祖国を取り戻すため 15
「ジェンキンズ大統領、あまりにも失礼ではないですか。私はチカリヤを代表してここへ来た。そしてオルダヤは代行とは言え首相がいる。何もおかしくはないですよ」
イグリーはチカリヤ本国へ戻れば地区委員長という知事と同じような立場であると過去に話していた。その人が他国を飲み込む両国間の正式合意と条約への署名の場にいる。ということは、イグリーは想像以上にチカリヤにとって重要な人物なのだろうか。
「いいや、おかしいだろう。条約の中身も知らない代行首相とシルバーピーク在住のチカリヤ系の人間が署名して、この条約が正式に発効するなんて何もかもがおかしすぎるだろ!」
「オルダヤがチカリヤの自治区になった後、私はチカリヤ民正党オルダヤ自治区委員会書記に就任する。つまり私がオルダヤ自治区の政府側のトップになるのよ。その私が署名するのだから、何もおかしなところはありません」
「ちょっと待ってください、オルダヤが自治区になれば知事がタテハナ総帥、その他の閣僚には今オルダヤで要職に就く洗浄党の人間だと聞いていました。話が違うように思うのですが」
ウネマは現職の首都の市長であり、自分自身も何らかの要職に就くものと思っていた。洗浄党の本当のトップのタテハナがオルダヤ自治区のトップに就任し、そこからピラミッド型に洗浄党所属の人間がぶら下がっていく、そう思っていた。ところがオルダヤ自治区のトップにはイグリーが就くという。
「オルダヤ自治区の知事にはヘム・タテハナが就くわよ。でも知事は行政側のトップ。行政・司法・立法の上にチカリヤ民正党自治区委員会があって、私はそこの書記、つまりは私がトップに立つのよ。あなたも首相代行でこの署名のために来るのならば、少しはチカリヤのことを勉強しておくことね」
「だから、条約に何が書かれているのかも知らない代行首相だ、こんな人物に条約に署名をさせて発効する権限を与えてもいいのか? 私の真後ろの記者さん、どう思う?」
「ジェンキンズ大統領、この条約はチカリヤ共和国シュトレ・ルキン国家主席と、洗浄党のトクル・カストによって作り上げられた正式な文書。両国のトップが合意したもの。だから中身を知らない首相が署名したところで何の問題もない」
記者は黙り込んだが、イグリーは雄弁に語りその横に座るバーブとオウダは笑顔が絶えない。
「バーブ、オウダ。君たちはすべてを知っていたのか? 知っていてチカリヤ側にくっついたのか?」
「ウネマ市長……、ああ、首相だね。もちろんイグリーにすべてを聞いたさ。私とオウダは党自治区委員会の理事に推薦してもらえるんだよ、トップである書記にね。今のままの洗浄党やオルダヤではダメだと見限って飛び出して正解だったよ」
「おい! オルダヤ側はチカリヤとの交渉内容を何も知らないのに、それでもこのまま署名をするのか?」
ジェンキンズ大統領は代行首相のウネマに詰め寄る。一切視線を逸らさず、じっと目を見られながらやや低いトーンの声で迫る。あまり事情を呑み込めていないヒメキ・ヨークはただキョロキョロするだけだし、モドル・タイダはポカンと口を開けたまま座っているだけだった。
ウネマは重い口を開けた。
「オルダヤが自治区になったとして、われわれ洗浄党の役員などが何の役職にも就けない可能性が本当にあるのですか……」
「そこは実力次第でしょ。約束されていてもすぐ排除されるかもしれないし、必死に頑張って這い上がって自ら地位を得る人もいるでしょう。ただ言えることは、横滑りで自治区の役職に就くことができるみたいな、甘い考えはしないでほしいわ」
「だとしたら、個人的にはこの合意案締結には反対します。これまでの苦労が水の泡じゃないか……」
ジェンキンズ大統領が褒め称えようと話し掛ける前に、ハットが怒りの言葉をウネマに放った。
