(4-4)
水曜日。
来たぞ、ここまで来た。明日は木曜日だ!
よろしくお付き合いのほどを。
意識が戻った小夜は焦った。
実際は、数秒も経ってなかったようだ。
あわてて、前を見る。
美香の頭突きをまともに食らった紅坂を見て、小夜は一瞬目の前が暗くなった。
死んだか?
よろめき、倒れ込んだ紅坂を見下ろす美香の笑顔は、小夜から見ても正視に耐えない邪悪さだった。
おもむろに紅坂の腹にまたがる美香をみて、小夜は叫んだ。
「臨・兵・闘・者・皆・陣・列・在・前!」
小夜の体が光を放った。
強引に地面を掴む足に力を込める。
ズドン!
激しい地鳴りとともに、小夜の体がぶれる。
今までのものと比較にならないほどの、鋭く凝縮した痛み。
それも一瞬だった。
美香は、ぐったりした紅坂にまたがり、襟首を掴んで起こしているところだった。
とどめの一撃を入れるため、頭を振りかぶっている美香に、小夜は勢い殺さず体当たりする。
美香と小夜は絡みあったままふっとび、額から血を流している紅坂も弾け飛んだ。
三人とも、サーキットでレーシングカーが事故を起こしたかのように宙を舞う。
高速で流れる景色を背景に、いっそスローモーションに見える速度で、美香をかばった小夜の背中が、一階の物置の壁に激突した。
リミッターを切り、全身の硬化を行った小夜は無傷だ。
「美香、無事か!」
背中から抱きすくめる形で、腕の中に閉じ込めた末っ子に叫ぶ。
「う……」
体熱の上昇で真っ赤になって息を荒げる美香を見て、小夜は自分の髪の毛を素早く一本抜き、気を通した。
「チクチクするぞ、我慢しろ」
即席の針を用い、手慣れた様子で美香の頭のあちこちをつつく。
美香は弱々しくもがいたが、小夜は意に介さず施療を続けた。
鬱血した血を抜く、瀉血と呼ばれる、民間療法だ。
美香の発光している金髪のあちこちに、赤黒い水たまりが点々と生まれた。
頭の芯で、軽い疼きを覚え始め小夜は軽く顔をしかめた。
生きた金属の浸食が一番少ない小夜は、体熱の上昇も、他の二人に比べて緩やかだが、ぐずぐずはしていられない。
「美香、リミッターを掛けろ!」
美香は少しだけ振り向き、限界いっぱいまで横目を使うと、掠れた声で言った。
「下忍、頭領の命令を、何故無視する」
小夜はカッとなって叫んだ。
「いつまでやってやがる、ぶっとばすぞバカ!」
「紅坂!」
蒼瀬を追い抜き、階段を飛ぶように降りてきた樫沢が、途中で手すりを飛び越えた。
外側から、何らかの方法で、二階に侵入していたようだ。
樫沢は膝をつき、大の字になっている、紅坂の口元に手をかざすと、硬い声で言った。
「呼吸が速い。あんまり大丈夫じゃねえぞ」
にぃぃと引き込むように美香が笑った。
「あら、残念。生きてたんだ」
美香の呟きに、小夜の堪忍袋の緒が切れた。
今の美香の悪態が、樫沢と、何より階段を駆け降りてきた蒼瀬に届かない事を願い、小夜は怒号した。
「どあほう!」
美香の胸ぐらをつかんで立ち上がると、ほお桁を張る。
金属を殴った手応え。
美香は微動だにしない。
リミッターを切った美香の特殊能力の一つで、幻術を硬化させることが出来る。
幻術の正体は、霧状の生きた金属だ。
しかし、いま、小夜が手を挙げたのは本体。
金髪の大半を自らの血に染め、口元を引き結んだ美香は、小さい頃そっくりの眼をして、小夜をにらんだ。
わがままを言うときの、姉達を押しのけ、遊具の上でふんぞり返っていたときのあの眼だ。
「なんでよ、私を頭領にしたのはお姉ちゃんじゃない!」
「ええ加減にしよし!」
結界に挑んでは、はじき返されている雪が叫んだ。
小夜より、金属の親和率が高い雪なら、逆九字で美香の変化を解けるのだ。
ただし、美香に触れている必要がある。
「ええ加減にしよし、あほ美香! あれは、あんたの体が弱いから小夜が闘わんでええ様に、御輿に乗せたんやろ。そんなことも――」
「私は、お荷物じゃないっ、ちゃんと闘える! どんくさいからって、ごまめにしないでよ!」
姉達二人は言葉を失った。
遠く水銀灯の照らす色のない景色は、墓場の様な沈黙に包まれる。
眼に涙を浮かべて、肩で息をしている美香に、小夜は静かに言った。
「悪かった。とにかくリミッターを掛けろ。な、美香頼む」
