(5-2)
土曜日デース!
私はシゴトデース!
同じ土曜出勤の戦友達に捧げます。
今朝もよろしくお付き合いのほどを。
事務所の下にある物置に半ばめり込んで、煙を上げているトレーラーを眺めた小夜は、言葉を失っていた。
でたらめに首を振り回し、痛みにもがいていた魔犬は一声、断末魔の声を上げると、地響きをあげて倒れた。
盛大に白煙が上がる。
魔が変化を解く時に起こす現象だ。
「あいつ、なんつー無茶を……」
ようよう呟いた小夜に、横で大の字になって息を荒くしていた雪が言った。
「あのメギツネ、生きとるやろな?」
我に返った小夜が、トレーラーに向けバネをたわめた。
そのとき。
横倒しになったコンテナの上に人影が出現した。
長身の男だ。
胸に抱えられているのはぐったりとしている紅坂。
ウエーブがかかった肩までの髪に無精ひげ、目つきの悪いキリストの様な外見に、小夜は見覚えがあった。
「あんた…… 昼間の」
引き締まった体躯に、黒いTシャツと、同色のカーゴパンツを纏った男は、血の流れる口元に笑みを浮かべた。
「よお、ライラ。島以来だな。一〇年振りか?」
その言葉は、小夜の全身を、凍り付かせた。
なんで私の、もう一つの名前を知っている?
一〇年ぶり?
どういうことだ?
身を起こした雪が、口を挟んだ。
「小夜、知り合いどすか…… ふぎゃ!」
雪はあわてて眼を逸らした。小夜が眼を向けると、顔を背けたまま、雪が真っ赤になって男を指さす。
「ははは裸! 露出狂!」
小夜は一呼吸置いて理解した。
雪の眼鏡は、幻術を見破るためのアイテムだ。
男は幻術で服を纏っているように見せかけているだけ。
つまり。
「あんた…… 魔か? 変化を解いたケルベロスなのか?」
小夜は怒りを込め、男を睨む。
男は顔を顰めながら、笑った。
小夜が推測したとおりなら、服は無事でも、その下の肉体にはかなりのダメージを負っているはずだ。男は穏やかな顔で言った。
「正確には変化を解かれたケルベロスだ。おまえらにな」
小夜は全身にわき上がる悪寒を押さえて、叫ぼうとした。
樫沢もグルなのかと。
入り口から響いた素っ頓狂な声がそれを遮った。
「ケンさん!? なんでここに……」
瞠目した樫沢に、ケンと呼ばれた男はにっこりと笑って言った。
敵意に溢れた小夜の眼から見ても、魅力的な笑顔だ。
「カシの字。良く会うな」
「バカ言わんでください。一体…… 」
小夜が横やりを入れて遮った。
「樫沢、こいつはケルベロスだ。知ってたのか?」
樫沢は小夜を見て、眼をぱちくりさせた。
演技には見えない。
器用な男だが、腐ってはいない。
小夜はそう判断を下し、男に向きなおった。
「あんたに用がある。一緒に来てもらおうか」
「ケルベロスは、純粋な、陰の金属だからな」
機先を制され、小夜は言葉に詰まった。
「そして、魔から陰の金属を抽出し、精錬する技術を持っているのは、ミサだけだ。けど、皮肉なもんだ、お前達には、技術があっても、陰の金属が無い。俺には陰の金属があっても技術が無い」
歌うような男の言葉に、小夜の心臓が早鐘を打ち始めた。
そうだ、その『レシピ』は、母さんと私たち三人しか知らない。
もしもの時のため、暗記させられたのだ。
コイツは、母さんのことも、金属の事も知っている。
小夜は言った。
「なんで、そこでバーターってアイディアが出てこねえんだよ、ニーちゃん」
冷静になれ、小夜は自分に言い聞かせた。
うまくいけば、一挙に問題は解決できる。
だが、男の返答は、その期待を、脆くも打ち砕いた。
「おれは魔に憑依されているだけだからな。相性の合う生物に寄生し、宿主を護ろうとしているオマエラのそれとは違う。陰の金属を抽出するには、捕獲して、浄化しねえといけねえ。つまりケルベロスを殺さなきゃいけないわけだが、そうすると俺も死ぬ」
言葉を失う小夜の前で、男はレクチャーを続ける。
「低級魔の憑依は真言で祓えるが、高級魔の場合はどうなんだろうな? 細胞レベルまで乗っ取られた前例は聞いたことがねえし。今は、ヤツの意識が弱まっているから俺が姿を現してるだけだ…… んじゃ、また後でな。栄養剤と湿布でも買ってくるわ」
