(3-2)
いやあ、入学式の季節ですね。
関係なく今日も仕事ですが。
今朝もよろしくお付き合いのほどを。
「じゃ、失礼します」
小夜は頭を下げ、返事も聞かずに階段へ向かった。
先生、と言わなかった小夜の挨拶は、美香の心に苦い何かを残した。
二階に戻ると、小夜がテーブルにスマホを置き、所定の位置に戻った。
姉二人は、何となく、塞いだような表情だ。
美香は、空気にめげず、ひょっこり黄金色のネコミミを立てた。
「美香、やめよし」
白が俯いたまま、うんざりしたように言った。
「いいの」
美香は聴覚をあげながら、思った。
美香は知っている。
滅多に人に心を開かない次女が、斎賀を信じ切っていたことを。
あのとき一番泣いたのも、彼女だ。
『…… 今日は何の用ですか。次の五行のなり手でも見つかったの?』
突っ慳貪な、ミサの物言いを受け流し、斎賀は言った。
『高級魔が彼女たちを狙っている。しばらく、寺から出さない方がいい』
『そう…… わかりました。三人には用心するよう、伝えておきます』
『念のため、社員達で警戒にあたる』
『ふざけないで。あの子達が信用すると思ってるの? 一番信用出来ないあなたが連れて来る連中を』
美香はちらりと姉達を見て、ほっとした。
物思いに沈んでる彼女たちは、盗み聞きしている様子はない。
特に雪は聞かない方が良い。
言い方は悪いが、雪は臆病なところがあるから、人に深く関わろうとしない。毒舌も、一種のバリヤーとカモフラージュだ。
あの日以来、それがますます顕著になった。
小夜は、無条件に先生を尊敬し、慕っていた。
あの日の事は、尻尾を振って駆け寄ったら、飼い主に焼きごてを当てられたような物だった。
二人とも、盗み聞きする勇気が無くて当たり前だろう。
そして、私は……
『…… からの情報だ。市ヶ谷にそれとなく聞いてみたが、知らんとのことだ』
市ヶ谷。
日本最大の情報機関、『防衛省情報本部』の別名で、忍びとは、切っても切れない縁だ。
さっき斎賀が言っていた社員とは、甲賀者の事を指す。
『きな臭いですね。協力を申し出るなんて』
『借りられるものは、何でも利用した方がいい。相手は人間に融合した高級魔だ。今まで…』
「……っと、美香」
美香は雪に肩を揺さぶられている事に気づいた。雪が鋭く言った。
「電話え。多分あの女やろ」
美香の全身に電流が走った。
美香の脳裏を横ぎった、蒼瀬の笑顔が胃の底をじりじりと灼き、斎賀達の事は、一瞬で頭から吹っ飛んだ。小夜がハンズフリーのボタンを押す。
「はい」
「紅坂」
電話の向こうから気怠げな声が届いた。
三人の顔に、緊張が走る。
「よお、露出狂。おまわりさんには、捕まらなかったのかい?」せせら笑う小夜。
「かっぱぱんつのお嬢ちゃんも無事だった?」冷静にやり返された。
雪が小夜を睨み、小夜は舌を出して、雪を拝んだ。
「んで、なんの用どす? 更年期の娼婦みたいなカッコした女に用はおまへんで」
「産業道路沿いの運輸会社。いつでも」
「おう、首を洗って待ってろ。行かねえけどな」
「よかったどすな、大手を振ってボンズと乳繰りあえますえ」
「もうしてる…… というかされてる」
「なんですってえええ!」
美香が噴火した。
紅坂は淡々と続ける。
「約束を違えてしまったが、反省はしていない。なぜなら、おっぱいを揉んでくるのは彼の意志」
「そ、そうなんどすか」
わなわなと震える美香を余所に、雪がどきどきした顔で問いかける。
「そう。先端を指の間に挟みながら、手のひらでこねくるとは…… やる」
「生々しいな、オイ!」小夜が頬を染めながら、食いつく。
「それなりに、グー。このままでは、先っぽを吸われるのも時間の問題」
「あぐぎょおおおう」
意味不明のわめき声をあげる美香をおいてけぼりにして、女の子の時間は続く。
「どうするつもりだ」
小夜の声がうわずっていた。
問いつめてると言うより、野次馬根性が見え隠れしている。
「蒼瀬に聞け。一つだけ言えるのは、女の様な顔をしていながら、こいつはなかなかの虎。初めての私でも、がんがんぐいぐいリードしてくれそう」
「初めてなんどすか!」
絹のような頬を染め、雪が鼻息荒く問いかける。
「初めて。蒼瀬に捧げるとは夢にも思わなかったが、これも成り行き。感慨はない」
「ぬわにやっとんじゃああ!」
足を踏ん張り、テーブルを頭上に掲げた美香を見て、小夜達は我に返ったようだ。
「落ち着け、悪かった、美香!」
「携帯壊れてまうえ! 続き、気にならんのかえ?」
「う、裏切り者! ちょっと、私より胸が大きいからって!」
美香は目を渦巻きにして吼える。
