いざ、決戦 1
官邸から宿泊するホテルまで車で移動した。官邸へ来るときは道路の工事による渋滞や検問があって一時間三〇分も掛かったのに、ホテルへの移動は三〇分ほどだったし、道路工事を行った痕跡もなかった。行きと帰りで道が違うのかなと思ったが、車を運転するアストルの警備隊員に聞くと同じ道だという。洗浄党の上層部やチカリヤに嫌われている証拠だろう。
ホテルへ着くとすぐにレストランへ行くようにと伝えられ、部屋には戻らず直行した。
「ペト、ブル、ハット。署名を延期に追い込んだのはあなたたちのおかげ、本当によくやってくれたわ。ヒカルゴを預かる大統領としてお礼を言います」
パガーノ大統領がニコニコしながら三人に話し掛けたきた。話し終わると席に着くように促され、六人席に三人並びで席に着き、パガーノ大統領は対面するよう席の左側に座った。
少し雑談しているとジェンキンズ大統領とリリック分析官も現れ、ジェンキンズ大統領は三つの椅子の真ん中に座り、右隣の椅子にはリリック分析官が座った。
「ハット、ペト、ブル。よくここまで追い詰めることができたな。これでもなお署名するとしたら、洗浄党はヘム・タテハナかトクル・カストが出てくることになるだろう。彼たちには私から目いっぱいの圧力を掛けておくよ。アストルという国家とジェンキンズの本当の怖さを見せつけてやるさ」
「本当によくこの状態に辿り着くことができたわね。粘り強く会談に臨んだ結果だと思うわ。ただ洗浄党が憎いという感情が暴走しすぎて、ウネマに対する態度は褒められないけど」
「ごめんなさい、つい……」
「いやいや、ハット、あのくらい強気に出ればいいんだ。あのハットの言葉がかなり効いて、ウネマは一気に消極的になったように見えたからな」
「でもパガーノ、ジェンキンズ、分析官として言うけど、前ヒカルゴ大統領のモドル・タイダを首相に据える気がするの。今日の彼の行動を見ていると、周りであれだけ激論が交わされているのに彼ひとり涼しそうな顔していたでしょ。決められた文言だけを話し、指示されていないことには一切関わらない。あの人が首相に就けば今日みたいな状況の中でも平然と署名しそうな気がするのよ」
「あの司会をしていた男だろ? あんなのがヒカルゴで大統領をしていたとは驚きだな。まあそれだけマリオネットとしては優秀なのだろう」
――早く注文したいのにな。
ハットがそんなこと考えていると、ウェイターがナイフやフォークを並べ始めた。
「今日は私のおごりだ、一番いいコースを頼んでおいたぞ」
ジェンキンズが上機嫌に話すと、ウェイターは赤ワインを注ぎにやってきた。
「私の見立ててでは、今、世界のワインの中で最もおいしいワインだ。ハットはお酒は飲めるのか?」
「あまり得意ではありません……」
「そうか、でも最初の一杯だけは付き合ってくれ。私のささやかな気持ちだからな」
今後のことを話し合いながら食事をするワーキングディナーが始まった。
「取りあえず今日は署名の延期に成功しましたけど、リリックの見立てのように首相の代行の代行にモドル・タイダを任命して、明日にでも署名するという流れはありそうですね」
「ペト、私はそれが濃厚だと思うの。とにかく誰でもいいから〝首相〟が条約に署名すればいいわけだし、チカリヤと洗浄党の双方がそういう流れに持っていきたい、そう考えているのじゃないかしら」
「リリック、チカリヤが今回の条約の締結をメリー・イグリーにすべて任せた理由ってなんだと思う?」
「パガーノ、あのイグリーって女性は国への忠誠心が相当強いようだから、チカリヤ本国が希望する最高の結果を目指して動こうとするでしょ。そのためには手段を選ばないって言うか。今日みたいなことが起きると一気に復讐心が燃え盛るというか……、そういう人だし、チカリヤの本国から一目置かれているようだしね」
「リリック、今メリー・イグリーはほぼ自分の考えだけで動いているのか?」
「ジェンキンズ大統領、私はそんな気がします」
「だとすると、なりふり構わずどんな手を使ってでも署名に持ち込むな。現時点でイグリー自身が邪魔で潰したいと考えているのは、私やパガーノ、それにハットたち三人もだが、それ以上に洗浄党だと思うんだ。次に誰が首相や党首になろうが、また今日みたいに面倒なのはごめんだと思うのは普通だろう。だからまずは洗浄党を潰すことを考えるのではないか?」
