(7-3)
再開します。
背中に見えている円水は、彼女の背負った十字架に思えた。
同じように、倒れかけの自分だけど、駆け寄って、彼女を支えたい。手を引いて、望むところまで、連れて行ってやりたい。
そう思わせるむき出しの健気さを、紅坂から感じる。
でも、出来ない。
おそらく自分たちは、椅子取りゲームの椅子を全部埋めてしまったのだ。
そして、弾かれたのは、犬丸と紅坂。
自分たちにはこの世で一番彼女たちに手を差しのべる資格がない。
でも、誰が責められる?
自分たちを……
犬丸を。
自分たちは、必要な事を精一杯やったまでだ。
自分たちの立場で。
そして…… 犬丸も。
紅坂は、引き戸を抜け、マルの横を通り、驚く樫沢をよそに、犬丸のそばに膝を付いた。
犬丸は苦笑いして言った。
「今度は本物だろうな?」
紅坂はとりあわず、下唇を噛んで、への字に曲げ、目を細めて涙を流した。
「あんちゃん…… 伊賀中忍、ミク、推参だよ。もう大丈夫やからね」
そう言って、紅坂はマルに向き直り、つまり少し離れたところで見守る、小夜に背を向けると……
「おねがいします。あんちゃん、許してください」
背中を丸め、額を土にこすりつけて土下座した。
世界が動きを止め、蒼瀬達も会話を凍り付かせる。
「何でもします。見逃してください。お金で済むなら、なんとかします。私で済むならなんでもします」
小夜の喉に、熱い塊がこみ上げ、嗚咽が突き上げた。
雪も口元を押さえ、目に涙をためている。
樫沢は信じられ無いものを見たかのように、口を開けて固まっている。
紅坂は無理な姿勢が祟ったのか、体を震わせて咳き込み、赤いモノの混じった胃液を吐いた。
あわてて、樫沢が膝でにじり寄り、背中をさする。
それでも紅坂は、茶道で言う「真」の姿勢を崩さなかった。
「やめよし!」
雪が絶叫した。
「みっともない…… 目障りや、ちゃっちゃと去ね! 斎賀先生、こんな奴らの血で境内汚されとないわ、摘み出しいや」
雪らしいフォローに、小夜は泣きながら、笑いそうになる。
「あ、雪さんすんません、すぐ消えます。ホラ、紅坂行くぞ、ケンさん掴まって下さい」
ここを先途とばかりに樫沢が調子を合わせた。
だが。
「カシ、いいんだ…… ミク、お前そればっかりだな」
そう言う犬丸の言葉は、無限の悲しみに満ちていた。
「修行でウサギも殺せねえから、頭領に折檻されて、メシ抜かれて、近所にくいもん、恵んで貰いに行ったり」
紅坂の丸まっている背中が震える。
「腹の事で里の奴らに虐められて、そうやって、よく丸まって泣いてたよな……
十年ぶりか? ミサ。なあ、俺がケルベロスと人間の半々の姿でくたばったら、陰の金属が残る。 そいつを」
ミサの冷たい声が遮った。
「ありがたく、美香達に使わせてもらいます」
犬丸は苦笑した。
「だあな。俺でもそうする。だから死ねなかったんだよな」
ミサは硬い表情のまま、震える声で言った。
「私があなたの妹を助けるなんて、思わないで。 あなたは、自分の都合で私の娘達を殺しかけたんです。確かに、あなたの妹は悪くない。けど、私たちはもっと悪くない」
犬丸は諦めたように、片手を上げた。
いつの間にか近づいて来た蒼瀬が、犬丸の足下で立ち止まった。
上半身裸で、左半分、滝が流れたような血の痕がこびりついている。
「コード000…… なあ、頼む、ミクを助けてくれねえか? 勝手なのはわかってる、金なんかでよければ…… 」
蒼瀬は血の気のない顔で遮った。
「いらない。アンタは馬鹿だ」
犬丸は口を噤んだ。
「何度でも言ってやる、アンタは大馬鹿だ。みんなを巻き込んで、騒ぎを大きくして……」
犬丸は、堪えきれないかのように、震える声で吐き捨てた。
「てめえに何がわかるよ? 俺もミクも――」
「紅坂は、友達なんだぜ?
ただ、言ってくれればよかったんだ。
手を貸してくれって」
犬丸は言葉を失った。
蒼瀬は斎賀の方を向いた。
「マル。ボクの中にまだ陰の気って残ってるよね?」
「……」
「マル?」
タバコの火を銃把に当ててにじり消し、袈裟の袂に放り込んだ斎賀は、苦しそうに答えた。
「はい、少しなら。でも――」
「その先は聞いてない。犬丸さん、二日もあれば、陰の気はともかく血は戻ると思うけど…… 急ぐの?」
犬丸は、慌てて言った。
「それでも構わねえ!もうすぐ俺は死んじまうだろうが、約束さえしてくれればアンタを信じ――」
「じゃ、今やろう」
疲れきった蒼瀬の即答に犬丸は声を失い、言葉も出せず、馬鹿のように口だけを開閉させた。
蒼瀬は首に貼ってあるガーゼを剥がすと、固まりつつある傷口を引っ掻いた。
滝の様に血が流れ出す。
「蒼瀬くん、やめて!」
ミサが叫んだ。
蒼瀬はとりあわず、呆然と見上げる紅坂を抱きしめる。
樫沢がうろたえた。
「アオ、明日にしよう。おまえ……」
「ボクの血だ。ボクの好きなように使う…… マル」
マルは苦痛に満ちた表情で、犬丸に向けた銃口を震わせていた。
「マル!」
蒼瀬の叱責に、マルはがっくりと項垂れ、ぼそりと言った。
「そこの女、脱げ」
「え……」
「早くしろ」
紅坂は戸惑いながらも、ブラウスを脱いだ。
ビスチェを見て、マルが顔を顰める。
「なんだ、その下着は…… めくれ。腹をみせろ」
紅坂は真っ赤になって唇を噛んだ。
涙の浮かぶ目を眇め、マルを睨みかけたが、しおしおと俯く。
おずおずと、きわめてゆっくりと震える手でビスチェをめくり上げた。
そこには、横、真一文字に走る古い傷があった。
腹の端から細く入り、形のよいへその上で、巨大な赤黒い口を開き、又、端の方で収束している。
普通の傷ではない。
年月が経っているのがわかるのに、グロテスクな色彩を帯びたままだ。
小夜は、驚きに口元を覆い掛けて、辛うじて堪えた。
目も反らさず、努めて無表情を装う。
紅坂をこれ以上傷つけたくない。
マルは、ため息を付くと、読経を始めた。
蒼瀬がふらつき始める。
紅坂はあわてて、蒼瀬を支えた。
瀕死の重傷を負った者同士が縋り合うのは、なにか、滑稽ですらあった。
犬丸は、信じられないものを見るような目で…
怯えている様にすら、見える目で二人を凝視している。
「始めて…早く!なんのためにみんなを巻き込んだんだ!」
蒼瀬に叱責された犬丸が、慌てて口を開き、ひび割れた声で何かを唱え始めた。
「……御霊宿りし、ヒヒイロカネよ、
万物の陰陽なす片割れよ、
われ、犬神の眷属がかしこみ、かしこみ申す。
我が身に宿れ、古き殻を捨て、我が血肉となれ……
そなたの新しき祠は我が肉体なり……
」犬丸は目を閉じる紅坂の傷に手を当て言った。
「来たれ」
GW中、投稿時間はランダムになります。
広告の下辺りに、星のマークがあります(しらなかった…)ぜひポイントをおしてやってください!励みになります!