「いや、頭領は誰の命令も聞かないの! 蒼瀬くんにひどい事したあの女をやっつけるまで……」
「うるせえ、妹のくせに!!」
小夜は虎の様に吼えた。
窓硝子までビリビリ震えるような大噴火に、美香はびくっと体をすくめる。
「長女はこの世で一番偉いんだよ!」
眼を見開いた美香。
小夜はこの機を逃さず、矢継ぎ早に畳みかけた。
「あの女をやっつける? もう気づいてんだろ、向こうの方が実力は上だ。あいつが俺たちを殺すつもりならとっくにやってんだよ、逃げるつもりなら、とっくに消えてるんだよ。こんなマネされたのは頭に来るけど、命まで取るようなことじゃねえだろうが!」
美香は言葉を返せず、ただ唇を震わせている。
小夜は声のトーンを落とした。
「焚きつけてきたのは向こうだ。おまえを切れさせるためにやったんだろうし、望み通りにしてやったんだ。気に病むことはねえが、これ以上は俺が許さん」
涙をぼろぼろ流す美香へ、小夜は厳かに言った。
「母さんの代理として言う。リミッターを今すぐ掛けろ。頭領もごまめもねえ」
小夜はささやいた。
「おまえに何かあったら、俺も、雪も、母さんも、みんな悲しくてしんじまうぞ」
美香は、顔を歪め、唇をかんでうつむいた。
そして二本の指を立て、目の前の空間をマス目状に斬り、最後に斜め下からその対角線に指を走らせた。
美香から耳が、しっぽが、金髪の輝きが失せる。
それを確認してから、小夜も美香と全く同じ動作をした。
呪文の代わりの九字呪法だ。
結界が消え、近づいてきた雪が、無言で床に涙をこぼし続ける美香を抱きしめた。
お気に入りのブラウスが美香の血で染まるのも構わずに。
「あほ」
雪の震える悪態に、美香は消え入りそうな声で言った。
「ごめんなさい」
小夜は、汚れた鉄板の上にどすんと、尻餅をつき、先ほどへこませてしまった、事務所の外壁にもたれた。
その冷えた感触が、小夜の体のあちこちの痛みを呼び覚ます。
さっき障壁を抜けたときに、体の筋をだいぶ痛めたようだ。
全身が、ぴきぴきとした疼痛を訴え掛ける。
「いってえ……」
小夜の呟きが力なく床を転がった。
先ほど結界を超える際の見返りに、お気に入りのTシャツが裂け、グレーのスポーツブラが丸ごと露出している。
カーゴパンツにもあちこち鈎裂きが出来て、トランクス型の下着が見え隠れしていた。
動きやすさを重視した軽装が仇になってしまったのだ。
だが小夜も含め、誰もそんなことを気に掛けてる余裕はなかったようだ。
「紅坂!」
蒼瀬が叫んだ。
蒼瀬と樫沢に囲まれていた、紅坂が、ゆっくりと体を起こした。
視線が定まっていない。
当たり前だ、と小夜は思った。
硬化した美香の頭突きをもろに食らったのだ、
生きてるのが不思議な位だ。
紅坂は自分の額に触れ、電流が流れたかの如く、その手を引っ込めた。
顔を顰めている。
小夜は怒りを隠さずに言った。
「生きててくれてよかった。美香を人殺しにしたくねえからな」
紅坂は足を投げ出したまま、焦点の定まらない顔を小夜達に向け、寝起きのように呟いた。
「やるね」
美香の顔を胸に抱いたまま、雪が氷の様な殺気を送る。
「それはもうよろしいわ。今から、小夜が質問する。無駄口叩いたら、乳削いでまうえ」
小夜は立ち上がると、痛みに顔を顰めつつ言った。
「雪の言うとおり、ゲームは終わりだ。いまから――」
紅坂が遮った。
「終わってない」
小夜が眼を眇めた。
「あ? 意地張んのも大概にしとけ。利き脚もやられてんだろ。立てもしねえくせに……」
再び緊迫する場を取り繕う様に、蒼瀬が急いで口を挟んだ。
「紅坂、もうよそう。理由があるんだろうけど、怪我したりさせたりは洒落になってない」
樫沢が怒ったように続けた。
「紅坂、ここまでやった訳を言え。窓も開いてたし、アオは服も乱れてねえ上、グースカ寝てただけ。試しにパンツを脱がせて見たが、いつもの、面白みのない、粗末なチンチンだった。紅坂、なんであんな嘘ついた?」
蒼瀬が赤くなって、樫沢の後頭部に蹴りを入れた。
「いつも見てるような言い方やめろ! ってか、見たのかよ!?」
靴の裏でスタンピングされても、樫沢はちょっと揺れただけでまじめな顔を崩さない。
樫沢の、美香への気遣いに小夜は苦笑した。
あああ、感想をくださああい、よろしくお願いいたします、泣いて喜びます。




