(3-3)
おはようございます。
やっと週の半ば!
張り切っていきましょう。
ウェイトレスは笑いながら、食べて片づけようとする犬丸から、吸い殻をとりあげて行ってしまった。突っ伏していた犬丸は、ちらりと目を上げ、いたずらっぽく目を細めた。
「ワンパターンって言いたいのかよ?」
タバコの火を舌で消すのは、犬丸の得意技だ。樫沢は軽く手を振って言った。
「っていう程、見てませんって…… ああ、ありがと」
水の入ったコップが置かれた。
樫沢が礼をいい、犬丸がヒラヒラと手を振って微笑みかけると、ウェイトレスは頬を染めて去った。
「んで、どこの誰だ、やっと見つけたお前の居場所を邪魔するヤツぁ?」
テーブルの上の水滴を指で動かしながら、軽い調子で犬丸が尋ねる。
「ややこしいヤツなんか? 手伝うぜ、どーせ、また日本から消えるしよ」
子供の様に、散らばった水滴同士をくっつけるている。
その作業に没頭する犬丸を見て、樫沢は思った。
この人は本当にダイレクトだ。欲しいものは欲しいといい、ムカツクことはムカツクという。喧嘩相手を選ばない生き方に、樫沢は心底痺れたものだ。
「あざっす。もしもン時はよろしくお願いします」
樫沢は、大げさにならないように立ち上がらず、座ったまま、深々と頭を下げた。
「…… ほっか」
「でも、助言が欲しかったんスよ。それが、犬丸さんなら文句なしッス」
犬丸は心底情けない顔をした。
「俺にゃ一番の不得意分野だぞ」
「自分より強いヤツを、怪我させずに抑えるってどうすりゃいいスかね?」
「無理だ」犬丸は即答し、続けた。
「難しい話じゃねえ。だれでもいい、自分より強いヤツ思い浮かべろよ。出来そうか?」
目の前の犬丸をねじ伏せるイメージ。浮かばない。
「無理ッスね」
樫沢は腕を組んだまま視線をテーブルに落として、心中呟く。
紅坂を無傷で抑えるのは無理か。
樫沢はこの騒ぎをどう収束させたものかと頭を悩ませていた。
蒼瀬の助太刀にと、軽い気持ちで付き合ってみれば、この騒ぎだ。逆に言えば付いてきて良かったのだが。
ロボットオタクで女みたいな顔をしているくせに、妙に男っぽい相棒。
その微妙なもて方に苦笑しつつも、なんとか良い方向に流れを持って行きたい、樫沢は心底そう願っていた。
さっき、犬丸に言われたように、樫沢は前の学校でバカをやり過ぎて、居場所が無くなり、転校せざるを得なくなった。
蒼瀬は気付いているだろうか。
樫沢自身もまた、蒼瀬の隣を自分が居場所にしている事を。
あまり、素性を知らない蒼瀬の事を親友と思っていることを。
樫沢は一つ年上な分だけ、蒼瀬の詮索嫌いの理由は分かっているつもりだった。
それは自分が蒼瀬の事を詮索しない理由と同じ。
余計なことを言って、お互いを失うのが怖いのだ。
それが正しいとは思っていない。でもいつかきっと……
樫沢は犬丸の声で現実に引き戻された。
「そもそも、自分より強いっていう仮定を立てた時点でお終いだろ? つええってのが銃を持ってるとか、人数が多いって意味なのかは関係ねえ。自分より優位にいるって事だろ」
「はい」
「孫子のジジイが言ってっだろ? 相手の十倍の力があったら包囲しろ、五倍なら撃ちまくれ、勝てなきゃ逃げろ」
「そうなんスか?」
「そうなんだよ。一〇倍ってのはともかく、相手がハンズアップするくらいの状態にもってけなきゃ無理だ。馬鹿げた質問だとは思わねえよ。頭ン中整理したかったんだろ?」
ここで犬丸は二ヤリとした。
「俺がいりゃ、一気に三〇倍だぜ?」
樫沢は頭を掻いた。
「同意です。でも、自分でやんなきゃ」
「んだよ」
下唇を突き出して、犬丸はふてくされた。
樫沢は思わず笑った。この陽気な根無し草は、単に暴れたいだけなのかも知れない。
「ん? お前の知り合いか、カシ」
犬丸が樫沢の斜め後ろを指した。席の側面は全面ガラス張りだ。その向こう、歩道で、褐色の美少女が、犬丸に上目遣いで会釈していた。続いて、樫沢を手招きする。
「んじゃ、去ぬわ」
すぐ横で声が聞こえ、樫沢はぎょっとして振り向いた。いつの間にか、犬丸が小夜にヒラヒラ手と愛想を振りながら、立っていた。
「なあ、カシ。昔、俺が言った喧嘩の心得覚えてっか?」
「もちろん。地獄にあっては鬼を斬り、親に会っては親を斬れ、ですよね?」
樫沢は心の中で呟いた。
やる以上は、相手が誰であろうと絶対躊躇するな。
俺は、そこまで自分に厳しく生きられそうに無いから、ケンさんの背中追うの諦めたんです。
入り口に歩き出した犬丸は、振り向かずに言った。
