祖国を取り戻すため 1
ホテルに戻ってきたのは夕方五時。目覚ましい成果はないものの、目の前で副党首が解任される現場を目撃するなど、修羅場のような二日目の会談を終え、ホテルの売店で買った軽食を夕飯代わりに食べていた。
「しかし、オルダヤって物価が高いなあ、ここへやってきてから腹いっぱいに食べていないんだぜ、あまりにもレストランの料理が高すぎて」
「私たちって特使だよね? なのに自腹で食事をするってなんだかねえ」
「僕たちはいいんですよ、洗浄党相手に口だけ動かせばいいんだから」
「いやいや、ハット、頭もかなり使ってるぜ。まあ、警備チームの人たちがお腹いっぱい食べられればそれでいいんだけどな。俺たちを守らなきゃいけないんだからな」
「確か、警備チームの方々は所属する国が全額負担するんですよね?」
「ハット、そのとおりさ。特使の私の食事は自己負担、オルダヤに来るたびに財布がどんどん軽くなっていく……」
こんな軽口を飛ばしながら客室で食事していた。
「おい、ハット。この後またSNSで発信しなきゃいけないけど、もう演説には繰り出さないのか?」
「これだけいろいろと知ってしまったわけだし、国民のみんなに直接説明するほうがいいかもしれないね。それにペトがまとめてくれた演説用の資料もあるし」
ペトは話を聞き終わると、サンドイッチを口にくわえたままイタに演説の準備をメールで依頼した。
〝いいぜ、ペト! 俺は昨日も演説があるのかと思って準備していたんだぜ。いつもの公園でいいんだよな?〟
イタからのメールを確認するとペトは、部屋の前で警護してくれている警備チームの隊員にマーシュ中央公園で演説することを伝えた。すぐに警備チーム内で共有され準備に取り掛かる。そしてハットはSNSに投稿した。
〝この後、マーシュ中央公園で演説を行います。昨日今日の二日間の洗浄党側との会談について報告します。ただ政府・党側もピリついていると思いますので、ご自宅で演説の模様をご覧ください〟
マーシュ中央公園へ集まるのではなく、同時配信を自宅で見るほうが良いとやんわりと発信した。せっかく集まってくださった人たちが理不尽に逮捕される模様を見たくはなかったからです。
「ハット、この発信だと公園には集まるなと言っているようだよ」
「ペト、今の状況って洗浄党が無謀な作戦に出てくる危険性が高いと思うんです。だって議員の辞職と副党首の解任がほぼ同時にあったわけですから、洗浄党の上層部だって落ち着いて状況を見ているという感じではないですよね。だから聴衆を根こそぎ逮捕することだってしかねないから、できればウェブ配信を家で見てもらうほうが良いのかなと思って」
「ブル、どうする? ハットの予感が正しければ、洗浄党がこの部屋に置いている私たちの荷物を差し押さえる、なんてことも考えられるから、警備チームとこの部屋を見張ってもらうのも大事なんだけど」
「実はブルに残ってくださいってお願いするつもりなんです。洗浄党が用意した人間を警備チームやホテル従業員に紛れさせる可能性はゼロじゃないから。大丈夫だとは思うけど、念には念を入れておくほうがいいかなと思うんだけど……」
「今回は俺も行こうかなと思っていたんだけど……。そういう役割があるのならば残るよ。演説は部屋で見させてもらうぜ」
夜八時過ぎに警備チームとともに車に分乗してマーシュ中央公園へ向かった。先日のように沿道に人はいないだろうと思っていたのですが、前回より明らかに多くの人が手を振っています。
「ハット、あの発信が逆効果になったのかな」
「うーん、失敗したかな……。洗浄党が何のリアクションも起こさなければ取り越し苦労で終わるんだけど……」
今回は沿道に人が多く集まっただけではなく、これまでとはまったく違った光景も見られました。マーシュ中央公園へ向かう車列に、オルダヤの治安警察の隊員がみんな敬礼しているのです。そして車道へ飛び出す人たちを制止はするのですが、いつも見られる無理やり歩道に戻したり、機関銃を向けるようなこともなく声掛けだけです。
