第三章 蒼瀬の危機に、天狗達は立ち上がるか
おはようございます。
火曜日。
月曜から一歩進んだわけです。
早く週末になってくれ。
「なんかどうでもよくなってきたぞ」
冬はこたつにもなるテーブルに、顎を載せた小夜が白けたように言った。
美香の右手に座っている。
「確かに、行かんかったらどうなるかの方が、興味深いどすな」
雪も頷いた。美香の左手だ。
美香が真っ赤になって喚いた。
「なに言ってんの二人とも、アオ君が攫われたんだよ!」
アオ君。
本人の前では、口にする勇気の無い呼び方で、美香は力説した。
ぼーんと、今では珍しい振り子時計が一六時を告げる。
自分たちの家に、安全な空間にいる事を教えてくれる、幼い頃からの友達。
それすらも、今の美香にとっては焦りに拍車をかける野次に思えた。
あれから、樫沢と別れ、京大から目と鼻の先にある自宅に戻った。
樫沢は、断る小夜に、己のスマホを押しつけると、
「紅坂を連れてきたのは俺達だ。雪さんの言うとおり、小夜さん達の家は知らない方がいい。そこのファミレスにいるから、紅坂から電話があったら、ファミレスに連絡頼んます」
美香に、ナイスヘッド、と親指を立て、行ってしまった。
「変わった男どすな」
あの女の仲間を家にいれるんかえ、と樫沢の事を言っていた雪自身、戸惑いを隠しきれない様子だった。
ここは五行寺境内にある、古い民家の二階、神社なら社務所にあたる、美香達の自宅だ。
広くて古い板敷きの真ん中に、カーペットを敷いた空間。調度類も、部屋の端にあるテレビ以外は、古くさいものばかりだ。
小夜も雪も、アルバイトで家計を助けてはいるが、天才と謳われる者の常で、人見知り且つ、思い込みが激しい母の稼ぎは安定しない。
窓の向こう、木々の間から、古ぼけた赤い鳥居が見える。
主夜神と呼ばれる、印度系の仏を本尊とし、四方には四神が祀られている。
母は、由緒あるお寺だと言って自慢するが、その割には檀家もろくにいない貧乏寺だ。
夏祭りもなければ、近所とのつきあいもほとんどない。
京都の排他的な性質を考えれば、まずあり得ない事だ。
国から補助を受けているから何とかやっていけるようだが、住職もアウトソーシングしている状態で、存続させる意味があるのか、美香達はいつも頭を捻る。
まあ、その補助のおかげで、何とか暮らしている訳だから、美香達に文句のあろう筈がない。
「だってさあ」小夜がダルそうに、テーブルの前に置かれた樫沢の携帯を見た。
「攫われたって言ってもクラスメートにだぞ? 俺達が美香をさらって、あいつらに追って来いって言ってる様なもんだぜ?」
その通りだ。旗色悪し。美香は更に語気を強めた。
「アオくんも、きっと、あんなムッツリスケベだって知らなかったんだよ!」
「それに、ボンズにとったら、なんも困りまへんやろ? 邪魔する方が野暮ちゃうん?」
「何てこというのよ、雪ねえ!」
テーブルを拳でぶっ叩きかけて二人の半眼に気づき、美香は我に帰った。
こないだもバラバラに壊してしまい、おこづかいを減らされたのだ。
「アオくんの人格の危機なんだよ!?」
「ああ…… わりい、すっげえどうでもいい」
「うちも。おなごならともかく…… それにそうなったっちゅう事は、ボンズのボンズがこう…… ああなったっちゅうことやから」
雪は少し頬を染めて、背中を丸めた。
「満更でもないってことやし。一皮むけた、っちゅーことで」
「はしたねえぞ、雪」
姉二人は、女学生の様にクスクス笑い合う。女学生だが。
「うがあああ!」
そんな二人に美香は頭をかきむしった。
そのとき呼び鈴が鳴った。
小夜が慌てた風もなく立ち上がる。美香達も続く。
一階に降り、きしむ廊下を通って、ガラス障子のある玄関に、開いてますよ、と声をかけた。静かに入り口を開けたのは袈裟を来た、三十代半ばの僧侶だった。
「え、あ……」
小夜が、呆然と呟き、雪と美香も言葉を失った。
無精髭を生やした、小夜より少し背の高い男は、静かな眼で頷いただけだった。
甲賀、中忍、斎賀。
下の名前は知らない。
美香は、自分達に忍術と体術を叩き込んだこの人が、ここにくるのは、一年ぶりだと気づいた。
島から脱出して、この寺の使われていなかった社務所に住み着き、ミサは近所にある、京都大学に就職口を見つけた。美香達は、この寺から小・中・高校と進学した。
それを影から支えてくれたのが、この斎賀だ。ミサ達を、自分が管理しているこの寺に匿い、ダイケンと話をつけてくれた恩人でもある。
美香達にとって、斎賀は、近寄り難い存在で、徹頭徹尾、教官に徹する機械に思えた。
無表情で滅多に笑う事も無く、常に見えない壁があり、大声で叱られたり、罵られたりする事は無かったが、一瞥され、「何をしている」と言われただけで、皆泣き出したものだ。
週二回のレッスンがとても憂鬱で、美香達は、火曜日と金曜日が月曜日よりも嫌いだった。