「はい、そうですか」
ジャキッ、と小夜の拳から伸びた鈎爪が、薄ら笑いを浮かべた。
「そう言うと思ったか?」
「言うねえ。けどホラ」
犬丸は嬉しそうに笑い、顎で入り口を示した。
赤くなって俯いたまま雪が言った。
「小夜、やばい、パトカーや。二キロ先」
破壊された扉のあたりから、蒼瀬の緊迫した声が響く。
「小夜さん、美香ちゃんを早く病院へ」
小夜は歯噛みした。
「心配すんな、今日中に連絡する。ミクが怪我してなけりゃここで終わりに…… 」
そのとき、犬丸に抱かれている紅坂が薄目をあけ、譫言を呟いた。
「師範…… アンちゃん?」
ケンは、軽薄な笑顔を消し、沈痛な面持ちで、紅坂に語りかけた。
「…… ミク。遠回りしちまった。だが、お前の手当が先だ。今はもめてる場合じゃねえ」
そっと、コンテナの上に紅坂を横たえて、言った。
「カシ、ミクを病院に連れてってくれねえか? この通りだ」
頭を下げられた樫沢は、うろたえたように言った。
「そりゃ、言われなくても、連れてきますよ。ケンさん、あの……」
「恩に着る」
小夜は、ある事に思い当たった。
「なあ、あんた、カクってまさか……」
男が嬉しそうに笑った。
「お、嬉しいね覚えててくれたのか…… ってそんなわけないわな。お前等、車がひっくり返された時は、オムツがとれたばっかりだったんだからよ」
「…… 何?」
ひっくり返された?
小夜と雪が言葉の稲妻に打たれている内に、ケンは煙のように消えた。
「母さんは美香と一緒にいるってさ」
小夜は美香を横たえた和室から出てくると、言った。テーブルのまわりでは、蒼瀬と樫沢、雪の三人が暗い顔をしてうなだれている。
寺の一階にあるダイニングは、お通夜のような空気に包まれていた。
「美香どないなん?」
「…… 変わりねえな」
小夜は精一杯言葉を探すと、泣きそうな顔をしている雪に言った。
あの後、蒼瀬たちは、破壊を免れた軽トラックを駆り寺まで帰ってきた。
幌の掛かった荷台に残りの四人を載せ、あっという間に配線を直結して、倉庫を後する樫沢を、助手席に乗った小夜は感心して見ていた。
樫沢の運転は手馴れており、警察に止められないよう、速度を抑えながらも、三〇分足らずで京大近くの五行寺にたどり着いた。
病院に寄らなかったのは、美香を医者に見せるわけにはいかないと小夜が主張したからだ。
蒼瀬も樫沢も、小夜たちの実家が寺だと知らされ、驚いていた。
ミサは、容態がよくならない美香をダイニングの隣にある居間に寝かせ、全身血まみれで意識のない紅坂の外見を、何とか取り繕った。
紅坂は、小夜から連絡を受け、待機していた斎賀により、近くの京大病院へ運ばれた。
樫沢の自己紹介を頷いただけでやり過ごし、蒼瀬とは目も合わせず、さっさと紅坂を抱えて鳥居を出て行く僧侶を、二人は言葉もなく見送った。
樫沢が踵を返した後も、蒼瀬は斎賀と紅坂の後姿を見送ったままだった。
そして、今に至る。
「美香のヤツ―― 俺達ほどうまくリミッターを使いこなせねえからな。封魔の輪がダメになりかけてる」
ぎょっとして顔を上げた雪が、あわてて言った。
「うちのヤツを代わりに……」
「俺も母さんに言った。生きた金属の、浸食量がちがうからダメだって」
「えらいことやん、どないしよ!」
雪が悲痛な声を上げ、顔を覆った。
小夜も下半身に力が入らない。
ともすれば、へたり込みそうになるのを堪え、さりげなくテーブルに手をついた。
さっき、隣の和室で美香の手を握りながら涙を拭っていたミサは、いつにないほど、頼りなく小夜の眼に映った。
おっちょこちょいで、思い込みが激しく、ともすれば美香より年下に思える時があるミサだが、いつでも堂々と胸を張って生きて来た。
それが今は、同級生の手を握りしめて回復を祈るしか術のないような、少女そのものの姿を晒していた。
明日は休みます。
月曜お会いしましょう!




