(3-4)
おはようございます。
金曜、金曜日だ!
今朝もよろしくお付き合いのほどを。
夕日が浅くなった角度で、蒼瀬の背中を照らす。
逆光で黒く塗りつぶされた蒼瀬の姿。彼の中の闇が見えたような気がすると紅坂は思った。
彼もまた、抱えきれないほどの重荷を背負って生きてきたのだ。
自分と同じ様に。
「知ってるの、僕の事?」
蒼瀬は俯いて言った。
「クラスメートだから」
紅坂の答えに蒼瀬は、ふっと笑った。
「僕も京大で話を聞いてて、大体君の背後がわかった気がするよ」
「そう」
「他の事は聞かないけど、一つだけ。美香ちゃん達をどうするつもり?」
「こちらから危害を加えるつもりはない…… 見てたでしょ」
「うん。紅坂、強いね」
紅坂は無言。
「みんなに怪我をさせないで欲しい…… でないと」
紅坂はやはり無言。
「僕が怪我するよ」
ややあって、紅坂はぽつりと言った。
「約束は出来ない。けど、言いたいことは分かった」
紅坂はしばらく蒼瀬を見つめた後、言った。
「やるね」
蒼瀬は微笑んだ。そして気分を変えるように手を叩いた。
「さ、なにして時間を潰す? テレビ以外な」
「なぜ?」
「僕、滅多に観ないんだ。もっぱらラジオ」
スレートの壁に後ろ手でもたれている、紅坂の眉毛がピクリと動いた。
「私も」
蒼瀬はびっくりして、嬉しそうに叫んだ。
「え。マジ? 暗いね、紅坂。夜中にラジオ深夜便とか、聴いてんじゃないだろうな?」
「聴いてる。眠るにはあれが一番」
蒼瀬が足をバタバタさせながら、テンションをあげる。
「うはっ、ババくせー、ありえねー。配信とかは?」
「民放はどれもうるさいし、棒読みちゃんとか論外」
蒼瀬は勢い込んで頷いた。
「同意。だからテレビ観ないんだよ、配信も嫌いだし。紅坂もだろ?」
紅坂は視線だけで肯定しながら、思った。
何だろう、遠い国で、言葉の通じる人にあったような安心感。なにか心のどこかが解けたような感覚。堰き止めていた血流が循環しだした様な、ほっとする暖かさ。
紅坂は、初めて味わう、同年代の異性との交流に戸惑っている自分、そして流れに任せてみたいと思っている自分を発見した。
「NHK好きなら、青春アドベンチャーって知ってる?」
「好きな番組」
紅坂は迷わず即答した。ちょっと勢い込んでいたかもしれない。
「いえーぃ、お前サイコー!」
蒼瀬が立ち上がって変な踊りを踊りだした。顔が上気している。
突然蒼瀬が声を潜めた。
「…… 人に言わないでよ。まあ、紅坂なら大丈夫か」
独り言のように呟き、勝手に納得すると、恥ずかしそうに言った。
「僕、シナリオ書いて投稿してるんだ」
「っ!」
紅坂の喉からおかしな声が漏れた。
自分の顔が一気に熱くなったのがわかる。
蒼瀬は誤解したのか、口を尖らせた。
「んだよ、笑うなよ。一回放送された事があるんだぜ? 佳作だけど」
紅坂の視界が揺れた。
膝が笑っている。
バランスを崩して背中で壁に張り付き、思った。
ここまでの、偶然ってあるのだろうか?
それとも、友達のいない紅坂が知らないだけで、今、ラジオがブームなのか?
