Conduction 「伝導」
「俺は狙われている。お前のいるところにも、お前が恨んだところにも。だから直接どこという事はできない。」
返信の結果は、マリアーンにとっていい結果でないように見えた。しかし、
「ただひとつ、ヒントを与えるなら」
続く文字を辿れば、糸口が見つかる。
「お前の一番好きなアーティストの3番目のアルバムの、6曲目だ。」
彼はすかさずラックにあったアルバムを取り出した。情熱的な歌声と風刺を交えた歌詞が特徴的なヴィクター・コルダというアーティストのものだ。歌詞カードを確認する。「空飛ぶ鉛」という意味深なタイトルの下に、その地は書いてあった。
「シェンゲン……」
ルクセンブルクの南方に位置する地区、国境という概念を変えたシェンゲン協定の由来ともなったその地に彼はいるようだ。マリアーンは、そこへ向かうと伝えた。急行便を探す彼を、アナスタシアが制止する。
「マリアーン、待って。焦らないで。」
彼女は察していた。心配していた。これは、彼の人生に、生命に関わるほど重要な出来事になると。
「私も行く」
「そんなわけにはいかない。これは厄介事なんだ。巻き込まれてほしくない、お前を失いたくない」
「そんなに危ないことをするの?どうして、貴方は、私は、もう平和に過ごせるはずじゃないの?もし危険だったとして、私の力を信じていないの?」
まくし立てるアナスタシアの尋問に、言葉に詰まらせた。彼女には実力があった。ボンを倒したのは、アナスタシアの連携あってこそだ。女だからややこしい事態に巻き込まれるだろうという軽蔑を目的として彼は注意を促したわけではないが、彼女がそう受け取るのも予測できたはずだった。
「そのつもりはないが」
「なら、友人が生きていた。それでいいじゃない。」
「……それでは、俺の中で収まりがつかない」
己の目で真実を確かめたい。私欲であることは分かっていた。それでも、彼は。
「酷い。だけど、貴方は友達思いなのね」
マリアーンの信念を理解できるアナスタシアは理解できるからこそ、悲しみを抑えきれない目をしていた。最後に、彼女が再度聞く。
「……もう一度確認するわ。誰に会いに行くの?」
「テロで攫われた俺の友人、アブラハム・メロンスキだ。すまない。これだけは、俺の目で確かめたいんだ。」
その男は、決心に燃えていた。
Cz75と端末と緊急用バッテリー、念のために少しの現金。小物は最小限にして、「彼」の形見の水色のスカーフも入れた。マリアーンは外出の支度をしていた。アナスタシアも、それ以上彼に要求をしなかった。ルクセンブルク行きの高速鉄道の路線を確認し、夜には旅立つ予定であったのだ。
「ナースチャ」
寝室に入ってきたアナスタシアが寂しそうな顔をしていたので、マリアーンは申し訳なさそうに彼女の額に口付けた。
「我儘なのはわかってる。でも……」
彼女は彼の首に手を回す。折角出来た拠り所がなくなるのは悲しいという、尋常一様な感情を抱いていた。そもそも我儘なのは俺の方だ、と返す言葉の代わりに、彼はベッドに彼女を押し倒し、深くキスをする。
「まだ昼過ぎて間もない、いいのか」
「本当に、本当に友達に会いに行くだけなんでしょう?」
逸らかす彼、本心を聞き出す彼女。噛み合っていない会話。お互いに、平穏に変化が起きることを怖がっていた。
「それが、普通の友人ならな。だがあいつは違う。連合軍にも、アメンテスにも喧嘩を売った奴だ。俺はそいつに会いに行く。だから正直、俺もどうなるか分からない。」
意味深に返した言葉に、彼女の瞳が涙で潤んだ。
「生きて帰ってきて、約束して」
ああ、と低い声で返事をし、彼女をきつく抱きしめた。有耶無耶にするように激しく抱いた。そして彼は気の利く言葉も出せぬまま、出ていってしまったのだ。
彼女と平穏を置いて旅立ったマリアーンは、ルクセンブルク行きの高速鉄道に揺られていた。窓の向こうに、三日月より鋭さのない眩い月。腕時計は夜の9時を指している。頬杖をついていた彼は居眠りをしそうになるが、昨日の悪夢を思い出し途端に目が冴えてしまった。いくらリニアモーターカーとはいえ、700km以上の距離を走るのは時間がかかる。そこでフランクフルト中央駅で途中下車した彼は煙草を吸いに、喫煙所へ向かった。その道中、一際目を引く――それ自身は、目に留まることを否定するかのような黒尽くめの――黒い杖を持った紳士が立っていた。おそらく190cm近くある背の高さに、薄手の黒のコートの上からでもわかるがっしりとした体型。帽子から覗く黒髪は丁寧に整えられ艶があり、威厳のあるカイゼル髭を生やしていた。マリアーンは見覚えがあるが、思い出せないでいた。あまりじろじろと見るわけにもいかず、気にしないように足を進めたつもりだが、止められてしまう。
