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(8-3)

今晩は。


今夜もよろしくお付き合いのほどを。


驚愕の表情で振り返る蒼瀬。


そして美香達。


鬱憤を晴らすかのように庭で暴れ続ける小夜以外、皆が樫沢の固く引き締まった表情に目を注ぐ。


「俺の父親は、京都左京区役所総務課、係長補佐、樫沢一郎、そして…… 母は」


「聞いたことがある。頭領の私でも知らない傍流が存在すると…… 貴様」


「カッシー、まさかオリオン……」


頭領の戦きに満ちた声、蒼瀬の問い掛けに樫沢は頷く。

部屋中が震撼した。


「母の名は、樫沢良子。

オリオン工業のひ孫受け、かっぱ包装で一〇時~一七時まで、梱包のパートをしている」



うおお、くたばれええ。



静まり返った室内に、返り血まみれになって拳を振るう、小夜の罵声が遠くで聞こえた。

美香が、俯いて肩を震わし、雪など、棟梁を指さし、涙を流して笑っていた。

赤っ恥を掻かされ、鬼神もかくやと言う表情で、書状を握りつぶしてしまった頭領に、樫沢は尋ねた。


「ベルトコンベアが早すぎるってぼやいてたぞ。あんたの力でなんとかなんねえか?」


今度こそ殺される。


腰を浮かせた紅坂を置き去りに、頭領は歯の隙間から一言一言、絞り出すようにドスを効かせて言った。

「小役人の倅が、誰を相手にしてるかわかってんのかい?」


樫沢がカッと眼を見開き、怒号した。


「親父をバカにすんじゃねえ! お袋ともどもおれみてえなロクデナシを、見捨てずに育ててくれたんだ。仕事ばっかのマジメ人間だけど俺にゃ、もったいない親なんだよ!」


「カッシー……」


周囲が凍り付くほどの樫沢の怒声も、老婆の口元を歪めただけだった。


「だったら、仕事で構って貰えないくらいで、グレんじゃないよ、あほうが」


「あ、いや、親には何の不満もない」樫沢は生真面目な顔を崩さずしれっと言った。


「良くして貰ってる。日曜は必ず遊んで貰ったし…… バカやってたのは何となく。ただ」


眼から妖気を放射して、呪文を唱え始めた頭領にも気づかず、樫沢は遠い目で天井を見上げ、フッと笑った。樫沢の背後に煌びやかな人影が出現する。


「ダブった年にも、後輩呼んで、誕生パーティされた時にゃヘコんだな…… 母ちゃん、空気読めっつうか……」


一瞬で締め落とされた樫沢は、前のめりに倒れ、畳と盛大に口づけをした。

樫沢の背後に立つ和服の女性は、ウェーブのかかった赤毛のロングヘアーをばさっと掻き上げ、ため息を付いた。


「全く、話が進まないよ、調子狂う…… まあ、なかなか愉快なガキだけどね」


年の頃は、二〇代後半くらいか。派手な顔立ちの美女は、疲れたような表情で、周囲を見渡した。

口を開ける蒼瀬を余所に、美香は苦虫を噛みつぶしたような表情で、言った。


「落ち着かないのは私たちも同じ…… ホントは、おいくつなんですか、頭領?」


一〇分後、紅坂は頭領と、二人和室で向き合っていた。

先ほどと違うのは、肘掛けに凭れ、怠そうにしている頭領が、妙齢の美女になっていることだ。

生きた金属は、微弱な電流を発しており、アンチエイジング効果を持っている。

最も多く、金属と親和している五行天狗の頭領が、年齢より幼く見えるのも、それと無関係では無いだろう。

そして、生きた金属に携わり続ける彼女達の母も。

頭領が口を開いた。


「…… てなわけさ。掟は絶対だ。だから、我々の上に立つ五行天狗の提案には逆らえない。お前の

身の振り方は、三日後、評定会で決める」


評定会というのは、選挙で選出された一二人の評定人らが集まり、多数決で決める。

この議会制民主主義方式は、その発祥と言われるフランスより二〇〇年も前から、伊賀では運営されていた。

頭領は、顔を顰めて手を振った。


「頭領の私ですら、評定会には逆らえない。そして、頭の硬いあの連中は、しきたりに則って五行天狗の提案を飲むだろう…… 実際は後見人である甲賀の意見をね」


その意見、書状の中身とはこうだ。


金属と親和している者は、五行天狗衆に属する資格を持ち、同時に義務を持つ。

紅坂美紅の身柄は、五行天狗衆預かりとすべきである。