はっきり言えば、斎賀の事も好きではなかった。
斎賀は、幼い美香達に対しても、子供扱いする事は無く、ひたすら真面目で厳しかった。
当然泣き出す美香達に対し、機嫌をとった事など一度もない。
彼の口癖は、
「嫌ならやめろ。ただし、この寺から出るな。魔に殺されるだけだ」
怒ったミサが、実際に美香達を連れて寺を出たことがあった。
二駅ほど離れた三条にある知り合いの寺に一晩泊めて貰おうと、ぐずる小学生の美香達を連れ、境内に足を踏み入れた時だった。
人気の無い夜の寺。どこからとも無く姿を現した、顔色の悪い年寄りに囲まれたミサは、どうすることも出来なかった。
隠し持っていた散弾銃を向け、威嚇しても、何の反応も示さないのだ。
その時初めて美香たちは魔の変化を見た。
ドロドロに体が崩れ、得体の知れない獣に変わる観光客に、姉妹は瞬きも出来ず、狂ったように泣き叫び続けた。
へたり込み、抱き合って失禁している美香たちと、人外の姿に変わった魔を見て、ミサがやっと散弾銃の引き金を引こうとした、その時だ。
「よせ。後始末が面倒だ」
落ち着き払った男の低い声がした。
斎賀だった。
その声は不思議と鼓膜が破れる程絶叫していた、美香達の耳にも届いた。
「対魔用の結界が張られた寺院でなければその侵入は防げない。魔の姿は、まだ子供達に見せたくなかったんだがな…… これも定めか」
参道の闇から姿を現した斎賀は、そう呟くと歩きながら真言を唱え始めた。
美香達が、レッスンで最初に仕込まれたのは、発声練習、音感の養成、そして童謡の歌唱。
忍術の第一歩は、歌の練習だった。
振り返り、アクションを起こそうとしていた半獣半人達は、斎賀のテノール歌手の様な美しい呪文を聞き、動きを止めた。
斎賀は彫像の様に固まった魔の間を歩き回り、札を額に貼り付けて回る。
呆然とするミサ達の前に立つと、斎賀はレクチャーするように淡々と語った。
「正確な音階、節回しで真言を唱えれば、低級魔の動きをしばらく止めることが出来る。そして、護符を貼れば、完全に動きは止まる。その間に逃げろ。絶対に闘おうとするな。お前達にはまだ早い」
その時、美香達は初めて歌の稽古の意味を知らされたのだ。
おとなしく、寺に帰ったミサ達を一部屋に集め、扉の向こうで斎賀は、一晩中読経を続けてくれた。
美香達が悪夢に悩まされず、トラウマを抱えもせずに済んだのは、そのおかげだ。
自分達より圧倒的に強い存在が、いつでも見守ってくれている。
美香たちは、そう信じられるようになった。
美香達三人は、以前より真剣に修行に取り組むようになった。
だが、ミサはずっと斎賀を恨んでいた。
五行天狗衆を襲名しなければ、彼女たちは魔に襲われる事も無かったのだ、と。
そして憎んでいた。この寺に来ると決めた、自身の不明を。
しかし、甲賀でもトップクラスの実力を持つ、この元傭兵による訓練は、美香が高校に上がる直前に、後味の悪い終わりを迎えた。
美香達は、それぞれ微妙な表情で、無言を貫いた。
正確に言えば発する言葉が見つからなかったのだ。
その時、廊下の奥から、硬い声がかかった。
「一年ぶりですね、斎賀さん?」
振り返ると、一階の自室から出てきた、ミサが挑むような視線を斎賀に据えていた。
ひっつめたロングヘアーに化粧っ気のない白面、目の下には花粉症のせいで隈ができているが、元の造りが良いせいか、美しさに翳りはない。
今年二五才になる、美香たちの母親は、下手をすると、一〇代に見える。身長も、美香とそれほど変わらない。三人の母を名乗るには、あまりにも無理があるが、研究一筋で、友人もいないことに助けられ、必要なときはメイクと年齢の逆サバを読むことで乗り切ってきた。
幼い美香達には分からなかったが、五行天狗衆はここ何十年ものあいだ、なり手が見つからず、形骸化した看板のみの存在であったらしい。
幼い忍者の襲名式がこの寺で執り行われた際には、何十という日本各地の忍者の首領が馳せ参じた。今では想像できないが、引っ込み思案だった雪は、式の間中怖がってミサに縋り、泣きっぱなしだった。
一般に知られている忍者は、主君に仕え、諜報、破壊活動を担う、スパイの様なイメージがあるが、最古の忍者集団である五行天狗衆、そしてそこから分派した、裏伊賀、裏甲賀の性質は全く違っている。
生きた金属を追って、冥界より来る刺客の殲滅。
この世に在ってはならない存在を、元の世界に還し、現世の秩序を保つ為のバランサー。
それが、裏三家の存在意義だ。
平和な江戸時代になり、『表』の忍者達は警官や、教師などに転職したが、裏の忍びが職を失う時は、二千年経った今も来る気配がない。
「みんな、二階に戻ってて」
ミサは美香達にそう言うと、斎賀に付いて来るよう促し、自室へと踵を返した。
ネトフリのファウダ。
面白いけど、寝る前に観たらうなされる・・・