「ジェンキンズ大統領、でも洗浄党を潰してしまうと交渉相手が不在になりますよ。今の時点ではコントロールしやすい首相や党首が就いてくれる方が、チカリヤにとっては都合がいいのかなと思いますが」
「ハット、国を代表する人間が署名すれば誰だっていいんだよ。極端な話をすれば、イグリーが洗浄党を潰して勝手にオルダヤを代表する人間を作り上げて、そいつに署名させれば問題ないだろ」
「それってノガユ・バーブやフッケ・オウダのことですか?」
「そうだよ、ハット。彼らは党の運営の仕方に不満を持って出て行ったわけだろ。そんな連中と手を組んだということは、イグリーは洗浄党の解体を狙っている気がする。党を解体してチカリヤ側が認める人物をオルダヤのトップに据えましたと言って、二人のうちのどちらかが出てくれば署名は可能だ」
「ジェンキンズ大統領の考えだと、署名まではしばらく時間が掛かる」
「そうだ、その間に同盟各国にいろいろと根回しして、公正な選挙から一気にオルダヤを立て直す作戦を実行する。しかしリリックの考えのように、モドル・タイダやほかの適当な人物を代行の代行首相と党首に据えれば明日にでも署名されてしまう」
「イグリー、参りましたね。まさかウネマが日和って署名しないとは……」
「バーブ、これまで洗浄党を外からずっと見てきたけど、どいつもこいつも腰抜けぞろいね。自分の将来が暗澹たるものになるとわかると途端に逃げ腰になる。せめて私に交渉を持ちかけるくらいのしたたかさがなければ、政治家なんてしちゃダメなのよ」
「私自身が洗浄党にいたからわかるのですが、何も考えずに上からの指示どおりに動いておればそれで良かったわけですよ。下手に考えてはいけないという空気感というか、そういうのが充満していましたから」
「バーブ、確かにあなたも将来を不安視して飛び出したのよね。私が拾わなかったらどうなっていたと思う?」
「言葉は悪いですが、人間の尊厳を捨ててとにかく生きるためだけに必死に生きる、そんな余生を過ごしているでしょうね」
「バーブは私とは少し違いますね」
「オウダは違うの?」
「ええ、イグリー。私はあのまま洗浄党にいても上に立つことは不可能だった。だから飛び出して一旗揚げようと思って……。場合によってはハットたちと手を組み、選挙制度の改革から議員に復帰して洗浄党を潰して天下を取るつもりでいましたから」
「なるほど……。やっぱり署名の前に洗浄党を叩き潰そうかしら。誰が党首になっても同じことを繰り返すだけのような気がするし、結局はいろいろと手間取りそう。チカリヤ本国からも圧力を掛けてもらって洗浄党を消し去ってもらうわ。少し餌を撒けばタテハナやカストが食い付くでしょう」
「でもオルダヤは洗浄党所属でないと議員や閣僚になれません。洗浄党が消えた瞬間に国家間の合意事項への承認を行える人物がいなくなりますよ」
「だったら、あなたがオルダヤ代表になればいいのよ、オウダ」
「しかし、法律によって……」
「あなたが首相に就き、法律はすべて破棄すると宣言するだけじゃないの、簡単なことよ、オウダ」
「おい、マカイ! マガラに続いてウネマも臆病風に吹かれたのですか?」
「カスト最高顧問、顧問として謝ります、本当に申し訳ない。二人があれほど根性なしとは思いもしませんでした。ただ明日は代行ではなく首相を出してくるようにと、チカリヤのガルダ・ダーホア首相が言ってきました」
「代行ではない首相ってマガラのことか? やつはもうビビってしまって出てこれないのでは」
「とにかく代行ではない首相を出せ、出てこれないのならば洗浄党をすぐに解体しろと言ってきていて……」
「それだけきつくガルダ・ダーホア首相が言ってきたということは、シュトレ・ルキン国家主席が相当怒っているということだな。もう無理そうならば洗浄党を潰してもかまわないよ、チカリヤに併合されるまでに洗浄党は消える運命。合意前になくなるか、合意後になくなるかの違いだ」
「カスト最高顧問、首相のことですが、正式にモドル・タイダを就任させてもいいんじゃないですか?」
「モドル・タイダか……、便利な操り人形で言われたことだけを確実に実行するが、予想外のことには一切対応できないだろう。ジェンキンズやパガーノ、それに脱獄囚のあの連中がいては何が起きるかわからないからな……」




