いざ、決戦 2
昨夜はオルダヤをチカリヤへ無償譲渡する条約の署名式が直前で延期になった顛末を、いろいろとSNSに書き綴った。スマホによる撮影だったけど生配信もされていたので、世界中でその様子が見られたようです。今後どうなっていくのかという質問がとにかく多かったのですが、残念ながらその見通しは立っていない。
高度な政治状況、駆け引きの勝者によって今後の展開は開けてくるでしょう、としか答えられなかった。いくつかのパターンは二人の大統領と話し合いましたが、いずれにせよここからはチカリヤの代表としてオルダヤ譲渡の一切の話を仕切るイグリー、そして洗浄党のタテハナやカストとの戦いですから、これまでとはまったく違う世界に突入していきます。
六日目の朝。今日も官邸へ出掛ける。洗浄党との会談の予定はないが、条約への署名をとにかくやめさせるために出向く。見方によっては国と国との合意締結を妨害しているとも言えるが、今妨害できなければ祖国は祖国でなくなる。
昨日は車での移動にかなりの時間が掛かったので、朝七時にホテルを出発した。すると渋滞もなければ検問もなく、三〇分ほどで着いてしまう。さすがにこの時間に官邸に出向くわけにもいかず、官邸が入るマンションの前に車を止めてしばらく待機する。
「ペト、ハット。今日署名は行われるのかな?」
「チカリヤ側は何としても今日終わらせたいんじゃないかな」
「僕もそう思う。イグリーにすれば昨日のことでメンツが潰されているから、今日は少々強引になっても構わない、そんな気持ちで来ると思うよ」
「洗浄党側はどうするのかな。やっぱり〝総帥〟が登場するのかな。俺、タテハナなんて見たことがないんだよなあ」
「昨日のイグリーの話によると、この合意案を詰めたのはチカリヤのシュトレ・ルキン国家主席とトクル・カストによるものだと言ってた。だからタテハナは今回の件には関与していないのかもしれない。そうなると最高顧問のカスト、顧問のマカイあたりが登場するのかな……」
「私もハットの意見に賛成。しかし、本当にタテハナは関与していないのかな」
「洗浄党ってタテハナがトップにいて、強固なピラミッド型の組織になっていると僕は思っているけど、実際には違うのかな」
「実はタテハナはただのオーナーで、本当はカストやマカイがトップだったりしてな」
「タテハナはオーナーか……。あり得るかもしれないね」
車中でこんな話を一時間半ほどして、九時を回ったところで官邸へ向かった三人。
「おはようございます……」
「君たちか、おはよう」
出迎えたのはセビイ・マガラだった。
「今日もチカリヤ代表としてイグリーたちが来るんですよね、何時ごろですか?」
「一一時から署名式が始まるから、その少し前だろうね」
「昨日、体調不良で出てこられなかったのですが、何かペナルティーを課されたのですか?」
「ここへ来なくちゃいけなくなったのがペナルティーだよ」
「どういうことですか?」
カストとマカイの二人に、今日の署名式は何があっても出席して署名すること、もし出席しないのならばセビイ・マガラの名において洗浄党を解散しろと迫られた。さすがに党の解散は避けるほうが良いと判断し、今日は官邸へ来たのだという。
「顧問のカストとマカイが出席して署名するのかと思っていました」
「彼らは党の顧問だけどオルダヤ国の閣僚ではないから、国同士の正式な約束事への署名はできないからね」
「マガラ首相、ということは、あなたの名においてオルダヤ譲渡に合意し署名するということですね」
「うん……」
ここからはやたらと小声で話し始めるマガラ。官邸内の監視カメラのマイクに声を拾われないためのようです。
「正直に言って迷っているんだよ。自分の国をチカリヤに差し出すことに合意して今後の展開が君たちの言うとおりだとすれば、私は国民に恨まれるどころでは済まないから」
「そりゃあ、国民からすれば売国奴以外の何者でもないもんな」
「そう、でも署名を拒否すれば今度は洗浄党解党の決定書に署名しなきゃいけない。すると今度は党職員など、顧問たちとは違い恵まれた生活を過ごせてはいない人たちを路頭に迷わすことになる。するとその元職員たちから恨まれるわけだからな」
「でもこれまでにも同じように解党してきた経験がありますよね」
「あるんだけど、これまではもうこの党は危ないなと思ってみんな身構えていた。でも洗浄党はオルダヤとチカリヤが協力体制を敷いても、党に所属している人たちには何の影響もないと言ってきた。なのに解党となり、いきなり放り出されることになると……」
