(8-4)
最終話です。
紅坂を乗せた、黒塗りの車が、丘の上に停車した。
帽子を目深に被った、伊賀者らしい初老の運転手が、言葉少なに言った。
「もうすぐ、五行天狗の方々が参ります。しばしお待ちを」
怒濤の様な三日間だった。
紅坂は伊賀の丘を眺めたまま、その言葉に返事もしなかった。
胸を締め付けるような痛みが紅坂を苛む。
いい思い出はあまりない、この土地とも、多分永久にお別れだ。
そんな予感がした。
でも、少しのいい思い出が問題なのだ。
たった一人の肉親と過ごした思い出が……
目頭が熱くなったが涙は出なかった。
身も心もくたくたに疲れ切っている。
肋や、足の怪我が、今頃になって存在を主張し始めた。
カチリ、とライターを擦る音がして、紫煙が紅坂のいる後部座席まで届いた。
嗅ぎなれた、懐かしいラッキーストライクの香り。
紅坂は、運転手の不作法よりも、嗅覚まで思い出に浸されることに腹を立てた。
「消して」紅坂の不機嫌なクレーム。
「あ、ワリィ」軽薄な応答。
…… 。
紅坂が弾かれた様に顔を向けたのは、ほんの数瞬後だった。
運転手は行儀悪く舌を出すと、そこにタバコを押しつけた。
じゅっという音。
心臓が鼓動を止めた。
運転手が、帽子を取ると、ぼさぼさのソバージュがこぼれ、続いて顔を撫でると……
顔を撫でると大好きな。
大好きな兄が片眼を瞑って微笑んでいた。
顔も含め、指先まで、魔封じの経文だらけだ。
止まった心臓が動き出したのは、犬丸が、身をひねって後部座席に手を広げてからだった。
紅坂は訳の分からない言葉を叫びながら、狭いフロントシートの間に飛び込み、犬丸の首っ玉にかじりついた。
「アンちゃん、アンちゃん、夢なら醒めんといて!」
幻と消えぬよう、兄の顔を必死で撫でさすりながら。
「すまねえ、ミク。こうするしかなかったんだ……
お前、頭領に嘘がつけねえから」
紅坂の髪を撫でながら、犬丸が震える声で詫びた。
「ミサとの約束で、ケルベロスと分離できるまでは、しばらく、島暮らしだ。何年かかるかわかんねえから……」
紅坂は何度も、何度も頷いた。
生きていれば……
生きててくれれば何でもいい!
「何年かかるかわかんねえから、しばらくこうしてていいか?」
紅坂は、思い切り泣いた。
悲しくて流す涙は、もう涸れていた。
その頃。
蒼瀬は頬に手形を貼り付けて、美香の後を追っていた。
「み、美香ちゃん、なんで怒るの? ぼくなんかマズった?」
情けない声で問う。さっきまでの威厳は、影も形もない。
「自分で考えればっ!?」
美香は思い切りほっぺを膨らまし、早足で先を行く。
その後ろで黄昏れる他三名。
「ちゃんと、話さないと…… 美香ちゃん! 告白するか思たら」
樫沢が心底あきれたように雪の後を引き取った。
「来週いっしょにケルベロスを捕まえよう! だもんな。コントじゃねえっての、バカアオ」
「そりゃ、美香も怒るよな。幾ら、犬丸の頼みで、俺たちにもメリットがあるにせよ。赤くなって待ってたのがバカみたいじゃん」
小夜がため息を付いた。夕焼けが、伊賀の丘を赤く染める。帰巣する烏の声。
少し涼しさを孕んだオレンジ色の風が、小夜達の着衣をはためかす。
「ほんま、おなごみたいな顔して、女心の分からんボンズやわ」
樫沢がほっぺをおてもやんのように丸く染めながら、照れた。
「よしてくれよ、雪さん…… まあ、よく言われるけど」
小夜がまじまじと、頭一つ高い顔を見つめながら言った。
「…… 俺、お前のそう言うとこ、嫌いじゃないぜ」
小夜は、辺りに祝福を投げかける夕日の眩しさに眼を細めながら、気分を変えるように言った。
「ま、もうすぐ、仲間が増えることだし、負けてらんねえ。
いっちょ、やっときますか?」
エピローグ、続けて投稿します。




