでも、お客さんの夕飯まで落ち着かない味にしてはいけない。

 私は注文の札を声に出して読み、もう一度、皿を確かめた。

 そのあいだも、心のどこかは夜へ向かっていた。


     *


 約束の時刻に、扉の鈴が鳴った。

 今夜のカイルは私服だった。

 私も着替えて降りるつもりだったのに、片づけが少し延びた。

「ごめん、待ってて」

「手伝う」

「いいよ。もう終わるから」

 彼は頷き、持ち上げかけた椅子をそっと戻した。

 何でもしてあげたい顔なのに、私が断ると待ってくれる。

 それが今夜は、妙に胸に残った。

 二階でエプロンを外し、髪を整える。白い花を留め、深く息をした。

 鏡の前の私は、何かを期待している顔だった。

 そう気づいてしまうと、階段を下りる足が遅くなった。


     *


 水路沿いの道には、夕食を終えた人がぽつぽつと歩いていた。

 カイルと並ぶと、袖が時々触れる。

 手をつなぐかどうかを考えるだけで、うまく話せなくなった。

「今日は忙しかった?」

 彼が聞いた。

「うん。塩、入れ忘れた」

「大事件じゃん」

「父さんが直してくれたから、お客さんには出してないよ」

「よかった。俺、毎日通っても平気だな」

「毎日は飽きるよ」

「飽きねえよ」

 迷いなく言われ、私は顔をそらした。

 橋のたもとまで来ると、カイルが足を止めた。

 店の明かりが届く、静かな場所だった。

「リーナ」

 名前を呼ばれた。

「話したいこと、ある」

 私は頷いた。


     *


「昔、陽菜のこと、好きだった」

 胸が詰まった。

 ずっと聞けなかった言葉だった。

 小学五年生の夏の先に、しまい込んだままの答え。

「俺さ。お前と遊ぶって決まってると、朝から落ち着かなくて。何して遊ぶか、前の晩に考えてた」

「……私も、楽しみだったよ」

 声が少しかすれた。

 カイルが頷く。

「でも、それだけで、今も同じだって言うのは違うよな」

 私は彼を見た。

「お前がここでどう暮らしたか、俺はほとんど知らない。好きだった人も、嫌だったことも。二十年もあるんだもんな」

 彼の手が、膝の横で一度握られた。

「最初は、会えたのが嬉しかった。生きてるってだけで、十分だと思った」

「うん」

「でも店で笑ってるのを見て、無理してるのを見て。この前、会いに来てくれて」

 彼が、少し照れたように笑った。

「十分じゃなくなった」

 水路の水が、橋の下へ流れていく。

 私は両手を重ね、指先を握った。


     *


「もっと会いたい。昔話だけじゃなくて、今日あったこと、明日やりたいことも聞きたい」

 カイルは、私から目をそらさなかった。

「仕事で、約束守れない日もあると思う。この前みたいに、待たせることもある」

「うん」

「格好いいことばっか言えないけど、話さずに諦めるのは、やめたい」

 そこで一度、息を吸った。

「今のお前と、付き合いたい。リーナ」

 私は返事をしようとした。

 でも、最初に出たのは息だけだった。

 カイルが待っている。

 急かさず、答えを決めた顔もせずに。

「私も」

 ようやく声が出た。

「晴斗に会えたの、嬉しかった。ずっと、もう会えないと思ってたから」

 彼の瞳が揺れた。

「でも、今、会いたいって思ってるのは、カイルだよ」

 言葉にすると、胸の中にあったものがはっきりした。

「お店の扉が鳴ると、来たかなって思う。休みが分かると、一緒にどこへ行こうかなって考える」

 頬が熱い。

 それでも、途中で笑ってごまかしたくなかった。

「カイルのこと、もっと知りたい。私も、付き合いたい」

 彼は黙っていた。

 驚いているようにも、困っているようにも見えた。

「……カイル?」

「聞こえてる」

 声が、少し上ずった。

「聞こえてるけど、もう一回、言ってほしい」

「無理」

「何で」

「恥ずかしいから」

 彼が笑った。私も、とうとう笑ってしまった。


     *


 差し出された手に、自分の手を重ねた。

 昨日までと同じ手なのに、今日は離したくなかった。

「抱きしめてもいい?」

 カイルが尋ねた。

 私は頷いた。

 大きな腕が、ゆっくり背中へ回る。

 強く引かれるのではなく、私が近づくのを待ってくれた。

 胸元へ額が触れた。

 心臓の音がした。

 私の音より、速い気がした。

「……緊張してる?」

 小さく聞くと、頭の上から声がした。

「してるに決まってるだろ」

 少し笑ってしまった。

「私も」

 上着をつかむと、背中の腕にほんの少し力がこもった。

 怖いくらい嬉しかった。

 今度こそ失いたくないと思った。

 その願いを、今夜全部彼に背負わせたくはなかった。

 だから私は、ただ言った。

「これから、よろしくね」

「ああ。よろしく」


     *


 帰り道、話すことはたくさんあるはずなのに、二人とも静かだった。

 手をつないでいるだけで、会話の場所までいっぱいになったみたいだった。

 店の前へ着いても、カイルはすぐ手を離さなかった。

「明日、顔に出るかな」

「もう出てるよ」

 私が答えると、彼は困った顔をした。

「仕事、大丈夫かな」

「そこは、ちゃんとして」

「する」

 真面目に頷くのがおかしかった。

 扉を開ける前に、私から手を握り直した。

「会えて、よかった」

 カイルがこちらを見る。

「俺も」

 それだけで、また帰りづらくなった。


     *


 父と母には、その夜のうちに話した。

 カイルは玄関先で背筋を伸ばし、私の隣に立っていた。

「リーナさんと、お付き合いさせてもらうことになりました」

 いつもと違う呼び方に、私まで緊張した。

 母は驚かなかった。

「そう。リーナが困った顔をしたら、ちゃんと聞いてやってね」

「はい」

「言いたいことがあるのに、忙しいからって飲み込む子だから」

「母さん」

 抗議すると、父が口を開いた。

「カイルさんも、言っていいんですよ。うちの娘、世話を焼きたがるでしょう」

 彼は私を見て、少し笑った。

「はい。助かってます」

 父も笑った。

 祝福は、食堂らしく温かいお茶になった。

 母が焼き菓子を出してきた。昼間、カイルが持ってきてくれたものだった。

「三つだから、誰かと半分ね」

「私、カイルと分ける」

 口にしてから、父と母の顔を見られなくなった。

 隣でカイルが咳払いをする。

「じゃあ、俺が小さいほうで」

「同じ大きさに割ればいいでしょう」

「それが難しいんだろ」

 私たちは皿の上で菓子を割った。少しだけ大きいほうを彼へ渡すと、カイルは黙って受け取った。

 母が笑いながら、お茶を注いでくれた。

 特別な夜なのに、食べるものを分けている。そういう始まりが、私たちには似合う気がした。

 四つ並んだ杯を前に、カイルがほっと息を吐く。

 私は隣で、その袖へそっと触れた。

 恋人になったからといって、明日の仕事がなくなるわけではない。

 休みも、都合よく合ってはくれない。

 それでも、明日会いたいと伝える相手ができた。

 その人が、私の隣で笑っていた。


思い出の続きから、今を生きる二人の恋へ。ここからは、恋人同士としての日々も描いていきます。

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