祖国のすぐそばへ 9
メリー・イグリーへメッセージの返信をして一週間が経った四月初旬、領事館から至近のレストランで食事をしながら彼女と話をすることになった。ハットたちは特に聞くこともなく、メリー・イグリーの質問に答えるだけで淡々と時間が過ぎるだろうと思っていましたが、いざ会ってみると次から次へと質問する側になり……。
「最初に言っておくけど、私は刑務所長でもなければオルダヤ国の人間でもない。あなたたちを逮捕する権限も持っていないわよ」
「あの、イグリーさん、アダム・シンズはどうなりましたか?」
「ハット、彼は重大な服務規程違反があったとしてその場で処刑されたわよ」
「そうですか……」
「私たちは脱獄囚という扱いになっているのですか?」
「ペト、私はあなたたちを処刑したと報告したわよ。処刑したはずの人間がSNSで発信を続けていることが問題だとオルダヤ政府は考えているのよ。だっていないはずの人間ですもの。洗浄党は必死であなたたちを探し、見つけ次第その場で処刑するはずよ」
「私たちはアストルにいる時に怪しい人物に居場所を突き止められましたが、その時は何も起きずに無事でした」
「おそらく、こういう人物がいるか確認してほしいと洗浄党のスパイにお金で雇われた人間でしょうね。その後はどうしたの?」
「すぐシルバーピークへ出国しました」
「賢明な判断ね、少しでも脱出が遅れていればあなたたちは今この世にはいないわよ。洗浄党はどこの国にも紛れ込んでいる、アストルはもちろんだしシルバーピークにもね」
アストルにいた時、ケータリングの配達員に扮した怪しい人物がやってきた。ハットは警備の強化をしてもらうよりも出国を選んだわけだが、この選択は正解だったようだ。しかしシルバーピークにも洗浄党の人間は本当に紛れ込んでいるのだろうか。
「オルダヤ人は平気で噓をつくでしょ、ヒカルゴにだってチカリヤ人だと偽りオルダヤの洗浄党員が大量に流入したわけだし。シルバーピークにも一定数の洗浄党員が紛れ込んでいるわよ、チカリヤ系の人間だと偽ってね」
「シルバーピークってアストルと親密な国ですよね、そんな国に紛れ込んで何をするつもりなのですか?」
「ペト、オルダヤはシルバーピークを乗っ取ろうなんてことは考えていないけど、主要企業を押さえることができれば実質的にシルバーピークの経済面を掌握できる。それが狙いなのよ」
経済面の掌握、そんなことを考えるのは洗浄党の黒幕であるヘム・タテハナだろうと容易に察しが付く。オルダヤ洗浄党は世界中の経済面の掌握に舵を切ったのだろうか。
「あの、お聞きしたいのですが、オルダヤにいたチカリヤ人と、イグリーさんのように何代か前にオルダヤへ入ったチカリヤ系の人たちとでは何か違いはありますか?」
「ハット、オルダヤへやってきたチカリヤ人の多くはチカリヤで成功した富豪が多いのよ。オルダヤでさらに一儲けしようと考え移住してきた人たちね。私のような祖父の代にチカリヤからオルダヤへ渡ってきた家系は本当に苦労したのよ。かなり厳しい差別にも耐えてきたしね……」
「根本のところから違いがあるのですか……。チカリヤに対する忠誠心にも違いはありますか?」
ハットからのこの質問にメリー・イグリーは、チカリヤから移ってきた富豪たちは、これ以上チカリヤに留まっていてもさらなる大きな儲けは期待できないから国を出た。ただし居場所などは常に監視されているから本国からの指令を受ければ忠実に動く、でも本国への忠誠心はやや希薄だと思う。メリー・イグリーのようなチカリヤの二世や三世はとにかく這い上がるために必死で、とにかくオルダヤ人に負けないように、誰であっても踏み付けてでも這い上がらなきゃと必死。そこにはチカリヤ人としてオルダヤ人には負けないようにとの思いがある。その分忠誠心を強く持っていると……。
「イグリーさん、と言うことはオルダヤである程度の地位を得ていても、心はチカリヤにあると言う感じですか?」
「ええ、少なくとも私はそうよ」
メリー・イグリーは当然のことよと言わんばかりにブルに返答した。