「君はどこから」
「プライバシーに関わる質問は、ご遠慮ください」
紳士の質問を遮るのは申し訳ないと思ったが、今の状況を他人には知られたくなかったマリアーンは、答えを逸らかした。
「……詮索するようで悪いが、君の翻訳機のプログラムから推測するに、東の地方の者かね」
普通、翻訳機の仕様など分からないはずだ。軍用なら尚更。この人間は只者ではない。危機を察したマリアーンは、言葉を紡げないでいた。
「驚かせてしまったようだね。すまない。吾……」
ごほん、と咳き込むと、紳士は言い直す。
「私は別に君を取り調べようだなんて思っていない。ただどこへ行くのか訪ねただけだ」
「ああ、そうですか。俺は友達のところへ。」
なんとか平穏を保とうとするマリアーン。もう夜中であるから、おかしな人が出ても仕方ないのだ、と考え直す。
「気をつけ給え、夜のフランクフルトでは君も狙われているからな。」
「お気遣いどうも。でも生憎、俺は金を持ち歩かない主義でですね」
「否」
彼がそれを遮ろうとしたときに計算されたかのように爆風が舞い、悲鳴や怒号と共に銃撃音が駅のホームに鳴り響いた。
「君の命を狙う者がいるだろうからな」
紳士は振り向き、杖をこん、と地面へと叩いた。
「すぐにここから逃げなさい。そして帰りなさい」
「ちょっと待ってください、どういうことです?」
マリアーンが戸惑う中、紳士は杖を振った。仕込杖だった。持ち手のところに切れ込みがあり、それを抜かれ出てきたのは刀身。この紳士は、一般の通行人ではなさそうだった。
「端的に話せば、君は有名人になってしまったのだ。だから一人で出歩けばこうなる」
「仰る意味がわかりません!」
「アメンテスの存在意義は復讐。だから君に復讐を誓うテロリストは多いのだよ。認め給え」
藪から棒に落ちぶれたテロ組織の名前が出てきたことにマリアーンは違和感を抱いた。嫌な予感が過る。この人間、まさか同業者か……?
「失礼ですが、貴方の"所属"は?」
騒然とするホームの中、自衛のためCz75を構えた彼は尋ねた。すると紳士は、翻訳機へ最高級の軍事用暗号化プロトコルを処理して、彼の度肝を抜くような返答をした。
「連合軍最高司令官、ヘルムート・リーデルシュタインだ。」
何でこんなところに元帥がいるんだ。マリアーンは絶句した。彼の上司であるラファエルが頭を下げながらも「元帥殿」と皮肉めいて罵っていた上官その人である。平たく言うと、連合軍で一番偉い人だ。
「……僭越ながら、貴方が狙われていたのでは」
「吾輩を殺すつもりなら連中は延長信管を用意するだろうな」
元帥は冗談めいて笑うと、飛び散った顔の大きさほどの破片を仕込杖で一刀両断してしまった。神業の域だった。
「だが、それを備える必要はもう無いのだ。」
「え、それはつまり」
「もう、我々やアメンテスの時代ではない。脅威ではないのだ。」
意味深、否、意味不明な台詞を吐く元帥に首をかしげる暇はない。ホームの柱に隠れながら様子を伺うマリアーン。
「応戦するのか」
「これでも、連合の端くれですから」
「無理をするな。弾にも限りがある。それにこれは君一人で解決できるものではない。」
元帥閣下のご命令だ。そして最もな回答だ。彼は歯向かおうともしなかったが、
「しかし、貴方が死なれたら」
「この程度で死ぬならとうに死んでいる、吾輩を愚弄するのもそこまでにし給え」
厳しい口調で流れる銃弾を躱しつつ、刃で破片も敵も確実に斬っていくのは達人というよりも、悪魔のようであった。マリアーンは頷いてから、急いで他の客と共にホームから脱出する。夜中だったこともあり、子供や年寄りはいなかったため弱者を狙う隙が生じなかったのが幸いだった。テロ対策部隊も5分もせずに到着したため、事件は素早く収束に向かった。しかしマリアーンにとっては、陸路の重要拠点を奪われたに等しかったため、予定を大きく狂わされてしまった。また会いたくない人間と鉢合わせしてしまったため、彼は偶然の確率というものをこの上なく恨んだ(彼は無神論者であり、神の導きと考えるのは癪であったようだ)。