どう考えてもそれは無さそうなのだが。
紅坂の異変に気づいた蒼瀬は怪訝に思い尋ねた。
「ん、どしたの?」
「…… 私も」
「へ、何?」
「私も、脚本を書いてる」
蒼瀬が魂の抜けた様な顔で紅坂を見つめた。
紅坂は、たまげる、とは魂消ると書くのだな、とかバクバクする心臓の音を聞きながら唐突に納得した。
蒼瀬が顔を顰め、白けた様に言う。
「話合わせるのも、そこまで行くと」
「糸井重里と、中島らも」
蒼瀬はぎょっとしたように眼を見開いた。
紅坂は早口で被せながら思った。
我ながら、珍しい。多分、この雰囲気が壊れるのを恐れたのだ。
「私の尊敬するライター。それと……」
紅坂はソファの前のテーブルに駆け寄り、置いてあったワンショルダーから小型のモバイルをもどかしげに取り出して見せた。蒼瀬はかすれた声で言った。
「それ…… シグマリオンじゃん」
数十年前の遺物で、文章を書くぐらいしか役に立たないアイテムだ。usbスロットも付いていない。だからこそ、持つ物の気迫が感じられる。
蒼瀬はのろのろと自分のリュックに手を伸ばした。
紅坂の眼を見つめたまま、そこから取り出した物をかざす。
今度は紅坂が眼を見張る番だった。
「…… モバイルギア」
紅坂が手に持っているPDAと全く同じ造りで、一回り大きい。今で言うノートブックほどのサイズだが、これも文章を書くことに特化されていると言っていい、超旧式モデルだ。
二人、呆然と見つめ合う。
こんな不便な物を使う理由なんて、多分同じ。
好きな作家が使っているからだ。
「ぷっ、くくく」
蒼瀬が俯いて肩を揺すり始めた。
紅坂は言った。
「真似しないで」
あはははは。
蒼瀬の笑い声が弾けた。
がらんとした事務所に明るい笑い声がこだまする。
紅坂の心を、心地よい響きが占領した。
紅坂はモバイルをもったまま、手を叩いて笑う少年を見つめ、決めた。
もう少し。
あと一時間足らずだけ、任務を忘れよう。
ああ、神様、私が大嫌いな神様。
泥まみれで不良品の私だけれど……
ヒビの入った私でも、ちょっとだけ夢を見ていいですか?
それからの時間は、驚きと興奮の連続だった。蒼瀬の真剣な口から語られるシナリオの知識は、新鮮な衝撃だった。独学で、批評してもらえる人も無くシナリオを組み立ててきた紅坂にとって、それは砂漠の慈雨だった。
かつて、味わったことのない種類の幸福を…… 同年代の少年と、夢を共有する時間を紅坂は初めて体験した。
でも、終わりは来た。
事務所の扉のかなり向こうで、音がしたのだ。
「あれ…… 誰か来た?」
蒼瀬は壁の方を振り向いて、ソファから立ち上がった。
紅坂も立ち上がる。目の前の女の子のような横顔を見つめた。
紅坂は思った。
シンデレラは帰らないといけない。
血と嘘と、硝煙で満たされた世界に。
「蒼瀬」
「ん?」
振り返った蒼瀬の額に、人差し指を当てながら紅坂は言った。
「ありがとう」
蒼瀬が眼を剥いた。
「紅坂、いま笑っ……」
続きを言えずに気を失った蒼瀬を抱き止める。なぜか、しばらくそうしていたかった。
蒼瀬をそっとソファに横たえる。思いつきで再び蒼瀬の唇にキスをしてみる。
あくまでなんとなく。
紅坂はびっくりした。
十代になってから一番驚いた。
感覚がさっきと、全然違う。
心臓が鼓動を早め、顔が熱くなり、呼吸が浅く、早くなった。気づいてみれば、膝を付き、感触を愛おしむかのように眼を閉じていた。
我に帰った紅坂は、あわてて、彼から離れ、扉に向かった。
早くなった心臓の鼓動と、雑念を追い払いながら呟く。
「LOCK&LOAD」
安全装置作動、装填弾込め。
師範から教えてもらった、戦闘準備の呪文。
伊賀の忍には不似合いだけど。
紅坂は思う。
二級品のくノ一には、皮肉が利いてていいんじゃない?
紅坂、どんどん疾走します。