「ペト、何だかいつもと雰囲気が違いますよね」
「私もそう思うよ、オルダヤ国内の風向きが変わってきたのかな」
マーシュ中央公園の駐車場に車を止めると真っ先に警備チームが車から降りるのですが、今回はその前にオルダヤの治安警察の隊員たちが車の横に立ちドアノブに手をやった。逮捕する時のような緊迫した顔付きではなく、にこやかにドアノブを持っている。車から降りた警備チームと治安警察が話をしているのですが、警備チームの顔から緊迫感が少し和らぎ一瞬笑顔になった。
警備チームが車のドアを開ける。
「ペト、ハット、治安警察の隊員の大半が洗浄党に反旗を翻したそうで、あなたたちを捕まえる意思はないそうです」
確かに前回の演説でその兆候は感じていたけど、あくまで個人的な思想だと思っていたのですが、まさか治安警察全体で国や洗浄党に歯向かう日が来るとは……。
ペトとハットは車を降り公園へ向かって歩いた。その間には笑顔で声を掛けてくる治安警察の隊員もいた。
――そういえば、ガルドラ刑務所を脱獄する時も、刑務官たちが似た雰囲気で見送ってくれたよな。
ハットは遠い過去を思い出したかのようだが、まだ三年半前のこと。この三年半の間に自分が置かれた状況があまりにも激しく変化し、脱獄囚から一国の首脳と話し合う立場にまで変わったのだから、脱獄したのは遠い昔のように思えてしまう。もちろんペトやブルだって同じように感じているだろう、自分たちの境遇の激変を。
車から降りた二人にイタが近付いてきた。
「イタ、いつもありがとうございます。本当に助かっています」
ペトがお礼を口にした。
「それはいいんだけど、どうやら今日はチカリヤ系の人がかなり混じっているそうなんだ。治安警察隊には耳に入れておいたけど、警備チームにも注意してもらうように言っておくほうがいいよな」
「チカリヤ系の人? それってひょっとすると洗浄党が動員を掛けたとか?」
「ああ、おそらくそうだろう。メリー・イグリーが引き連れてきたのだろうな」
「あの、チカリヤ系の人といっても見た目ではわからないですよね」
「ハット、連中は左胸に赤いバッジを付けているようなんだ。台の上からでは見にくいかもしれないけど、近付いてくるやつの左胸は確認するほうがいいぞ。あの連中は何を持っているのかわからんからな」
――チカリヤがついに姿を現してきたんだ。洗浄党が焦っている証拠でもあるし、チカリヤにしたって計画が狂う恐れが出てきたから共同で僕たちを潰しに来たんだ。
ハットがマイク片手に台に上る。台の四方は階段部分を除き透明なポリカーボネートで囲まれている。その台を取り囲むように警備チームが配置され、治安警察も前回より台に近い場所に配置されていた。
台の上からはすぐに赤いバッジを付けた人たちが目に入った。警備チームと対峙するかのように立っているのだから。その集団の中にはイグリーの姿も確認できた。現時点においてオルダヤ国内のチカリヤ系の人はかなり少なく、今日動員されている人たちはシルバーピーク国籍を持つ人たちだろう。その数は二、三〇〇人といったところだろうか。
「急に演説をすると決めたのに、今日も多くの人にお越しいただきました、ありがとうございます。今、Web配信で視聴されている方、時間的に家で寛いでおられる時間だと思いますが、僕の演説のためにそのような時間を削っていただき申し訳ありません」
そう言うとハットは台の上で深々と頭を下げ、呼応するようにたくさん集まっている聴衆から地鳴りのような歓声が上がった。それだけではなく、赤いバッジを付けた人たちも負けじと、放送禁止用語を含む酷い言葉でハットを罵った。
いつもとはまったく違う熱気を感じる中、演説を行うハットだった。