「やはり自身のことしか考えていないのですね。国民から恨まれるか、元党職員から恨まれるか。私は正直言ってガッカリしてます」
「僕も同じです。国を何とかしなきゃと思いながら僕たちは動いてきたけど、肝心な国のトップがこれでは……」
「そもそも自分で決断できなくて、体調不良を理由に逃げた首相だからな」
最後のブルの言葉はやはり刺さったのか、マガラはうつむき加減になってしまった。
パガーノとジェンキンズの両大統領は、三人が官邸に入って三〇分ほど経過したころにやってきた。
「ハット、ペト、ブル。ずいぶん早くホテルを出たみたいだな」
「また道路工事や検問があると困るので、遅れないように出てきました」
「いい心掛けだな、この人は?」
「ジェンキンズ大統領はじめまして。私はオルダヤの首相で洗浄党の党首をしているセビイ・マガラと言います」
「マガラ首相、お久しぶりです。ヒカルゴで大統領を経験した方はこちらでは普通の職員、閣僚ではあるものの首相の部下だった交通大臣はこちらでは首相であり党首。すごくややこしい立ち位置になるんですね」
「パガーノ大統領、あの当時は国家安全情報部長官でしたね、お久しぶりです」
「パガーノ大統領とは昔からのお知り合いですか。ところで、今日の署名はどうされるのかな? まさか祖国を他国へ無償譲渡する条約に署名するのですか? そんな国民への裏切り行為は許されないでしょう」
「ジェンキンズ大統領……」
三人と話した時と同じように、声を潜めて話し始めた。
「ハットたちとも話したのですが、まだ迷ってます。署名して多くの国民を裏切るのか、署名せずに洗浄党を解党して党職員を路頭に放り出すのか。どちらにしても誰かを悲しませ、私はどちらを選んでも悪者です」
「政治家たるもの、常に間違えないようにベストな選択をずっと続けるのが仕事だ。もっとも被害が少ないように、もっとも影響が小さくなるように正しく選択する。今だけを見るのではなく先々も見据えて。一部からは異論も出るし、罵詈雑言を浴びせられることもあるだろう。でもそれが政治家の仕事だ。今回だって同じだろ」
「ええ、わかっています。だから迷ってました。でも……、今の大統領の言葉に答えが隠されていました……」
どうやらマガラは答えを導き出せたようだ。署名して国民を裏切るのか、署名せずに洗浄党を解党して党職員を路頭に迷わせるのか。その答えはあと少しで明かされる。
「今日も大国のボスが来られているのですか。アストルには関係がない他国の外交、しかもアストルやその同盟国には何の影響もない今回のチカリヤとオルダヤ間の話し合いに、なぜそこまで執拗に介入するのですか。この行為だけでも開戦の理由になりますよ」
チカリヤの代表として官邸に入ってきたイグリーは、今日も他国の大統領たちがやって来ている様子に憤りを見せた。
「今、チカリヤが行おうとしている他国の併合が、大昔、大国が好んで行った植民地政策と根本が同じだからだ。併合された国の国民は格差や不平等に苦しみ、言葉も宗教もすべてが奪われ同一化政策が強行される。今、チカリヤの自治区となっている地域はすべてがそうなっており、世界中の今の規範からははるかに外れている。もっと簡単に言えば、チカリヤは外道だということだ」
イグリーの表情はかなり険しく、本当はもっと言い返したいのだろうがぐっと我慢していた。
「マガラ、今日はあなたが復帰するので、いっしょに署名すれば完了だとカスト最高顧問にうかがっております。外野は無視して署名式を行いましょう」
イグリーの言葉に洗浄党の職員で元ヒカルゴ大統領のモドル・タイダが、署名を行う文書やペンなどをせっせと用意し始めた。
「タイダ、あなたは元大統領でしょ、今の状況をどう考えているの」
パガーノが叫んだ。
「マガラ首相、何があっても署名しないで。あなたはチカリヤ系の人だと言っても、あなたにとっての祖国はオルダヤです。そのオルダヤが消えてなくなることを認めるのですか!」
ハットも追随した。
落ち着かないどころか緊迫感が充満する中、タイダは表情も変えずに用意を終え、そして宣言した。
「お静かにお願いします、定刻になりました。ただ今からオルダヤとチカリヤ両国の合意に基づく条約署名式を執り行います」
その言葉は昨日と一字一句変わらないものだった。