「領事館で働いていたミヒャエル・エンゲルが逮捕されました、その件についてはどう思われますか?」
「ペト、エンゲルは私と同じチカリヤ系の人間。チカリヤ本国のために働いて捕まったのならば仕方がないのよ。私だって指示されれば躊躇なくスパイ行為を行うわよ。相手がオルダヤであってもアストルであってもシルバーピークであっても関係ない、私はチカリヤの人間なのだから」
――でもチカリヤという国は目的遂行のためには人間をただの部品としか考えてはいない、そういう見方もあるけどどう考えているのかな。
ハットはアストルの国境警備局上級局長カルジュ・ヴェガに聞いた話を思い浮かべたが、メリー・イグリーにその話をすることはなかった。今日はメリー・イグリーの話を聞くために時間を作ったのだから、怒らせて話が終わってしまっては意味がないと考えたからです。
「イグリーさん、今日は私たちに何か言いたいことがあったのですか?」
「ペト、それにブルとハットにもお願いしたいことがあって……。私たちと組んでもらうことはできないかしら?」
メリー・イグリーはハットたちの洗浄党に対する発信をネガキャンと位置づけており、力を合せて洗浄党を撲滅するために頑張らないかと誘ってきたのです。チカリヤ側にすればオルダヤで得ていた地位を洗浄党に奪われ、さらに国外へ追い出されたという立ち位置だし、ハットたちはオルダヤ人でありながら洗浄党によって何もかもが奪われ制限されながら生きてきたし、ちょっとした政府批判で禁固四〇年以上を言い渡され投獄されたのだから洗浄党は共通の敵だと訴えてきた。
「元刑務所長とその刑務所から脱獄した俺たちが手を組むのか、面白そうだな」
ブルはメリー・イグリーの提案に飛び付きそうになり、
「途中までかもしれないけど、その途中までが同じ道筋ならばいっしょに洗浄党と戦うのはいいかもしれないですね」
ペトも提案に賛成した。
「確かに洗浄党にダメージを与え、世界中にその危険性を知らせるまでは同じ道を辿ると思います。でもそれ以降のチカリヤ側は何を求めるのでしょうか。チカリヤがオルダヤを奪うつもりなら僕は最初から手を組まないほうが良いと思います」
ハットが途中の道筋までではなく、その先まで見据えて考えるべきだと保留の態度を示しました。
「確かにチカリヤはオルダヤを奪う目的で主要企業を手中にしてきた。洗浄党がいなくなればまた同じ目的で進出するかもしれません。でも今はまず洗浄党を撲滅することが先でしょう。撲滅できればチカリヤはまずヒカルゴの奪取に動きます。オルダヤはその後ではないでしょうか」
「え? ヒカルゴの奪取ですか?」
「ええ、前大統領のアリス・ホフマンとの約束で、いったんチカリヤ系の人はすべて国外へ出てもらいその間に洗浄党を消滅させる。ホフマンは手下のあなた方を使って洗浄党を消し去るので、その後に話し合いによってヒカルゴとチカリヤでヒカルゴの領土の取り分を決めようとなっています」
唖然としながらもハットは、
「イグリーさんはチカリヤと繋がっているというか、チカリヤ内部の人だからそのような重要な情報も知っていると考えていいですよね」
「そうねえ、少なくとも刑務所長時代よりは地位は上よ、チカリヤへ戻れば地区の委員長、言ってみれば知事みたいなものかしら。そしてシルバーピークのチカリヤ人を束ねる立場だから、内部の人と言っても差支えはないかしら」
「ということは、もし今手を組んだとしても、先々は必ず敵対することになります。そうなるのがわかっていて手を組むのは危険だと僕は考えますから、イグリーさんの申し出はお断りします」
ペトとブルはハットの意見に反対するでもなく、ただ黙っていた。そしてメリー・イグリーは小さく頷いた後、黙って席を立ち店を後にした。
ハットたち三人はメリー・イグリーが店を出て五分ほど経過してから店を出て領事館へ戻った。ペトとブルは領事館の自分たちが使っている部屋に戻っても黙ったままだった。ヒカルゴの元大統領アリス・ホフマンが、ヒカルゴをチカリヤへ渡すような密約をしていることにショックを受けたのです。