「蒼瀬くんを揉み倒した虎がガンガングイグイ急上昇? ぶっこりょす!」
「言ってねえ! とりあえずテーブル下ろせ、蒼瀬にそんなこと出来るわけねえって」
肩で息をしている美香は、動きを止めた。
「私もそう思った。けれど、ビスチェに進入してくるてのひら、蛇の如く」
低音の効いていない声を流すスピーカーに、美香は血走った目を向けた。
「こね倒すことパン屋の如し。職人でもこうはいかない」
「もう、やめえ。それよりひとつ答えや」
山葵を初めて食べた、スティーブン・タイラーのような顔をして、テーブルを叩きつけようとする美香からあわてて距離をとり、雪は言った。
「あんたは、コード000なんか?」
美香と小夜が動きを止めた。
「…… なぜそう思う?」
「アンクレットや。梵字の入ったデザインもうちらと同じ。コンビニには売ってへんやろ?」
「コンビニで買った」
雷鳴の似合いそうな沈黙。
雪の頭に、にゅっとネコミミが生えた。
「…… めんな」雪が美香と小夜に、目配せをしながら呟いた。
「?」
大きく息を吸い込んだ雪が、絶叫の代わりに常人の可聴域を越えた音波を、送話口に叩きつけた。
窓の外のスズメが一斉に飛び立ち、ガラスが震え、カーテンが揺れた。小夜と、テーブルを放り出した美香は、顔を顰めて耳を塞いでいる。だが、下の母達には聞こえないだろう。
ひとしきり、無音のシャウトをぶちかましたあと、雪は冷たい声で呟いた。
「なめんな、いうたんどすえ」
「…… やる。片方の耳はしばらく使えなくなった」
紅坂の感情を交えない現状報告に、雪が晴れやかな笑顔で言った。
「堪忍しよし。わざとやないえ」
「これではもう一方の耳を遣わざるをえない。蒼瀬に甘噛みされ、レロレロになっている方の」
「…… 小夜。もうええわ」
雪がげんなりした顔で携帯を小夜に放った。
小夜は、トマトの様に真っ赤な顔で、四つ辻を立てまくっている、美香と携帯を、せわしなく見比べている。ハンズフリーをやめようか、どうしようか迷っている顔だ。
「私が何者かも、目的も、来れば分かる…… 生きた金属にまつわる謎も」
息を飲んだ三人を余所に、運送会社の詳細な場所を告げると、紅坂は続けた。
「アシはこっちで持つ。二〇分後にタクシーを、さっきの西門前に送る。来なければ……」
三人の誰かが口を開く前に、紅坂がよく冷えた声で言った。
「あなた達の母も知らない、魔と金属の関わりについて、知るチャンスを逃す。そして、蒼瀬は男に生まれてきて本当に良かった、と言う目に会う。チャオ」
「おう、ご無沙汰」
テーブルの上の、真新しいノートを睨んでいた樫沢は、驚いて顔を上げた。
目の前に立っている懐かしい顔に、仰天して立ち上がる。
「犬丸さん!」
文字通り目をまん丸にひん剥いていた樫沢の顔が、見る見るうちに笑顔になった。
「犬丸さん…… ご無沙汰してます! あえてうれしいッス」
長身の男は相好を崩すと、樫沢の肩にパンチをくれた。
「声がでけえよ、後輩。それから名字叫ぶな。下の名前言ったらコロス」
樫沢は嬉しそうに笑った。
「相変わらずッスね、ケンさん。神レベルのグッドタイミングっす」
「出入りかよ? 昔みたいな目ェしてたぜ、さっき窓から見たら」
断りもせず、前のソファに腰掛けると、懐に手を入れた。
「なんかあったのか? 今のガッコで」
取り出したタバコをくわえると、百円ライターで火をつける。鋭角的な顔に、無精ひげ、よれよれのジャケットにクラッシャーズハット。
中学の頃から、憧れていた風来坊のオッサン。滅多に会えないこの男は、樫沢が何でも話せる数少ない大人だ。
「ガッコじゃないんすけど…… あ、ケンさん、すんません、禁煙ッス。おねえちゃん困ってます、ホラ」
「あん?」
指さされた方を犬丸が振り返ると、近づいて来ていたバイトの女の子が、ちょっと怯えたように立ち止まった。犬丸の鋭い眼光に足がすくんだようだ。
「あ…… ワリワリぃ」
ケラケラ笑って舌を出すと、その先に火のついたタバコを押しつける。じゅっと音がして、女の子が青くなった。
「うおっ、あひっ」
犬丸はあわてて、樫沢の前の水をかっさらうと、一息に飲んで、体を丸めた。
「お、お客さん?」
周りの客も息を飲んでみている。テーブルに突っ伏した犬丸は息も絶え絶えに言った。
「……あひ。おねーひゃん、お水くらはい」
緊張の糸が切れ、樫沢のまわりが沸いた。
半泣きだったウェイトレスは、その反動からか、体を折って笑っている。
苦笑しっぱなしだった、樫沢は言った。
「相変わらずっすね、ホントに」
コロナ700人超えましたね。
おとなしくしとこ・・・




