表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
33/37

最終章 紅坂の未来に光はあるか

最終章です。


抜けるような五月の青空を、鳶が悠々と泳いでいる。


松葉杖を付いた紅坂は、伊賀の丘に立っていた。

優しい葉擦れの音をたてる、木々の匂いを嗅いでいると一昨日の事が嘘のようだ。

だが、傷痕の消えた腹部と、心の底にぽっかりと空いた空洞は、懐かしい緑が鼻孔をくすぐっても、心に安らぎを与えてはくれなかった。

目が覚めるなり、問うた兄の安否。

マルから手渡された答えは、古びた一枚の写真だった。

そして一言。


「魔の死体は残らない」


目の前が、暗転し、再び気を失った。

薫風がはためかすワンピースのポケットの中で、よれたフォトを押さえる。

十三の時、兄と二人で撮った写真。

目に涙が滲むのを抑えきれない。

昨日一日、自室で泣き続けたのに、涙は涸れなかったようだ。

白い麻の生地で覆われた、お腹を撫でる。

無くなった傷は、代わりに大きな裂け目となって、自分の心に穿たれた。


アンちゃん。


そう呟き、紅坂は又泣いた。

去ったタクシーの代わりに、里からの迎えが、舗装されていない道路をやってきた。


紅坂の前に巨大な木造の門が聳えている。

伊賀の里にある、頭領の邸宅だ。

幼い頃からの習性で、ここに立つたび、足がすくむ。

その中の、広大で美しい日本庭園も、そこで、折檻を受けた記憶のある紅坂にとっては、大岡裁きの白州も同然だ。

苦い思いしか去来しない。

石畳を、ひょこひょこ歩きながら、紅坂はふと、今日は中間テストの初日だったな、と思った。

蒼瀬も美香も、消耗しきってはいたが、命に別状はなさそうだった。

気まずそうな、小夜と雪の顔、心配げな樫沢。

誰も何も言わなかった。

もう会うこともない。

もうすぐ一七歳の誕生日だ。

以前は、一生来てほしくないと、すすり泣いた、十七歳の誕生日。

いまは、何とも思わない。

そういえば、兄ををその手で仕留めれば、苦界行きはカンベンしてやると頭領にいわれていた。

自分が…… 手を下したのではないから、その話は無しだろう。


それで、よかった。


あんちゃんを煙に変えたのが自分でなくて、本当に良かった。

そんな事をしていたら、死んでも自分が許せないだろう。


紅坂は自分が許せなかった。


大好きな兄の事を信じ切れなかった自分が。

紅坂は、犬丸が姿を消したとき、それは自分を助けるためだと思い込めるほど、自分に自信が持てなかった。

人に愛された事が禄に無いためだ。

兄の口癖は、「俺たち居候だから、しゃあねえやな」だった。

犬丸は、紅坂の将来に付いて、何も言ったことは無かった。

今思えば、何故、紅坂に、一連の計画を匂わせなかったか分かる。

幼い頃から染みついた恐怖感で、紅坂は頭領に嘘をつくことが出来ないからだ。

そんな紅坂の事だけを考えてくれていた兄が、自分を捨てたと思い込んでいた。


紅坂は、自分に対して情けないを通り越し、愛想が尽きていた。


コロコロの付いたキャリーバッグが石畳でガタガタと音をたてる。

結果を頭領に報告する義務を終えたら…… 

紅坂は、キャリーバッグに隠してある、TNT火薬を意識した。

この邸宅を、自分ごと吹き飛ばすつもりだった。

だから、なにもかもどうでも良かった。

ただ、この長い廊下を歩き、頭領のいる部屋までの、何分かは、二人の同級生を思い出し、短い空想に浸りたい。


今頃、初日の試験も終わって何をしているだろう。


明日の試験に向けての勉強か。


それとも……


 クスリと、紅坂は笑ってしまった。


自分の事をちょっぴりは考えてくれてるかな。


怪我は大丈夫だろうか、とか、どうしてるかな、とか。


まあ、それならメールくらいあってもよさそうなものだ。


でも…… 


遠慮してるとか。


紅坂は自分のめでたい空想に、笑みを深くした。


でもそれも終わり。


紅坂は辿り着いた襖の前で、膝を付いた。

大きく深呼吸をする。

その時、不機嫌なしゃがれ声がした。


「ミク、早く入んな」


頭領の声に、紅坂は心臓を跳ね上がらせた。

闘えば負けるわけは無いし、自爆する覚悟も固めたが、やはり怖い。

失礼します、と返事をし、紅坂はいつもの呪文を唱える。

あんちゃん、もうすぐそっちに行くね。だから、力を貸して。

LOCK&……

『ロー』紅坂は下腹に力を込め、襖を開けて立ち上がる。


もう、膝を突いてこの老婆には会わない。言いたいことを言ってから死んでやる。


「……ド」



そして、絶句した。



その和室は、二十畳ほどあるだろうか。最低限の調度に、紅坂の向かいの壁一面、障子戸が開け放たれ、縁側の向こうに広大な森が見えた。

忍びの位が上がる時などの、特別な折りにしかこの部屋に呼ばれたことはない。

伽羅の香りがしみついた畳の上には、肘掛けに凭れ、背中越しに鋭い眼光を向ける、和服姿の老婆。


頭領だ。


「ミク、こっちに来て座んな」


紅坂はそう言われても、動けなかった。


引いてきた、キャリーバッグの取っ手をカタリ、と落としてしまった。


森を背に端座している二つの影に目も魂も奪われていたからだ。



「おう、紅坂おせえぞ」



学ラン姿の樫沢が言った。


暑苦しい黒の改造学生服を素肌に纏い、さらしを巻いた腹を見せている。


座布団の上にあぐらを掻いたその姿は、異様な迫力を発散していた。


道着を纏った武術家が、普段の何倍も大きく見えるのに似ている。


紅坂は思い当たった。応援団の正装だ。


そしてその横。


細身の体にスーツを纏い、洒落たネクタイを締めている。蒼瀬だ。


女の子のような顔はそのままだが、正座したその姿に、紅坂は気圧されるようなオーラを感じた。


首には、包帯が巻かれ、顔色も悪い。


「先に、おじゃましてます―― 相棒が、こちらのご婦人に話があるそうなので」


蒼瀬は無表情に言った。


紅坂は一言も発せ無かった。


「すわれ!」


頭領の怒声を浴び、紅坂は我に帰った。


慌てて、頭領の斜め後ろに控える。


紅坂は、真っ白になった頭のまま、会話が始まるのを待った。

明日から、20時投稿に戻ります!

よければ、広告の下にある、星のマークで評価よろしくおねがいします!

励みになります!

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