「ウネマ! おまえは市長だ。そして代行とは言え首相や党首も兼任しているのに、自分の身のことしか考えないのか! チカリヤに実質編入された後の市民、国民のことは頭の片隅にもないのか! 記者の皆さんは怒らないのですか! あなたたちだってチカリヤによってこの先の人生が踏みつぶされるかもしれないのに!」
「ハット、気持ちはわかるけど首相代行よ、言葉遣いには気を付けなさい」
「パガーノ大統領、でも、こいつが……」
「ハット、黙りなさい。大統領として命じます! ウネマ首相代行、この文書に署名し合意内容を有効化させるのですか?」
うろたえるウネマ。これまでは洗浄党上層部の指示どおりに動くだけだったので、こんな重大な決断を自身で決定する勇気がない。署名すると宣言すれば党からは褒められるが国民からは恨まれ、自身の行く末もどうなるのかわからない。署名を拒否すれば洗浄党上層部から何らかの処分、おそらくは処刑されるだろう。だからどちらも選べずただうろたえるだけ。
「そんなに悩まず、さっと署名してこの場から去ればいいだけよ」
「そうだぞウネマ。外野の声なんて気にしなくてもいい、何なら署名後にこっちへ入れよ」
イグリーやバーブから署名しろと言われ。
「そんなものに署名する必要はない、署名すればわがアストル国はオルダヤをチカリヤと同レベルの敵国と見なし、私がここを離れた瞬間に総攻撃に移る! すでに準備はできており、私が指示すれば一〇分ほどでこの辺りは火の海だ!」
ジェンキンズ大統領からも圧力を受ける。
この時、一人の記者が立ち上がった。
「ウネマ市長、ここは署名を拒否すべきです。ハットたちによって今の様子はWEB配信されており、多くの国民が固唾を呑んで見守っていますよ。国民を見殺しにしてはいけません! 今こそ政治家としての決断の時です!」
オルダヤのマスコミとその記者はほぼすべてが洗浄党のお抱え。これまで一度たりとも洗浄党政権に対して批判的な記事を書いた者はいないし、すべての記者が洗浄党のおかしさを考えたこともなかった。記者が洗浄党に反旗を翻す発言や記事を執筆した時この国はどうなるのか。まさか目の前にそういった記者が現れたことに多くの記者が驚いていた。
しかし、この記者に続いて勇気ある発言をする者は現れなかった。洗浄党という〝ぬるま湯〟にどっぷりと浸かった記者たちは、記者らしい発想をする頭も無くなっていた。だって洗浄党をヨイショする記事しか書いたことがないのだから。しかし、本来ならば持っているはずの正義感という小さな芽が、多くの記者の頭や心の中で芽を出していた。
「メリー・イグリー、申し訳ないがいったん持ち帰らせてほしい。持ち帰って再検討したい」
「ウネマ、本気で言っているのね。わがチカリヤ共和国に盾突くとは!」
「そんなんじゃない、私自身は話しを進めるべきだと思っている。そうしなきゃオルダヤは本当に自滅する。でも細部をもう一度確認したいんだ。その時間だけくれないか?」
「まあいいでしょう。アストルやヒカルゴからの圧力もあるし、心をかなり乱されたでしょうし。ただ言っておくけど、提示している案が最終的なもので、これ以上の修正には応じられない。署名するか拒否するかの二択だから。バーブ、オウダ、帰るわよ。ジェンキンズ、パガーノ、あなたたちの思惑どおりには絶対にさせないから!」
イグリー、バーブ、オウダの三人は官邸を後にした。
「ウネマ首相、良く決断してくれた。君のことはわれわれアストルとヒカルゴの両国が責任を持って守っていく。だからぜひともあの案を蹴ってくれ!」
「私は本当に疲れましたよ。どっちに転んでも私に明日はない。もうどうにでもなれ! ですよ……」
ウネマは疲れ切った表情を見せて官邸から出て行き、心配になったヒメキ・ヨークは後を追いかけた。モドル・タイダはいま何をするべきかを考えられないのか、喜怒哀楽の表情が一切ないスーッとした顔をしたまま突っ立っていた。