「は、嬉しいね。なら、わかんだろ? ちょっとがっかりしたぜ、カシ」
樫沢の顔から笑みが消え、胃の底が重くなった。
「…… すいません」
「謝んじゃねえよ。お前はそれでいいんだ…… 俺の方こそ悪かった。んじゃな」
犬丸はさっきのウェイトレスにウィンクし、樫沢に背中を向けたまま手を振ると、電子音のチャイムと共に店を去った。
立ち上がり、深々と頭を下げていた樫沢は、テーブルに向き直ってぎょっとした。万札が二枚、伝票が差してあるプラスチックの筒に突っ込まれてあったのだ。
頭を掻きながら店から出ると、小夜に合流して歩き出した。
「待ち合わせしてたのか、さっきの人と」
「いや、偶然会った。犬丸さんっていって俺の大先輩」
「変わった名字だな」
樫沢は笑った。
「下の名前はもっと変わっててな、アオと同じで、呼んだら怒るんだ」
蒼瀬の手が、ビスチェの下で蠢くのを、紅坂は無表情に見下ろしていた。軽くしっぺをすると、蒼瀬はのろのろと手を引っ込め、俯いたまま立ち尽くす。
「ソファに」
紅坂は埃っぽい事務所にしつらえてある、安物の応接セットを指さす。
蒼瀬はフラフラとそちらへ向かい、ばったり合成皮革の上に倒れ込んだ。
紅坂は軽く鬢の後れ毛を耳にかけた。蒼瀬に舐められていた右の耳が涼しい。三つ編みにしている髪の毛の先を見つめながら思った。
耳の中を軟体動物が這い回ったような感触も、ペットになめ回されたようなもので、別段何ら感情に訴えかけてこない。
それは多分、自分が彼を嫌いではないからだろう。他の男であれば、嫌悪感が沸いたはずだ。
もうすぐ、顔も知らない男達に貞操を捧げなければならない。
できればその前に、好きじゃなくても、嫌いでは無い、自分で選んだ男と初めての夜を過ごしたかった。
物心ついた頃から言い聞かされた一族の掟。
厳しい修練と、毎日の諦念により、削られた心には今更、何の感慨も、不満も浮かばない。
その事に、少しほっとしながら、紅坂はさっきから眠ったままの蒼瀬に歩み寄る。
紅坂は入学して以来、蒼瀬に接近する機会を窺っていた。
彼の通う高校へ来たのも、彼と同じクラスに振り分けられたのも偶然ではないし、体育館裏での立ち回りも、ある程度計算のうちだった。
あの時間、蒼瀬達があの場所で昼休みを過ごしているのも知っていたし、不良達がたむろしているのも調査済みだった。
もっと普通に仲良くなっても良かったかも知れないが、それは、紅坂にとって最も苦手な分野だった。同年代の少年や少女と、何を話して良いのか分からないのだ。
あの不良達を利用すれば、彼の性格上お節介を焼くのではないか、と紅坂は考え、それはものの見事に的中した。
ただ、二つほど想定外だったのは、花壇を荒らして悪びれない、不良達に本気で怒りを感じたこと、そして蒼瀬とその相棒を、キライじゃないと感じたことだ。
紅坂はソファに横たわる蒼瀬をじっと見下ろした。
ぼさぼさの前髪の下で、女の子のような顔がすやすや寝息を立てている。
紅坂は蒼瀬の半開きの唇に自分のそれを重ねた。
時間の止まった、殺風景な事務所内にオレンジ色の影絵が伸びる。
しばらくしてからそっと、顔を離した。
やっぱり、感情の針は、何の振れも示さない。
当たり前だ。
眠らせた彼を操って肌に触れさせたところで、何になる? 紅坂は軽く目を細め、あることに気付いた。
もうすぐ自分がされるであろう事を、彼にしているようなものじゃないか。
「…ごめん」
紅坂は呟くと、指を鳴らした。
「ん、ああ」
蒼瀬は間の抜けた声を上げるとソファから頭を起こした。しばらく、寝ぼけ顔で、紅坂を見つめる。
「おはよう。ここどこ?」
「二人の愛の巣」
「…… あっ」蒼瀬は一気に目が覚めたようだ。
「荷台に落ちたとき、知らないヤツに二人がかりで注射されて…… みんなは!?」
興奮して上半身を起こした蒼瀬へ、紅坂は冷静に告げる。
「後一時間以内には、来ると思う」
「紅坂……」
蒼瀬は真剣な眼で紅坂を見つめた。
睨むという方が近い。紅坂も見つめ返した。
蒼瀬の訴えかける視線を紅坂の超然とした瞳が吸い取る。産業道路を、通過する車の音が、ひっきりなしに窓の外から聞こえる。
窓の外には、小学校のグラウンドほどの敷地が広がり、雁首を並べたトレーラー達が眠っていた。
ここは、紅坂の一族が表の顔として経営している運輸会社で、休業日のため誰もいない。
Twitterの連携がわからない。
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