「愛すべき人が心配するだろう、早く帰りなさい」
改札の近くでまた会った元帥はもとの"紳士"に戻り、マリアーンに100マルクの紙幣を、「軍の金ではないから好きに使え」と渡した。驚くマリアーンに、これは我々にも責があるからな、と自嘲しつつも紳士はもとの調子で笑っていた。
「ありがたく頂きます。しかし、元帥閣下」
「何だね」
「貴方にも、大切な人がいるのでは。貴方のお金は、貴方の大切な人に使うべきでは」
金は受け取りたいが善意までは要らないと、遠回しに尋ねたつもりだったが……
「大切なものなど……吾輩にはない。強いて言うならば、この、軍隊だろうな。しかし軍は元来は民を守るための民の所有物だ。吾輩のものではない。」
「そうでしたか」
紳士はとても寂しそうな顔をしていた。触れてはいけないところに触れたと察したマリアーンは、早急に謝り、駅を後にした。
駅周辺は立ち入り禁止区域となってしまったので、少し離れた場所からビジネスホテルを探し、今回はそこに泊まることにした。アブラハムもそれは分かってくれるだろうと、端末を動かしSMSで遅れる旨を伝えようとした。一応、事件のことも話しておく。
「おい、軍人からなにか貰わなかったか」
「嗚呼、100マルクほど。」
「すぐに両替しろよ。発信機とかついてたら嫌だし」
焦りを見せるアブラハムに、マリアーンは笑って返す。
「考え過ぎだ。第一、明日の朝には切符に変わってる」
「それが駄目なんだよアホ!どこ行きか特定されるだろ!」
はっとした彼は明日の朝に両替することを伝え、空路へ転換することを伝えるが遮られる。
「テロリストの思う壺だろう、911を忘れたか!」
「俺はそんなに大物になったつもりはない!」
マリアーンは声を荒げた。
「お前はそこにいろ。明日、俺がそっちへ向かう。朝の9時だ。いいな」
「それは有り難いが、随分時刻が中途半端だな」
「俺は低血圧で朝が弱いんだ」
ジョークを交えてアブラハムは迎えに来ることを伝えた。彼が無事に来られるという保証はない。
「念のために武器も買っておこうか」
「大規模だな」
「嗚呼、愛銃もいるぜ」
「彼女泣かせの9mmのやつか?」
さらに下劣なネタを平然と交えてアブラハムは笑う。
「お前、あとで蜂の巣にしてやるからな」
「キャァ、ケツの穴洗って待たなきゃね、マーリャ」
双方が「XD」の顔文字を用いていた。マリアーンは緊張で笑えなかったのもあり、爆笑が過ぎて涙まで出ていた。
「兎に角、エイブが生きていてよかった」
「それは明日聞きたかったな、マーリャ」
どことなく、不安を感じ取っているマリアーン。
「ちゃんと明日も言ってやるさ」
「約束のキスは?」
「帰ってあいつにする」
茶化すアブラハムに堂々と惚気けるマリアーン。
「オーケー、用が済んだらお前んち爆破しに行くわ」
「用が済んだら、な」
ただの友人でいたかった。友情が崩れる覚悟で、真実に立ち向かわなければならない時が迫っていた。
翌日。彼は無事にやってきた。銀髪に桃色の瞳という異質な顔立ちで、薄手のジャケット羽織った男。
「久しぶりだな!」
「嗚呼、長かったな、エイブ。」
二人は抱きしめあった。10年ぶりの友情を確かめていた。
「祝杯と行きたいが」
無事にやってきた、だけであった。複数台のパトカーによるサイレン音の重奏。嫌な予感がした。
「ギャラリーの層が悪くてな」
「おい、お前」
「これでも俺は元アメンテスだからな!」
軽くウィンクするアブラハム。身を隠していた理由が判明し、頭を抱えるマリアーン。
「仕方ない。この借り、ちゃんと返せよ」
「友情パワーでどうにかしまーす!俺ちゃんのトリガーハッピーショー、開幕!」
厄介な友人を持ってしまったと後悔するところだが、それほど嫌そうでもないマリアーンもまた、闘争心によって分泌されるエンドルフィンの中毒者なのだろう。
「うぇるかむとぅううっっじ!」
「……Amenthes!」
世界の引き金が弾かれた。