「ま…… 正論さ。お前は一週間以内に伊賀者じゃなくなる。五行天狗なんて、あってないような集団だからね。お前は晴れて自由の身だ」


自由。


紅坂はぼんやりとその言葉を聞いていた。

自決を決めて屋敷の門を潜り、三〇分もしない内に全く夢想だにしなかった結末へと辿り着いた。

頭の上から取れた重しは、紅坂の体を重力から解放した。

体中がフワフワと頼りない。

だが、それに伴って、わき出てくる感情は、『喜び』とは程遠く、味わったことが無い種類の『不安』であった。

命令されることしかなかった軍鶏が、鳥かごから突然追い立てられ、どうやって生きて行けというのか。


「話は以上だ。行きな」


紅坂は動けなかった。

不安な顔で、頭領を見つめる。

白面の美女は無表情に言った。

「お前にかける言葉なんかないね。消えろ。そこの物騒な匂いのする鞄を忘れるんじゃないよ」


紅坂の眼から涙がこぼれた。


見知らぬ大海に放り出される未知の恐怖に対してだ。

紅坂は、途方に暮れ、どうしていいか分からなかった。

この世で唯一頼りにしていたアンちゃんもいない。

これなら、今殺される方が、マシだ。

だが、頭領は立ち上がり、文机に向かった。

紅坂を無視して書き物を始める。

後ろ姿に絶望的なまでの、拒絶が見て取れた。

ぼんやりとそれを見ていた紅坂は、のろのろと立ち上がり、キャリーバッグの取っ手を手にすると、挨拶も忘れて、フラフラと部屋を辞した。

数歩歩き、立ち止まる。

しばらく、磨き抜かれた廊下の板敷きを見つめていた。


その時、部屋の中から歌声が響き始めた。


『私たちは純粋でもなければ、賢くも、良い人間でもない』


紅坂は眼を見開いた。

頭領の歌声など初めて聞く。

すばらしい発音の英語で、朗々と辺りに響き渡る、オペラ歌手の様な声に、紅坂は一瞬で魂を奪われた。


『けれど、出来る限りの事をしよう 私たちの家を建て、森を開き……

ぼくらの畑を耕そう』


呆然と立ち尽くす、紅坂の眼から涙があふれた。

魂の琴線に触れるソプラノを聴きながら、紅坂は気づいた。


頭領は、役割を果たしているのだ。


それは、本人が望んだ事なのかどうか、紅坂には分からない。

ただ、現実、現在、彼女は伊賀を束ねる頭領なのだ。

彼女は自分の畑を耕すしかない。

紅坂は顔を上げ、廊下の端をまっすぐに見つめた。


そして私も。


おそらく…… いや、まちがいなく、紅坂に手向けられた歌が響く中、足を引きずり、心身ともに満身創痍の少女は、よたよたと歩き始めた。


「いやあ、ハクリキのある、婆さんだったな…… 婆さんにしとくにゃもったいねえぜ」

片手をポケットに入れ、もう片方の手で己の肩をもみながら樫沢が言った。

玉石の敷かれた庭園を辞しながら、後ろを歩く蒼瀬が笑った。

その後ろには三人娘がついて来ている。


「カッシー、意味不明」


「ん、おお…… そういや、アオ、お前すっげえ金持ちだったのな」


「……ん」


半笑いで俯き、蒼瀬は小さく返事した。


蒼瀬が何よりも恐れていた瞬間が来た。


唯一の友人から判決を下されるその時が。


しがみついて、思いつく限りの言い訳がしたい衝動を、焼け付く胃の底に押し込める。

しばらく玉石を踏む音だけが辺りに響いた。

蒼瀬の唇が震え始め、沈黙に耐え切れず、顔を上げたその時――

ごつい手が、にゅっと眼前に突き出された。


「よかった…… 俺、やっと自分の欲しいもんが、見つかったんだ」


眼に涙を溜め、唖然とする蒼瀬の前で、四角い顔は照れた笑いを浮かべると、いつか体育館裏で言った言葉を口にする。


「四万円…… 持ってるよな?」


「は…… はは」


泣き笑いをしながら、蒼瀬は樫沢の首っ玉にかじりつき、頬ずりした。


「カッシー、やっぱ、お前サイコー!」


「うわっ、バカ、やめろ!」


その後ろで、小夜と雪は、眼を細め、ヤレヤレと言った感じで微笑む。


「ったく…… BLだよなあ」

「ほんに…… BLどすなあ」


清々しい口元の笑みとは裏腹に、スペクタクルな期待で両目をギラつかせる二人へ向かい、美香が涙目で喚いた。


「恐ろしいこといわないでよ!」


明日もよろしくお付き合いのほどを。

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